ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】グレン・グールド 孤独のアリア

2006年06月22日 18時47分44秒 | 読書記録2006
グレン・グールド 孤独のアリア, ミシェル・シュネデール (訳)千葉文夫, ちくま学芸文庫, 1995年
(Michel Schneider, Glenn Gould Piano Solo : aria et trente variations)

・音楽家を含むいわゆる芸術家には、奇人・変人と称される人間がたくさんいます。その中にあって横綱級の伝説のピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)について。著者がフランス人なので、てっきりフランスにゆかりが深いのかと思ったら、グールドはカナダ国籍でフランスと特別な縁があるというわけではないようです。文章がとても詩的で、通常の伝記物という雰囲気ではありません。
・その名はよく目にしますが、その演奏にはあまりなじみがありません。私が持っているグールドのCDは、ゴルドベルク変奏曲の新盤とブラームスの協奏曲の2枚だけ。そんなに聴きこんでいるわけではないので、今度ちゃんと聴いてみようかという気になりました。
・「ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。」p.11
・「「わたしが好きですか」と、ひっきりなしに訴え、取り入り、迫ろうとするのがソリストだ。」p.13
・「つかまえられた鼠が外に出ようとして檻の垂木をひっかくように、ピアノをひっかく自分の姿が見えたのだ。」p.17
・「それでも優れた文学作品あるいは哲学的著作をよく読んだということは知られており、これはソリストとしては異例のことであるといってもよい(一般に音楽家はあまり本を読まない)。」p.35 これは偏見だろう。。。
・「また午前四時に友人たちに電話し、ある曲を九小節ばかり弾いてみせ、曲名をあてるよう迫るのだった。」p.41
・「ほかの人々は「どんなふうに」と問いを発しながら演奏するように思われるのに、彼は「なぜ」と自分に問いかけながら演奏した。」p.65
・「彼の晩年の生活の本質的部分は金を中心として動いており、彼にとって金は特別な重要性をもっていたと語っている。」p.66
・「彼はほとんど眠らなかった。風呂に入るにも手袋をはめていた。手でじかにものをつかもうとはしなかった。とくに他人の手を握ろうとはまずしなかった。」p.68
・「芸術の目標はアドレナリンを瞬間的に分泌させることにあるのではなく、一生をかけて驚きと静けさの状態を少しずつ構築してゆくことにあると彼は考えていた。」p.69
・「生涯を通じて彼はあまりものを食べなかった。実際はほとんどなにも口にしなかったといってもよい。多くても一日に一回だけで、決して肉は口に入れなかった。野菜も同様だ。「野菜は呪われている」と彼はいっている。演奏旅行中や録音期間中はさらに食べなかった。十日間なにも固形物を食べてないと言ったこともある。」p.71
・「彼は極寒のさなかに熱さを手に入れ、虚空に身をささえ、果てしなく遠い距離のなかで近さを求めた。」p.73
・「だが彼はピアノをあえて反ピアノ的なやり方で演奏し、「けっしてピアノにはふさわしくない音色」を偏愛する。彼にとってピアノは牢獄だった。ほかのピアニストが一日に二時間から五時間ほど弾くのに対して、一週間に何時間か弾くだけだった。」p.78
・「スタジオ録音が絶対的にすぐれているとするグールドの主張は間違っていた。」p.80
・「グールドのレコーディングの伴侶となったピアノはスタインウェイCD318であり、このピアノは1938年ないし39年に製造されたものだったが、グールドは1960年を起点としてこのピアノに全面的な改造を加え、その後七年間にわたってこの作業はつづけられた。垂直方向では鍵盤の重さがありながらも、水平方向では鍵盤どうしのあいだにすき間があり、指を震わせることによって、押さえた音の響きが保てるという、スタインウェイとは相容れないと思われる特徴をもつピアノを彼は求めていた。」p.91
