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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】人生の親戚

2008年03月05日 22時07分02秒 | 読書記録2008
人生の親戚, 大江健三郎, 新潮文庫 お-9-17(5394), 1994年
・作中の『僕』であるKさんの友人、『倉木まり恵さん』の凄絶な生涯について。
・はじめの10ページほどは最初読んだときは意味不明ですが、物語が後半になってやっと話がつながります。これはどこまでが現実で、どこからが創作なのか、『まり恵さん』のモデルは実在するのか、判然としないのですが、全てが創作だとは思えない生々しい描写が随所に見られます。人間なら誰しも人に言えないことや表に出せない面を持っているでしょうが、作中での『まり恵さん』にプライバシーはありません。「そこまで見せなくても」 その露出っぷりに胸をえぐられるような気分になります。
・よく考えながら、よく味わいながら、何度か読み返すべき小説。
・「無垢(イノセンス)は強調されすぎると、その反対の極のものになる、とオコナーはいってるわ。もともと、私たちは無垢(イノセンス)を失っているのに。キリストの罪の贖い(リダンプション)をつうじて、一挙にじゃなく、ゆるゆると時間をかけて、私たちは無垢(イノセンス)に戻るのだとも、彼女はいってるわ。現実での過程をとばして、安易にニセの無垢(イノセンス)に戻ることが、つまり sentimentality だというわけね。……私はなによりそれがいやなんだわ。だから、この現実生活で、無垢(イノセント)じゃないことにもセッセと励んでいるといえば、手前勝手な開きなおりでしょうけど。」p.44
・「私たちが入ってくるのを見ると大きな声を出して立ち上がって、やがて途方に暮れたような様子で奇妙な調子でいいました。――君たちが死んでいるのだということを知っているよ。」p.65
・「――サッチャン、私たちの人生は失敗だったね。いいものはもうなにも残っていないね。」p.71
・「知能の発達の遅れた子供にも、自殺について認識があり、それは決してまとはずれのものでない、という思いが、そこで辛い記憶のひとつとなったのだ。」p.77
・「まったくいまの私には、どのような「悪」をなしとげれば、カミにしっぺ返ししうるものか、まるで雲をつかむ具合なのねえ。」p.87
・「――文化人類学のYさんが「攻撃誘発性」と訳した、ヴァルネラビリティーということが、まり恵さんのいまの状態にあてはまると思うよ。最初の出来事は不時の災難ということにしても、あれ以来、まり恵さんはヴァルネラブルな傷口を白日のもとにさらして生きている。」p.125
・「Kさんが、文章で「師匠(パトロン)」という言葉を使われることがあるでしょう? まり恵さんは、僕らが若い頃から、本当に「師匠(パトロン)」だったと思いますね。現実世界の様ざまな面を、興味のある仕方で示して、僕らを教育してくれたと思います。」p.127
・「感知しえるものは、一時的(テンポラル)なもので、理解しえるものは、時間を越えた(タイムレス)ものだから、ふたつの間には二律背反があると、マニ教徒はそう考えていたんだと。」p.170
・「年甲斐もなく、それならばキリストの受肉(インカーネーション)はどうなるのかと、怒鳴りだすのよ。キリストがイエスとして受肉したことによって、時間を越えたものが、一時的な現世の肉体と一致したのじゃないか。それによってはじめて、人類は救われる道をえたのじゃないか、と……」p.171
・「――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人についてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。」p.174
・「それはおよそ人間の力で癒しうる傷によるものではない、と感じられる呻き声だった。」p.177
・「彼女は骨盤の高さで電車の手すりに躰をつらぬかれ、動くことができなかったのだ。終生フリーダは、左の腹から入って膣から出た鉄パイプによって「処女を喪った」といっていた。脊柱は腰部において三箇所砕け、鎖骨も、三番目と四番目の肋骨も砕けた。左足に骨折十一箇所があり、右脚は脱臼して潰れ、左肩も外れ、骨盤は三箇所で砕けていた。」p.203

アポカリプス 【apocalypse】 1 《the A-》ヨハネの黙示録(the Revelation);黙示書,黙示文学.  2 黙示,啓示,天啓.  3 世の終わり.  4 (社会的)大事件,大災害,大破壊.
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【本】「分かりやすい表現」の技術

2008年03月01日 22時10分30秒 | 読書記録2008
「分かりやすい表現」の技術 意図を正しく伝えるための16のルール, 藤沢晃治, 講談社ブルーバックス B-1245, 1999年
・世に氾濫する「分かりにくい表現」を撲滅すべくかかれた書。前出、『「分りやすい説明」の技術』の姉妹本。テーマがテーマなのでその内容は "分かりやすい" ものになっています。
・本筋のテーマではないが、脳の情報処理についての記述も興味深い。
・当ブログでも長文を避けたり、文字色変えたり、写真をちりばめてみたりと、分かりやすくなるように気を使っているつもりです。『親切心は、すべてのテクニックの土台です』これを肝に銘じて、今後も更新していきたいと思います。
・「私は自分の心と体の健康のためにこの本を書きました。短気な私は、世の中にあふれる「分かりにくい表現」で、怒り心頭に発することが多いのです。これでは体が持ちません。」p.3
・「分かりにくい表現をする人は、ちょうど、自分の口元についたケチャップに気づかない人に似ています。」p.4
・「案内板は情報を100パーセント正しく人に伝えるものでなければなりません。  これらを改善するのは簡単です。逆の解釈を許さないようにすればよいのです。」p.17
・「我が国の取扱説明書、マニュアル類がお粗末なことには、文化的背景があるように思います。先進工業国家として成長してきた我が国では、ハードウェアとしての製品自体に比べ、ソフトウェアとしての取扱説明書、マニュアルの類が、副次的な扱いしか受けてこなかったのです。」p.21
・「「分かりやすい」とは、「分かるという状態になりやすい」という意味です。」p.34
・「私は学生時代、コンピューターによる人工知能を専攻していました。その研究の一環として、チェスを指すプログラムをつくった経験があります。(中略)このプログラミングの過程で気づいたことが一つありました。それは、コンピューターにとっては「分かりやすい」局面と「分かりにくい」局面があるらしいということでした。このとき以来、人間がものを認識するメカニズムと世の中の「分かりやすい・分かりにくい」の関係に、漠然と興味を持つようになったのです。」p.34
・「「定着」とはなんでしょうか。それは、情報が、あとで取り出すことが可能な「脳内整理棚」にしまわれていることです。」p.36
・「人間の記憶には、大きく分けて一次記憶と二次記憶があります。一次記憶は短期記憶あるいは一時的記憶とも呼ばれます。また、二次記憶は長期記憶とも呼ばれます。」p.37
・「言い換えると、「分かる」とは、新しい情報の構造に関して、自分がすでに知っている情報の構造と照らし合わせ、それと一致するものを認識することです。情報の構造を把握し、「その情報構造に対応する整理棚内の区画に格納できたこと」を意味します。」p.39
・「つまり「分ける」は「分かりやすい」の原点なのです。」p.41
・「認知心理学では、「分かる」とは、一次記憶域の情報が「解釈」「一般化」「抽象化」という過程を経て、二次記憶域に移動するとしています。」p.43
・「「分かりやすい表現」のテクニックを早く手に入れたい読者にとっては、心構えや精神論などは読み飛ばしたいところでしょう。しかし親切心は、すべてのテクニックの土台です。」p.49
・「「分かる」ためには、この情報整理という作業をしなければなりません。  問題は誰がこの作業を負担するかです。」p.54
・「情報をカレー料理にたとえてみましょう。情報の受け手はカレーを食べたい人です。  親切心のある情報の送り手なら、調理して皿に盛りつけたカレーを差し出して「どうぞ、お召し上がりください」と言います。一方、不親切な情報の送り手は、じゃがいも、肉、にんじん、カレー・ルーなどをテーブルの上に放りなげ「食いたきゃ、自分で料理して食え。材料は全部そろってるだろ」と言います。」p.54
・「あまり注意深くない人々の存在を織り込んで、その対策が講じられている製品のことをフールプルーフ(foolproof)といいます。日本語に無理に翻訳すれば、「そそっかしい人を想定した」あるいは「知的ハードルを低くした」といったところでしょう。」p.61
・「初めてスケートをする人に教える先生は、やっと少し滑れるようになった人が適任です。スケートの達人が「どうして滑れないの? こういうふうにすれば簡単じゃん」などと、スイスイと疾走してみせるのはだめなのです。」p.75
・「解説書の類では、一冊の展示場の分かりやすさは、その内容よりもガイド役であるもくじ、すなわち構成で勝負の大半が決まるのです。」p.81
・「選挙のたびに聞かされる、候補者の主張も意味不明です。郵便ポストの差入口の説明のように、具体的になるといいのですが。もっとも候補者にしてみれば、選挙に勝つのに必要なのは、具体的な政策ではないのかもしれません。」p.113
・「重みづけを受け手に知らせるもう一つの方法は「差異率」を高めることです。  差異率とは私の造語で、情報全体に対する「異なる部分」の割合を言います。」p.122
・「翻訳とは一つの国語を別の国語に変換する作業ではありません。翻訳とは、ある言語グループから、別の言語グループへ、意味を伝える作業なのです。したがって翻訳が伝えるものは、言語ではなく意味です。言語はあくまでも手段で、意味の伝達が目的なのです。」p.156
・「He was taller than any other boy in his class. という英文を「彼は、彼のクラスの中で、他のどの少年よりも背が高かった」と訳す必要はさらさらありません。原文の意味を正しく理解すれば「ジェームズはクラス一の大男だった」というほうがふさわしいかもしれないのです。」p.157
・「つまり社会背景に、翻訳とは言語変換作業で「語学のプロなら誰でも翻訳作業はできる」という誤解があるのです。」p.158
・「英文和訳の例で言えば、一流の翻訳者に求められる資質は、次の三つです。  ① 原文を理解するための英語力  ② 取り扱われているテーマを理解できる知力  ③ 自然な日本語を書ける日本語力  これだけ見ても、いかに翻訳というものが至難の業であることかが理解できるでしょう。」p.159
・「チェックポイントによる古いパンフレットの点検作業を通じて、あなたは一つ意外なことにきづきました。「分かりやすく」するのは簡単で、当たり前なことをするだけでいいのね、と。」p.171
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【本】カオスの紡ぐ夢の中で

