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ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】読書論

2008年07月03日 08時00分01秒 | 読書記録2008
読書論, 小泉信三, 岩波新書 F87(青版)47, 1950年
・明治生まれの著者による骨太な読書論。読書の方法について特に目新しい記述はありませんが、福沢諭吉、夏目漱石、森鴎外など、今となっては歴史上の人物についての身近な話題が多く、歴史の生き証人的な記述が所々に出てきます。章は『何を読むべきか』、『如何に読むべきか』、『読書と思索』、『書斎及び蔵書』と進みますが、最後は自らの半生を振り返る、回顧録のような雰囲気に。読書の技術的なことよりも、著者自身の留学体験を含む読書遍歴や、当時の世相を感じられる点で、興味深い内容です。
・このテーマでなら、私でも何がしかの文章が書けそうな気がしてきます。 『読書論 ~ぴかりんの場合』 近日公開!? 
・「即ち大別すれば、共産主義者無政府主義者が三人(マルクス、エンゲルス、バクーニン)、社会主義劇作家が一人(ショー)、経済学者が二人(スミス、ウェッブ)、政治家が二人(グレイ、チャーチル)、教育家が一人(福沢)、文芸作家が三人(漱石、?外、露伴)ということになる。もちろん私の愛読作家がこれで尽きるというわけではないけれども、およそ私がどんなものを好んで読むかはこの小さい縮図にも示されているといえるであろう。」p.2
・「書籍を離れて読書を論じている閑に、先ず書籍に向かって突進せよということが差し当たり親切な忠告である。「ファウスト」の一句「始めに業(実行)ありき」がここでも大切であると思う。美術や音楽の鑑賞も同様であろう。」p.3
・「一般方針として私は心がけて古典的名著を読むことを勧めたい。」p.5
・「すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなるとは至言である。同様の意味において、すぐに役に立つ本はすぐ役に立たなくなる本であるといえる。」p.12
・「たしかに大著を読むことによって、人は別人となる。極言すれば、その顔も変ると言えるかも知れない。」p.18
・「一芸一能の士、或いは何かの事業を成し遂げた人の容貌には、何か凡庸でない気品と風格がおのずからにして備わるものであることは、多数の例証の吾々に示すところである。読書もまた然り。本を読んで物を考えた人と、全く読書しないものとは、明かに顔がちがう。」p.18
・「私の特に言いたいと思うのは、大抵の本はくり返して読めば解るもの、また意外によく解るものだと謂うにある。」p.24
・「少年が柱に印して身長を測り、自分で自分の成長を知るように、時を隔てて同じ本を読んで見ることは、自分で精神的身長の増大を知るゆえんである。」p.29
・「今日日本語の本ばかりを読んでも、読むべきものはずいぶん豊富である。しかしいやしくも読書の楽しみを味わうには、せめて一つだけはぜひ外国語をものにしておきたいものである。」p.30
・「語学力をつける一の方法としてすすめたいのは翻訳である。一冊の本または一篇の作品(論文でも小説でも)を日本語に翻訳して、書き上げるということは、一の事業として異常な楽しみにも励みにもなるものである。」p.42
・「?外は批評に対して常に敏感で、一々これに答えずにはいられない性分の作家であったが、殊にその少壮時代は鋭鋒当るべからざる勢いがあり、しばしば段違いの腕力で相手をねじ伏せるような議論をした。」p.48
・「次に、読んだ本は記憶して自分のものにしたいものである。(中略)どうすればよいか。  読者として他人から受動的に受け入れたものを、今度は逆に自分のものとして外に出してみるが第一であるとおもう。」p.50
・「次に私は、書籍に囚われるなということを言いたい。(中略)読書は大切であるが、それと共に自分の目で見、自分の頭で考える観察思考の力を養うことが更に大切であるというのである。」p.66
・「本書の始めから、私は何を読むべきかということを様々に論じて来たが、ここに至って、何を読むべきかと共に、或いはそれよりも一層、如何に読むべきかの問題が大切であることを思わざるを得ない。そうしてそれは、読書と共に如何に観察し思考するかということに帰するであろう。」p.77
・「明治以来、日本学者の業績として他に誇るべきものは、多くは西洋学者の業績を継ぎ、彼らの方法によっての研究に成功したものであるのが常であって、漱石のように、納得できない西洋学者の学説に対して根本的の異議を挟み、自分で問題を出して自分の方法でその解法を企てたというごとき敢為の例は、ただ極めて稀れに見るところである。」p.91
・「本書では、今まで福沢、?外、漱石という三人の作物を、最も頻繁に引用して来たが、近代日本の文章を論ずるとすれば、やはり先ず話題に上すべきはこの三者であろう。」p.93
・「漱石は漱石でいう。「写実的のものではスヰフトのガリバーズ・トラベルスが一番好きである。多くの人はこれを名文とは思はないが、これは名文の域を通り越してゐるから、普通人には分らぬのである。実に達意で、自由自在で、気取つてゐない。ケレンがない。ちつとも飾つた所がない……実に名文以上の名文であると自分は思ふ」と。」p.94
・「ドイツの学術書というものは、英米仏のそれに比して読み憎い。」p.106
・「推敲とは唐の一詩人が僧敲(ハク)月下門としようか僧推(ハス)月下門としようかと迷って苦心したというところに由来するという、」p.110
・「言うまでもなく不満の第一は、蔵書の貧弱にたいするものであった。しかしそれよりも強く感じたのは、どうしてこんなに詰まらない本を沢山買って持っているかということであった。」p.122
・「人は意外に定評ある古典的名著をおいて、二次的三次的の俗書をよむことに労と時とを費やすものである。読む方はしばらくおき、買う方でも実につまらないものを買い込み易いのである。」p.123
・「大部な高価な書籍のみを選んで買うということが、購書上の一の賢こい方針だということができる。実際これを実行して成功している蔵書家も少なくない。  購書家の自戒すべきは、急場の間に合わせるためとかく手頃な便利な本を買うということである。」p.124
・「以上、選択して読むことが大切であると共に選択して買うことが大切であり、これがためにぜひとも書評の発達ということがあって欲しいという主旨を説いた。」p.129
・「私は十二、三の頃太平記を愛読し、また維新の志士の事蹟に興味を以って雑書を読んだ。」p.132
・「福沢の死後塾生の気風も次第に変化したから一様には云えないが、世間一般を見渡して、さて自分の学校を顧みると、慶応に学んだものには、相手の上下に差別をつけ、下の者に威張るという風が割合少ないのではないかと思う、もしこの所見通りであるなら、それは一の美風と称してよいと思う。」p.135
・「「福翁自伝」によれば、福沢諭吉も学問に対する興味を覚えたのが晩く、十四、五になって始めて本気で本を読み出したと語っている。」p.135
・「後年佐藤春夫が或る機会に、自然主義運動は文学を、飛ぶことも歌うこともしない鶏のようなものにしてしまった、といったのは至言である。そうしてまたその鶏に、飛ぶ翼と歌う声とを与えたものは永井荷風と谷崎潤一郎とであったといったのも人の首肯するところであろう。」p.147
・「私は全く偶然の機会から「吾輩は猫である」が「ホトトギス」に出たその第一回から読んだ。そうしてまた続けて「倫敦塔」「薤露行」「幻影の盾」を読んで驚いた。これらの後に挙げた作品を、今の私は必ずしも漱石の最高のものとは思わない。けれども、これらのものが発表せられた明治38、9年当時の文壇に於いて、漱石の出現、その学殖と詞藻と空想力とは驚嘆すべきことであった。」p.149
・「読書や学問の苦心などというものは、過ぎてしまえば存外記憶に残っていないものである。」p.155
・「「風と共に去りぬ」といえば、これはアメリカ人の書いたもので私が読んだ最初の大作であった。この作が出たのは1936年の春であったが、たまたまその秋、私は慶応義塾から派遣されて、アメリカ各地を旅行した。その時どこで本の話が出ても、どこでも聞くのはこの作の評判であった。早速一部買い求めて帰り、帰ってから読んで感心して、その梗概とそれに対する感想を故岩波茂雄に話すと、岩波はぜひ岩波書店でその翻訳を出したいから周旋しないかという。あんな大部のものを翻訳する根気のあるものも、通読するものもあるまいからと、私はいい、岩波は不承不承思い止まった。ところが後に他からその訳本が出てみると、あの通りの成功で、今日まで十幾年読まれ続けて、最近はまた盛んに売れている。これも私が岩波にした誤った忠告の一である。」p.162
・「音楽が好きだということを前に書いた。したがって本を読んでいる間に音楽のことが出てくると今でも目敏い。」p.167

