雑記帳

日々の徒然をとにかく書き込んでおきます

ベルゲン

2019-07-07 20:07:45 | 旅行
6月9日(日)ベルゲン滞在 ベルゲン泊(泊)
本日は1日、ベルゲン観光の日である。

ベルゲンは人口約28万人の、ノルウェー第2の規模を持つ都市である。
1070年にオーラヴ・ビッレ王によって拓かれ、12世紀から13世紀まではノルウェーの首都でもあった(地球の歩き方より)。

ホテルから外を眺めると、道路が濡れている。雨が降ったらしいのだが、今現在で雨が降っているのかがよくわからない。ホテルの出入り口から出て行く人は、外に出ても傘を差している気配がない。
不思議に思いながら外へ出てみると、しっかり雨が降っていた。ところが、道行く人の相当部分が傘を差していないのである。どうもこの国では、雨の日も傘を差さない習慣があるようである。

ホテルはベルゲン駅の西に位置している。ベルゲンの見どころ、ブリッゲンやホーコン王の館は、町の北方に位置している。往復徒歩は大変なので、まずはタクシーでホーコン王の館まで移動することにした。

《ホーコン王の館とローセンクランツの塔》
タクシーを降りるとすぐ、入り口の門がある。
入り口の門


門をくぐって中へ入ったが、館の内部に入る入り口が見当たらない。しばらくうろうろしていると、建物の一角でドアが開いた(下写真右の白壁の建物)。開場時間の10時となり、扉が開いたようだ。
ホーコン王の館

正面

上写真の左側の建物が、ホーコン王の館である。13世紀半ばにホーコン・ホーコンソン王によって建造された、石造りの大ホールである。
14世紀後半にノルウェーが国外統治されるようになると、この大ホールも荒れ果てたが、1880年代に修復が行われた。
ところが第二次大戦中の1944年に、ドイツ軍の爆薬を積載した船がすぐ下の港で大爆発するという事件が発生した。王道も大火災にみまわれ、残ったのは石造りの壁だけとなってしまった。その後の修復工事の結果、現在のヨヴチ復元された。

第二次大戦中の惨禍
 
焼け落ちた館                      被災時の模型

屋根を支えている天井の構造(下写真)は中世の様式で、ノルウェー中部の北トロンデラグ地方にあるヴァルネス教会の小屋組をもとに復元している(以上、日本語解説パンフより)。

大ホールの内部


周囲の壁

ローゼンクランツの塔は、残念ながら修復工事の最中であり、外観も見えず、内部にも入れなかった。

ローセンクランツの塔


現在のローゼンクランツの塔は、「塔」のイメージからは遠い(上写真)。一方、塔の変遷を示す下の模型を見ると、その昔はまさに「塔」であったことがわかる。
 
塔の変遷

下の模型からは、ある時代のこの地域の姿が明らかとなる。

館と塔の模型


ホーコン王の館を後に、ベルゲン湾に沿って南に歩くと、そこはブリッゲンである。

《ブリッゲン》
ブリッゲンは、ベルゲン湾沿いに木造家屋が建ち並ぶ一帯であり、中世時代にベルゲンがハンザ同盟に加盟した際、ドイツのハンザ商人がここへ移り住み、住宅や事務所として利用したものである。オリジナルは13~16世紀に建てられたといわれている(地球の歩き方より)。


 




上の写真、中央付近の家の壁にユニコーンの像が取り付けられている。

雨も降っているし、我々も歩き疲れてきた。雨の中、魚市場のテント店舗で食事をするのも気が進まない。もうホテルに帰ってゆっくりしたい。
昼食については、魚市場の近くのファーストフード店で買い込み、ホテルの部屋で食することとした。


《夕食に入ったカフェ》
夕食は、地球の歩き方に紹介されていた、Wessel Stuenを選んだ。市民公園の北西方向に位置する。



案内によると、1957年創業の老舗レストランで、トナカイ肉のステーキやタラ料理などのノルウェーの伝統料理が味わえるとのことだ。われわれは、白身魚のフライを一皿注文して二人でシェアし、それ以外に、ホタテ貝のムニエル風の皿を二皿注文した。デザートはアイスクリームを二人でシェアした。
この店にやってくる客も、大雨の中、傘を差さずにジャンパーをびしょびしょにして入店してくる。なぜそこまでして頑なに傘を忌避するのか、全く理解に苦しむところである。
こうして、雨のベルゲンの一日がくれていった。

戻る                            続く
コメント
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