2008年02月27日 22時02分30秒 | 読書記録2008
カオスの紡ぐ夢の中で, 金子邦彦, 小学館文庫 R-か-1-1, 1998年
・本書の内容についてはカバーの紹介文におまかせ → 「老科学者の魂と引き換えにデーモンがこの世からカオスを消しにかかる。その日から世界は「創世記」を逆行しはじめ……。パロディによるカオス理論の入門編「カオス出門」。生命の進化をパロディ化した複雑系SF小説「進物史観」。複雑系研究の現状と舞台裏を明かす「バーチャル・インタビュー」。そして日頃の研究から科学者の夢、インターネット、文化論までを綴ったエッセイ「複雑系へのカオス的遍歴」。「重く暗く深刻そうに伝えると重要なことで、そうじゃないと軽くて重要でないっていう変な誤解を壊したい」という複雑系研究の第一人者が、多彩な表現で複雑系、カオス理論を説く。
・「カオス」について興味があったので、関連書籍を読み漁った時期が過去あります。そんな時に同著者の名の入った本も数冊読んでいるような。この分野への興味は失ったわけではなく、現在も興味津々。
・非常に読みやすいカオス的読み物。とは言っても専門書をいくらか読んだ上での話なので、まったく予備知識のない方が読むと難しく感じる部分があるかもしれません。全体を通じて、小説をはじめとする様々な一般書からの引用が目立ち、著者の読書好きが覗えます。また、収録された作品の中では『小説 新物史観』が出色の出来でした。生物の進化に対するカオス・複雑系から見た解釈がベースとなっている"物語"の不思議な物語。
●複雑系へのカオス的遍歴
・「新しい見方で今までの世界観ががらっとかわる、そういう瞬間の醍醐味を求めて多くの科学者(少なくとも僕)は研究をしている。」p.11
・「しかし、科学が文化であるという当然のことが日本で(実はたぶんアメリカでも)受け止められていないのは深刻な問題だと思う。たとえばそのことが、オウム真理教と理科系学生の問題の根にあると僕は思っているからだ。」p.12
・「このような弱いカオスによって多様性が維持される機構を「ホメオカオス」と名付け、多くの生命系の動的な安定性をもたらす仕掛けになっているのだろうと考えた。」p.24
・「どうも、日本社会の中には、まだ外国は偉くて、日本人からは文化が生まれないだろうという偏見が巣食っているのではないだろうか。」p.35
・「日本人に独創性がないのではなく、評価されないだけなのだ。優秀な二番煎じ研究者の競争の陰で本当に独創的な研究者が埋もれてしまうのである。「真似」的な研究は頭がよさえすればできることにすぎないのに対して、本当に新しいものを作り出すには、表面には現れない試行錯誤を含めて、ずっと大きな努力が必要だからだ。」p.36
・「新しいことを始めるには、自分の中でアイデアを熟成していくための長い時間が必要だし、この期間に情報が入りすぎるとかえってマイナスになることも多い。」p.37
・「この問題は、たぶん脳というシステムの働き方に関係している。脳の発達には外から情報が入ってくることによる部分と内部の脳神経系の自発的な変動過程による部分が相互に関係しあっているからだ。前者だけでは外から与えた情報を単に受容する、学習機械になってしまう。一方、脳生理学の実験では、外から感覚情報が入らない時にも、複雑な変動過程が起こっていることが明らかになりつつある。」p.38
・「また、最近、我々の間でさかんに議論されている「カオス的遍歴」というのは、いくつかの安定な状態があり、そこに留まっている安定な時期とカオス的な不安定性によりその間を遷移するような大変動の時期が交互に現れてくるという、歴史にも相通ずるような現象である。」p.39
・「今まさに僕が大阪大の四方哲也氏と提唱しているのは、生命系では一般に、まず初期の不安定な動き(カオス)を利用して多用な状態が生まれ、その中から、相互作用を通して、繰り返し構造を持つ状態が選ばれて安定化していくという仮説だ。」p.41
・「たとえば、デタラメな絵を描け、ないし複雑な絵を描けと言われた時、どのように対応するだろう?  複雑と言われた時は、何か構造や規則があるけれど、それを表現するのが困難というような絵を描こうとするのではないだろうか。一方、デタラメって場合にはそういう規則がまったくないというような感覚があると思う。」p.47
・「ところで、ヒトの思想は、初期ギリシアの哲学、インドのブッダ、中国の春秋時代あたりで可能性を出しつくして、あとはその中のいくつかを精密化し安定させ、広めていっているだけのように見える、というのは言いすぎだろうか。」p.57
・「今までの教育システムにも問題は色々あったのも事実かもしれないが、教養のような「即戦力」にならないようなことはやめて早いうちに専門を身につけさせようという「改革」の方向は、長いスケールで独創性を発揮できるような学生を生まれにくくさせると危惧している。」p.59
・「それを集めれば全体がわかるという考えを多くの物理学者は疑わないことが多い。素粒子論研究者の一部には、自分達は究極の理論を研究しており、それがわかれば他の科学はその応用であるという考えを抱いている者すらいる。しかし、この考え自体は論理的にも歴史的にも正しくない。」p.74
・「ひょっとして物語というのは、複雑系研究の方法として人類が生み出した、最高の手法なのではないだろうか、と。」p.84
●小説 進物史観――進化する物語群の歴史を観て
・「この一見不毛な戦いの後に、当時まったく無名・無職の研究者F氏の一編の論文から結論が出る。結論「人間は愚かである」。これは「本当の知性」なるものは(三歳以上の)人間には存在しないという主張だった。」p.107
・「Fさんを見いていてすごいと感じるのは、こういう、うまくいきっこないことを平然とやりだしてしまうことだ。天才ってのは、それを成功させてしまうものかとよくきかれる。少なくともFさんはそうではない。平然と失敗してしまうのだ。」p.113
・「熊ではなくなったFさんの到達した結論はこうだ。  「物語の発展の歴史は生物の進化と同じだ」  普通の人ならせいぜい「……と似ている」と言うくらいだ。そこを一気に「同じだ」と飛躍してしまうのがFさんの原動力だ。」p.117
・「つまり、我々が考えなきゃあかんのは、『進化する物語群の歴史』なのだ。略して『進物史』」p.118
・「「どうやって生命というものが無生物から誕生してきたかは、未だに謎なんだ。いったんできたあとの進化についてはずいぶん解明されたのに、だ。こういった『期限』についての超難問はとりあえず避ける。これが成功の秘訣だ」」p.123
・「《犬が落とし穴に落ちて「わん」と鳴いた。猫がそれを上から見て「ニャー」と笑った》  「こんなもんがどうして面白いんだ? まったくわからん……」  F研究室では皆、不思議がった。」p.131
・「実は、これには我々はひどく興奮した。つまり進化が「メタ」のレベルにまで及んできたのだ。単に文章の組み合わせを規定する「遺伝子」だけでなく、どういう形で組み合わせるかを司る、規則を与える規則のようなものが誕生したということなのだ。」p.134
・「病気とは何かを言おうとすると、正常とは何かということになる。ところがこの「正常」というのは、かなりぼんやりしたもので、異常の対比としてしか捉えられないという循環に陥ってしまう。」p.150
・「脳科学者のある者は、ダブルバインドなどの考えの元祖でもある科学者グレゴリー・ベイトソンの考えに基づいて、「たとえば、関係代名詞の中に関係代名詞という入れ子構造が数段入ると理解できなくなるように、人間の脳には、メタレベルを理解できる限界がある」としている。」p.159
・「たとえばね。多細胞生物の体作りの原理は、カンブリア紀以降、本質的な変更はないと思われている。これをみると、まず体作りの可能性が最初に出尽くして、あとから徐々に安定なものが固定化されてきたように見える。これが進化の行き方だと僕は考えているんだ。」p.189
●バーチャル・インタビュー――あとがきにかえて
・「あのエッセイの多くは『クォーク』という科学雑誌に連載してたものですが、それを引き受けたのは、文化としての科学っていうのを訴えたかったからなんです。もとにはオウム真理教の事件があったんです」p.192
・「科学研究費を多くとるためには、早いタイムスケールで動く仕事をやり続ける方が有利なわけです。でも、それだけだったら長期的には虚しさがありますよね。  その意味では、ジャーナリズムの場合とにていますね。つまり売れた方がいいって代わりに、たくさん研究費をとってきた人がよい研究者であるというような、本末転倒が時にあるわけです。こんな風にしていくと、ほんとにごっつぃ研究は出にくくなるんじゃないかと思います。  要するに、どんな分野でも職業倫理ってのが弱まっているんじゃないかと思うんです。」p.202
・「――それで、そもそも複雑系の研究というのは一言ではどういうものなのですか?  「『一言で言えれば複雑系じゃない』って一言で答える、ってのもあるかもしれないけど、いずれにせよ部分と全体の矛盾をはらんだ相補的な関係を、かけ声だけじゃなくて真剣に探るってことになると思います。つまり部分の和で表せない全体というのは論理的にどういうものか、それを捉えるにはどうしたらいいかというようなことです。」p.209
・「津田一郎さんや僕が重視しているのは『カオス的遍歴』と呼ばれる現象です。たとえば、最初に与えられた要素のダイナミクスとは、一つ上のレベルでマクロな状態の間の遍歴が起こる。この際、必ずしも要素レベルのダイナミクスと上のレベルの関係が、なめらかな一対一のものではないだろうと僕は予想しています。まだ証明はできないのですけど」p.214

