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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】科学の哲学

2008年04月13日 09時37分27秒 | 読書記録2008
科学の哲学, 柳瀬睦男, 岩波新書(黄版)260, 1984年
・著者による、科学と哲学をテーマにした『科学基礎論』という講義を基にしてまとめた本。理系だけではなく文系の学生も広く対象にしていた授業とあって、その言葉は平易なものです。しかし、そこで語られる概念は歯ごたえあり。
・「「物とは何か」の質問は、まず物質の構造を問題にしています。しかし構造だけでなく、本質は何かを問題にしています。  また「変化とは何か」という問題から法則の発見がひき出されてきます。(中略)そして面白いことは、この変化とは何かを追求している間に、これとちょうど反対の問題である「変化しないものは何か」、「変化しないとはどういうことか」という問題を考えることになりました。」p.4
・「現在の物理学を一言でいえば、エネルギーの学問であるといえそうです。  「エネルギーとは何か」という問いかけは、「物の本質は何か」ということにつながってきます。そして、それと同時に、第二の問いかけである「物はどういうふうに変化するか」に対しても、今のところ根本的な答えとなっています。  「物の本質は何か」――「エネルギーである」。  「変化は何か」――「エネルギーがいろいろな状態に変わることである」。」p.27
・「相対性理論の重要さは、もちろん、ローレンツ変換、時間と空間の相対性を示した点で大切ですけれども、エネルギーという考え方から見て、物質がエネルギーであるということをはっきり数量的に示した点が最も重要な結論かもしれません。」p.34
・「前に述べたように、これはギリシアの昔からの哲学の根本問題でした。万物は全部変わるか、全く変わらないのか。それに対して、変わるものと変わらないものがあるから、変わるという言葉が意味をもつというわけです。」p.37
・「エネルギーの役割の大切な点は、いろいろな物理学の基本法則の適用限界を決めるということです。だいたい物理学の基本方程式は三つか四つしかありません。古典力学の基本方程式、電磁気学の基本方程式、相対性理論の基本方程式、それから量子力学の基本方程式の、だいたいこの四種類で全部話が尽きます。」p.39
・「エネルギーを考えるときに、まだよく分からない領域は、依然として「生き物」です。基本的には、結局、原子で全部話はつくはずです。なぜかといいますと、「生物」は炭素をもとにした原子の複雑な構成から成っているからです。ところが不思議なことには、これだけを使っても分からないことが「生物」の中にたくさんあるのです。」p.41
・「生物はエントロピーの増大の法則に反するようなことを、日常茶飯事としておこなっています。これはなぜでしょうか。」p.43
・「データとはラテン語で「与えられた物」という意味です。自然から与えられた材料。」p.72
・「特に量子力学をやると、いつでも i と π は一緒にくっついて出てきます。それは一体どういうことか。円運動が、すべての運動の基本にあるからだと思います。」p.100
・「ですから、論理学は、抽象的な、わけの分からない式を扱っているようですけれども、実際の生活の中に案外役に立ちます。会議をしたり、相談したりする時に、このことを頭においておけば、時間の節約にもなりますし、また、いろいろと活用もできる。」p.117
・「演繹というのは、ある一つの命題があった時に、その命題から必然的に導き出されるような結論を導き出すことです。帰納というのは逆に、経験的に知られたある命題があった時に、その命題をいくつか集めて、その命題の中に共通している結論は何か、その命題のどれにもあてはまるような共通の結論がないかを考えていく推論の仕方です。」p.119
・「自然科学ではっきりと規定される言葉だけを使っていますと、理論をつくることができない。どうしても日常言語――自由に変えることのできる柔軟な言葉――でないとできないのです。科学言語で科学理論をつくるという試みは、意図としてはよかったのですが、今のところは結局失敗に終っています。」p.122
・「だから、心理学の場合には、二値論理だけでデータを処理すると実情に合わないという考え方が出てくるのです。しかし、それでも、最後は全部二値論理を基礎において考えておかないと、意味のある命題が一つも出てこないという結果になります。」p.137
・「日常生活で真理と認めているものを、無条件に自然科学でも認めると、いろいろ不都合が起こる。」p.153
・「有限回の現象の一致がなぜ無限回の現象との一致になるか、つまりその法則が不変である、いつでもどこでも成り立つということを、どうして保障できるかという問題ですね。それがこの存在的な真理の一つの根本的な問題、そして自然法則の真理性の根本的な問題です。」p.157
・「いずれにしても、経験論的な立場に立っても、ある原理は少なくとも認めないと学問的な体系にならないということは分かりますね。少なくとも論理的な意味での矛盾の原理を認めなければ、この経験論的な立場でも法則というものは認められない。それから斉一性の原理も認めなければ法則は出てこない。因果性の原理については、現象面にあらわれてくるデータの処理に関しては、因果性の原理を認めなければ規則をつくりあげることはできないのです。そして前にもいったように、実際の自然科学の現場では、哲学的な立場がどうであろうと、素朴実在論の立場を認めなければ仕事ができない。従って、その基礎にある原理を認めざるを得ないはずです。」p.169
・「懐疑論者は次のように主張します。『「白墨が今ここに在る」という言明は、触覚なり視覚なりを起こした対象が外にあり、その対象が原因となってある結果を私の中に及ぼしたから、われわれはその結果から原因を推測しているにすぎない。目で見た感覚とか、さわった感覚とかを総合した感覚の原因として、ここに何かがあるという推論をしているから、ここに白墨が在ると言っているのであり、何ら自明(trivial)なことではない、つまり、「白墨が今ここに在る」という言明は、直接経験ではないから、それほど自明ではない』というのです。」p.174
・「結局、わたしの言いたいことは、こういう懐疑主義の立場をとってもどこかでそれも破れるだろうということです。少なくとも考えている自分についての懐疑を、徹底させることができないということです。」p.182
・「ところでわれわれにとってもっと大切なのは、その基礎を探って自然科学の真理性を哲学的に確かめることです。まず、われわれが自分の自我を認めること。自意識の中で、あるいはわれわれの指向が外に向いているときだけではなくて、こんどは内側へ戻ってきたときに、自分自身を認めること。そこから自分自身の体と外界――目に見えるものだけでなく、見えないものも含めて――を認めること。それは哲学的には実在論の立場です。そういう態度がやはり、一番われわれにとって健全な態度ではないのか。」p.189
・「自然科学が何故正しい自然の理解を私達に示すといえるのか、何故圧倒的な応用性を持ち、人類全体の生活のすみずみまで支配するほどの力を発揮しているのか、その根拠をさぐり、私なりに、実在論的な立場から、基礎付けをこころみたものです。  個々の知識を学びとるよりも、どのような問題があり、どんな道具立てが使われているのか等の基本的なことがらへの関心と刺激が得られれば本書の目的は果たされます。」p.194
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【本】病気にならない生き方

2008年04月09日 08時03分15秒 | 読書記録2008
病気にならない生き方 ミラクル・エンザイムが寿命を決める, 新谷弘実, サンマーク出版, 2005年
・内視鏡医の第一人者としての経験に基づいて、著者自らが編み出した健康法の紹介。有名人も多数実践という触れ込み。
・医学については専門家だが、生化学、遺伝学などを含む生物学分野についてはほとんど素人ではないかという印象を受けました。
・「○○で健康になる!」程度ならまだ受け入れられますが、「病気(ガン)にならない!」まで言われてしまうと、ちょっと警戒してしまいます。内容の真偽についてはともかく、現在の身の周りにはいかに "不自然な" 食べ物や薬が蔓延していることを気づかせてくれる、という点では参考になりました。しかし、この健康法をそのまま実践する気にはちょっとなれません。
・わざわざ「ミラクル・エンザイム」(物質)の存在を仮定しなくとも、「各種酵素の生成総量の枠」(規則)を仮定するだけで、本書の内容はほとんど説明がつくのでは?
