ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】陰翳礼賛

2008年07月11日 22時05分32秒 | 読書記録2008
陰翳礼賛, 谷崎潤一郎, 中公文庫 た-30-27, 1975年
・谷崎潤一郎の随筆集。『陰翳礼賛』、『懶堕の説』、『恋愛及び色情』、『客ぎらい』、『旅のいろいろ』、『厠のいろいろ』の六篇収録。
・『感性』研究関連の講演で話題に上ったのがきっかけで手にとった本。同著者の小説はその昔数冊読みましたが、当時は特に心にひっかかることもなく、さらっと通過していました。しかし、この作品を読んだところ著者へのイメージが一変。特に表題作である『陰翳礼賛』では、「研ぎ澄まされた感性の冴え」が感じられます。その内容は陰翳を好む日本人の特質がテーマで、読み進むうちに「日本人てすばらしい……」という気持ちが沸いてきます。そこに書かれているのは、まさに「美しい日本」そのもの。日本について勉強したい外人さんにもオススメしたくなるような本です。
●『陰翳礼賛』
・「私は、京都や奈良の寺院へ行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。」p.11
・「そしてその時に感じたのは、照明にしろ、煖房にしろ、便器にしろ、文明の利器を取り入れるのに勿論異議はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか、と云う一事であった。」p.14
・「もし東洋に西洋とは全然別箇の、独自の科学文明が発達していたならば、どんなにわれわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていたであろうか、と云うことを常に考えさせられるのである。」p.16
・「とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を巡って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代わりに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩みだすようになった、そこからいろいろな故障や不便が起こっていると思われる。」p.18
・「同じ白いのでも、西洋紙の白さと奉書や白唐紙の白さとは違う。西洋紙の肌は光線を撥ね返すような趣があるが、奉書や唐紙の肌は、柔かい初雪の面のように、ふっくらと光線を中へ吸い取る。そうして手ざわりがしなやかであり、折っても畳んでも音を立てない。それは木の葉に触れているのと同じように物静かで、しっとりしている。ぜんたいわれわれは、ピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないのである。」p.20
・「瑪瑙(めのう)を製造する術は早くから東洋にも知られていながら、それが西洋のように発達せずに終り、陶器の方が進歩したのは、よほどわれわれの国民性に関係する所があるに違いない。われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。」p.22
・「漆器は手ざわりが軽く、柔らかで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたたかい温みとを何よりも好む。それは生まれたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。」p.27
・「日本の料理は食うものでなくて見るものだと云われるが、こう云う場合、私は見るものである以上に瞑想するものであると云おう。そうしてそれは、闇にまたたく蝋燭の灯と漆の器とが合奏する無言の音楽の作用なのである。」p.28
・「人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」p.29
・「かく考えて来ると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである。」p.30
・「もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。」p.34
・「昔の女と云うものは襟から上と袖口から先だけの存在であり、他は悉く闇に隠れていたものだと思う。当時にあっては、中流階級以上の女はめったに外出することもなく、しても乗り物の奥深く潜んで街頭に姿を曝さないようにしていたとすれば、大概はあの暗い家屋敷の一と間に垂れ寵めて、昼も夜も、ただ闇の中に五体を埋めつつその顔だけで存在を示していたと云える。」p.46
・「先年、武林無想庵が巴里から帰って来ての話に、欧洲の都市に比べると東京や大阪の夜は格段に明るい。巴里などではシャンゼリゼエの真ん中でもランプを燈す家があるのに、日本ではよほど辺鄙な山奥へでも行かなければそんな家は一軒もない。恐らく世界じゅうで電燈を贅沢に使っている国は、亜米利加と日本であろう。日本は何でも亜米利加のまねをしたがる国だと云うことであった。」p.56
・「先だっても新聞記者が来て何か変った旨い料理の話をしろと云うから、吉野の山間僻地の人が食べる柿の葉鮨と云うものの製法を語った。」p.62
●『懶惰の説』
・「とにかくこの「物臭さ」、「億劫がり」は東洋人の特色であって、私は仮りにこれを「東洋的懶惰」と名づける。」p.72
・「文明の進んだ人種ほど歯の手入れを大切にする。歯列の美しさ如何に依ってその種族の文明の程度が推し測られると云う。」p.78
・「「寝てばかりいては毒だ」と云うが、同時に食物の量を減らし、種類を減らせば、それだけ伝染病などの危険を冒す度も少い。カロリーだのヴィタミンだのとやかましく云って時間や神経を使う隙に、何もしないで寝ころんでいる方が賢いと云う考え方もある。「怠け者の哲学」があるように、「怠け者の養生法」もあることを忘れてはならない。」p.86
・「支那を旅行した者は誰でも知っていることだが、支那人の台所では雑巾とふきんの区別がない。汚い物を拭いた布で食卓や箸を拭かれるのにはしばしば閉口することがある。」p.89
●『恋愛及び色情』
・「日本の茶道では、昔から茶席へ掛ける軸物は書でも絵でも差支えないが、ただ「恋」を主題にしたものは禁ぜられていた。と云うことはつまり、「恋は茶道の精神に反する」とされていたからである。」p.95
・「けだし西洋文学のわれわれに及ぼした影響はいろいろあるに違いないが、その最も大きいものの一つは、実に「恋愛の解放」、――もっと突っ込んで云えば「性慾の解放」――にあったと思う。」p.111
・「私はそう思う、――精神にも「崇高なる精神」と云うものがある如く、肉体にも「崇高なる肉体」と云うものがあると。しかも日本の女性にはかかる肉体を持つ者が甚だ少く、あってもその寿命が非常に短い。西洋の婦人が女性美の極致に達する平均年齢は、三十一二歳、――即ち結婚後の数年間であると云うが、日本においては、十八九からせいぜい二十四五歳までの処女の間にこそ、稀に頭の下がるような美しい人を見かけるけれども、それも多くは結婚と同時に幻のように消えてしまう。」p.113
●客ぎらい
・「それと私には、文学者は朋党を作る必要はない、なるべく孤立している方がよいと云う信念があったのであるが、この信念は今も少しも変っていない。私が永井荷風氏を敬慕するのは、氏がこの孤立主義の一貫した実行者であって、氏ほど徹底的にこの主義を押し通している文人はないからである。」p.153

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