《チェック本》
奥泉光『「吾輩は猫である」殺人事件』新潮文庫
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【本】モダンガール論

2008年02月23日 22時05分12秒 | 読書記録2008
モダンガール論, 斎藤美奈子, 文春文庫 さ-36-2, 2003年
・『女性の人権問題』にはこれっぽちも興味は無く、興味があったのは著者の綴る文章です。きっかけは、前出『働くことがイヤな人のための本』(中島義道)のあとがきでした。そのズバッ! と相手に切り込んで行く様は爽快です。
・テーマは日本の明治から現代までの女性史。「歴史は繰り返す」という主張を軸に論を展開する。
・思ったよりもおとなしい、というのが読んだ第一印象です。しかし、自分にとっては何の興味も無いテーマについて、面白く読ませてしまうのはすごいことだと思います。お気に入り著者に追加。今後に期待。
・「そうなのだ。女の子には出世の道が二つある。立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を高く売ること)は、女性の場合、どっちも「出世」なのである。  したがって、女の子はいつも「二つの出世の道」の間で揺れてきた。」p.10
・「さて、それから今日までの100年間、女の子たちが二つの出世の道の間でどんなふうに右往左往してきたか。べつにいうと、自身の出世願望を充たすために、彼女たちがどれほど微笑ましくも涙ぐましい奮闘努力をしてきたか。その足跡をたどってみようというのが本書の主旨だ。」p.12
・「この本は、じつはあんまり正義の味方じゃない。この際、名前をつけておこう。欲望史観。うん、これがいい。」p.12
・「20世紀の望ましい女性像とは何だったか。行をかえて強調しちゃおう。  良妻賢母!」p.26
・「ここは断言してしまおう。日本の男子の近代は「立身出世」思想からはじまった。そして、男子に遅れること30年、女子の近代は「良妻賢母」思想とともにはじまったのだと。」p.29
・「主婦はいまとなっては「平凡」の代名詞である。しかし、かつては平凡どころかオシャレな生き方の最前線。やる気満々の女の子たちをして「主婦になりたい!」と夢みさせるに十分な、キラキラした女性像だったのだ。」p.60
・「市民レベルの生活が近代化、合理化、洋風化するのは20世紀以降、おもに大正時代だ。「文化」「家庭」「生活」「衛生」「健康」といった熟語も、みんなこのころ流行し、普及したことばである。」p.65
・「さあ、どうでしょう。新しい設備に新しい方法論。街には主婦を支援する情報やグッズがいっぱい。こんな時代に主婦をやっていたら、ワクワクしたと思いませんか。」p.70
・「頭脳労働中心の「職業婦人」と区別する意味で、女工のような肉体労働者は「労働婦人」とも呼ばれていた。」p.87
・「女工や女中は差別の対象だったのだ。職業に貴賎はある。女工や女中はまさに「賎」の代表選手。人々が彼女達を見る目は、ひどいものだった。ブスでバカで貧乏で行儀が悪くて身持ちが悪い。」p.101
・「農村婦人には産休もない。分娩の直前まで働いて、出産後も横になっていられるのは、たった一日、せいぜい二四時間であり、一週間以内には、七割の人が「通常どおりの労働」に復帰している。」p.146
・「・貞婦になるより恋に生きたい  私の家庭はこの通り、けれど夫婦の関係というものはこれでも無事に済んでゆくのです。私も貞婦の一人なのです。けれど私自身はそんな言葉はいただきたくない。それよりも、人間なら人間らしく真面目な恋に確(しつか)り抱かれていたい。たとえそれが恐ろしい罪悪の名の下に支配される行為でも……ふるえて偽りの日を送るよりも、形式はどうあろうとも心と心をふれ合うことのできる生活に這入りたい。(荒木郁「手紙」/『青鞜』明治45年4月号)」p.182
・「余談だが、戦前戦後の女性論客の中でも山川菊栄はとびぬけて頭がいい人、という印象がある。売春論争でコテンパンにされた伊藤野枝も気の毒だったが、晶子もらいてうも彼女の参戦を内心「いやだなあ」と思ったのではなかろうか。年下の才女が突然出てきて「あなたのは女性論です」「あなたのは母権論ね」なんて論評されたら、どう? いやな感じでしょう?」p.188
・「というか、職場の待遇差別から主婦の自立論まで、現代の私たちが直面しているような問題は、戦前に、ほとんどすべて先取りされていたのである。」p.189
・「戦争は変化を求めていた人々の気持ちをパッと明るくした。保守的で頑迷な昔風の女性ではなく、前向きで活発で近代的なセンスをもった女性ほど、戦争にはハマりやすいのですよ、みなさん。」p.197
・「けれども、女性の職場進出は、かえって促進されたのである。平時との大きなちがいは、徴兵によって激減した男子労働者の穴を埋めるために、それまでは「女にはふさわしくない」という理由で男が独占していた職域にまで、女性の職場が拡大したことである。」p.203
・「戦争には「階級差別」と「性差別」という平時における二つの差別を忘れさせる効用がある。国民皆働のかけ声と物資不足からくる耐久生活は「国民みな平等」の錯覚をおこさせる。さらに「男は戦争/女は労働」の戦時政策は、「女性の社会進出→婦人解放」の幻想をいだかせる。  戦争=銃後の暮らしは女性に「出世」を疑似体験させるのだ。」p.216
・「が、重要なのは、戦争がどんなに悲惨な結末を迎えたじゃなく、人々がどんな気分で戦争をスタートさせたか、だ。戦争責任とはそういうことじゃないんだろうか。」p.217
・「もう一度いおう。モダンガールは後ろ向きな姿勢や保守的な態度を嫌う。だからこそ、戦争に向かって進んでいく時代には、軍国婦人になりやすいのである。」p.218
・「高度成長期のかくれた変化のひとつに「恋愛結婚の増加」がある。明治大正の女の子たちもロマンチックな恋愛を夢みていたが、じっさいには九割がたがお見合いで結婚した。」p.244
・「アンノンのファッション革命によって、かつて「家事」や「花嫁修業」の領域にあったものは、ことごとくカジュアルな趣味・消費の対象にかわった。」p.268
・「アグネス論争、なつかしいですね。いちおう復習しておくと、「アグネス論争」とは、1987年から翌年にかけてつづけられた「育児と職業」をめぐる論争である。  それがいままでのどの論争ともちがっていたのは、有名無名、識者非識者、男女の別を問わず、ものすごーく多くの人が参戦したことである。」p.287
・「ここで私たちが思い出すのは、大正中期の母性保護論争である。アグネス・チャンの「子連れ出勤肯定論」は平塚らいてうの「母性保護は女の権利だ論」を、林真理子の「子連れ出勤は女の甘えだ論」は与謝野晶子の「母性保護は女の甘えだ論」を思わせる。」p.290
・「20世紀末、1990年代の女の子たちは白けていた。女子高生も女子大生もOLも白けていた。彼女たちはなんだってもっていた。流行の洋服も、山のような化粧品も、ブランドもののハンドバッグも、携帯電話も、ボーイフレンドもだ。家の中には立派な個室があり、家の外には時間をつぶせる遊び場がいくらでもあった。けれども、彼女たちは白けていた。  彼女たちが失ってしまったもの、それはおそらく「夢」である。」p.294
・「この100年を、大まかにまとめると、前半の50年は「出世のモデルケース」がショーウィンドウに飾られた時期、後半の50年はショーウィンドウのなかのモデルケースをみんながこぞって買い求めた時期、といえるのではないかと思う。戦後の50年は、戦前の50年の拡大版だったといってもいい。」p.296
・以下あとがきより。
・「自分でいうのもなんですが、この本を書く過程は、興奮と発見の連続でした。  当初、私が考えていたのは、ごく単純なことでした。  専業主婦と働く女性という二つの行き方は、どこでどう分岐したのだろう。」p.310
・「少なくとも、高校、大学に進学し、そこそこの企業に就職しさえすれば一生食いっぱぐれずにすむ「一億総中流の時代」は過去のものになった、と考えるべきでしょう。  さて、ではこんな時代の「ポストモダンガール」はなにを目指せばいいのでしょう。『モダンガール論』の結末は、読者にそこはかとなく不評でした。「先輩たちのことはわかったが、じゃあ私たちはどうすりゃいいの?」ってことですね。  正直にいうと、2000年の時点で、私にも明快なビジョンは見えていませんでした。」p.315
・「思えば、出世とは「見てくれ」にこだわる生き方です。考えようによっては「出世から下りる」ことで、かえって新しい展望が開けるかもしれない。」p.319
・「さしあたって私にできるアドバイスは、女性も男性も、一生続けられる仕事をぜひ見つけてください(それが見つかっている人は、ぜひいまの仕事を大切にしてください)、ということです。」p.320
・以下、解説(浅井良夫)より。因みにこの人物は、著者の大学(ゼミ)の恩師だそうです。
・「現存作家の文庫本の解説は、何のためにあるのでしょうか? そんなことは、今まで考えたこともなかったのですが、いくつかの文庫本の解説を開いてみて、要するに「お口直し」、たとえば、焼肉をたべたあとの、ペパーミント・ガムのようなものだと納得しました。「お口直し」ですから、作者と解説者の「取り合わせの妙」ないし「取り合わせの奇妙」がキー・ポイントです。」p.322
・「「進歩史観」、「抑圧史観」を排し、「この本はあまり正義の味方ではない」とうそぶく斎藤美奈子は、まさに、マンデヴィルの末裔です。」p.324
・「また、郁さんは、「ルーズソックスのコギャルは元気で明るい。(中略)この本の作者の斎藤美奈子さんも元気な女性の一人である。自分の考えを思ったとおりにまとめて、本を出版しているのだから」と、斎藤さんとコギャルの生き方の共通点をズバリ指摘しました。」p.328
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【本】植物的生命像 人類は植物に勝てるか?