・このようなちょっと怪しげで、『著者の妄想』の香り漂う本の特徴として、図や表などの具体的データをほとんど使わず、使ったとしても写真くらいで、ほとんど文章のみで押し通してしまうという共通点があるような気がします。
・「医師になって45年ものあいだ、私は一度も病気になったことがありません。」p.2
・「こうした胃腸内の状態を、私は「人相」になぞらえて「胃相」「腸相」と呼んでいます。よい胃相・腸相をしている人は心身ともに健康であり、逆に胃相・腸相が悪い人は、心身のどこかに何らかのトラブルを抱えていました。」p.5
・「では、どうすれば健康で長生きできるのか。それはひとことでいえば「ミラクル・エンザイム」を消耗しない生活を送るということでした。」p.5
・「私がいう「ミラクル・エンザイム」というのは、必要に応じて特定のエンザイムに作り替えられる以前の、どのようなエンザイムにもなれる可能性をもった原型となるエンザイムです。」p.7
・「とはいえ、エンザイムの研究はまだまだ途上にあります。そういう意味ではたしかに「ミラクル・エンザイム」の存在も、現時点では私の仮説でしかありません。しかし、ミラクル・エンザイムを補う食事をし、ミラクル・エンザイムを消費しない生活習慣を身につけることが胃相・腸相をよくすることは、臨床に裏付けられた事実です。」p.8
・「人間の体はすべてつながっています。たとえば、歯が一本虫歯になっただけでも、その影響は体全体によびます。」p.9
・「医師である私があえて断言しますが、じつは医師がどれほどがんばっても、治療だけでは本当の意味で患者さんを健康にすることはできません。手術や投薬よりも、日々の生活を改善することのほうが、根本的にはより重要なのです。」p.21
・「よく病気になってから、「なぜ、こんな病気になってしまったのだろう」と嘆く人を見かけますが、病気は神仏が課した試練でも罰でもありません。自分が積み重ねてきた日々の悪い習慣の結果なのです。」p.23
・「「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、食べ物も、そこに含まれる一つの成分だけを見て、体によいとか悪いとか決めることはできないのです。」p.30
・「肉を食べなければ体が大きくならないというのもウソです。象やキリンはライオンやトラの何倍もの大きさがありますが、彼らは草食動物です。  ただし、動物性タンパクをたくさん食べると人間の成長が早くなるということは事実です。」p.33
・「私のように少量の薬にも反応する人をいまでは「薬品過敏症」というようですが、私にいわせればそれはまったくの逆です。人間の体というのは、本来こうしたものなのです。多くの人のほうが、酒やたばこ、コーヒーや紅茶などの嗜好品を常用したり、食品添加物や化学調味料を使った食事を日常的にとっているため、薬に対する耐性ができ、刺激に鈍感になってしまっているのです。」p.50
・「つまり、市販の牛乳というのは、大切なエンザイムを含まないだけでなく、脂肪分は酸化し、タンパク質も高温のため変質しているという、ある意味で最悪の食物なのです。  その証拠に、市販の牛乳を母牛のお乳の代わりに子牛に飲ませると、その子牛は四、五日で死んでしまうそうです。」p.70 文中に執拗な牛乳攻撃がありますが、著者は過去に牛乳についていやな思い出でもあるのではないかと思わず勘ぐってしまいます。この一文も、市販の牛乳が子牛にとっての毒であるかのような書き方ですが、生乳と加工乳の成分のことを考えると単なる栄養失調ではないかと。
・「日本ではここ30年ぐらいのあいだに、アトピーや花粉症の患者が驚くべきスピードで急増しました。(中略)なぜこれほどアレルギーを起こす人が急増したのか、さまざまな説がいわれていますが、私はその第一の原因は、1960年初めに始められた学校給食の牛乳にあると考えています。」p.72
・「私は子供のころから、どんな犬とでもすぐに仲よくなるという特技をもっています。それほどむずかしいことではありません。自分の唾を手のひらに出して、犬になめさせてやればいいのです。これでどんな犬とでもあっという間に友だちになれます。」p.89 これは今度試してみたい。
・「その大切なエンザイムは熱に弱く、48度から115度で死滅してしまいます。にもかかわらずペットフードは、缶詰にしてもドライフードにしても必ず加工工程で加熱されています。(中略)もともと野生の動物は加熱してものを食べるということはしません。」p.91 生物ではないエンザイムに対して "死滅" という言葉を使ってしまうところに引っ掛かりを感じる。
・「動物性脂肪のバターより植物性の油で作られたマーガリンのほうがコレステロールもないし、体によいと信じて使っている人は多いと思いますが、これは大きな間違いです。じつはマーガリンほど体に悪い油はないのです。」p.98
・「自然界で大人になっても「乳」を飲む動物など一つも存在しません。それが自然の摂理というものです。人間だけが、種の異なる動物の乳をわざわざ酸化させて飲んでいる。つまり、自然の摂理に反したことをしているわけです。」p.108
・「牛や豚や鳥の体温は、人間よりも高い38.5~40度。鶏の体温はそれよりもさらに高い41.5度です。こうした人間よりも高い体温の動物の脂は、その温度で最も安定した状態にあるということです。つまり、それよりも体温の低い人間の体内に入ったときには、ベタッと固まってしまう。(中略)一方魚は変温動物ですから、通常の状態であれば、人間よりはるかに低い体温をしています。」p.115
・「人間の遺伝子と最も近い遺伝子(98.7%が同じ)をもつ生物、チンパンジーの食事を見ると、その95.6%は植物食です。」p.126 よく引き合いに出される話ですが、不一致の "割合" は小さくとも、その "絶対量" は膨大。
・「・植物食と動物食のバランスは、85(~90)対(10~)15とすること  ・全体としては、穀物(雑穀、豆類を含む)を50%、野菜や果物を35~40%、動物食は10~15%とすること  ・全体の50%を占める穀物は、精製していないものを選ぶこと  ・動物食は、できるだけ人間よりも体温の低い動物である魚でとるようにすること  ・食物はどれも精製していないフレッシュなものを、なるべく自然な形のままとるようにすること  ・牛乳・乳製品はできるだけとらないこと(中略)・マーガリンや揚げ物は避けること  ・よくかんで小食を心がけること」p.136
・「子供が親と同じ病気を発症しやすいのは、遺伝子として病気の原因を受け継いだからではなく、病気の原因となった生活習慣を受け継いだ結果なのです。」p.143
・「そうして親から「よい食べ物」「よい食べ方」「よい生活習慣」を受け継ぐと、その次の世代ではガンの遺伝的要素はどんどん弱まっていくと考えてよいでしょう。つまり、よい習慣を継承していくことで、遺伝子をも書き換えていくことができるということです。」p.147 本書で一番(マイナスの意味で)衝撃を受けた一文。いわゆる『獲得形質の遺伝』(現在の常識的には起こらない)についての言及ですが、これだけはっきり断言してしまうとは。
・「水を飲むだけでやせるなんてウソのような話ですが、これは事実です。」p.165
・「そういうことをしても、もし便通が整わないようなら、私は「浣腸する」ことをお勧めします。  私が推奨しているのは、「コーヒー・エネマ(コーヒー浣腸)」といって、コーヒーの入った水にミネラルや乳酸菌生成エキスなどを加え、腸を洗うというものです。」p.173
・「結局、人間の体の恒常性というのは、何かを「しすぎる」と崩れてしまうのです。何事も体にとっては「適当」がいいのです。」p.185
・「何事もそうですが、早くギブアップしたほうが負けなのです。「もういいや」「もうだめだ」と精神的な部分であきらめると、肉体の老化は早く表れます。  けっしてあきらめないこと。これが健康で長生きする秘訣なのです。」p.191
・「現代医学は「治療」、すなわち病気を治すことからスタートしています。それがそもそもの間違いだと私は思います。病気から始まる医学ではなく、健康な状態から体をとらえ、どうしたら健康を維持できるのかと考えていかなければ、「本当の医学」というのは成り立っていかないのではないでしょうか。」p.195
・「自然の摂理に学ぶなら、まず現在の臓器別医療をやめることが求められます。臓器別医療は、「木を見て森を見ない医療」だからです。」p.199
・「本書をここまで読んでくださったあなたには、ぜひ「今夜の焼肉」より「十年後の健康」を選んでほしいと思っています。  いま私が期待しているのは、次世代の教育です。よく知育、体育、徳育の三つが教育の柱として掲げられているのを耳にしますが、これからはぜひもう一つ、「食育」を組み入れて、正しい食の知識を多くの人に知っていただく機会を教育や医療の場でつくり出してほしいと思っているのです。」p.207
・「このような幸せのサイクルが回りはじめると、腸内細菌もよい環境下で活性化し、ミラクル・エンザイムを大量に作りはじめます。そのミラクル・エンザイムの大量生産に刺激され、体全体の細胞の活性化が起こります。人を愛することで幸せを感じた人の自己治癒力が活性化する陰には、こうした幸せのサイクルによって大量に生まれるミラクル・エンザイムの働きがあったのです。」p.226 前半では、ミラクル・エンザイムは減る一方で、そうおいそれとは補給できないから出来るだけ無駄なく大切に使いましょう、という主張だったのが、ここへきて「大量生産できます」とは。
・「このようにエントロピーの速度をリカバリーし、破壊・崩壊という流れを修復・再生・甦生(蘇生)へと向かわせる過程を「シントロピー」といいます。」p.232
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【本】システム・ダイナミックス入門

2008年04月06日 10時04分47秒 | 読書記録2008
システム・ダイナミックス入門 複雑な社会システムに挑む科学, 小玉陽一, 講談社ブルーバックス B-557, 1984年