・「まるで彼と音楽のあいだには、もはやピアノは存在せず、ピアノのなかにみずから解体して、区別がつかなくなるように願っているとでもいうかのようだった。「ピアノに向かうグレン・グールド」ではなく、「グレン・グールド・ピアノソロ」というべきなのだ。」p.101
・「録音ディレクターのハワード・スコットが言う声がピアニストの耳に聞こえてきた。「あまり大きな声で歌うもんだから、ピアノがほとんど聞こえないんですよ。」――「ハワード、ぼくじゃなくてピアノのせいさ。ピアノのほうが弱いんだよ。」こう答えた彼の頭に突飛な考えが浮かんだ。「ガスマスクをつけて演奏すれば、ぼくの歌は聞こえないだろうな。」」p.104
・「そして最後に、音楽はまずもって音響的物体、物理的出来事をつくりだすことではなく、また心理的状態をつくりだすことでもなく、精神的完成の探究にほかならないということである。つまり音楽は非実体性に向かうのだ。」p.115
・「レナード・バーンスタインが語るのもそのことだ。「問題は、われわれ演奏家が、演奏を聴くひとりひとりの人間すべてから個人的に愛されたいと望んでいることにある。」」p.141
・「グールドはひとりではなかったし、孤独な人間でも自己を失った人間でもなかった。彼は孤独のなかにいた。」p.189
・「他者なしでやってゆくという要求を極限まで推し進めて、みずからライナー・ノートを書き、録音、編集、ミキシング、製作などをやり、自分の演奏の批評も書き、なんとも形容しがたい自己対談を発表した。カナダのラジオ局CBCのディレクターだったジョン・リー・ロバーツの語るところによれば、グールドはどの瞬間にあっても完全に意識的であり、自分をコントロールしようと思っていたという。」p.200
・「芸術は存在しないかもしれないというだけではない。芸術はおそらく存在すべきではないのだ。「ぼくは芸術にみずから消滅するチャンスを与えなければならないと思っている。」」p.215
・「最後の何ヵ月かのあいだに読んだ一冊の本が頭から離れなくなった。夏目漱石の『草枕』である。東洋的叡智の書物それとも神秘思想の書物というべきなのかどうか、わたしにはよくわからない。」p.234
・「グールドを語る断片が<ゴールドベルク変奏曲>のアリアと三十の変奏のスタイルをとってあらたにならび変えられるなかで、揺り籠にも棺にも似たピアノという孤独な楽器の運命と狂気を語るメランコリックな声が通奏低音のように聞こえてくる。」p.252
・「グールド自身も多くの文章を書いた。だが、それ以上に、グールドは人をして多くを書かしめた。」p.255
・「彼の演奏は、たしかに伝統的な慣習からはずいぶん遠いが、しかし、けっして気ままなものでも、恣意的なものでもなく、すべての音と動作が"必然に貼りついている"。この"必然性"こそが、グールドが私たちを捕らえて離さない力なのだ、と。」p.261
・「また、本書はドキュメンタリーでもない。シュネデールは、最初のアリアから三十の変奏を通って最後のダ・カーポにいたる《ゴルトベルク変奏曲》の構成にそって、さまざまなキーワードを用いながら、グールドの発言や逸話を考察していく。」p.264
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?メタファー(英metaphor)〈メタフォル〉隠喩。
?ヒポコンデリー(ドイツHypochondrie)心気症。憂鬱症。
?マニエリスム(フランスmanierisme)ヨーロッパ、特にイタリアにおいて、一五二〇年頃から一七世紀初頭まで盛んであった美術様式。盛期ルネサンスの成果の独得な解釈の上に成立したもので、長くルネサンスの退廃様式と考えられてきたが、今世紀になって再評価が行われた。また広く、特定の個人や伝統の型を踏襲する美術および文学上の傾向。
?りゃくじゅ【略綬】 略式の綬。
?プレクトラム = ぎこう【義甲】 琴をひくときの爪。ことづめ。
コメント
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