?かんい【敢為】 物事を反対や障害に屈しないで、やり通すこと。押し切って行なうこと。敢行。決行。
?しゅくせい【夙成】 早くからでき上がること。早くおとなびること。子どもの時から学業などが他の人より進んで、でき上がっていること。早熟。早成。
?しそう【詞藻】 1 文章の修辞。美しいことば。ことばのあや。  2 詩歌または文章。

《チェック本》谷崎潤一郎『雪』
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【本】医療技術の最前線

2008年06月29日 22時07分16秒 | 読書記録2008
医療技術の最前線 生命を救う技術、苦痛を除く技術, 永井明, 講談社ブルーバックス B-1060, 1995年
・医者から作家へ転身し『ぼくが医者をやめた理由』などを書いた著者による、日進月歩の医療技術についてのレポート。『医療技術』と一口にいってもその範囲はとても広いが、ここでは工学の技術による最新の治療装置の紹介が中心となっている。老人医療、精神病、薬学などなど、具体的なモノが見えにくい分野については触れられていない。
・とっぱじめの章のMRIについての著者オリジナルの説明がケッサクです。専門外の文献を一生懸命解読し、理解しようとした苦労が窺えます。しかし一度やって懲りたのか、以降の章は無難な教科書的説明に終始しています。そのせいか全体に内容が薄く感じられ、少々物足りない印象を受けます。
・「医療行為の第一義は人の命を救うことなわけだから、医療技術の進歩は、基本的には歓迎すべきなのだと思う。だがなぜか、最近ここしばらくの医療技術の進歩に対し、ぼくは気持ちの上で奇妙なひっかかりを感じてしまうのである。」p.13
・「■医療技術の最前線■もくじ■
プロローグ――高度救命救急センター 5
I 新しい診断法が病気を見つける 19
 1 MRI(磁気共鳴影像法)――磁気で人体をのぞく 20
 2 心エコー診断法(カラー・ドプラー法)――超音波で心臓を見る 27
 3 DNAフィンガープリント――「DNA鑑定」は正しいか? 34
 4 テレパソロジー(遠隔病理診断システム)――離れた場所から病気を診断 42
II 最新治療で不治の病はなくなるか 51
 1 PTCA(経皮経管的冠動脈形成術)――風船で心臓の血管を広げる 52
 2 ラパコレ(腹腔鏡下胆嚢摘出術)――開腹手術はいらなくなるか 59
 3 体外衝撃波結石破砕術――体内にできた石を体外から砕く 67
 4 レーザー治療――アザをレーザーで消す 75
 5 光線力学的ガン診断治療装置――レーザーでガンを殺す 82
 6 顕微受精――人工授精の最先端 89
 7 高圧酸素治療装置――酵素の中に入ると病気が治る? 98
 8 ガンマユニット――脳腫瘍を攻撃するガンマ線ビーム  105
 9 重粒子線ガン治療装置(HIMAC)――新世代の放射線治療法 113
III ここまで進んだ人工器官  121
 1 人工皮膚――火傷の治療がパワーアップ 122
 2 人工関節――リウマチ患者の救世主 129
 3 人工肛門(ストーマ)――直腸ガン患者を日常生活に復帰させたもの 135
 4 人工内耳――電気信号で音を「聴く」 142
 5 人工水晶体――白内障の治療に威力を発揮 149
 6 人工赤血球――夢の人工血液は可能か? 156
エピローグ――ガンの疼痛コントロール 163
」p.14
・「以下、悪戦苦闘の末読み解いた、ぼく流のMRIの原理である。  ぼくたちのからだの中にある水素原子のプロトン(陽子)は、ふつうてんでんばらばらの方向を向いている。それが、強い磁場の中に入ると、プロトンたちはいっせいにその磁場の方向を向き、コマのような首振り運動(スピン)をはじめる。  「前へならえ! 頭ぐるぐるまわせ!」  これは、プロトンが磁石のような性質をもっているためだ。  そこにさらに、特定周波数の電磁場をかけると、プロトンは電磁波のエネルギーを吸収し、さらに激しくスピンしながら、ふたたびいっせいにある特定の方向を向く。  「右向け右! さらに強くまわせ!」  そんな状態にしておいて、今度はパチンと電磁波を切る。すると、プロトンは吸収した電磁波エネルギーを放出しながら、もとの状態に戻ろうとする。  「ふたたび、前へならえ!」  だが、正常な組織と病巣部分では、このエネルギー放出スピードが異なっている。つまり、放出される電磁波の強さが違っているため、みんないっせいに、「前へならえ!」とはいかないのである。  MRIというのは、その(MR信号)差異をキャッチし、コンピュータで処理、画像化してやろうというものだ。  わかりましたか? 少々不安が残るが、話を進めよう。」p.22
・「ここまで、新しいガンの治療法についてもいくつかリポートしてきた。そして、先端医療技術を駆使することにより、従来ならただ手をこまねいているしかなかったガン患者を生還させることも可能だということがわかった。喜ばしいことだと思う。だが同時に、それらがオールマイティでないこともまた、確認できた。ある限定された条件のもとで、「うまくいくこともありうる」というのが、取材を終えての実感だ。」p.163
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【本】トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇

2008年06月26日 22時03分09秒 | 読書記録2008
トルストイ民話集 人はなんで生きるか 他四篇, トルストイ (訳)中村白葉, 岩波文庫 赤619-1, 1932年
(Чем люди живы?, Толстой, 1881)

・トルストイが見聞きしたロシアに伝わる民話などを編み直した物。どれも平易で、宗教的・道徳的内容が濃く、『信ずる者は救われる』という筋書き。『人はなんで生きるか』、『火を粗末にすると――消せなくなる』、『愛のあるところに神あり』、『ろうそく』、『二老人』の五篇収録。
・「「『親はなくとも子はそだつ、が、神がなくては生きてゆけぬ』ということを言いますが、ほんによく言ったものでございますね。」」p.42
・「神さまがおっしゃるには――『行け、そしてその母親から魂を取れ、そしたら三つの言葉がわかるだろう――人間の中にあるものは何か、人間に与えられていないものは何か、人間はなんで生きるか、この三つのことがわかるだろう。そしてそれがわかったら、天へもどってくるがいい』」p.46
・「一ばん大切な条文はな、君、ひとつだよ――神さまを忘れてはならないということだ、」p.66
・「「口惜しいって!? そんなこたねえよ、とっつぁん! この世の中じゃ罪のほかにゃなにも口惜しがることはねえだ。魂より大切なもな何もねえだでな」」p.140