・最初の50ページほどは何とかついていくが、それから先は完全に置いていかれます。観察対象となる事象の中に因果関係のループを探し当てるようになるためには、それなりの訓練が5年ほど必要とのことで、このような新書を一冊さらっと読んだだけで全てを理解するのはそもそも無理な話です。「システム・ダイナミックスってどんな感じか」概要を知るだけなら第1章を読むだけで十分でしょう。その先は「システム・ダイナミックスを身につけたい」と明確な目的を持つ人向けです。
・『世界』の動きをシミュレートしてしまおう、というスケールの大きな発想はちょっと驚き。
・ポケコンなどで実行できるBASICのプログラムリストの例がたくさん載っています。全て大文字アルファベットのプログラムソースが懐かしい。 IFT=>1THENA=50
・現在この分野は下火になっている模様。
・「現在のところ、システム・ダイナミックスは、「本質的にデータを欠く」社会システムを有効に取り扱うことができるほとんど唯一のツール(道具)なのである。」p.7
・「筆者はかねてから、人間の頭脳、コンピュータ、図書館(データーベース)を三位一体とした問題解決システムこそ、来るべき知的増幅社会の中核をなすものであると考えているが、」p.9
・「システム・ダイナミックスは、断片的な情報を、総合化する場合に偉力を発揮する。」p.19
・「システム・ダイナミックス・モデルの方程式の左辺と右辺のディメンションは必ず等しくなければならない」p.31
・「まず、システムは、システム境界を持つ。次にシステムは目的を持つ。境界の内側には、システムの構成要素が複数存在する。構成要素の間には、一定の論理にもとづくつながりがある。システムには、外界からインプットが加えられ、システムが機能した結果アウトプットが出力される。システムのアウトプットとインプットの間には情報のネガティブ・フィードバック機能が働いており、システムの目的がどの程度達成されたかによって、強く働くか、弱く働くかが決まってくる。また、システムの境界の外側には、システムを取り巻く環境が存在する。」p.45
・「社会システムの中に数多くの因果関係ループが内在し、そのうちのいくつかは容易に発見できる性質のものであっても、社会システムの観察者がある程度の訓練を受けていなければ因果関係ループの発見は困難なようである。  したがって、米国の小学校では、社会科のカリキュラムの中で、社会システムがつくり出す現象の背後にある因果関係ループを見つけ出す訓練を試験的に行っている。」p.56
・「われわれが、システム・ダイナミックスを用いて分析しようとする社会システムはたいてい、図11のような多重ループになっているのが普通である。これらの相互作用は、システムの非線形な性質につながる。」p.64
・「ジェイ・W・フォレスターの高弟ウォルター・W・シュローダーIIIによれば、「社会システムは、本質的にデータの欠けているシステムである。したがって、現在のところ、このようなシステムを、有効に取り扱うことのできるほとんど唯一の技法が、システム・ダイナミックス」である。」p.67
・「ドイツのシステム工学者スタンフォード・L・オプトナーは、「問題」とは、「あるシステムの現在の状態と望ましい状態との間にギャップがある状況であって、その解とは、システムの目標と制限条件の下で、このギャップを最小にすること」と定義している。」p.123
・「表6は、ソシオ・スフェア(社会圏:S)、テクノ・スフェア(技術圏:T)、ジオ・スフェア(地球圏:G)およびバイオ・スフェア(生物圏:B)のスフェアによって形成されるマトリックスの網の目は、われわれの世界の中で発生が予想されるすべての問題領域をカバーしている。」p.129
・「システム・ダイナミックスの正しい適用の原点は、よりよいニセモノをつくるため、まずホンモノを正しく、深く理解しなければならないということだ。」p.150
・「(a)の標準ラン結果をみると人口は2020年に、約55億でピークになり、それ以降は、資源枯渇、食糧不足、汚染増大、混雑などの影響を受けて減少の傾向をたどっている。人口の減少を回避しようとして、資源リサイクル、緑色革命、クリーンプロダクト、産児制限などの政策を、直観的に個別にとっても効果は上がらず、次のようないくつかの政策を1970年以降同時に実施することによって世界は(b)のように、人類社会がいまだかつて経験したことのない平衡社会に移行でき、破局を回避できることを示している。」p.196
・「システム・ダイナミックスの適用で、最も難しいのは、問題を定義し、システム観察によってシステムをモデルへと概念化していくプロセスなのである。」p.270
●以下、用語解説より。
・「システム・ダイナミックス 問題を理解するため、社会システムに内在する因果関係ループをそのシステム構造として把握し、ループ上の四つの要素、レベル、レイト、情報およびフローを一つのセットとして、取り扱う方法論。創始者は、ジェイ・W・フォレスター。」p.294
・「DYNAMO システム・ダイナミックス・モデル構築用の専用原語として、MITのアレクサンダー・L・ビュー・IIIによって開発された。現在、DYNAMO-IVまでバージョン・アップされている。DYNAmic MOdelの略。」p.301
・「平衡社会 ワールド・ダイナミックスで示された成長の限界による破局を避けようとすれば、物質的には成長のない、しかし、精神的には成長を続けるという、人類がいまだかつて経験したことのない社会の実現が必要である。」p.308
・「ローマ・クラブ 世界に横たわる複雑で、解決困難な問題を解決し、次の世代に安全な世界を引き渡そうとして、イタリアのアレリオ・ベッチェイの提唱により、設立された民間機関。MITに世界モデルの開発を委託。その後、多くの報告書を発表している。」p.313
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【本】五瓣の椿

2008年04月02日 08時00分09秒 | 読書記録2008
五瓣の椿, 山本周五郎, 新潮文庫 や-2-5(1648), 1964年
・時代は天保(1800年代前半)。最後の願いも叶わず苦しみながら死んだ父親の恨みを晴らすべく、放蕩な母親とその相手の男達を次々に手にかける、美しい娘『おしの』。『必殺仕事人』を彷彿とさせるような内容ですが、初出は本書の方がずっと古いです。これまで何度も映画やテレビドラマ化されているようですが、私は未見です。
・今わの際に、父親が母親に直接伝えたかったが、願いもむなしく絶命してしまい、謎のままになってしまった言葉。作中の『おしの』は、母親への恨み言であったに違いない、と解釈するが、果たしてそれが正しかったのかどうか。この点、微妙な含みがあるように感じます。
・『おしの』、『おその』、『おまさ』などなど、登場する女性の名が平仮名三文字で、読み始めは誰が誰だかわからず、しばらく戸惑う。
・気楽に読める、時代小説の佳作。
・「――女というものはね、おしのちゃん、自分のためにはなにもかも捨てて、夢中になって可愛がってくれる人が欲しいものよ、あたしのためならむさし屋の店も、財産もくそもないというほどうちこんでくれたら、あたしだってもう少しはあの人に愛情を持てたと思う」p.57
・「「やるわ、やってやるわ」暫くしておしのは呟いた、「これは女というものぜんぶのためよ、女ぜんたいの恥だわ、女ばかりじゃない、人間のぜんぶを汚したことだわ、――これがこのままそっとしておかれていい筈はないわ、この償いは誰かがしなければあんらない、こんな、人間ぜんぶを辱めるようなことを、放っておいていいわけはないわ」」p.61
・「これまでの女遍歴で彼が得たものは、石を踊らせようとして汗みずくになって徒労に終るか、反対にこっちが踊らされて疲労困憊するか、いずれにせよ、結局はこちらのへたばるのがおちであった。」p.82
・「「人間の悲しいのは」と彼は冷笑するように云った、「あとになって自分がばかなことをしたと気づくことだ、けものはそんなことに気づきゃしないがね」」p.108
・「「あのとおりの縹緻で、金がふんだんにあって、おまけに触れなば落ちんという風情でもちかけられるんだ、これでのぼせあがらなければ男じゃあない、そうだろう」」p.130
・「あの女中に「おりうさん」と呼ばれたときだけ、あたしは罪というものを感じた。それも、蝶太夫や得石を殺した、ということに罪を感じたわけではない。決してそうではない、それとはまったくべつの、なんと云ったらいいかしら、――わからない、なんと云いようもない。あなたはおりうさんではないか、とあの女中の云った言葉のなかに、罪を感じさせるものがあったような気がする。」p.184
・「心では救いを求めて泣き叫びたいようなおもいをしながら、それを隠してまじめに世渡りをしている人たち。そういう人たちの汗や涙の上で、自分だけの欲やたのしみに溺れているということは、人殺しをするよりもはるかに赦しがたい悪事だ。」p.248
・「男も人間だし女も人間だ、ばかなことをしたり思わぬ羽目を外したり、そのために泣いたり苦しんだりするのが、人間の人間らしいところじゃあないだろうか、いろごとでたのしむのは男だけじゃあない、女のほうが男の何十倍もたのしむという、だからこそ、前後の分別を忘れて男に身を任せるんじゃあないか」p.253
・「とそこに書かれていた告白は異常なもので、とうてい十八歳の娘などにできることとは思えなかったが、同時にまた「十八歳」という年齢の純粋な潔癖さがなければできなかったろう、とも思えるものであった。」p.269
・「――この世には御定法で罰することのできない罪がある。」p.271
●以下、解説(山田宗睦)より
・「山本周五郎は、<法>というものに深い関心をもっている作家である。」p.282
・「山本周五郎が『五瓣の椿』でとりくんだのは、御定<法>も罰せられない罪がこの世にはあり、それを人間の<掟>から審くというテーマであった。」p.284

?ろうがい【労咳】 肺結核。肺病。
?ふわけ【腑分】 解剖のこと。
?せんしょう【僭上】(「せんじょう」とも)1 臣下、使用人などが、身分を越えて長上をしのぐこと。さし出た行いをすること。また、そのさま。  2 分を過ぎた贅沢をすること。みえをはること。また、そのさま。過差。  3 大言壮語すること。ほらを吹くこと。また、そのさま。
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【本】テーブルマナー・ブック