2008年02月20日 22時02分58秒 | 読書記録2008
植物的生命像 人類は植物に勝てるか?, 古谷雅樹, 講談社 ブルーバックス B-827, 1990年
・「人類は植物に勝てるか?」 →「おそらく勝てないだろう」 なんとも不敵な副題です。生物種としては哺乳類なんかより植物の方がずっと先輩で、より洗練された生きるための機構を有しているという主張です。
・生命維持のために大きなポイントとなる "光" と "植物" の関係が興味深いです。考えてみると、光をあてただけでエネルギーを生産する(光合成)というのはとっても不思議な現象です。いわば天然の "ソーラー電池"。そんな高度なワザを編み出してまで生命を保とうとするその意志はどこからくるのか? ……って、書き抜きを読み返してみるとP.110で類似の話題が(苦笑)。
・「それでは、「すべての生物を一つにまとめた絵を描いてくれ」と頼まれたら、どうされますか。おそらく、「そんなものは、描けるものか」と断ってしまうことだろう。」p.16
・「それでは『動物』と『植物』を定義してほしいといわれてみると、それも思ったほどやさしくないことにすぐ気づく。」p.22
・「調べる階層によって、生物はすべての生物に共通な普遍的性質と、その種に固有な性質の両面をいろいろな割合で見せるのである。一般に、肉眼で見えるような生命現象に比べて、しだいに取り扱う階層が下がって、分子レベルに近づくほど、生物に共通な性質のほうが顕著になってきて、そこでは物理学や化学の法則がよく合うようになる。」p.59
・「今では細胞周期を、『DNAの複製を行なう時期』(S期)と『核が分裂する時機』(M期)、およびそれらの間にそれぞれ存在する二つの『間期』の四期に分けるようになった。M期の後、S期が始まるまでのDNA合成準備をギャップ1の時期(G1期)、S期の後、M期が始まるまでの分裂準備時期を二番目のギャップ(G2期)という。」p.64
・「この夜あるいは昼の長さの変化によって特有の生理現象をひき起こす光周性は、種子植物だけではなく、藻類や菌類さらには昆虫をはじめ種々の動物にも広く、今では認められている。」p.69
・「動物は個体として一つの統一あるシステムが完成しているので、その複雑な系を作っている一つ一つの素過程を分けて調べることがむずかしい場合が多い。これに対して、植物は個体よりも種の存続が優先する生き方をしているので、個体における形態や機能の分化が弱い。したがって植物を用いたほうが、ある一つの素過程だけを分けて調べやすい。このため、植物を用いたほうが、基本になる現象に気づきやすいので生物全体に共通する法則がたくさんとらえられたと思われる。」p.72
・「すべての生命を支えるエネルギー源が太陽の光にあり、それを生物が利用できる型のエネルギーに変えて受けとめているのが、常に植物なのである。その意味では植物は、動物と違って『他の生物に頼らないで生存し得る生物』といえる。」p.76
・「しかし葉緑体内部の光合成の過程は、ラメラで行なわれる二つの光化学反応(つまり光エネルギーによって水から炭素の還元に必要な水素をとり出す反応と、NADPを光によって還元する反応)と、それにひきつづいて葉緑体内のストロマと呼ばれる液状の部分で行なわれる電子伝達反応、光燐酸化反応、そして炭酸固定反応の暗反応など一連の長い反応系から成り立っている。」p.80
・「この葉緑体の秘密がすっかり解けて、人類が工場で太陽エネルギーを人工的に利用して、われわれや家畜などの食料となる有機化合物を自由に作れるようになったら、その時は人類が生態系における食物連鎖から分かれて、独立に生きていけることになり、人類の立場を大きく変えるだけでなく、他の生物の将来についても、はかり知れない大きな影響を与えることになる。」p.81
・「この節で述べた植物と動物の生き方の違いを例えていえば、植物は囲碁型であり、動物は将棋型である。囲碁では、殺されるとすべてが終わる王様は存在しないし、勝つためには平気で大石を捨てる。また個々の碁石の間には役目の分化は無く、置かれた位置しだいで役割が変わってくる。一方、将棋の王様ははじめから王としての役割が定まっていて、歩や飛車が代わることはできないし、個体でいえば首であろう。首を取られれば一巻の終わりである。したがって、動物的生命は相手の首を取るために、あらゆる策を講ずることになる。」p.87
・「ここでおもしろいのは、動物の発生過程は、例えていえば、テレビや映画のように、一つの画像が現われる時には、その前の画像は消え去って存在しない形式で進行する。どんなに筋書きが長くてもつねに現在の一コマしか見られない。過去の姿は時の進行とともに消え去ってしまう。  ところが、植物の発生は漫画型で、ストーリーをいつでも好きな一ページから読みなおせる。つまり植物の発生のプロセスはすべて自分の作られているからだの中に記録され残されていくので、いつでもはじめから発生のプロセスを見なおすことができる。」p.100
・「人ばかりではない。動物には自分の生命をいちばん大事にするという本能が備わっている。この動物特有のエゴイズムといってよいほどの本能的性質は、一体どこから来るのだろうか。」p.110
・「植物的生き方は、個体の生存よりは『種の存続中心』であるのに対して、動物的な生き方は『個体中心』ということができよう。」p.119
・「植物にだけあって動物にまったくないとか、逆に動物だけにあって植物にはない特徴というのは、実は非常に少ないのだ。植物の暮らしの中にも動物的生き方を認めることができるし、動物も、この本で述べる植物的特徴を多かれ少なかれ持つのがふつうである。植物的生命像というのは、植物にとくに強く現われると私が考えた生物の性質という意味である。」p.120
・「すべての生命に共通な性質があることは、今までに何回も述べた。しかし、不利な環境条件に遭遇した時に見せる生物の応答を見ると、動物的生命と植物的生命の間には大きな違いが認められる。」p.122
・「エアコンした部屋の中で夜ふけまで電気をつけてジャズを聴くような『人間型生き方』と、春一ヶ月だけ地上に姿を出し、あとの十一ヶ月は種子として休眠しているような植物的生き方という二つの極限を比べた場合、どちらが将来有望な『株』だろうか。私が投資家だったら、種の保存という将来性からいえば、少なくとも人間型生き方には投資しないことはたしかである。」p.124
・「この1952年に見出された『赤・近赤外光可逆的反応』は、その後、植物の発生や成長や分化などのさまざまな過程に広く関係して、環境の光情報を植物に伝えるたいせつな役割をしていることがわかってきた。」p.140
・「植物の眼のほうが、われわれの眼よりも、もっと広い波長範囲の光で外界を見ているなどと、今まで思ったことがあっただろうか。」p.151
・「細胞内構造のレベルで動物には見られないような運動や調節が行なわれることによって、植物細胞は、すぐれた外界検知能力とフィードバックを備えた『統一性を持ったシステム』になっており、オーガネラのレベルで、環境の刺激に対応するすばらしい調節機能を持っている。  これこそ植物的生命の特性であり、植物は動かないという常識は、人間自身のスケールからきた誤った常識といってよいだろう。」p.190
・「植物の遊泳細胞は、藻類でも菌類でもすべて鞭毛を細胞の先端で動かして進行する(図45)。つまり飛行機型で動くが、動物では精子の例でよくご存知のように鞭毛は細胞の尻尾についており、その動きによって後から細胞を推す型で進む。つまり船型なのである。なぜ、植物と動物で逆の向きになったのかは、今のところだれも説明できないけれども、長い進化の道のかなり昔に分かれた性質に違いない。」p.194
・「植物の中には、セコイヤメスギや屋久杉のように何百年も一つの個体が寿命を保つ樹木がある。それらは、とても大きくて強そうに見える。しかし、植物の世界の中では、実は彼らはむしろ時代遅れの植物マンモスなのである。」p.212
・「救いの神がよそから来て、迷える人類を助けてくれるはずはない。われわれの生存に対する救いの神は、われわれ自身の「理性」なのである。」p.240