うゆう【烏有】(「烏(いずくんぞ)有らんや」の意)何もないこと。皆無。烏有に=帰す[=属す] すっかりなくなる。特に、火災で滅びる。
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【本】心にしみるケニア

2008年06月22日 22時21分45秒 | 読書記録2008
心にしみるケニア, 大賀敏子, 岩波新書(新赤版)241, 1992年
・子供のころから憧れていたケニアに、国連職員として2年2ヶ月に渡って滞在することになった著者の体験記。高級住宅街での生活だけにとどまらず、貧しい人々の暮らしにも果敢に飛び込み、生の『ケニア』をレポートする。
・アフリカの赤道直下の国といえば暑くて暑くて大変というイメージがあったが、ケニアの首都ナイロビは標高が高いおかげで過ごしやすい気候であることが印象に残ったくらいで、全く馴染みの無い異国の珍しい話であるはずなのに、どういうわけか他のエピソードはいまいち印象が薄く感じます。今から約20年前の話ですが、現在でもケニアの貧しい状況はほとんど変わっていないのではないかと思います。憧れはありますが、訪れるのには勇気のいる国。
・「豊かな者は目もくらむほど豊かな一方、貧しい者はどうしようもないくらい貧しい社会構造を見せつける材料は、ナイロビの街角のどこにでもころがっている。金持ちと貧しい人では生活パターンのすべてが違う。住んでいる地域も違う、家の造りも違う、昼食に行く食堂も違う、仕事あがりのビールでうさを晴らす場所も違う、何でも違う。」p.7
・「もし、11本の鍵が「仕事によりよく専念するため」に本当に必要なのだとしたら、せめて12番目の鍵だけでも開けて暮らすことはできないのだろうか。」p.17
・「職もなくうろうろしていること自体が、時として現金を得るための「職業」になってしまう。餓死寸前のぎりぎりのところで誰かから助けがさしのべられる、その仕組みは、ムカサの言葉を言い換えれば、アフリカ流の社会保障システムとでも言うのだろうか。」p.39
・「一般のケニア人、特に都市居住者は野生動物をほとんど見たことがない。動物が嫌いなわけでもないし、怖がっているのでもない。「動物を見に出かける、それだけのお金がいったいどこから湧いてくるのさ」というわけだ。だから、多くのケニア人は、外国人観光客が夢中になる国立公園とかいうものがどんなものかも知らなければ、自分の国の美しさも知らない。」p.57
・「その結果、多くのケニア人の頭の中では、絶えず英語、スワヒリ語、マザー・タングの三言語が自由に行き交うという、驚くべきことが起きている。」p.63
・「つまり、キクユ人にとって「分かち合い」は基本的な道徳観念で、一夫多妻制は、一人の男性の愛情を仲間同士で分かち合うという意味において、その一つの具体化の形であり、したがってそれは、美徳でさえあるのだ。」p.85
・「ちなみに、ケニア人は、野菜も肉も生ものはまず口にしない。それから、エビとかタコとかワカメとかカニとかは、彼らにとってはゲテモノだ。  ケニアの料理は食べ方が「分かち合い文化」そのもの。全員の分を大皿に盛って、テーブルの真ん中にどしんと置かれる。」p.93
・「アフリカ人がヨーロッパ人によって奴隷化されたのは、非常に簡単な理由による。それは、アフリカには、ヨーロッパのような武器生産が発達していなかったためである。〔中略〕つまり、ヨーロッパ文明は、戦争による多民族の支配を推進力として発達してきたのであった。これに対して、アフリカ文明は、人間の生活に、より比重をおいたものであって、アフリカ文明が、ヨーロッパのそれに比べて遅れていたわけでは、決してない。それは質のちがいであった(前掲書)。  この共同体に根ざす価値観、つまり、アフリカ的価値観について、私の体験から素朴な感想を述べると、それは、アフリカの暮らしではちっとも一人になれないということだ。」p.101
・「急の来客を嫌な顔せずにもてなすのが接客のマナーなら、来訪のマナーは、用件をすぐには話し出さないことだと言われる。お茶を飲んだり食事をしたり、場合によっては一晩泊まったりしてタイミングを見計らうのがお上品なのだそうだ。」p.121
・「「おねだり上手」のケニア人は、逆にねだられたとき、実は「断り下手」。」p.134
・「しかし、数日もいれば、そういう生活にもどうにかこうにか慣れてくるものだ。ところが、次に私が驚いたことは、一週間を過ぎたあたりから、毎夜食べ物の夢を見るようになったことだ。飢餓を知らない私としては、これは生まれて初めての経験だった。」p.176
・「無限に広がる透明の青空も、見渡す限りのサバンナも、都市文明から取り残された彼らにとっては、退屈という名の「牢」でしかないのだろう。三、四歳の子どもならまだしも、大人が暮らすには、農村の暮らしのその単調さは、絶望的なほどと言ってよいかもしれない。  そんな彼らを前に、私が「都会は疲れた消費文明のふきだまり。緑の大地の方がずっと豊か」と説いたところで、どれだけの説得力があろうか。」p.180
・「つまり、貧しい人々の将来を案じ、明日の社会を論じる、なんていうのは、実は私にとっては、衣食住の面で十分に恵まれた生活環境におかれて初めてできる「贅沢」だったのだ。」p.183
・「さて、改めて問う。私がケニアに惚れ込んだのはなぜなのか。  私をケニアの虜にしたのは、この国の社会そのものだ。言ってみれば、社会の度量の広さというようなものだ。(中略)ケニアの人たちは、われとわが生命を絶つ、という局面まで追い詰められることはまずない。  なぜ彼らは生きていけるのか。それは、必ず誰かにたかり、ねだっているからだ。」p.196
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【本】ノーベル賞 二十世紀の普遍言語