2008年03月26日 08時00分43秒 | 読書記録2008
テーブルマナー・ブック, (編)辻ホテルスクール, 新潮文庫 ん-20-41(4216), 1988年
・あちこちいろいろな店に食べに行くようになったので、多少知識をつけておいたほうがいいかな、と手に取った本。西洋料理のマナーについて、あまり詳しいところまでは触れずに主要な点のみをまとめてあり、「このくらいだったら、まだどうにかなりそう」という程度のレベルです。写真が豊富に載っているのですが、文庫本なのにもかかわらずオールカラーの贅沢な作りです。
・「実は、マナーとは、人のふりを見て、それこそごく自然に身につけていくものなのだ。身のこなしというのは、食卓においてだけ優雅になるものでもない。  食べている風景が恰好よくよその人の目に映るというのは、いうなれば、その人の人格の総決算そのものなのである。」p.10
・「本書は、テーブルマナーの本ではあるが、単なる食べる側の作法とか「べからず集」をまとめたものではなく、これぐらい覚えておけば、あとは普通にやって下さいという限度を示したものといえよう。」p.12
・「レストランの魅力は料理だけではなく、その雰囲気にもあります。雰囲気には「人」がかもし出す雰囲気(アンビアンス)と「物(建物やインテリア)」がかもし出す雰囲気(キャードル)があります。」p.14
・「メニューはレストランの顔のようなものです。メニューを見れば、その店の性格がだいたいわかります。一流レストランのメニューは装丁が美しく、綴り字も正確で、料理にはシンプルでわかりやすい名前がつけられているものです。」p.18
・「一般に、客を入口で出迎えてテーブルまで案内し、メニューを渡し、注文をとる人がメートル・ドテルです。メートル・ドテルはサーヴィスマンのチーフで、ダイニング・ルーム全体の責任者です。」p.19
・「食事が終わったら、ナプキンはたたまないでテーブルの上に置きます。たたまないナプキンは「美味しい食事でした。また来ます」という無言のメッセージになります。」p.33
・「テーブルに置かれたワインの瓶から、自分で自分のグラスに注いではいけません。また、同席する他の人達にも注いであげたりしてはいけません。サーヴィスはすべてサーヴィスマンに任せます。」p.38
・「定食コースの際、ナイフ、フォークを間違って使ってしまうこともありがちです。そんな時はそのまま使ってかまいません。」p.41
・「料理を切ったら、ナイフは一旦皿の縁に休ませておきます。ナイフを持ち上げたまま、フォークでものを食べてはいけません。」p.42
・「ナイフにソースなどがついても、パンや皿の縁にこすりつけて拭いてはいけません。もちろん、決して口の中に入れてなめてはいけません。」p.43
・「料理をスプーンやフォークに山盛りにすくって、何回にもわけて食べてはいけません。少量すくって、一口で食べます。」p.43
・「銀器を落としても自分で拾ってはいけません。サーヴィスマンに頼んで別のを持ってきてもらいます。」p.43
・「銀器の柄が汚れても、テーブル・クロスやナプキンで拭いてはいけません。」p.43
・「パンをスープに浸して食べてはいけません。またパンで料理のソースを拭うのも感心しません。」p.45
・「パンは食事が終わるまでに食べてしまいます。残さず全部食べるのがよいマナーです。」p.46
・「アスパラガスは柔らかい先半分しか食べません。固い芯の部分はそのまま皿の上に残します。」p.60
・「スープが残り少なく、すくいにくくなったら、スープ皿の手前を少し持ち上げてすくいます。」p.76
・「西欧では網焼きの魚以外ほとんど皮を食べることはありません」p.78
・「(肉料理を)最初に全部切ってしまい、そのあとでフォークを右手に持ちかえて食べるのはよくありません。美味しい肉汁が一度に出てしまいますし、料理も冷めやすくなるからです。」p.93
・「米料理はナイフ、フォークをそれぞれ右手、左手に持ち、フォークですくうようにして食べます。」p.103
・「料理を盛った皿には、付け合せのほか、パセリ、クレソン、飾り切りをした野菜(トマト、ニンジン、カブなど)が添えられることがあります。これらは本来、飾りとして置かれているものなので、食べずに残すのが普通です。」p.105
・「チーズの美味しさがわかるようになれば、食卓の楽しみもグンと拡がります。」p.106
・「1 バナナを手にとり、軸の部分からナイフを入れて皮をむきます。  2 皮をむいたバナナを皿に置き、ナイフとフォークを使って一口大の輪切りにして食べます。かじって食べてはいけません。」p.113
・「(サクランボ) 軸を手で持って食べます。種は手を筒状にして握りこぶしをつくり、その中に出します。」p.117
・「シャンパンという呼び名は、フランスのシャンパーニュ地方で収穫されたブドウを原料に、その地方独自の製法でつくられたスパークリング・ワインに限って使われます。シャンパンは、この種のワインのうちでは、質、および値段共に最高級です。」p.136
・「煙草を吸うのは、チーズ(チーズを食べない時はデザート)以後にします。それ以前に吸うのは、行儀が悪いばかりでなく、せっかくの料理の味もかえてしまいます。」p.142
・「隣の人の皿の料理を食べたり、料理のやりとりをしてはいけません。」p.147
・「料理を食べ終えても、皿を向こうに押してはいけません。そのままサーヴィスマンが片付けに来るのを待ちます。」p.148
・「料理を食べ終えても、椅子の背にもたれかかってはいけません。」p.148
・「たとえ一人で食事をしている時でも、テーブルで本や新聞を広げて読んではいけません。」p.148
・「会話に笑いはつきものですが、大笑いはいけません。特にレストランで、他のテーブルの人達がびっくるするような大声で笑うのは御法度です。」p.168
・「これら3つの話題(政治、宗教、哲学)は特に西欧ではタブーとされます。こうした私達の生き方に密接に関係している事柄を、育った環境からすべて異なった人々のなかで軽々しく論じたりすると、勢い深刻な問題に発展してしまうでしょう。」p.168
・「結婚指輪以外は、男性がアクセサリーで身を飾ることはあまりよく思われません。」p.170
・「テーブルで髪の毛に触ってはいけません。」p.171
・「爪楊枝がテーブルに置かれていても、食卓についたままで使うのは感心しません。さりげなく席を立ち、洗面所などで使うべきです。」p.171
・「レストランやホテルに入る時は、いつも男性が女性の先に立ちます。メートル・ドテルなどに案内されてテーブルまで行く時、食事を終えてテーブルを離れる時は逆に女性が先になります。」p.173
・「男性は女性を車の危険から守るために、必ず車道から離れている側を女性に譲り、自分は車道に近いほうを歩きます。」p.175
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【本】天才になる!

2008年03月23日 08時00分53秒 | 読書記録2008
天才になる!, 荒木経惟, 講談社現代新書JEUNESSE 1371, 1997年
・"天才" 写真家「アラーキー」こと荒木経惟(のぶよし)と、インタビュアーである飯沢耕太郎とのやりとりをまとめて書籍化したもの。写真の技術的な話などはほとんど無く、自身の半生の回想が主な内容です。
・その名と風貌をチラッと見たことがあるだけで、その写真など詳しい予備知識は何もない状態で読みましたが、そうすると、ただの写真好きで、品のあまりよろしくないおじさんによる、感覚的な一人語りを延々と聞かされているような気分になってきてしまいます。少なくとも、写真集の一冊くらいは目を通して、著者が何者であるかをある程度理解した上で手をつけた方がよい本だと思います。
・「嘘をいっぱいしゃべってるからなあ。繰り返し話してると本当になっちゃうんだ。自分も思い込んじゃうからね。」p.25
・「オレは、性教育はまず剣玉で覚えたから。剣玉は性教育だからね。」p.27
・「だからやっぱりオレは応援演説のヤツなんじゃないかと思う。結局被写体の応援演説やってるんですよ。オレが撮る写真はみんな、いいとこ誇張してやってるだろう?」p.40
・「作家意識ってよくいうけど、下町ではそういう意識はないんだよ。芸術っていうよりは、芸能とか技能だね。」p.48
・「写真は記念写真がいちばん強いんだよ。何ていうんだろう。陳腐なことばだけど、一種のラブレターなんだよね。」p.53
・「だからよく見ると、下品な話、写真を見ただけで、その女の子とやってるかやってないかばれる。それを当てるのがうちの陽子はうまかったね。すぐばれちゃうんだよ。」p.54
・「そうだね、その気になればオレは一等賞になれるんだよ。こうやればいいってだいたいわかってるから。でも、一生懸命できないんだよ。トップはなかなかとれない。たいてい三等とか入選ぐらいしかならないの。」p.56
・「ダンディズムっていうよりは、本当の悲しい気持は見られたくないっていうようなことなんだよ。」p.64
・「どういうことかというと、テレビは画面が小さい、画面が小さかったら、クローズアップでなきゃいけない。」p.66
・「やっぱり映画って官能的なんだよね。写真って醒めてるじゃない。冷たいだろう。何でも官能が出ているのがいちばんだからね。もしかしたら、音とかいろんな要素が入っているからかもしれない。聴覚とか視覚とか触覚とか、五感に全部来られたら強いよ。写真一枚でひっぱたいたって負けちゃうよ(笑)。」p.72
・「要するに、テクニックは入ってから一ヶ月で覚えられるから、そんなもの試験では見ないっていう自身をもって、「オレはうまい!」って思ってやったの。」p.81
・「カメラっていうのは、ものすごく写真を決めるから。写真もカメラで決まるし。だからオレ、誰がいまどのカメラ使っているかでどの程度かわかるよ。」p.83
・「結局ね、オレには、いつもそういう応援団がいたんだよ。だからアタシは、「他力本願」っていつも言ってるんですよ。」p.88
・「結局、単純に言うと、実は違うのかもしれないけど、会社とか人さまの広告より自分の広告のほうが面白いってことだよ。自分のことのほうが面白いことに気がついたんだよ。」p.89
・「オレは大物じゃないけど、人間のスケールの大きさっていうか、魅力は見えるんだよ。美しさとか、器とかっていうのはわかる。  そういう勘がいいのは、写真家としてはもう絶対の財産なんだよ。」p.104