?ゆうずうむげ【融通無碍】 一定の考え方にとらわれることなく、どんな事態にもとどこおりなく対応できること。
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【本】夏への扉

2008年02月17日 22時41分11秒 | 読書記録2008
夏への扉, ロバート・A・ハインライン (訳)福島正実, ハヤカワ文庫 SF345, 1979年
(THE DOOR INTO SUMMER, Robert A. Heinlein, 1957)

・SF界の巨匠、ハインラインによる名作。同著者の著作を読むのは大昔に「異星の客」を読んで以来、二冊目。
・舞台は1970年のアメリカ。最愛の猫ピートと暮す主人公のダンは、アイディア豊富で発明品を次から次に開発する優秀な技術者。しかし、順風満帆だった彼の人生に突然の不幸が訪れ、失意に満ちたダンは冷凍睡眠(コールド・スリープ)に入る事を決意する。
・いかにもアメリカ的な言い回しが多く、読んでいてときどきニヤリとしてしまう。特に主人公が相手を罵倒する場面はケッサク。
・1950年代に想像した西暦2000年の世界は興味深い。残念ながら、技術の進歩に現実とはかなりのズレがありますが。
・"名作" の名に恥じぬ内容。ホンワカした読後感で、幸せになれます。
・「だが彼は、どんなにこれを繰り返そうと、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。」p.9
・「ままならぬ浮世に一時おさらばして、新世界に再び目を覚ます。もし保険会社の宣伝文句を信用すれば、おそらくはいまよりずっとましな世界になっているはずだ。もちろん、もっと悪い世界である場合もあり得る。が、ともかく、いまの世界とちがった世界ではあるだろう。」p.15
・「このうち、期限については、〇が三つ並んでいてきりもいいし、ちょうど三十年めに当るので、二〇〇〇年とすることにした。これ以上長くすると、目を醒ましたとき、あまりズレすぎてしまう惧れがあったからだ。過去三十年(すなわちぼくの全生涯)間の世の中の変化は、まさに人をして瞠若たらしめるものがあった。二回の大戦争と比較的小規模の一ダースもの戦闘、それに続くコムミュニズムの没落、世界的経済恐慌、そして人工衛星の射ちあげ。すべての動力源の原子力への転換、等々々である。」p.26
・「血液停滞(ステーシス)、冷凍睡眠(コールドスリープ)、仮死状態(ハイパーネーション)、新陳代謝人工減少(リジュースド・メタボリズム)――どう呼んでもそれは勝手だが、兵器廠の兵站医学課は、人間を材木かなにかのように積んでおいて、必要に応じて蘇生させて使う方法をついに発見していたのだった。まずその人間を麻酔し、つぎに仮死状態にしてから冷却をはじめ、摂氏四度――つまり水が氷の結晶をともなわぬマキシマムの比重に、体温を保つようにする。これでOK。人間は文字どおり完全な人的資源となり、必要に応じて蘇生させるまで冬眠しつづける。急ぎの場合は熱線透過療法と催眠覚醒法とを併用することによって、十分間以内に蘇生させることができた。(現に、アラスカのノームでは、七分という記録がある)ただし、こんなに超スピードで蘇生させると、細胞組織を老衰させる結果、それ以後その人間は少しく頭がおかしくなってしまうおそれがあった。急がない場合には、ミニマム二時間が理想的なのだ。それ以上早い方法には、職業軍人のよくいう "計算ずみの危険(カルカレーテッド・リスク)" があった。」p.37
・「諸君はテレビの野球実況を見ていて、画面がロング・ショットからクローズ・アップに移るとき、画面いっぱいに拡がった投手のピッチング・モーションのはるかむこうに、球場の全景が見えて、その彼方に投手自身の豆つぶのような姿が、まだ白昼の亡霊さながらに残っているのを見たことがあるだろう。ぼくの感情はなにかそれに似ていた……ぼくの記憶はクローズ・アップ。そしてぼくの感情は、画面の背後に拡がる球場の全景だ。」p.118
・「さて、なにを訊こうか? 三十年眠ったあとで、人はふつうどんなことを訊くものだろ? 星間飛行はもう実現しましたか? こんどは、どこの国が<最終戦争>を始めましたか? 赤ン坊はもう実験室で試験管の中から生れるようになりましたか? ぼくはいった。「先生、映画館のロビーには、まだポプコーン自動販売機が置いてありますか?」」p.123
・「ぼくの親爺がよくいっていた。法律が複雑になればなるほど、悪党どものつけいる隙も多くなるのだと。親爺はこうもいった。賢い人間は、いつでも荷物を捨てる用意をしておくべきだ、と。」p.143
・「ことにお前らのような、自分の生まれた時代にもやって行けなかっただらしのない連中だ。全く、なろうことなら、お前の首に、<あんたがたの夢みる未来の世界にも黄金の舗装道路はありません>という手紙をくっつけて、お前の来た年へ蹴返してやりたいくらいだ」p.157
・「なんどひとに騙されようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。全く人間を信用しないでなにかやるとすれば、山の中の洞窟にでも住んで眠るときにも片目をあけていなければならなくなる。いずれにしろ、絶対安全な方法などというものはないのだ。ただ生きていることそのこと自体、生命の危険につねにさらされていることではないか。そして最後には、例外ない死が待っているのだ。」p.266

?ぎく【疑懼・疑惧】 うたがいおそれること。
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【本】臨機応答・変問自在