2008年06月19日 08時05分35秒 | 読書記録2008
ノーベル賞 二十世紀の普遍言語, 矢野暢, 中公新書 900, 1988年
・とっても有名ではあるけれど、その内幕となるとさっぱり分からない、『ノーベル賞』について。新書のため分量が限られているものの、日本の "ノーベル賞通" である著者により、その生い立ち、歴史、各賞にまつわるエピソードが網羅されている。ノーベル賞受賞者についての文献は数多く出ているが、このようなノーベル賞そのものについての文献は少ないのではないでしょうか。
・巻末にノーベルの遺言全文日本語訳、歴代受賞者リスト、各国受賞者数の表などの付録つき。
・今にしてこのような世界的に有名な賞が、ノーベルの遺言の一部、新書にしてたった1ページの分量の簡素な文言から生まれたとは驚きです。
・「ノーベル財団の活動が、アルフレッド・ノーベル個人の思惑よりは、むしろスウェーデンの国家的な業と結びついて展開してきた、という考え方のほうが妥当であるかもしれない。」p.ii
・「<普遍言語>とは、世界のどの文化圏にも絶対的な価値として通用する記号なり象徴なりをいうのだが、私は、二十世紀が生み出した<普遍言語>としては、ノーベル賞以上の存在をほかに知らない。その意味で、ノーベル賞は奇跡的存在ですらある。」p.ii
・「私は、あるとき、大人たち子供たちほどノーベル賞には関心をもっていない事実に気づいた。大人になり、己れを知ったとき、自分とノーベル賞との距離があまりに隔絶しているので、思わず知らずそれを関心の外に置くのであろう。私は、ノーベル賞を描いた大人のための作品がほしいと、いつしか願いはじめることになった。ところが、それを、まさか私自身が書くようになるとは、夢にも思ってはいなかった。」p.iv
・「十二月十日は、アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)の命日である。ノーベル財団関係者は、この日のことを「ノーベル・デイ」あるいは「儀式の日(Hogtigsdag)」と呼んでいる。ノーベル賞授賞式は、毎年この日に行われる。」p.6
・「この文章のあとに、五つの賞についての規定がくる。そして、この肝心のパラグラフの最後のところに、「賞を与えるにあたっては、候補者の国籍はいっさい考慮されてはならず、スカンディナヴィア人であろうとなかろうと、もっともふさわしい人物が受賞しなくてはならないというのが私の特に明示する願いである」という文章がくる。この文章は、ノーベル賞のだいじな特徴となる開かれた国際性を規定したものとして、ひじょうに重要な個所である。」p.27
・「俗に「ノーベル経済学賞」といわれている賞である。しかし、これは厳密な意味ではノーベル賞ではない。  この賞の正式の名称は、「アルフレッド・ノーベルを記念する経済学賞(pris i ekonomisk vetenskap till Alfred Nobels minne)」である。それに、「スウェーデン銀行」という表現が付くこともある。そもそもノーベルの遺言にない以上、名称を「ノーベル賞」とするわけにはいかなかったのである。」p.63
・「ラメル専務理事は、経済学賞がはじまってからの十五年間のあいだに、およそ二十ほどの新賞の提案があったことを認めている。なかでも有名なのは、音楽賞の設置を求めたあるスウェーデン財界人からの寄付の申し出、そして、たしかアメリカから出たものであったが、バレー賞の設置のための寄付の申し出である。」p.65
・「ラメル専務理事がよく口にする話に、こういうエピソードがある。1976年に経済学賞を受けたミルトン・フリードマンが授賞式のあと賞金小切手を受けとりに財団に出頭したとき、ノーベル財団の基金はいくらか、とラメル専務理事にきいた。ラメル氏が「米ドルに直して約五千万ドルだ」と答えたら、フリードマンは目を丸くして、「たった五千万ドルで、こんなに世界中を大騒ぎさせているのか!」といったそうである。ラメル氏は、そのとき、「財団の設立者がダイナマイトの発明者であった以上、他の財団よりは小さな基金で大きな騒ぎ(ビッグ・バン)を起こすのは当然でしょう」と答えたという。」p.72
・「ノーベル賞の選考過程の事実関係はいっさい極秘に付され、しかも守秘義務の守られるべき期間は五十年である。選考過程に関する記録や資料はことごく各アカデミーの資料室(アーカイブ)に厳重に収納されるが、五十年経ったあとも、閲覧を認められるのは科学史等の分野のとくに認められた研究者に限られ、自由な閲覧は認められない。」p.75
・「物理学賞と化学賞のばあい、選考は三段階方式でなされると通常いわれるが、その意味は、まずノーベル委員会で決定がなされ、そのつぎに該当クラスで決定され、最後アカデミー総会での秘密投票で決定される、という手順を踏むということである。」p.86
・「外に通じない人間を、内輪だけで英雄視していることほどみっともないことはないのだ。そのようなみっともない事態は、日本人の習癖なのか、私たちの社会のそこかしこにみられる。」p.123
・「初期のころ、「理想主義的傾向」の厳格な解釈の壁のために受賞できなかったのが、たとえばイプセンであり、エミール・ゾラであった。こういう作家の自然主義的傾向は、「理想主義的」とは見做されなかったのである。」p.141
・「ノーベル文学賞の黄金時代は、やはり1940年代から1960年代にかけての時期であっただろう。毎年、めくるめくような大作家が選ばれ、世界の話題になった。この時期は、二十世紀文学のピークでもあった。(中略)ところが1970年にA・ソルジェニーツィンが選ばれたあとになると、多少傾向が変わってくる。世界中がなじんでいる周知の大作家が少なくなったこともあって、無名の作家を探し出してくる、いわば発掘型の授賞が増えてくる。」p.143
・「つまり、ストックホルムの授賞式が、いわば最高の知性を祝福する豪華な祭典という性格をもつのにたいして、ノルウェーのほうは、世界に向けて平和のメッセージを発する理念発信の機会として位置づけられている。」p.164
・「私のみるところ、この1987年からことしにかけて、ノーベル賞の権威は、おりしもいま、頂点を極めているように思えてならない。2章で述べたように、1987年度には、ノーベル財団の基金も1901年当初の規模を回復したし、ノーベル各賞の賞金額も史上最高の水準に達している。名実ともに、現在世界に二千を数えるという国際賞および国際的水準の賞のことごとくをはるかに凌駕する立場にあり、ノーベル賞の権威はいまなお高まる一方である。」p.192
・「ノーベル賞は、一言でいうと、二十世紀が生み育てたひとつの<普遍言語>である。」p.203
・「ノーベル賞は、一言でいうと、男のロマンである。」by ぴかりん
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【本】蟹工船・党生活者