・「でも、最近になって、何かぱっと閃くと、あ、これは世界できっと同時に五人は閃いてるって思うようになった。」p.112
・「普通やっぱり、アートでもちょっぴり姿勢っぽいところを入れたいじゃない。でもオレの場合は天からとか神からくるから、そういうことは考えない。動物にならなくちゃ。知性じゃなくて痴性って感じでしょ?」p.140
・「極端なことを言うと、空間より時間を撮らないと写真って面白くない。」p.155
・「改めて聞くのもあれなんですけども、アートっていったい何だと思いますか。  アートねえ。それはね、女のコに淫らなポーズさせるとき、「アートだからね」って言い訳に使うもの。そのぐらいのことにしか、アートって思ってないもん。芸術も同じで「芸術だから大丈夫」って言うんだよ。何が大丈夫なんだか(笑)。でも、女の子には効くんだ。芸術とか、アートとか、文学とかいう言葉は効くんだよ。(中略)芸術だからとか、最初に定義しちゃうのはダメなんだ、間違ってる。芸術をやろうって思ってやるんじゃなくて、何だか知らないけど、無意識に何か出ちゃってハッと気づかされるものなんだよ。」p.166
・「写真家は川ですよ。三途の川かもしれないね。それがどれだけ幅の大きい川か、アマゾンみたいな大河か、作家によって違うんだよ。オレは隅田川。だから向こうまで、声が聞こえるの、オーイって。でも、声が聞こえるぐらいのところにいたいね。オレはさみしがりだから。」p.168
・「だから写真も水がなくちゃいけない。デジタルが何ですか(笑)。いまのデジタルは、水をなくそう、埋め立てをしようとしているような作業だよ。インターネットなんて砂漠ですよ。」p.170
・「いちばんの強敵は空ですよ。空を物に撮れたらね。だからオレ、よく空撮るでしょう。なかなか物にならないけど。空はブツにならない。」p.185
・「でも、小説は物語とははっきり違う。小説は物語の、その先にあるものなんだよね。」p.188
・「だから決して写真は抽象にしちゃいけない。絶対具象っていうか絶対絵画の線じゃないと。何だかわかんないようにしちゃだめだよ。」p.192
・「でも写真は絶対にからだ張らないとだめだよ。  文学だとY・Eになるのが、写真だとはっきり山田詠美だからさ。」p.193
・「オレは趣味と仕事が同じだしさ。(中略)写真のほかには何もないの、貧乏性って奴だなあ。写真とったらまずいよ、何にもないんだ、実を言うと。」p.195
・「男の子ってのは、昔から本質論じゃない。だから本質を写さなくちゃって思っちゃう。女の子は、もう一つの現実を作っちゃうんだから。本質じゃなく、異質を。」p.197
・「もうこれからは「写真」の時代じゃないんだ。あの頃は時代も「写真」の時代だったんだね。だからいい写真が多いんですよ。」p.200
・「だから、もっとおおざっぱに言えば、デジタルが出てきて、写真が、逆に「写・真」になってはっきり見えてくるわけだよ。  19世紀に写真ができたことによって、絵画は「絵・画」になったでしょう。絵画の本質が確認できたっていうことだよね。それまでの、よりきれいに描こうとか、そっくりに描こうとかいう部分を消してあげたの。(そっくりに描くのは)写真にかなわないからっていうところから、絵の本質っていうのは違うんだな、絵は心に写ったもの描くんだってね。だから今度はデジタルが来ると、「写真て何かな?」ってことになる。」p.202
・「天才っていうのは、青二才のうちにカッコよくなくちゃ天才と言わないんですよ。」p.204
・「天才は誰でも持ってるんだよ。天から才能はもらってるんだ。それを自分だけじゃ引っ張りだせないから、誰かが引っ張りだしてくれる。(中略)実はいちばん自分が好きな、惚れた女が引っ張りだすものなんだよ。好きな女に引っ張りだしてもらったものがいちばん強い。」p.210
・「篠山紀信…(1940~)荒木と同年に東京・新宿区柏木町の真言宗の寺、円照寺で生まれる。1963年、日本大学芸術学部写真科卒業。荒木の最大にして最強のライバル。」p.223
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【本】心理療法個人授業

2008年03月19日 22時19分40秒 | 読書記録2008
心理療法個人授業, 河合隼雄 南伸坊, 新潮文庫 み-29-5(7512), 2005年
・南伸坊が生徒となって各分野の第一人者の授業を受けるシリーズの『心理療法』編。入門書的内容ではありますが、細かな知識の羅列という形ではなく、南氏が興味を持つテーマを中心にざっくり大雑把にその概要を捉える形です。
・もともと『人の心』というものに関心があるので、とても興味深く読みました。
・「いずれにしろ職業をもつことはそれなりの苦しみがあるが、心理療法ほどエネルギーを消費する仕事は少ないのではないか、と私は思っている。」p.11
・「人間の心なんていうものは、わけのわからないものだというのは、人間を何年かやっていればわかるものである。」p.13
・「おそらくは、「わからない」ということを、どのくらいわかるか、というあたりに「心理学」の意義があるのかもしれない。」p.14
・「一方で、まるでシャーロック・ホームズ<がわずかな手がかりから依頼者の職業、年齢、住所、性格を言いあてたりする、その虎の巻のようなものが「心理学」にあるのかもしれない、という気持もまたあるのだ。」p.17
・「実地に河合先生にお会いすると、先生は、とても気持のいい笑顔と、むちゃくちゃに迫力のある、眼光の鋭さを持った不思議な顔面の持主であった。  私がNHK大河ドラマのディレクターで、キャティングをまかされたら、岩倉具視か新門辰五郎、あるいは国定忠治は、河合隼雄先生でキマリだという感想をもった。」p.19
・「心理療法の流れは二つあります。一つは医学のほうから、もう一つは教育のほうから、」p.24
・「学者は常に冷徹だ。常に客観的、論理的なので、おもしろがったりしない。しかし、私のやっている臨床心理学は「おもしろがる」ことからはじまるのだ。」p.34
・「私はウンウンと聞いていて、一段落ついたところで、大変だったな、じゃあな、といって終わらせればよかったのだ。忠告だの忠言だのを言われてよろこぶ人はいない。(中略)私はとんだ紅茶野郎だったということだ。人が聞きたいのはセイロンなんかじゃない。セイロンを言うくらいなら、黙っていたほうがましなのだった。私は人に話を聞いてほしい人の気持ちがわかっていなかった。と、いまわかった。」p.37
・「つまり、ガイドでもない、エデュケーションでもない、話し合いなのだと、出てくるわけです。それがもう一つのアメリカの大きい流れです。」p.39
・「「あんた、盗みをしたらアカン」でも、  「盗みはいけないことです」でもなく、  「なんで盗みをしたいのん?」っていう問いかけ方のニュアンス。」p.40
・「南さんの言うとおり、「頭の中味を外に出す」ことは、実に大切だ。頭の中だけでやっていると、堂々めぐりをすることが、外に出してみると、思いがけない方向に動き出すのである。  「外に出す」という意味では、文章にしてみるのもよい。」p.46 "中身" ではなく "中味" の字を使っているところがまたなんとも。
・「精神分析をやっている人の90%はユダヤ人です。」p.53
・「「心理学」が科学じゃないか? 科学か?(中略)要は人間の「心」を物理学的に解明ってムリってことでしょう。」p.59
・「不確実だの複雑だのって、ややこしいなァと思って、トモダチの理科系のヤツに聞いたことあるんですよ。  「あのさァ、複雑系って、かんたんに言ってどういうことなの?」  「ああ、現象ってのは複雑だと、そういうことだな」」p.59
・「心理療法というのは「心の問題」つまり、悩みとか苦しみとか、それから本人はそうと思っていないけれども、体が動かない、目が見えないというのに心が関係しているというような場合、心理療法家が心理学の知識でもって、それを援助することによって、問題が解決していく。というのが心理療法。」p.69
・「それなら、心のほうから、なにかを働きかけていったら、その脳内物質の異変を、うまい具合に均衡する方向へ持っていくっていうこともまた、大いにありうるというふうに私は思いますね。」p.74
・「「心の病」の治療の本質は、何と言っても病んでいる本人が自ら「治す」あるいは「治る」ことであり、心理療法家はその援助をするだけである。」p.76
・「人間の心というのは、層構造を持っていると私は思っています。通常の意識というのは表面的にはカッチリとあって、これでだいたい判断している。  ところが深いところにいろいろある。」p.83
・「心理療法は宗教性に深くかかわるが、宗教ではない、と私は思っている。もっとも、心理療法家のなかには、自分のしていることは「科学」であって、宗教とは無関係と思っている人もある。このようなタイプの熱心な心理療法家を見ていると、この人は「科学信仰」に支えられているのでは、と感じることもある。」p.92
・「そういう時に、ものすごく大事なのは、そういうことでしか相手はぼくに、ものが言えんようになっているということです。そんなふうにぼくは何を追い込んできたんかを考えるわけです。」p.103
・「我々は、二択問題を出されると、どっちかから選ばなきゃ、と思ってしまう。しかもその実、それは選択の余地がない、一拓問題だったりもするんでした。  匂いがするか、匂いがしないか。いまから、自殺するけど、とめるのか、とめないのか? 「そんなの選べない」のは、実は、はじめからわかています。」p.104
・「つまり、いいかげん、いつまでもガキ時分の評価を流用していくのをやめたらどうだ、大人は大人として、大人なんだから、大人になってからの評価でやってけよト、このように思っているわけです。」p.111
・「ことろが、ここでまた難しい問題が起こってきます。どういうことかというと、  「人間関係ができる」  っていう難しさです。これをフロイトの言葉でいうと、「転移」といいます。トランスフェランスといいます。」p.115
・「なるほど、人間関係が問題なのだった。人間関係が問題の出発点なんでした。」p.119