2008年02月14日 22時03分50秒 | 読書記録2008
臨機応答・変問自在, 森博嗣, 集英社新書 0088G, 2001年
・売れっ子推理作家でありながら、某国立大学工学部助教授の助教授の肩書きを持つ著者の、大学生活の一面を垣間見れる書。授業では学生に質問をさせることで出席をとり、質問への回答をプリントで配布することを長年続けており、その中から、編集者(集英社)の独断で選りすぐったQ&A集。そこからは著者の "超合理的" とも言えるような特異な人物像が浮かび上がる。
・著者が建築関連の研究をしていることを始めて知った。
・数万にのぼる質問からの選りすぐりであれば、もっとウムム…と唸ってしまうような質問がゴロゴロあるかと思いましたが、意外と平凡です。そもそも受け付けているのは授業に関する質問で、オモシロ質問を求めている訳ではないので当たり前かもしれませんが。
・日本語の乱れを指摘する解答が目立つ。文筆家の性?
・「人は、どう答えるかではなく、何を問うかで評価される。  たとえば、就職の面接で、「何か質問はありませんか?」と面接員に尋ねられたとき、的確な質問ができるかどうか、そこで評価される。」p.13
・「結局のところ、教育とは、受け手に「学んでやろう」「吸収してやろう」といった積極性が存在しないかぎり、ほとんど無駄だと断言して良い。教育そのものが成立しない、といっても過言ではない。」p.14
・「⑤自分で解決しなければ意味がないことを気づかせる。  ようは⑤が最も重要だ。「そんなことは自分で調べろ」「自分で考えろ」という内容をそれとなく示唆する。」p.19
・「一度も、小説など書いた経験がなかった人間なのに、ある日突然、キーボードに向かって、いきなり書きだしたのだ。」p.21
・「Qワープロばかり使っていて漢字を忘れると悲しくないですか? 手紙を書くときはどうするのですか?
★何かを忘れられるのは、その分、頭を他のことに使えるわけだから嬉しい。人間は歩けるようになると、はいはいを忘れる。はいはいを忘れて悲しいですか?
」p.38
・「Q環境保全において、これから何が重要になると思いますか(建築分野にとどまらず)?
★人を減らすこと。物質の移動を少なくすること。エネルギィの節約。そして、作ったものを長く使うこと。
」p.42
・「Q太陽を見ると何故くしゃみをしたくなるのでしょうか?
★この質問は毎年出る定番ですが、疑問を本気で追及したい? もしそうなら、調べましょう。
」p.44
・「Q人間の指はどうして五本あるのか?
★何本だったら不思議じゃないですか? これは単なる偶然。
」p.51
・「森は小四のときに庭に一畳の大きさの小屋を自分で建てて、そこで寝泊りした。建築なんて誰でもできるよ。」p.55
・「Q空を飛ぶヒーロは何故みんなマントをつけているのですか? あのマントで飛んでいるのでしょうか?
★知りません。飛ぶのには邪魔だと思うが。
」p.58
・「Q百年間もつ家を建てるのと、五十年間もつ家を二回建てるのでは、どちらが経済的に優れていますか?
★時代による。今までは、明らかに後者でした。しかし、経済的に優れていることと、環境的に優れていることは、また別の問題。
」p.75
・「Q建築分野において、計画→構造→材料→生産と発展した歴史のその先には何が来るのでしょうか? あるいは何を持ってくるべきでしょうか?
★これはよい質問。こういうのを大学生の質問という。このように問題提起をしたことが既に答といえる。おそらく歴史は繰り返すでしょう。
」p.77
・「Q今日の話を聴いて、リサイクルが難しいということがわかりましたが、今のままでは、地球環境のこととか心配です。建築家としてどのような対策が考えられるのでしょうか?
★何百年も使える構造物を建てること。
」p.79
・「Q建物はどれくらい高いものまで作れますか?
★技術的には千m以上可能だが、採算がとれない。
」p.81
・「Q家を設計するとき、風水の考え方を取り入れたことはありますか? 信じないですか?
★信じていないが、風水を考慮するのは建築では常識。プロの作るものでは取り入れていない建物の方が少ないでしょう。
」p.95
・「Qアメリカなどでは古くなった建物の解体でビルを破壊していますが、N大の古くなった建物を壊すときには、そういう方法を使わないんですか?
★日本の建物は頑丈なのでうまくいかない。隣接した建物があって条件が揃わない。
」p.96
・「悩んでいるのか、悩んでいないのか、ファジイな若者が多い。なにげに悩んでいる。  個人的には、人生相談というものは基本的に偽善だと考えているが、偽善に騙されて救われる人もいるようなので是非を論じるつもりはない。」p.101
・「Q人生で成功するときの才能と努力と運の割合はどれくらいだと思いますか?
★八:一:一くらいでしょう。努力は才能の一部だと思うけれど。
」p.103
・「Q先生、生きてて何になるんですか?
★それを知るために生きています。何にもならないことを認識するのが学問かもしれない。
」p.104
・「Q遅刻して来ました。質問、人生とは? その目的とは?
★死ぬまでにする思考のこと。もっとわかりやすく言うと、「人生とは何だろう」と考える瞬間にだけ、現れる概念。人生に目的はない。目的がないということが重要なことだと思います。
」p.105
・「Q僕も先生のように本を沢山読めたらいいと思うのですが、時間がとれなくてなかなか読めません。なにかこつのようなものがありますか? 少しの時間で読めるような、詩集とかばかりに読書がかたよってしまっています。
★時間がないなんてことがありますか。誰の一日も二十四時間です。それに、本を速く読む必要なんてまったくない。料理を速く食べたってしかたがないのと同じです。
」p.106
・「Q新しい考えを思いつくにはどうしたらいいですか?
★真剣になってひたすら考えること。必ず何か思いつくでしょう。思いつかないのは考えていないから。これは、どうやったら五十m先へ行けますか? という質問と同じです。
」p.109
・「Q成功するために必要なもののうち、九十九%は努力で、残り一%は才能だといいますが、先生は才能というものが存在すると思いますか?
★思います。努力できることが才能。だから、成功は百%才能だと思う。才能は持って生れたものではなく、思い立ったときに、あるいは、やる気があるときに生まれるもので、いつでも消える。自分自身をどれだけコントロールできるかが才能です。
」p.111
・「Q最近やる気が出ないのですが、どうしたらやる気が出るようになりますか?
★嫌々でもやること。やる気がなくてもやっていれば、そのうち何とかなるでしょう。
」p.118
・「お祭は日常よりも苦痛な時間に成り下がってしまった。」p.121
・「Q自分が満足できるのだったら授業をさぼって遊びにいくといのは、良いことだと思ってますが、教える側からするとどんなものでしょうか?
★まったく気になりません。教える側などという立場は存在しない。「教える」という行為がこの世に存在するとは思えない。教えてもらったようにイメージしていても、それは「学んだ」だけです。森(教官)は、みんなが購入した教科書と同じ存在。君が遊びにいったら、教科書は怒りますか?
」p.129
・「Q先生の大学生に対する教育方針は何ですか?
★教育方針などありません。しいていえば、教育しないことが方針。教育するという動詞は存在しないと思う。教育を受けるとは、人の生き方を観る、ということだ。
」p.132
・「Q最近、設計課題で徹夜が続いて疲れぎみです。先生は何か良い健康法をご存知ないですか?
徹夜をしないこと。これは絶対。規則正しい生活と、あと、食べ過ぎないこと。この健康法で、森は二十年以上病院へ一度も行っていません。薬も飲みません。
」p.137
・「工学は応用分野であって科学の最先端にはいない。しかし、一般の人々が触れる科学技術の大半は工業製品であり、それは工学によって支えられている。」p.151
・「学生たちの科学に関する質問は、はっきりいって非常に幼稚である。難関を突破し、工学部に入学した若者がこれか? 日本の将来の工業はどうなる? と危惧する向きもあるかもしれない。しかし、それはこの数十年の技術の進歩が早過ぎた証拠だといっても良い。」p.151
・「スケルトンというのは、透明という意味ではない。世間では完全に誤用されているね。」p.169 
・「Q宇宙の果ては本当にあるのか?
★ない。地球にだって果てはないでしょう?
」p.175
・「普通の人は気づいていないが、コンクリートは間違いなく二十世紀を代表する材料といえる。おそらく二十一世紀もしばらくその座を譲らないだろう。コストが安く、作業が安全で、しかも耐久性に優れているため、たちまち世界中に広がった。(中略)未来人が遺跡を発掘したら、この時代は、コンクリート時代、あるいはセラミックス時代と呼ばれるだろう(新石器時代とかかもしれないが)。」p.191
・「Q冬に作られたコンクリートほど強度が強く、冬建てられたマンションの方が良いそうですが、品質の違いなどから家賃に反映されて高かったりするのですか?
★まったくされません。だから得。
」p.193
・「Qコンクリートはいつ誰が発見したのですか?
★わからない。紀元前よりある。ただし、RCやポルトランド・セメントの歴史は約百五十年ほどで新しい。
」p.195
・「Q σ-ε 曲線を理論的に導くことはできないのですか?
★素晴らしい。この質問は凄い。材料の最先端課題、コンクリートに関しては、今年から当研究室で始めた研究テーマの一つ。
」p.196
・「ただ、教師に関する個人的な質問が学生から出る、ということは、どちらかというと良い傾向と分析できる。たとえそれが批判的、懐疑的なものであっても、である。」p.207
・「筆者が二十五年ほどまえに運転免許を取得したとき、学科試験で面白い問題が出た。「対向車のライトに幻惑されたので、目を逸らして対処した」これが間違いかどうか、というのが問題だ。幻惑されたのだから、目を逸らさざるをえない、そのままでは危険である。だから○か、というと、正解は×。そして、解説にはこうあった。「幻惑されるまえに、目を逸らさなくてはならない」  学生が書いてくる「森先生なら、こういうときどうしますか?」という質問に対しては、これが応用できる。「森なら、そうなるまえに対処する」である。そんなにうまくいくものなら世話はないのだが……。」p.208
・「Q小説家になるためにはどうしたらよいのでしょうか?
★小説を書くと良いと思います。
」p.213
・「Q先生のおすすめの本は何ですか?
★人に本をすすめない人なのです。すいません。
」p.221
・「Q先生が今までにやった最高の贅沢はどんなことですか?
★今の奥さんと結婚したことかな。
」p.227
・「Q何かおすすめの小説があったら教えて下さい。
★小説は読まない方が良いです。
」p.231
・「Q初恋の思い出を聞かせて下さい。
★嫌です。
」p.231
・「Q先生は大学で講義もして、自分の研究もしていますし、小説も書いているそうですし、週末には東京にも行くそうですし……。ずいぶん多忙そうですが、時間のうまい使い方でも知っているのですか?
★テレビを見ないし、酒を飲まないし、スキーをしないし、友達としゃべらないし。どっちかというと、みんなの方が忙しいと思う。みんな時間のうまい使い方でも知っているのでは?
」p.234
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【本】孔子