2008年06月16日 08時06分21秒 | 読書記録2008
蟹工船・党生活者, 小林多喜二, 新潮文庫 こ-2-1(547), 1954年
・最近話題になっていると聞き、そういえば買い置きの本の中に混じっていたかと思い出し、手にとった本。たまには流行り(?)の本も。
・かつて合法的に国の機関によって殺された著者による、どちらも日本の裏歴史がテーマの小説。
○蟹工船:船で苛酷な労働を強いられる労働者たちが、徐々に団結し、遂には反乱を企てる様子を綴ったもの。
・前半はアウシュビッツの獄中記を読んでいるような気分にさせられます。強制労働をさせられるのが、戦争捕虜や囚人というわけではなく、半ば騙されて連れてこられた出稼ぎ労働者や学生アルバイトなどの一般人であるところが、尚恐ろしい。
○党生活者:政府の追跡をかわし、ゲリラ活動を続ける党生活者の日常。その描写は実にリアル。
・こちらの方が「蟹工船」より年をおいて後に書かれただけあって、小説としての完成度が高い。
●蟹工船
・「蟹工船は「工船」(工場船)であって、「航船」ではない。だから航海法は適用されなかった。二十年の間も繋ぎッ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな「梅毒患者」のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。(中略)――それに、蟹工船は純然たる「工場」だった。然し工場法の適用もうけていない。それで、これ位都合のいい、勝手に出来るところはなかった。」p.28
・「生命的(えのぢまと)だな!」それが――心からフイと出た実感が思わず学生の胸を衝いた。「やっぱし炭山と変らないで、死ぬ思いばしないと、生(え)きられないなんてな。――瓦斯(ガス)恐(お)ッかねど、波もおっかねしな」」p.33
・「人間の身体には、どの位の限度があるか、然しそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。」p.49
・「学生の一人は、小さい時は祖母に連れられて、お寺の薄暗いお堂の中で見たことのある「地獄」の絵が、そのままこうであることを思い出した。」p.49
・「「ドストイェフスキーの死人の家な、ここから見れば、あれだって大したことでないって気がする」」p.49
・「北海道では、字義通り、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本々々労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋立には、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。――北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と云っている。蛸は自分が生きて行くためには自分の手足をも食ってしまう。これこそ、全くそっくりではないか! そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。」p.54
・「「馬鹿!」と、横から怒鳴りつけた。「殺されるッって分ったら? 馬鹿ア、何時だ、それア。――今、殺されているんでねえか。小刻みによ。」p.92
・「水夫と火夫がいなかったら、船は動かないんだ。――労働者が働かねば、ビタ一文だって、金持の懐にゃ入らないんだ。」p.94
・「「俺達には、俺達しか味方が無えんだ」」p.106
・「――この一篇は、「殖民地に於ける資本主義侵入史」の一頁である。」p.109
●党生活者
・「「ヒゲ」そう呼ばれているこの同志は私達の一番上のポストにいる重要なキャップだった。今までほぼ千回の連絡をとったうち、(それが全部街頭ばかりだったが)自分から遅れたのはたった二回という同志だった。」p.114
・「「女工の惚れ方はブルジョワのお嬢さんのようにネチネチと形式張ったものではなくて、実に直接かつ具体的なので困る!」」p.123
・「私達は退路というものを持っていない。私たちの全生涯はただ仕事にのみうずめられているのだ。それは合法的な生活をしているものとはちがう。」p.145
・「私の母親は水呑百姓で、小学校にさえ行っていない。ところが私が家にいた頃から「いろは」を習い始めた。眼鏡をかけて炬燵の中に背中を丸くして入り、その上に小さい板を置いて、私の原稿用紙の書き散らしを集め、その裏に鉛筆で稽古をし出した。何を始めるんだ、と私は笑っていた。母は一昨年私が刑務所にいるときに、自分が一字も字が書けないために、私に手紙を一本も出せなかったことを「そればかりが残念だ」と云っていたことがあった。」p.150
・「母は帰りがけに、自分は今六十だが八十まで、これから二十年生きる心積(つも)りだ、が今六十だから明日にも死ぬことがあるかも知れない、が死んだということが分ればやはりひょっとお前が自家へ来ないとも限らない、そうすれば危ないから死んだということは知らせないことにしたよ、と云った。」p.154
・「一定の生活が伴なわない人間の意識的努力には限度がある。一切の個人的交渉が遮断され、党生活に従属されない個人的欲望の一切が規制される生活に置かれてみて、私が嘗て清算しよう清算しようとして、それがこの上もなく困難だったそれらのことが、極めて必然的に安々と行われていたのを知って驚いた。」p.196
●以下、解説(蔵原惟人)より「わが国近代文学の歴史のうちで、半封建的な日本の現実にたいする不満と批判から、それとたたかいながら、その反映である文学そのものの革新を身をもって実践し、ついに日本の現実との対決のうちに、二十代の若さで死んでいった三人のすぐれた作家がある、――透谷、啄木、多喜二がそれである。明治以後の日本の戦闘的民主主義文学の運命はこの三つのTのうちに、この三人の国民作家のうちに、象徴的に表現されている。」p.209
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【本】女子の生きざま

2008年06月12日 08時07分12秒 | 読書記録2008
女子の生きざま, リリー・フランキー, 新潮OH!文庫 016, 2000年
・"あの" 『東京タワー』の前に、同著者はどんな物を書いていたのか。あったのは、ただただこの興味のみです。でなければ全く見向きもしなかったであろう本。
・渋谷の女子向け雑誌に連載した、「女子の生きざま」をテーマにした小文26編をまとめたもの。各章に直筆のイラスト入り。
・所々にキラリと光る人間洞察が見られますが、とにかく無駄にオゲレツ用語が頻出し、それを避けて書き抜くのも一苦労です。
・本編より数年の時間を置いて書かれた「文庫版のためのあとがき」が秀逸。
・「女性にとって、この「女子」という時期はとても大切な時期です。「女子の季節」を暮らし間違えたら最後、地獄のような人生を送らなければイケマセン。ここでは毎回、幸せな人生を迎えるために重要なポイントを勉強しつつ、「女子の生きざま」を考えていきます。」p.7
・「モテる娘は汚い靴を履きません。」p.8
・「では、女子にとって必要なベシャリとは何か。(中略)重要なのは "どんだけかわいらしいセリフを吐けるか" です。ポイントは会話ではなくセリフというところ。(中略)とにかく、人は "見たまんまの人" というのが一番魅力がありません。外見との対比のある "スイートなセリフ"。コレこそが女子が幸せに暮らすためのモテ技術。」p.13
・「フロイトが言ったように、人間が行動するとき、その心理の奥底にはリビドー(性的衝動)が存在しています。  人は皆、SEXするために何かをしているということなのですよ。」p.19
・「勘違いしてはイケマセン。下着とは見せるためにつけるものです。」p.19
・「まず、男子にとって女子の下着を見るということは、そのコの日記を読むようなモノ。ここで大切なのは「人間味」です。オシャレと思って上下、キャミソールおそろいでキメたりするのはかえって味気ないモノです。(中略)「人間味」とは微妙なモノで、上はベージュなのに下は紺、ちょっと見はおかしなカンジなのですが、そのへんのハズシが逆に男子の心をワシャワシャさせたりするモノです。」p.22
・「まず、認識しなければイケないことは、アナタたち女子はみんな工業製加工品であるということです。  「生まれたままの姿で」とか「赤ちゃんみたいな肌」などと、ことさら、プレーンな自分を主張していらっしゃいますが、勘違いも甚だしいことですね。」p.25
・「このように、日本人(特に女子)はシャイでありながらも、キッカケさえ出してくれればなんでもできる、自主性はないけど、積極性はある、ええ調子の民族といえます。欲しいモノはキッカケです。とにかく、女子は背中をちょっと押して、キュー出ししてくれる男子を待っているのです。」p.38
・「そう。日本のTVの影響力は絶大。それは女子といわず、すべての人々がTVからなんらかの甘酸っぱさをインスパイアされています。  ウチのオカンでさえもみのもんたの『おもいっきりテレビ』で "ココアは健康にいい" と聞いただけで、スーパーに走り、ココアの棚に行ってみたら、もう、すでにほかのオカンたちがココアを買い占めていて、1コもなかったり。  とにかく、異常です。」p.45
・「ハッキリ言います。ボクは今まで個性的な女子というものにお目にかかったことがありません。  それは女子に限ったことではなく、個性的な人自体、ボクは知りません。」p.64
・「男子は結構そーゆーのに弱いです。男女交際は濃さです。時間ではなく濃さを求めた、アグレッシブな女子を目指してください。」p.111
・「例えば、スタイリストの世界でも、先生になればなるほど、格好がなんでもなくなってゆきます。そして、三流のスタイリストほど、100メートル先から見てもスタイリストと分かる格好をしています。」p.120
・「"惜しみなく愛は奪う"  本来、恋愛の基本であり原則であることです。恋愛をする、人を好きになるということは、相手の自由を、相手の個の存在を束縛せんと抗うことです。たとえ、それが相手にとって迷惑なことと知っていようとも、その感情を抑えきれずに泣き、叫び、わめき、悶え苦しみ、走り、踊り、狂うこと。  今、すごい、いいこと言ってます。みんな急いでメモって、コピーして友達に配りなさい。」p.147
・「女盛りの時期に周りの男はバカばっかり。結婚なんか死んでもしたくないような男に情が移って別れられず、いつか逢ういい男とめぐり会えるまでのツナギなんてねむたいことを考えてるうちに、中で出されてハラボテになり、親からひとくさり説教された後、近所のレストランで仲間うちの結婚式。  突然子持ちになって、好き勝手できる自由な時間もなく、赤ちゃんの夜泣きにノイローゼのアナタ。しかし、ダンナは安い給料を酒と競馬と風俗に入れ揚げて家には帰ってきませんし、キャバクラ嬢に熱を上げてサラ金地獄。このコさえいればと離婚したモノの、その子供もバカでトルエン中毒。  まさに、星の輪廻。そして、続・星の輪廻です。  若いうちに何かしなさいと大人が言うのはこのことです。」p.169
・「でも、こうやって女子のことを考えていくうちに、つくづく女子って大変だなぁと思いました。髪の毛を脱色してセットして、マユ毛そろえて、スキンケアしてネイルケアして、ワキ毛抜いて、ハミ毛切って、香水つけてエイトフォー噴いて、リップをぬったり、リップサービスしたり。こんなんやってたら勉強するヒマなんかあるハズない。  バカで当たり前です。イヤ、むしろバカのほうがいい。今書いたことを全部やってなくて勉強できても、そっちのほうが痛い。」p.172
・「みんなはもう大丈夫。キミらはたしかにクズで、地球上にとってはまったく不必要な人間かもしれないが、問題はそんなことじゃない。キミを必要としているのはキミ自身です。自分のためにどうあるべきかを誇り高く生きてください。」p.174
・「でも、この連載をするにあたり、本当にたまにですが取材らしきこともしたりして、そこで話を聞かせてもらった女子の人たちのことは、よく覚えています。  その度に、「あー、俺もそーゆー取材をキッカケに女子とヤレるんじゃねぇか」と幼い胸を焦がしたもんですが、現実にはそーゆー感情に到る以前に、あきれたり、あくびをしたり、ビックリしたり、そして何より、"女子ってたいへんだなぁー" と自分が女子でないことにホッと胸をなで下ろしていました。(中略)それ以来、年をとるっていいなぁと実感するようになりました。」p.178
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【本】新しい科学論 「事実」は理論をたおせるか