・「人間の、最初の人間関係は、親、とりわけ母親との関係でしょう。赤ン坊は、気に入らなかったら泣く、キゲンがよければ笑っている。それがキモチよければ大騒ぎする。人のことなんかかまっちゃいません。  この時に、親がテキトーな対応をしていれば、たいがい人間はうまいこと育つんじゃないでしょうか。ところが、なかなかこれが、テキトーにできない。  かまいすぎたり、かまわなすぎたり。テキトーなアンバイができないと、コドモにもそれがうつるんだと思う。(中略)その関係は、まるで運命のように、動かしがたいものになってしまうんでしょうか? 私はそう思いません。  もう一度、テキトーな人間関係を、トレーニングすればいいのだ、と思っています。  おそらく、心理療法といったようなものは、このトレーニングにあたるものなんじゃないのか。」p.120
・「恋愛と臨床心理学とかって、かなり近しいもんじゃないかな、私にとってはかなり近い気がする。「ややこしい」ってとこで、ほとんど一緒です。」p.127
・「ロールシャッハも箱庭療法も「当てる」のが目的なんじゃない、それによって表現し、語られるうちに治療が進んでいくんだなァ、」p.150
・「「芸術とは何か」なんていう議論ではない。人の心を打つような芸術は、表現せざるを得ない悩みを持った人によって創られるのだった。」p.160
・「「そもそも心理療法というのは、来談された人が自分にふさわしい物語をつくりあげていくのを援助する仕事だ、という言い方も可能なように思えてくる」」p.163
・「「人間は自分の経験したことを、自分のものにする、あるいは自分の心に収めるには、その経験を自分の世界観や人生観のなかにうまく組み込む必要がある。その作業はすなわち、その経験を自分に納得のゆく物語にすること、そこに筋道を見出すことになる」  筋(プロット)がある、これが物語の特徴である。とも先生は書かれている。」p.167
・「みんなが了解不能といっていること以上に、ある程度までは了解は可能なんだと、ユングは初期にそういうのをいっぱい出します。」p.179
・「ものすごく簡単に言ったら、暴れると言ったらものすごく重い石を持たしたらいい。その人は動かなくなります。薬というのは、これと似たようなもので、根本的解決になっていない」p.183
・「食うことに必死だったら、ノイローゼ起きません、ノイローゼというのは文明病です。」p.185
・「ロールシャッハは、そういう内容よりも、全体的に見たのか、部分を見ているのか、動きを見ているのか、色を見ているのか、そういうふうな方に注目していった。」p.191
・「物語をつくって答える人もいます。何に見えますか? って言ったら『インキのシミに見えます』言うた人もいる(笑)。」p.197
・「なるほど、ロールシャッハなんかで人の心がわかるはずないと思う人ほどにわからないもんではない。といってロールシャッハで恐いほど、なにからなにまでわかってしまう、という人ほどにわかるわけじゃない。って、そのへんの感じがなんとなくわかってきましたね。  やっぱり人間が人間をわかるというのは洞察力、普通の意味で人間を見る洞察力でしょう。つまりは人間を理解する深さによっているわけです。」p.198
・「発見的にわかる道を共にするためには、「わからない」と自覚する謙虚さが必要だが、これは、自信がないのとは、全く異なる。自信のないのは、はなから何も分からない人である。「わかる」に「わからない」をつなぐ人は、「わかる」自信と「わからない」謙虚を共存させている。」p.202
・「科学というのは、一般ピープルにとっては「非常識」なようなことを、事もなげにいうのである。  私にとっての学問のおもしろさとは、非常識と意外性だった。」p.205
・「「私」というのは、瞬間瞬間の意識のつみかさなったもので、それらのひとまとまりになったものである。  むずかしく言うと、主体性と統合性をそなえた個人の意識の体系。これを深層心理学では「自我」と呼ぶ。  自我の主体性や統合性が脅かされると、不安を感じて、心理療法家のところへやってくることになる。そして心理療法家は、この人の自我を強化したり、つくり変えたりする手伝いをするのだ。」p.208
・「以前、友人の糸井重里に聞いた話。高校生の頃だかに、雑誌のフロクについていた催眠術の本にしたがって、クラスメートを催眠にかけて、年齢をどんどんさかのぼるという暗示をかけたことがあったのだそうだ。  まだ高校生だから、調子にのってさかのぼっていくと、じきに零歳までいってしまう。クラスメートは、七歳のときは七歳らしく、五歳のときも五歳らしく、三歳の時も三歳らしく話すので、おもしろがって、生まれる前までさかのぼらせてしまったのだという。  すると、胎児になったクラスメートが、とつぜん「寒い、寒い」と寒がりだしたので、こわくなって、即座に催眠を中止したという体験談だ。  寒いのは、生まれたままのカッコで(というか生まれる前のカッコのまま)お母さんのお腹の外に出てきちゃって寒いのか、詳細はわからないけれども、その寒がりようが、尋常でなくおそろしかったという。  「地獄の窯の蓋」という表現で、なんとなくその話を思い出した。」p.210
・「知れば知るほど、私にはおそろしくて、とてもできないとばかり思ってしまう仕事だが、人間として、人間のナゾに、日々発見的にかかわり、わかっていく、考えようによってはこんなに、おもしろくてやりがいのある仕事はないかもしれない。」p.218
・「「死にたい」と言うことでしか「生きたい」気持をつたえられない人がいる。」p.226
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【本】椿姫

2008年03月15日 08時04分40秒 | 読書記録2008
椿姫, デュマ・フィス (訳)新庄嘉章, 新潮文庫 テ-1-1(129), 1950年
(LA DAME AUX CAMELIAS, Alexandre Dumas (fils), 1848)

・たまたま未読本の山の中にこのタイトルを見つけ、『椿姫』の曲を弾く直前であることを思い出し、読むなら今しかない!と一気に読みました。当時(約2年前)何を思って買ったのかは謎ですが、今になって役立ちました。
・美しい娼婦であるマルグリット・ゴーティエと、真面目だけが取得のようなアルマン・デュヴァルとの激しい恋と、あまりにも悲しい結末。
・オペラ版とはどう話が違っているのかという興味もありましたが、大筋は一緒であるものの、主役の名前からして違っていました。ヴィオレッタ⇔マルグリット、アルフレード⇔アルマンという具合。その他の相違点としては、
1.アルマンの話を聞き、マルグリットの手紙を読み、その事実を書きとめる『わたし』の視点から見ているという設定。
2.冒頭の、アルマンが無理やり墓を暴き、半ば腐ったマルグリットの死体と対面する場面は衝撃的。
3.ラストもちょっと(かなり?)違います。
・「こんな激しい惚れっぷりなんてありえない……」と思いつつも、たとえ結末が分かりきっていても、「なんて切ないんだ~~(号泣)」と物語に引き込まれてしまいます。世界的名著としての面目躍如。
・特別金持ちの家でもないのに職にも付かず毎日ブラブラ遊び回れた当時のフランスの状況が不思議です。
・著者がどこかで耳にした名だと思っていたら『三銃士』などを書いたデュマの子だったとは驚きました。しかも執筆当時まだ24歳ということでまたびっくり。
・弾く前に読んどいてよかった~
・以下、"あたし" → マルグリット を指す。
・「どんな国の言葉でも、真剣に勉強してからでなくては話せないように、まず人間というものを十分に研究してからでなければ、小説の中の人物をつくることはできない、というのがわたしの持論である。  わたしはまだ人物をつくり出せるほどの年にはなっていないので、ただ事実をありのままに物語るにとどめよう。」p.5
・「言葉ではいいあらわせない優雅な卵なりの顔へ、まず、二つの黒いひとみを入れ、その上に、絵に描いたような清らかな弓形のまゆを引く。そして、目を伏せれば頬にばら色の影を落とすような長い睫毛で目を蔽い、上品な、筋の通った、利口そうな鼻を描く。その鼻孔は肉感的な生活へのはげしいあこがれに少しばかりふくらんでいる。さらに、口もとを形よく描き、くちびるをやさしくほころばして、そこに、牛乳のように真っ白な歯並みをのぞかせる。そして最後に、まだだれも手をふれたことのない桃を包んでいるあのびろうどのような細かな毛で膚をいろどる、とこう言えば、読者には、この魅惑的な容貌の全体がほぼ想像されるであろう。」p.16
・「だれひとりとして、マルグリットが椿の花よりほかの花を持っているところを見かけたものはなかった。それで、彼女のお得意の花屋バルジョンのおかみさんの店で、とうとう、『椿姫』というあだなをつけられ、それがそのまま世間の通り名となってしまった。」p.17
・「マノンをマルグリットに贈る。  慎み深くあれ。    そしてそのあとにアルマン・デュヴァルと署名してあった。  この、慎み深くあれ、という言葉はいったいなにを意味しているのであろうか?」p.26
・「神は、教育によって善というものを教えられなかった女のために、彼女らをごじぶんのもとに導く二つの道をほとんどつねに作っておかれるものである。その二つの道とは、悲しみと恋である。」p.28
・「しかし、わたしは、あらゆるものの根源は小さな事のなかにあると信じているものである。子どもは小さいが、すでにおとなになる萌芽を持ち、頭脳は狭いが、大きな思想を宿し、目はただの一点にすぎないが、数里のかなたを一望のもとにおさめることができるのだ。」p.30
・「ああ! あの女の足もとにひざまずいて、せめて一時間泣くことができるなら、このわたしの寿命がたとえ十年縮まってもいといません」p.41
・「そして、マルグリットのためならばどんな苦労をしてもいいと思っていたわたしは、彼女があまりにも無造作にじぶんを受け入れ、長いあいだの辛抱と大きな犠牲で購おうと思っていた恋を一も二もなくわたしにくれてしまうのではないかと、それを恐れたのでした。だいたい、男というものはみんなこんなものです。想像がこういう詩を感覚に残しておいてくれればこそ、また、肉体の欲望が魂の夢に対してこういうふうに一歩譲っていればこそ、幸福なのです。」p.72