2008年02月09日 22時05分45秒 | 読書記録2008
孔子, 貝茂樹, 岩波新書(青版)65(D44), 1951年
・孔子(B.C.551-479)について。何時何処で何をした、という伝記的な内容よりも、孔子の生きた中国の時代背景に、主に焦点をあてた内容です。文章の密度が高く、また難しい漢字も多いので読むのに一苦労。
・顔回、子貢、子路など弟子の名前が何故だか見覚えがあるのはどうしてだろう、と思ったら、その昔、井上靖著の『孔子』を読んだことを思い出しました。
・『論語』に興味あり。いつか挑戦してみたい。
・「わが国をふくめて、およそ中国を中心とする極東の世界において、孔子の言葉を書き残した『論語』という本ほど長い期間にわたって、広い範囲の読者をもった書物はないであろう。」p.1
・「『論語』は、  子(し)のたまわく、学んで時にこれを習う、また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり遠方より来る、また楽しからずや。人知らずして慍(うら)まず、また君子(くんし)ならずや。(学而篇)  という巻頭の文章をはじめとして、おもに子すなわち孔子がさまざまの機会にいろいろの人たちに語った言葉を書きしるした本である。」p.1
・「『論語』が二千五百年の長い期間多くの読者をひきつけてきた魅力は、何よりも、孔子の言葉のはしばしまであふれ出てくるところの、博大高遠をきわめながら、しかも温厚で親しみやすい人間性にあったと考えるべきであろう。」p.5
・「孔子はこの人間性の完全に実現された状態をば仁(じん)という言葉で表現し、仁をば人間修養の究極の目的と措定したのである。」p.6
・「君子は言に訥(とつ)にして行いに敏ならんことを欲す。(里仁篇)  といって、言葉は遅鈍でも行いは機敏でなければならないとしていた。」p.7
・「政治的には旧来の統治組織が破壊されて無政府状態がつづいているし、社会的には封建制に適合した身分的な道徳が崩壊して無道徳状態におちいっていたのが、この紀元前五、六世紀であった。この混乱の時代に生をうけた孔子は、この無政府、無道徳状態のなかにおいて、その周国創業の大政治家周公の精神にかえるという理想をかかげて、政治道徳の再建をはかったのである。」p.18
・「したがって中国の古代都市国家は祭祀と防衛とを目的とした氏族の集団であり、氏族の祭祀軍事共同体と見なさなければならない。」p.33
・「孔子はこの三家の寡頭政治の下の魯国に、三家のなかで李氏にくらべると勢力の弱い孟孫氏に仕えて、たびたびの戦闘に武勲をたてた勇士を父として生まれた。かれは中国がまさに宗族制の都市国家から、封建制国家へ転化するかと見える時機に、新たに勃興してきた武士階級の子として生まれたのである。」p.43
・「『論語』のなかに、孔子がごく晩年になって、自己の一生を回顧して、  吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したご)う、七十にして心の欲するところに従って矩(のり)を踰(こ)えず。(為政篇)  といった言葉がある。」p.50
・「『春秋』の紀年すらこの意味ではまだ相対的年代にすぎない。まして孔子のような微賤な境遇に生まれた人の誕生の年月日の記事に、その厳密な正確さを求めること自体が無理である。」p.50
・「『史記』によると、孔子は身長九尺六寸もあり、世人からのっぽといわれ、異人あつかいされていたと書かれている。」p.59
・「これにたいして子貢は、孔子は周の文王・武王の道を、書物にでも書かれた一つの整った思想体系のようなものとして先生から習ったのではない。現在の社会のうちに残っているその伝統をば、あらゆる人を通じて学びとったので、特定の師から授けられたものではないと答えたのである。」p.66
・「孔子はこの貴族の理想的人格であった君子をとって、自己が修養によって到達しようとする理想の人格と定めた。」p.101
・「知とは結局、経験のなかから、善いものを選び出す、判別するところに成立すると見ていたのである。」p.120
・「知識を単なる知識として知るだけでは足りない。知識は直ちに実践にうつすことにより、徳となり、仁となる。知は仁に至る段階としてとらえられたのである。これは純粋理性である知より、実践理性である仁をば優位においたものとも見ることができる。」p.125
・「孔子は不完全ではあったが、宗教の神秘主義から、学問を解放し、理性の立場を確立したのである。」p.128
・「魯国においてこそ豪族打倒に失敗したが、他の列国において豪族を排撃して国権を回復し、理想の国家を建設したい、そのような希望をもって孔子は旅に出たらしいのである。」p.174
・「孔子の個人の伝記ではなくて、孔子の生きていた時代を書くのが、書き始めたときの狙いであった。孔子の生れや、幼少年時代の環境を細かに書いてゆくうちに、あまり個人的なことにこだわってしまって、孔子のぞくした新興の士人階級一般の性格がはっきりしなくなったのは失敗であった。前半生に筆を費やし過ぎて、後半生を十分に書く暇がなくなったのも遺憾であった。」p.211

?そてい【措定】 1 推論のたすけを借りないである命題を主張すること。  2 推論の前提として置かれている、まだ証明されていない命題。また、ある論点について、反論を予想して、反論の前に主張される意見や学説。たとえば、二律背反における最初の命題や、弁証法論理における第一項にあたる命題の類。
?しぎゃく【弑逆】 君主や親を殺害すること。
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【本】遺伝子で診断する

2008年02月06日 22時05分27秒 | 読書記録2008
遺伝子で診断する, 中村祐輔, PHP新書 009, 1996年
・遺伝子関連の研究に関わる者ならば、必ず一度はどこかでその名を目にしているであろう遺伝子研究の権威による著作。臨床医としての経験談も交えつつ、『遺伝子診断』を平易な言葉で解説する。しかし言葉は平易でも扱っている内容はかなり高度だったりするのですが。そして、研究現場の声がじかに伝わってくるようで迫力があります。科学ライターなどの非専門家の文章では出せない臨場感があります。その分野に関する知識を系統立てて並べただけの通常の入門書とは少し毛色の違う本です。
・論文記録に出てくる『DNAマイクロアレイ』が丁度開発されたころに出た本なので、その登場前夜の内容です。この直後にマイクロアレイが一躍脚光を浴び、研究が一段と進むことに。
・「苦痛を訴えても決して取り乱すことな比較的冷静であった彼女が、ある日突然、こんな力が残っていたのかと思うような力で私の手を握り、「このお腹の中の塊をなんとか取り除いて、楽にしてください」と泣き叫んだときには、答えが見つからず、もらい泣きしそうで、手を振り切って逃げ出してしまいました。  私が、もうすこし医師として人間ができていれば、たとえ助けられない患者さんであっても、精神的な苦しみを少しでも軽減できたのではないかと、そして、もしもっと早期に見つけることができたならば、いまごろ幸せな結婚生活を送れていたのではと、思い出すたびに心が痛む患者さんです。」p.4
・「このような悲惨な死の場面をなくすことはできないものでしょうか。いま、若くしてがんができてしまう遺伝子の存在が明らかになりつつあります。毎年、二十五万人の人ががんのために亡くなっていますが、そのうち5~10%の二万人前後の人は、遺伝的ながんであると推測されています。実は、がんができてしまう遺伝子がわかれば、がんになる危険性をあらかじめ調べて、早期発見・早期治療ができるのです。がんが手遅れになって愛妻や小さい子供を残して先立つような不幸を防ぐことができるのです。」p.7
・「これらの病気に対する危険度――かかりやすさ・かかりにくさ――を決めているのが「遺伝子」と呼ばれるものです。「遺伝子」に傷があるかどうかによってここの人の病気の危険度が決まるため、その傷の有無を調べることができれば、危険度を判断することもできるのです。」p.17
・「適当な日本語訳はありませんが、「ゲノム」をもっともわかりやすい言葉に置き換えると、「卵や精子に含まれる生命の設計図」となるでしょう。」p.22
・「突然の事故を除き、ほとんどすべての病気は遺伝的要因と後天的な要因の複合的な組み合わせによって生ずる。」p.38
・「遺伝的地図から病気の遺伝子をさがしだしていくこと(ポジショナルクローニング)は、地球上から1人の犯人を見つけだすことに匹敵するくらい大変な研究である。」p.41
・「アメリカのノーベル賞学者の、「日本はゲノム研究から得られたデータをただ乗りで使うのではなく、国力に見合っただけの貢献をすべきだ」との発言を受けて、ゲノム研究がそれなりにスタートしましたが、結局本質的な意義に対する議論が行われないまま、研究費をとるための方便のようにゲノムという言葉が使われるようになり、わが国のゲノム研究は大きく欧米に遅れをとることになってしまいました。」p.44
・「つまり、VNTRやマイクロサテライトは、RFLPと比べて少ないサンプル数からより多くの情報を得ることができるという利点をもっていることになります。」p.106
・「genetic な変化は前述したようながん遺伝子やがん抑制遺伝子の変化であって、細胞内に生じたこれらの変化を元に戻すことはおそらくできない(非可逆的)と思われます。しかし、epigenetic な変化による遺伝子の発現量の変化は何らかの遺伝子異常や細胞・個体の環境の変化に伴う二次的な発現量の変化であると考えられ、これらの変化は元に戻しうる(可逆的)と考えられます。」p.109
・「つまり、  (1)がんができる前に調べる  (2)がんが体のどこかに存在するかどうかを調べる  (3)できてしまったがんの性質を調べる  という、それぞれまったく異質な遺伝子診断なのです。」p.140
・「たとえば、  ごぼう・りんご・たまご・とまと・みかん・すいか・いちご  のことばから、傍点の五文字が抜け落ちると、  ごぼう・りんま・とみか・んすい・かいち・ご  と訳がわからなくなってしまうように、本来の遺伝暗号の意味が失われてしまい、ポリープの発生を抑えることができなくなるのです。」p.141
・「現在のところ、血縁関係のない二人の遺伝暗号を比較すると500~1000個の遺伝暗号に一ヶ所ずつは違っている箇所があると推測されています。したがって、30億の遺伝暗号のうち、300万~600万ヶ所もの差があることになります。  これは、人のゲノムの遺伝暗号を読み取って比較すれば確実に個体識別をすることが可能であることを意味します。」p.164
・「わが国では、どこかにあいまいさ、あるいは、納得できない点があると、情緒的にトータルですべてを否定してしまうような傾向があって、物事の問題点を科学的に冷静に判断することに欠けるような気がします。」p.170
・「それぞれの病気によって発症年齢・症状の重篤度、あるいは、治療可能であるかどうかなどまったく異なる状況であるにもかかわらず、遺伝子診断という言葉によってすべてを同一レベルで議論するということが大きな間違いであることは少し考えてみればわかることではないでしょうか。」p.188
・「私自身は予防につながる病気や、治療法のある病気に対しては遺伝子診断を積極的に進めるべきだと考えています。」p.189
・「物事を批判することができること(たとえ、他人の意見の受けうりであっても)、イコール、自分はその物事を理解していることであると錯覚して、「われこそ正義の味方である」かのようにふるまう人のいかに多いことか。ペンの暴力について書き出すときりがないのでここでとどめますが、がん患者の苦しみを知らない人が、無責任にしたり顔でこのような意見を述べるのを耳にするたびに私の血圧は上昇します。」p.194
・「健康な方が他人ごととして遺伝子診断を考えるのではなく、他人の不幸を自分に置き換えた場合を想定して、不幸を避けるために何ができ、何をすべきかという考えで話し合いの場をもつことはできないものなのでしょうか。」p.195
・「私個人としては、このような、現時点ではまったく治療法のない病気に対して発症前に診断をしてその結果を患者に知らせることには反対です。」p.205
・「この役人の言いたいことは、自分が責任者である間に、自分の関係する範囲内でやっかいな問題が派生するような研究などしてほしくないということなのでしょう。  医学部出身であるにもかかわらず、原因を追求することが治療法を探ることの王道であることさえわからず、臭いものに蓋をすることで自分に火の粉の降りかかることだけは避けたいと考えている人が疾患対策に影響力を持っているような立場にいる状況ですから、わが国の行政が遺伝子診断の意義を理解することや、国内で研究が進まず遺伝子診断に関して将来派生する様々な問題に対策を練ることを期待するなど所詮無理かもしれません。」p.216
・「遺伝子診断の現実性はかなり高まってきているのですが、遺伝子診断の話をするとすぐに遺伝子治療と結びつけられたり、遺伝子診断と遺伝子治療が同義語のように捉えられがちです。しかし、遺伝子治療はこれまで述べてきたこととはまったく質の異なる話なのです。」p.217
・「私は、尊厳死の問題を含め、いまの医療に欠けつつあり、そして真剣に考えないといけないもっとも大切なことは、医師と患者、医師と家族の「信頼」ではないかと思います。」p.226
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【本】検証アニマルセラピー ペットで心とからだが癒せるか