2008年06月08日 22時05分56秒 | 読書記録2008
新しい科学論 「事実」は理論をたおせるか, 村上陽一郎, 講談社 ブルーバックス B-373, 1979年
・話題の中心は『認識論』。人間が世界(科学)をどうとらえているのか。このテーマに対する世間一般の常識をくつがえす試み。『事実』と『理論』の戦い。勝つのはどちらか。
・何の気なしに手に取った本ですが、意外なガッチリした読み応えと面白さでした。約30年前に出版された本ですが内容に全く古さは感じません。まだまだ、現代が本書で示唆している『新しい』時代には移行していないということなのでしょう。
・「つまり科学は、善かれ悪しかれ、これまで考えられていたより何かもっとずっと人間的な営みだ、ということをわかっていただきたいのです。」p.26
・「要するに「データ」という語は《与えられたもの》という意味をもつ語であることがわかりました。ときどき「データ」に対して日本語で「所与」という難しい訳語が当てられることがあるのもそのためです。」p.33
・「その第一は、二つの観測データから一つの仮設を思いつく過程です。このような過程を、普通「帰納」ということばで呼ぶことにしています。」p.38
・「ここでは、仮設「すべてのXの足の数は三本である」から、まだ観察されていない「X3の足の数も三本であろう」という、一種の予言が導出されることが示されています。この種の導出の過程は、一般に「演繹」といわれます。ちなみに英語では、これは《deduction》と呼ばれ、「帰納」の《induction》と対をなしています。」p.44
・「哲学では、帰納は経験的、演繹は論理的という形容詞で呼ぶことがよくありますが、その意味はこれでわかっていただけたことと思います。一般に数学と論理学とは、演繹的だといわれるのも、同じ理由からです。数学では、公理を認める限り、そこから導かれる定理を認めないわけにはいかないのです。」p.47
・「アド・ホックということばはラテン語ですが、日本語にこれにぴったりのことばがない(実は、英語やその他のヨーロッパ語にも適当な語がないので、このラテン語がそのまま使われているのですが)ため、こんな呪文のような片仮名を使わせていただきます。この語の元々の意味は、「このために」ということなのです。つまり、「ある特定のこれだけのために」という意味ですが、うんと意訳をしてしまうと、アド・ホックな方法というのは、こそくな方法と言い換えられるかもしれません。全面的に書き換えるのではなく、「特定のこの」例、つまり「X3の足の数は三本でない」という観察例だけを何とかつぎはぎ的に処理しようとする方法と考えていただいてよいと思われるからです。」p.59
・「このように、時代が進んで観察データがより多く蓄積されて行くに従って、法則の側では、より包括力(包み込む力)の大きな法則に書き換えられて行く、今までに立てられていた法則を自分のなかに包み込み、さらにそこでは言われなかったいろいろな新しい事態をもうまく説明してくれるような、そういう新しい法則が立てられて行く、ということが、法則の「進歩」ということのもっとも根本的な意味の一つだ、と考えられないでしょうか。」p.78
・「「データ」という語一つのなかにも、実は、このような「人間=バケツ」論のような、認識論的な立場が隠されている、という点に気をつけておいていただきたいと思います。」p.84
・「ボルツマンという天才的な物理学者が、たいへんおもしろいことを言っています。「科学者は裸がお好き」というのです。この場合の「裸」というのは、いろいろな余計なものを取り去ってしまった、ありのままの、裸のデータ、ということなのですが、人間は、自らのなかのあらゆる先入観や偏見を捨て去り、ただひたすら眼をしっかり見開いていれば(穴をちゃんと開けていれば)、かならず、ありのままの、裸の、正しい外界からの情報をみて取ることができるのだし、科学者こそ、そうした態度を強く維持しなければならない、という信念を、これほどたくみに表現したことばもありますまい。」p.88
・「データ――帰納――法則――演繹――検証(反証)というサイクルにしても、そこに含まれる知識の「蓄積性」、科学の「進歩」、法則の「包括性」などの概念上の特徴、あるいはそれを支えるあの「バケツ理論」的認識論、そこにからんでくる「裸好き」の精神などにしても、一応大筋としては、もっともであるとお考えになる方がかなりいらっしゃるでしょう。」p.94
・「コペルニクスの『天球の回転について』を読んでいて気づくことは、これの頭のなかにはつねに、この世界を支配しているのが神(もちろんこの場合はキリスト教的な神ですが)である、という基本図式が存在していたことです。」p.104
・「今ここにあげた人びとは、いずれも、ふつうは近代科学の基礎を築いた科学者と考えられています。中世の宗教的迷妄を打破し、近代的で合理的な自然科学を建設するのにもっとも力があったと考えられている人たちです。  ところがコペルニクスやケプラーやニュートンはもちろんのこと、キリスト教会から厳しい迫害を受けたと信じられているガリレオさえ、熱誠溢れるキリスト教的な神への信仰に燃えていた、というのはどういうことなのでしょうか。」p.111
・「ここで一つの提案をしてみましょう。その提案は、かなり大胆なものに思われるかもしれませんが、わたくしどもが外の世界を見て取れるのは、先入観や偏見あってのことなのだ、と考えてしまってはどうか、というものなのです。裸の目というのはカメラのレンズと同じであって、それは何も見ていないのと同じことになるのだ、と考えてしまってはどうか、ということなのです。」p.136
・「もう少しだいたんに言えば、わたくしどもが知っているこの花は紅、柳は緑の世界のありさまは、もっとも根本的なところで、わたくしども自身、すなわち人間が最初からア・プリオリに与えられている生理的な能力の篩(ふるい)を通じて、選びとられたものだ、と考えてもよいのではないでしょうか。」p.152
・「何だか話がややこしくなったようですが、要は、かりに、わたくしが「赤」と「青」に関して、通常の人びとと全く反対の感覚知覚をもっていたとしても、それをはっきりさせる手段はまったくない、ということなのです。もちろんそこには条件があります。通常の人が「青」色の感覚としてもっているものに、わたくしが(通常の人の)「赤」色の感覚をもったとしても、わたくしはそれを「あお」という名まえで呼ぶことができ、かつ「あお」という名まえによって制御されるもろもろの行動(例えば交差点で歩くとか、車を進めるとかの)を支障なく行っている限りは、という条件が必要です。」p.156
・「例えば電気スタンドの柄の部分が、電気スタンドの柄であると認知されるためには、それが、背景の部分からは独立して受け取られなければならないことは、おわかりいただけると思いますが、その部分のある色の面分が背景の一部なのか、まさしく電気スタンドの柄であるのかは、自分の視点をずらしてみれば、その部分と他の背景の部分との関係の変化によってわかります。しかし、視点をずらすということは、今まで見えていた部分のうちの何がしかが見えなくなり、今まで見えていなかった部分の何がしかが見えるようになったということです。そしてそのときには、すでにどのような部分が見えてくるかをあらかじめ知っていなければ、言い換えればこのような情勢の変化に伴なって「電気スタンド」というもの(あるいはその柄)が、どのように見えるはずなのかをあらかじめ知っていなければならないでしょう。」p.161
・「「事実」が「人の手で造り出された虚構」である、というのはいかにもふしぎなようですが、先に述べたように「見る」という行為がそもそも、人間の側からの「造り出す」という作業を含んでいるとすれば、それは当然なことになるでしょう。「裸の事実」というのはむしろあり得ず、あるのはつねに、人間の側のある働きを媒介として「造り出された事実」であることになるからです。」p.166
・「ただ、ここで非常に奇妙な論点が現れてきたことになります。と言いますのも、第一章でご紹介したような、科学についての常識的な考え方に従えば、理論は、データから、帰納によって造られることになっていました。しかし、ここに到って事態は完全に逆転したからです。「事実」が科学理論によって造られるものと考えられることになりました。この逆転こそ、わたくしがこの本で申し上げようとしていることの一つの中心となるものです。」p.180
・「そこで科学理論の変換の起こる過程は、単に特定の科学理論の場面だけでの操作が関与しているのではなく、それを組み込んでいる全体的な世界像や自然観などとの有機的な構造の総体が関与している、ということだけはいえると思います。」p.194
・「要するに、現代の科学は、その長所も欠点も、わたくしども自身のもっている価値観やものの考え方の関数として存在していることを自覚することから、わたくしどもは出発すべきではないでしょうか。今日の自然科学は、今日のわたくしども人間存在の様態を映し出す鏡なのです。」p.201