・「あんな女どもの言うことなんか、いちいちまじめに考えないことさ。あいつらは、礼儀作法なんてことはいっこうにご存じないんだ。犬に香水をふりかけてやるようなものさ。かえって犬は匂いをいやがって、溝の中に飛びこんでころげまわるといった始末だからね」p.77
・「あたしを好きだって人の言うことを、一々きいてなきゃならないんじゃ、それこそご飯たべるひまだってありゃしないことよ」p.98
・「要するに、彼女はふとしたはずみで処女から娼婦になってしまったのですから、またなにかのはずみがあれば、逆に、娼婦から、このうえもなく情のある清らかな処女になれるということはだれしも気がついていたことでした。」p.100
・「あたしのような女は、二つ返事で身を任せるか、それでなけりゃ、梃子でも動かないのよ。」p.104
・「だって、もしあたしがじぶんのからだなんかいたわっていたら、死んでしまいますわ。あたしのからだがどうにか保っているのは、こうした気ちがいじみた生活をしていればこそですわ。」p.109
・「殿方って、聞けばいやな思いのするにきまったことを一心に聞きたがるのね」p.116
・「ですからあたし、これから新しくいい人をこしらえようと思っても、相手になってくれる方に、めったにだれも持っていないような、三つの資格を持っていただきたいと思うのよ。あたしを信ずること、よく言うことをきいてくれること、それから出しゃばらないこと、この三つのね」p.121
・「「なぜって」とマルグリットは、わたしの両腕から抜け出して、その朝届けて来た紅い椿の大きな花束から一輪の花を抜き取って、わたしのボタン穴にさしながら言いました。「なぜって、条約っていうものは、調印した日から実施されるとはきまってませんわ」  それも納得できないことではありません。  「じゃ、こんどいつお目にかかれましょう?」わたしは彼女を抱きしめながらたずねました。  「この椿の花が萎れたら」  「いつになったら萎れるでしょう?」  「あした、夜の十一時から十二時のあいだ。喜んでくださる?」  「そんなことを今さらおたずねになるのですか?」」p.121
・「たとえどんなにあたしの命が短いとしても、あなたがかわいがってくださるあいだよりは長いつもりよ」p.122
・「恋ってものは、ほんとに人間を善良にするものなんですねえ!」p.128
・「ところで、神がある娼婦に恋を許したもうことがあるとします。そうした場合、この恋は最初はなるほど許しのように見えもします。しかしやがては、その女にとってそれが懲らしめになってしまうのがほとんど常なのです。贖罪のない赦免はありません。」p.143
・「そして女が男を愛するには、互いに原因ともなり結果ともなる二つの道があるのだと思いました。つまり、魂で愛するか、官能で愛するかです。」p.146
・「あんたもずいぶん、物事を気にするたちなのね! あんたはパリ一の美人を、じぶんのものにしてるのよ! その人はといえば、あんたをすばらしいお家へ迎えてくれて、からだじゅうダイヤずくめで、お望みとあれば、あんたに一文だって出させやしないんだわ。それでもあんたは満足しないのね、ほんとうにしようのない方! あんたはあんまり欲ばりすぎるのよ」p.153
・「こんなくだらない理屈はもうよしにして、陽気にお笑いなさいよ。世の中っておもしろいものよ。かけるめがねのぐあいで、どうにでも見えるものですものね。」p.157
・「あたしがじぶんの心に浮かんだうれしい希望を分けあうことを、なぜまっさきにあなたに言ったとお思いになって? それは多分、あなたがあなたのためじゃなくて、あたしのためにあたしを愛してくださることが、あたしによく分かったからなのよ。ところがほかの男たちときたら、ただもうじぶんたちのためばかりにあたしを愛したんだわ。」p.163
・「マルグリットを知ったのは、今から36時間前です。彼女の恋人になってからだって、まだやっと24時間しかたっていません。それなのにもう、神経過敏になっているのです。そして彼女に愛されているのを幸福とも思わずに、彼女をじぶんだけのひとりじめにしようとし、これから先も彼女に金をだしてくれるこれまでの男たちと、いっぺんに手を切らせようとしているのです。」p.175
・「それに女ってものは、恋を裏切られるのはがまんできても、自尊心を傷つけられることは、絶対に我慢できないものよ。たとえどんなわけがあったにしても、言いかわして二日目に捨てられたんじゃ、女の自尊心は台なしだわ。」p.179
・「あたしたちみたいな行きあたりばったりの女ってものは、ずいぶん変わった望みを持ったり、思いもよらないような恋をしたりするものよ。ときにはこれは、ときにはあれに夢中になる、といった調子なの。だから世間には、あたしたちからなに一つ手に入れないうちに破産する男もあれば、花束一つであたしたちをものにする男もあるわ。あたしたちの心は、とっても気まぐれなの。」p.186
・「あたしたちのからだは、もうあたしたちのものじゃないのよ。あたしたちはもう人間じゃなくて、品物なの。その人たちの自尊心にとっては、第一番目のものだけど、尊敬するっていう点から言えば、一番最後のものなのよ。」p.188
・「あたしが愛したのは、ありのままのあなたじゃなくて、実は、こうあってほしいと思ったあなただったのね。ところがあなたは、その役割を引きうけてはくださらずに、役不足だといわんばかりにはねつけて、ごくありふれた色男になってしまったのね。」p.189
・「マルグリット。ぼくをどうにでもきみの好きなようにしておくれ。ぼくはきみの奴隷だ。きみの犬だ。」p.190
・「あたしがどんなにあなたを愛しているか、あなたは知ってらっしゃらないんだわ!」p.216
・「情熱というものは、感情に対すると強くなるものです。わたしはマルグリットを守るためとあれば、どんなたたかいでも、たとえ父に向かってのたたかいでも辞さない覚悟でした。」p.237
・「ああ! 男というものは、その偏狭な感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまうものです。」p.277
・「あたしはもうあなたの幸福のお役にはたたないの。でも、生きて息のできるあいだは、あたしあなたの好き勝手になるわ。夜でも昼でも、気がむいたら、いつでもいらしてちょうだい。あなたの思い通りになるわ。でももう、あなたとあたしの将来を、一つに結びつけようなどとは考えないでね。それでは、あなたも不幸になるばかりだし、あたしだってあなたのために不幸にされちまうわ。あたしもまだしばらくは、きれいな女でいられてよ。だからそのあいだを十分利用なさればいいんだわ。でも、それ以外のことはお求めにならないでね」p.293
・「そして、他の男に身をまかせる気持になったとき、その新たな罪によって償うことのできたもののことを考えて、あたしは輝くばかりの誇りを覚えました。」p.306
・「それから毎日のように、あなたの手をかえ品をかえての辱しめを受ける日がはじまったのです。その辱しめを、あたしはむしろよろこんで受けました。それは、あなたがやっぱりあたしを愛していてくださる証拠であるばかりでなく、あなたがあたしを苦しめれば苦しめるほど、やがていつかあなたがほんとうの事情をお知りになったとき、あたしというものがあなたの目に、いっそう大きくうつるにちがいないと思ったからです。」p.308
・「あたしは、いわば魂の抜けた肉体、精神のない物質になってしまいました。」p.310
・「ご病人はほとんどもう意識が乱れていますが、そうしたなかでも、また、正気におもどりになったときはもちろん、一言でもお口がきけさえすれば、おっしゃるのは、いつもあなたさまのお名前でございます。」p.323
・「あの方はわたくしのほうをごらんになってはいらっしゃいますけど、その実わたくしの姿は見えないのです。ご臨終が近いために、もうお目がかすんでしまっているのでございます。それでも、にっこりとほほえんでいらっしゃいます。胸の思いも魂も、すべてあなたさまに捧げきっていらっしゃっるのに相違ございません。  だれかが扉をあけるたびに、あの方のお目がかがやきます。あなたさまがはいっていらしたものとお思いになるのです。やがてそれがあなたさまでないことが分かりますと、お顔はまたもとのような苦しげな表情になり、冷たい汗がにじみ、頬骨のあたりが紫色になってまいります。」p.324
・訳者あとがきより「父のデュマが「せがれの書くものにはお説教が多すぎる」と言ったそうであるが、たしかにそうした欠点がなくはない。しかし、この『椿姫』において、この欠点を償っているものは、作者の人間味豊かな情緒である。これはあくまでも美しい。」p.333
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【本】会話を楽しむ

2008年03月12日 22時09分59秒 | 読書記録2008
会話を楽しむ, 加島祥造, 岩波新書 (新赤版)197, 1991年
・口下手な私としては「会話のハウツー本」的内容を期待したのですが、実際は西洋と日本の文化の対比を軸とした会話についての考察といった内容です。
・著者はフォークナーの作品の翻訳を手がけたり、最近では詩集『求めない』が話題になった方です。
・「楽しい会話が出来たらいいな」とは思っていても、結局は「今のままでも日常生活には支障ないから、まぁいいか」と開き直ってしまう所が問題のようです。貪欲さが足りない。「会話を楽しむ」ためにはどうしたらよいか? まず手をつけるとしたら、ネタの収集でしょうか。会話はよくキャッチボールに例えられますが、ボールが無けりゃそもそも成立しませんし。次は、受け取ってもらえるかも分からぬ人へ、まずはボールを投げる勇気を持つこと。そして、ボールの上手な投げ方・受け方は後からじっくり研究することにして。
結論→「よく遊び、よく学べ」。
・「私が中心とするのは「生きた会話」であり、「楽しみと喜びの会話」であり、そこから会話の本当の姿をとらえようとする。それがこの小さな本の主題だとまず言っておきたい。」p.7
・「私たちの日常生活はいかに「楽しくない会話」や「喜びのない会話」に占められていることか。私たちの会話はいかにただの実用だけの会話に終わっていることか――この現実にまず目を向けておきたい。」p.10
・「あえて言えば、平凡な会話などなくて、その状況が死んでいるだけだ。平凡な話し手があるのでなくて、その人の心が死んでいるだけだ。」p.23