2008年02月02日 22時02分27秒 | 読書記録2008
検証アニマルセラピー ペットで心とからだが癒せるか, 林良博, 講談社ブルーバックス B-1252, 1999年
・「動物に癒される」 これまで経験則でしかなかったこの命題への、これまで主に海外でなされた科学的検証を紹介する。また、日本でのアニマルセラピーの取り組みを紹介し、その効果だけでなく問題点も指摘する。
・犬や猫は嫌いではありませんが、自分の家で飼うのは絶対反対!派です。単に「世話をするのが大変だから」というだけの理由ですが。そんな訳で、その昔、大学へ入学しゴールデンウィークになり実家へ帰省してみると子猫(ちーちゃん)出現。それからまた数ヵ月後に帰るとさらに子犬も出現。何も知らされていなかった私は、開いた口がふさがりませんでした。反対派の私がいなくなった途端に、期を覗っていた母親がここぞとばかりに飼ったものです。それからはやはり世話が大変でしたが、話が長くなるのでこの辺で。ともかく、ペットの効用を否定はしませんが、今も反対派であることに変わりはありません。
・「アニマルセラピーはほんとうに医療としての効果があるのだろうか。「信ずる者は救われる」というだけなら、宗教になってしまう。」p.6
・「人と動物の望ましい共存が、今日のアニマルセラピーで実現できるのだろうか。福祉の美名の下に、あらたな動物虐待が始まっていないだろうか。アニマルセラピーで人がどれほど癒されるかについては熱心に紹介される。しかしその時、動物たちにとってそれがどのようなことであったのかを考える人は少ない。」p.7
・「このように、異なる種の動物の子の世話をすることは、哺乳類全般に認められる。私たちが動物を身近に置きたいと思うのは、いわば本能的な感情でもあるのだ。」p.21
・「人間もその昔、圧倒されるほどの存在であった大自然の中で、多様な種とともに生きていたことを、小さなイヌやネコが気づかせてくれ、忘れかけていた生きる本能がよみがえり、生への活力を取り戻すのではないだろうか。」p.23
・「このように、アニマルセラピーは病んでいる人々だけを対象としているのではない。この点が、一般の医療と決定的に異なる。」p.25
・「寝たきりや徘徊癖のある人々にこれほど好結果を生むのに、施設の多くは動物を排除しつづけている。ホスピスや病院でも、ペットから人間に病気がうつるのでないかと危惧して、患者とそのペットがともに病室で暮らすことができないところがほとんどだ。」p.32
・「ペットから人へうつる病気よりも、同じ種である人から人へ伝染する病気のほうが、よっぽど重大だ。冗談ではなく、人と濃厚なキスをするくらいなら、イヌからなめられたほうが安全とさえいえる。」p.34
・「その結果、ペット飼育者は、必ずしも非飼育者よりも健康的な態度で暮らしているわけではなかった。たとえばペット飼育者のほうがよく酒を飲むし、いわゆるコンビニ弁当で食事をするし、一週間に七回以上肉類を食べていた。ただし、身体的な活動は非飼育者より多かった。  さらに、ペット飼育者と非飼育者の社会的・経済的な地位も比較されたが、社会的・経済的な地位もしくは収入における相違は発見されなかった。」p.58
・「この少数飼いが、日本の農耕社会の特徴である。農民は家畜を大切に扱い、身近に彼らを置くことで心の交流も持たれていたにちがいない。  さらに日本人は、食べるための家畜、食用家畜をほとんど飼育せず、西洋の牧畜民族の対極にある。」p.63
・「いずれにせよ、四足獣を食べることは禁じられた。しかしわが祖先たちは、タブー視された動物を翻訳し、巧みに言い訳した。イノシシは「山鯨」と言い直し、山寺の僧はネコを「山ふぐ」と称して食べていた。また、ウサギは鳥の「ウ」と「サギ」だから、獣ではないと強弁した。そこでウサギは一羽、二羽と数えるのだという。」p.66
・「たとえば日本では、医療としてのアニマルセラピーがなかなか立ちあがらない。長い間、動物とは「敬して遠ざける」間柄だった日本人は、動物の扱いがうまくない。」p.71
・「日本でのアニマルセラピーの実践例に、目を向けてみよう。  まず、1920年頃に慈恵医科大学の精神科医、森田正馬教授が自ら考案した森田療法に、動物の世話を取り入れている。  森田療法は、困難な状況に立ち向かうのではなく、「あるがままに」状況を受け入れ、精神の安定をはかるという、日本の精神風土を反映した独自の方法として知られている。」p.78
・「アニマルセラピーの全体像を知るには、実は、ウマを用いたセラピー(ホースセラピー)が最適なのである。アニマルセラピーは医療、教育、スポーツという三つの領域をもつが、ホースセラピーは、そのすべてを含んでいるからだ。」p.82
・「すなわち、ウマの背から伝導される上下、前後、回転運動が、人間の直立歩行に必要となる脊柱の対角線上の動きを学習する刺激になり得るという。」p.90 最近目にするようになった『乗馬マシン』の生い立ちはこの辺りからきているのですね。まだ馬に乗ったことがないので、一度乗ってみたいものです。
・「1980年代初頭、アニマルセラピー活動を支援するアメリカのデルタ教会は、アニマルセラピーを、アニマル・アシステッド・アクティビティ(動物介在活動 Animal Assisted Activity : AAA)とアニマル・アシステッド・セラピー(動物介在療法 Animal Assisted Therapy : AAT)に区別した。  AAAは治療上のゴールを定めず、動物と人々とのふれ合いを主な目的とする慰問活動である。一方AATは、医療従事者とボランティアなどが協力し、ゴールを設定して観察記録をとる治療行為である。」p.120
・「喩えは不適当かもしれないが、アニマルセラピーを一種の宗教のように思い込み、人々を救済しようなどと勘違いする人が増えるのは、人間にとっても動物にとっても不幸なことである。」p.130
・「ペットとの暮らしで癒されている人ほど、そのペットの死に大きなショックを受けやすい。これが最近マスメディアにも取り上げられているペットロス(pet loss)だ。これはペットとの死別や生き別れで起きる悲しみや不安、罪悪感、怒り、後悔などの心理過程をさす。」p.147
・「もっとも確実にペットロスから立ち直る力になるのは、じつは再びペットと暮らすことである。もう二度と同じ悲しみは味わいたくないという人も多いが、結局、そうすることがいちばんの癒しになる。」p.149
・「人と動物の間に一線を画することが、むしろ動物の幸せを守ることにもなるのだ。」p.151
・「何度も述べたように、この本ではアニマルセラピーを医療の領域に限ってはいない。人と動物とのかかわりのなかで、動物たちの「生活の質」を損なうことなく、人間の「生活の質」を向上させることができる活動を、アニマルセラピーとよんでいる。」p.154
・「ブームのように話題になってはいても、真のアニマルセラピーの普及は心もとないのが現状なのだ。  これは、動物は汚い、病気がうつる、世話が大変といった、動物にたいする誤解がネックとなっているのではなか。  また、心身にハンディをもつ人々に対して、動物の死は、なぜかタブー視される。」p.157
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