?アマルガム(英amalgam フランスamalgame) 1 水銀と他の金属との合金の総称。歯科用はスズやカドミウムを使う。  2 (比喩的に)異種のものが融合したものをいう。
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【本】オデッサ・ファイル

2008年06月06日 08時02分02秒 | 読書記録2008
オデッサ・ファイル, フレデリック・フォーサイス (訳)篠原慎, 角川文庫 フ-6-2(4606)赤537-2, 1980年
(THE ODESSA FILE, Frederick Forsyth, 1972)

・ドイツの一介のルポ・ライターが、ちょっとしたきっかけからナチスの残党の追跡に足を踏み入れ、深みにはまっていく。わずかな手がかりをもとに、標的へ繋がる糸をひたすら手繰っていき、その行き着く先にあったものは!?
・よく聞く名ですが、同著者の作品は初見です。冒頭50ページほどは状況がよく分からずつっかかり気味でしたが、それから先はスイスイと読み進みました。話の筋はとっても単純ですが、グッと引き込まれてしまいます。ちょっとマンガチックに感じられる部分もありますが、時代の古さを感じさせない面白さです。
・本書で活躍する、主人公ペーター・ミラーの愛車『ジャガー XK150S』が気になって調べてみるとこんな車でした。
http://www.hanafusa-vc.com/cars/collection/xk150.html
・「本書のタイトルにつかわれているオデッサ(ODESSA)とは、南ロシアの町でもなければ、アメリカ、テキサスの田舎町でもない。これはドイツ語の Organisation Der Ehemaligen SS-Angehorigen (元SS隊員の組織)のイニシャルをつなぎ合わせた合成語である。  SSとは、アドルフ・ヒトラーのもと、ハインリヒ・ヒムラーによって支配されていた、軍隊の中の軍隊、国家の中の国家ともいうべき存在で、1933年から1945年までドイツを支配したナチス第三帝国で特別の任務を担っていた。その任務とは第三帝国の保安にかかわる事柄であった。なかでも最大の任務は、ドイツと全ヨーロッパから、ヒトラーが "生存に値しない" と考えたすべての要素を除去すること。(中略)これらの任務を達成するために、SSは、じつに千四百万の人間を虐殺した。その内わけは、ユダヤ人が約六百万、ロシア人が五百万、ポーランド人が二百万、ジプシーが五十万。そして、残り五十万の中には、二十万近くのドイツ人とオーストリア人が含まれていた。」p.5
・「国民全体は悪ではない。悪は個人にのみ存在する。イギリスの哲学者バークは「一国の国民を全体として問罪する方法を予は知らない」といったが、これは正しい。全体的な罪などというものは存在しないのだ。」p.47
・「「すべてを理解することは、すべてを赦すことだ」というフランスの格言もある。ドイツの人々を、彼らのだまされやすい性格や恐怖を、権力に対する欲望を、最も声高にしゃべる人間に対する無知と寛容を理解することができるなら、彼らを赦すこともできるはずである。そう、彼らが現実に行ったことさえも赦すことができる。しかし、それを忘れることはできない。」p.48
・「1933年から1945年までの間に、ドイツが犯した "人間性に対する罪" のうち、95パーセントまではSSが直接手を染めている。そして80パーセントから90パーセントは、SSの二つの部門が関与している。その二つの部門とは、国家保安本部と経済管理本部である。」p.89
・「特にドイツ人はその傾向が強い。われわれは従順な国民なんだ。それが最大の長所でもあり、短所でもあるのだがね。イギリス人が破産に瀕しているのを尻目に、奇跡の経済繁栄をなしとげたのもその民族性だし、ヒトラーのような男に盲従して墓穴に落ち込んだのも、この同じ特性ゆえなのだ。」p.131
・「なにしろソビエトが例の調子で、東の方のことは何ひとつ教えてくれなかったんだ。しかも大量虐殺のほとんどは東欧で起った事件なんだからしまつがわるい。当時西側は、人間性に対する罪の80パーセントまでは、今でいう鉄のカーテンの東で犯されたのに、その犯人の90パーセントは西側の占領地域にいるという、まことに奇妙な立場にあった。だから重要犯人で、取り逃した者がかなりたくさんいるんだ。その連中が東で何をやったのか、こっちはぜんぜん知らなかったんだから無理もないんだが。」p.190
・「婦女子、老いた年金生活者、陸・海・空軍の一般の兵士まで含めて六千万ドイツ人全体に罪があるとする考え方は、もともと、連合国で生まれたものですが、元SS隊員たちにとってまことに都合のよい理論なのです。というのは、全体に罪があるという考え方が流布されているかぎり、だれも特定の殺人者を追及しない、少なくとも真剣に努力しようとしないからです。」p.224
・「まず基本的な事実を認識してもらいたい。あんたも兵役の経験があるだろうが、現在の新ドイツ軍など、訓練の足りない、大甘の民主団体にすぎない。これが第一の事実だ。あんなものは大戦中の英、米、ソ連の第一線部隊にかかったら、十秒ともたない。しかし武装SSは、五倍の連合軍を敵にまわしてもよくこれを撃退できるだけの力を持っていた。そして第二の事実。武装SSは、世界戦史の中で最も頑強で、最もよく訓練され、最も士気が高く、最もスマートで、かつ最もまとまった兵士の集団であった。この事実は、彼らの罪にもかかわらず、毫も変りはしない。」p.267
・「耳は人間の顔の中で最も個性的な器官なのだが、いつも看過されるのは不思議でならない。」p.391
・以下、訳者あとがきより「この「オデッサ・ファイル」は、フォーサイスの処女作「ジャッカルの日」と同様、事実とフィクションが渾然一体となっていて、どの部分が事実でどの部分がフィクションなのか、判断がつきかねるほどであるが、本書のおもしろさはじつにこの特徴にあるので、いちいちそれを指摘することはあえて差し控えたい。」p.465
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【本】洞穴学ことはじめ