・「しかし少し進んだレベルでのこととなると、日本人の英会話下手は相変わらずである。呆れるほど下手だと言いたい。」p.26
・「ひと口に言えば、私たちは会話に対してかなり無意識で無自覚であるのだ。  欧米の人の会話意識は、私たちに比べるとかなり濃い。」p.27
・「私たちは弁舌よりも寡黙のなかに深い意味の伝達方法をさぐってきた。たえ間ない饒舌よりも言葉の連鎖のあい間や余韻のなかに、言葉の美を求めてきた。明るい派手な表現よりも、地味で簡素な表現をさぐってきた。  それは日本伝来の諸芸能と通じる美質だ。「道」という名のつく諸芸はみなこうした寡黙な伝達を重んじた。花道、茶道、香道、歌道から武道諸芸にいたるまで、「道」と名のつくものは、語りえないところを伝達することをもって「道」としてきたのであった。」p.33
・「良寛の戒語に共通するのは、すべて言葉に気をつけろということであり、それは自己中心になるな、手前勝手に喋るな、という点でもある。ところがこうした態度の反対側の態度こそ、英語の会話のなかでは、むしろ大切なのだ。」p.38
・「私は日本人が伝来してきたこの洗練、この美意識を尊敬している。私たちが「会話」の面白さを犠牲にして保ってきた清和な喜びや諧和の喜び――これは大切な美質だ。」p.38
・「わが国では女性のほうが、いっぱんにこういった「つけ足し」の表現を用いる。しばしば人間的タッチの言葉を使う。女性のほうが、ずっと「英語での会話」にちかい会話をしている。」p.46
・「アメリカの文人 O.W.ホームズの言うように、「よく喋る(スピーク)する人というのは、けっして話さ(トーク)ない」。トークは「話」を指し、スピークは「一人合点のお喋り」を指す。ついでにスピーチとカンバセーションの違いについても一例を出しておこう――  「彼女には手を焼くよ、なぜって彼女は会話(カンバセーション)の能力は無いのにお喋り(スピーチ)の力はあるんだからね。」(バーナード・ショー)」p.58
・「会話の最大のこつは相手の話を聞いてやることだ。これはよく言われることで、また間違ってもいないが、なかなか実行しがたい。」p.70
・「なかに「退屈屋」 a bore と仇名される人がいる。 a bore とは意訳すれば「人を退屈させる人」である。私たちの常識では、退屈な人といえば、口下手で話がはずまない人のことだが、彼らはひとり勝手に喋りまくって人を退屈させる人も指す。  欧米人は「退屈さ」に対してとても意識的であり、その原因となる退屈な人を敏感に感じとる。」p.100
・「自然は人間に舌をひとつ、耳をふたつ備えてくれた。なぜかというと、人は自分の喋る量の二倍だけ相手の話を聞くように、つくられたからだ。  ――エピクテイタス――」p.127
・「自分はどう感じるか、自分はどう考えるか――これが会話意識の中心であるべきなのに、相手はどう感じているのか、どう考えているのか――この方向に意識が働きがちなのである。」p.138
・「私たちは「言ってはならぬこと」を意識しすぎて自制し、その結果、黙りがちとなり、会話が活発にならず、それで互いが退屈する。そういう傾向のほうがつよい。(中略)まずそういう心のなかの「枠はずし」によって、生きた会話の復活にむかいたい。」p.141
・「欧米の人たちは会話を「楽しむ」――少なくとも「楽しもうとする」意識を持つが、現代の私たちは、会話に最も大切な「楽しむ」ためのルールも技術もまったくない。」p.147
・「社会生活というものは、どんな体制の社会にしろ、またどんな時代にせよ、閉じがちな心を基本にして成っている。(中略)私たちのなかに「会話」が次第に衰えてきたのは、いくつもの原因があるが、この一点も見のがせない。」p.164
・「実際、会話とは自分の考えをのべることを第一とするが、同時に他の人々の意見や考えを受け容れることが第二のルールだ。」p.166
・「ダブル・スタンダードを持つことは日本人が漢文化を受け容れた時にはじまった。そして長い歴史を通じて次第にその使い方を深め、洗練し、ほとんど無自覚に生活のなかで使い分けるまでになった。(中略)このように衣食住にわたって見事に自国文化と外国文化を使い分ける器用さは、比類のないものだと言えよう。」p.168
・「このように私たちの心は縦割りと横割りの区別意識や差別意識に縛られている。細分化されている。まずはその自分の心理の現実を知ることだ。(中略)心を開くということを具体的に説くとすれば、まず自分の縦割り意識と横割意識のドアーを、開けることだ。(中略)「会話」という尊い人間交流の磁場は、「人間的対等観」と「開いた心」の二本柱が大切なのだ。この二点をわずかでも心にしまっている人たちが、会話の生命力を維持してゆく。」p.177
・「私たちの会話での第一の心理的障害はなんだろうか。  「こんなことを喋ったら、人にどう思われるか分からない」」p.179
・「私たちは日本語での会話の時のおもんぱかりをすべて捨て、心理的束縛をすっかり切り離し、自分の英語の下手さかげんも忘れて、「胸中にあること」を喋ってかまわない。たぶんその程度のことが、西洋人の会話におけるスタンダードなのだ。」p.180
・「ここでヴォルテールの有名な言葉を再び出しておきたい。――「私は君の言うことを承認しない。しかし君がそれを言う権利は死を賭しても守ろう」」p.181
・「たぶん現在までが(二十世紀の終わりまでが)、日本人の形式的会話の最盛期であり、次の世紀になれば、わが国でもこの形式会話はぐんと減少するのではなかろうか。」p.190
・「会話とは宇宙エナジーを感じる場として、どんな芸術よりもナマでジカな場なのである。対話にしろグループでの間にしろ、それは各人の前人格が呼気(ブレス)を通して交流する場なのだ。」p.197
・「まず変な実例から入ってゆくが、英会話に私が上達した原因は「独り会話」にあった。」p.206
・「すべてはその場の状況と条件によるのであり、会話には一定のルールはない。死んだ会話はルールでいっぱいだが、生きた会話はルールがない。ルールで縛れば死ぬのだ。あえて挙げるとすれば、実利実用の目的を忘れること、おのれの自我(エゴ)を忘れること――これだけは生きた会話へ導く水路の関門といえよう。あとは私たちの興味や心のまま、静かな話に、陽気な話に赴けばいいのであろう。」p.214
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【本】新・読書の快楽 ブックガイド・ベスト500

2008年03月08日 08時02分21秒 | 読書記録2008
新・読書の快楽 ブックガイド・ベスト500, 僕らはカルチャー探偵団 編, 角川文庫 ほ-5-6(7658), 1989年
・タイトルには『500』とありますが、なんじゃかんじゃで1000タイトルくらいは載っていると思います。チェックしてみると、このうち、読んだ本→10タイトル、読んでないけど在庫あり→4タイトル、とほとんど自分の読んだ本とは重なっていませんでした。これはたいてい誰でも似たり寄ったりの数なのかもしれませんが。全体的にマニアックな本が多いような気がします。過去の同企画や類似企画とのタイトルの重複を避けているせいかもしれません。
●「現在」を読み解くための読書論<対談> 吉本隆明・中沢新一
・「おおげさなことをいえば、平安時代から続く日本文学の伝統を引き継いでいるメディアは、現代文学ではなくて少女マンガと呼ばれる沢山の作家たちの中にあるような気がするんです。」p.9
・「昔から、物を書く人の理想は物を書きながら、最終的にはそれを消滅させてしまうこと。優れた作家たちはそのことを夢想したと思うんですが、誰一人、実現し得ない。」p.16
・「古典とか準古典に属する本と、高く買ってくれない本とがだんだん一致してくるの。本来なら二つの極に分かれなきゃいけない感じの本がね。」p.27
●思想書 ベスト56 小林康夫
・「本当のことを言えば、《思想書》というはっきりとしたジャンルがあるわけではない。大事なことは、あくまでも読み方にあるのであって、どのような難解な書物を読んでも、自分の読み方を持っていなければなににもならない。また逆に、自分の読み方を見出した人には、どのようなテクストも《思想》を語っていないわけではないのだ。」p.137

《チェック本》
・ロンゴス『ダフニスとクロエー』岩波文庫
・『トリスタン・イズー物語』岩波文庫
・ジョルジュ・バタイユ『わが母』
・スタンダール『恋愛論』新潮文庫
・スチュアート・ウッズ『警察署長』ハヤカワ文庫NV
・アルフレッド・ジャリ『超男性』白水社
・ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』早川書房
・アイラ・レヴィン『ローズマリーの赤ちゃん』ハヤカワ文庫NV
・スティーヴン・キング『シャイニング』文春文庫
・ディーン・R・クーンツ『ファントム』ハヤカワ文庫NV
・トマス・ハリス『レッド・ドラゴン』ハヤカワ文庫NV
・メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』創元文庫
・小松左京『虚無回廊』徳間書店
・フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢は見るか?』ハヤカワ文庫SF
・荒巻義雄『柔らかい時計』徳間書店
・神林長平『プリズム』ハヤカワ文庫
・武満徹『樹の鏡、草原の鏡』新潮社
・吉本隆明『共同幻想論』角川文庫
・宮岡謙二『異国遍路 旅芸人始末書』中公文庫
・開高健『輝ける闇』新潮文庫
・ジョン・アーヴィング『熊を放つ』中公文庫
・アイザック・ディネーセン『バベットの晩餐会』ちくま文庫
・村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮文庫
・蓮見重彦
・丸山健二
・武田百合子『富士日記』中公文庫
・島尾ミホ『海辺の生と死』中公文庫

?けんけん‐ふくよう【拳拳服膺】 心中に銘記して常に忘れないこと。
?スラップスティック コメディの一種。体を使ったギャグ。「どたばたギャグ」などとも訳される。チャップリンのそれなどが有名。
?エクリチュール 1 書くこと。  2 書き方。書体。文体。  3 書かれたもの。文字。文章。
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