2008年06月01日 08時14分39秒 | 読書記録2008
洞穴学ことはじめ, 吉井良三, 岩波新書 G22(青版)688, 1968年
・一般にあまり馴染みの無い「洞穴学」について、その先駆者による成り立ちや活動の紹介。トビムシの研究に始まり、日本一の規模の洞窟を制覇するまで。その記述は非常に生き生きとしていて、洞穴に潜る楽しさが伝わってきます。私自身、洞穴(洞窟、鍾乳洞,ほら穴)に入った経験がありません。せいぜい夕張の石炭の歴史村で坑道を歩いたことがあるくらい。北海道で洞穴の観光地というと聞いたことが無いので(探せばあるのでしょうが)、道民にとっては特に馴染みが薄いかもしれません。
・「じっさいは、現状においても、歴史的に見ても、洞穴研究の中心課題は洞穴における生物の研究だったのだ。だから、洞穴学というのは、ほとんど洞穴生物学のことであるといっても大してまちがいではない。」p.9
・「学問において、新しい領域を開拓しようとするとき、しばしば、ごくつまらない難関にうち当って、ほんとうに苦労させられることがあるものだ。学問的にはほとんど意味が無いような、ちょっとした困難なのだが、実際問題としては、それを乗りこえることが極めてむつかしいのである。」p.17
・「海や湖の場合でも、プランクトンという語は、生態学における用語であって、分類学上の名ではない。」p.21
・「しかも、土の中から出てくる動物は、さきにもいったとおり、ほとんどがいまだ知られていない種類なのだ。これを、かたっぱしから記載し、命名してゆかねばならない。つまりこれは、まったく気の遠くなるような仕事なのであった。」p.27
・「私は、いろいろ考えたあげく、私の研究対象をトビムシだけに限定することにした。そして、ほかのものは全部あきらめた。トビムシをえらんだのは、この類が種類も個体数も豊富で、どこにでも出てくるものであり、陸のプランクトンとしてはもっとも重要なグループだと判断したからであった。」p.28
・「原尾目というのは、まったく奇怪な昆虫である。二十世紀の初頭に、ヨーロッパではじめてその存在が知られた。やはり無翅亜綱に属するもので、体長は二ミリにも達しない微小なものである。複眼も触角も無く、腹部にまで脚の痕跡があり、そのうえ発生の途中で体節が増加するなど、下等な節足動物――たとえばヤスデやムカデなど――と共通の点があるので、昆虫のなかでももっとも原始的なグループとして、注目されていたものである。  これが、日本ではじめて、賤ヶ岳のミズナラ林の土のなかから発見されたのであった。(中略)そのご、この昆虫はヨシイムシという和名でよばれることになった。」p.34
・「生物の分類とは、とりもなおさず「系統分類」であって、ほかの観点からの分類はいっさい問題にしないのである。つまり、生物の分類という仕事は、歴史的生成物としての自然群の発見ということを目指しているのであって、生物の進化の歴史ということを抜きにしては、まるで意味をなさないのである。」p.37
・「洞穴にはいろいろな種類があるが、洞穴生物学の立場からいえば、鍾乳洞こそはもっとも重要な洞穴であって、ほかのものはあまり意味がない。なぜかといえば、石灰岩に関係のある洞穴においてのみ、真洞穴性の動物を見出す可能性があるが、そのほかの洞穴では、好洞穴性あるいは迷洞穴性のものしか住んでいないからである。」p.68
・「いかなる洞穴のなかの暗黒の力が、地表性の形質を持ったトビムシに働いてそれを洞穴に適応した生物に変化させるのか、という問題である。これはたいへん重要な、現代の生物学の盲点をついた問題であって、まだこれに満足な解答を与え得る人はない。」p.109
・「ところが、場合によっては、最初の予想のとおりにならぬことがある。ときには、そのまま迷宮入りしてしまって、やむなくその研究を放棄してしまうこともある。しかし、そのときに苦労を重ね、努力していくと、研究が思いがけぬ方向に展開し、たいへん面白い結論が得られることが多い。それは研究している当事者にとっては、スリラー映画のごとく、まことに手に汗をにぎる経験であり、研究生活のダイゴ味ともいうべきものなのである。そして学問は、このような経過から大きな発展をとげることが多いのである。」p.116
・「この時期をすぎると、最後には、洞穴にはいることが当りまえのように考えられてくる。暗くて静かな地下の空間にすわっていると、これこそが自分の世界であり、安住の場所である、という気持ちがわいてくる。洞穴の中が、いかにもアット・ホームに思えてきて、そこにいるかぎりは精神的に安定し、外部の世界に出ることがわずらわしくさえ思えてくる。できることなら、ここで長い時間を持ちたい。洞穴から出ることは活動的な社会への参加であり、ここが休息の場であるといった感じである。古い時代の住居生活においては、私たちの先祖もおなじような感覚の持主であったであろう。このようにして洞穴的人間が完成してゆくのである。」p.133
・「洞穴のなかはストレスのない世界であった。私たちの洞穴生物は、このようなストレスのない世界の住人であることを、私は、この洞内キャンプの経験を通じて体得することができた。」p.190

?がち【雅致】 風雅な趣。みやびやかな風情。上品な様子。雅趣。
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