雑記帳

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5月6日プラハ

2010-07-19 01:07:14 | 旅行
《旧市庁舎》
本日のプラハ市内観光は、旧市街にある旧市庁舎からだ。
旧市庁舎は、その外面に取り付けられた時計塔で有名だ(下中央写真)。この時計塔についてはまた後で。
   
外観            時計塔            ガイドツアー

ガイドブックによると、旧市庁舎にはガイドツアーが用意されている。行ってみると、中を見学するにはガイドツアーに参加する必要があるようだ。急ぐ旅でもないのでこれに参加してみることにした。もちろん日本語ツアーはなく、英語ツアーだ。ところが、ガイドという男性がやってきて、英語の団体が遅れているので、先にイタリア語の団体と一緒に出発してくれという。どうせ英語もイタリア語もわからないことに変わりはないので、オーケーした。その代わりというわけではなかろうが、手書きの日本語説明書を渡された。
そして、イタリア語ツアーの出発である(右上写真)。
ツアーは、旧市庁舎の中をあの部屋この部屋とまわり、地下の穴蔵のような所もまわり、わけが分からないうちに終了した。イタリア語だから当然だか。
そして出発地点に戻ってきた。これで終わりだろうか。外に出ようとしたら、英語ツアーのガイドが飛んできた。まだ何か残っているらしい。慌てている。
案内された部屋に行ってみると、そこは時計塔のメカニズムを中から見ることのできる部屋だった。

時計塔は、下の時計が黄道12宮を意味し、上の時計が地球の周りを回る天体を意味するらしい。そして上の時計のさらに上に、2つの小さな扉が見える。その扉が、毎正時に開き、中から12使徒が現れる仕掛けである(左下写真)。毎時、55分頃になると時計塔の下に観光客が集まってくる。扉が開くのを待っているのである。ところが、正時になって扉が開いても、中の人形がちらっと見えるだけで全然派手さがない。あっという間に終わってしまう。観客の間にがっかり感が漂う。
そのとき突然、時計塔のてっぺんからトランペットが響きわたる。ただのパフォーマンスと思うが、がっかり感の後だったのでほっとして拍手がわき起こるのである。
  
外側から                 内側から見ると

ガイドツアーの最後にメカニズム室に案内された時刻が、まさに正時だったのだ。ガラスの向こうには時計塔のメカニズムが回っている。12使徒の人形が位置を変え、一体ずつ開いた扉から見える位置に移動するのである(右上写真)。
このメカニズムを肉眼で確かめられることが、ガイドツアー参加の意義であった。
  
下の時計(黄道12宮)           上の時計(地球の周りを回る天体)

《旧市庁舎の塔》
ガイドツアーが終わった後、市庁舎の塔に登る。こちらはエレベーターだ。登り口から上を見上げると、旧市庁舎とは異質のモダンメカニズムが目に入った(左下写真)。
塔の上からは旧市街とプラハ城を一望のもとにできる。北西方にプラハ城だ(右下写真)。
  
塔を登るエレベータ             プラハ城を望む
旧市街広場の真北に見えるのが聖ミクラーシュ教会だ(左下写真)。教会の右側に見える街路樹の通りはパリ通りであり、高級ブランド店が並ぶ。旧市街広場の東に見えるのがティーン教会だ(右下写真)。その右後方には火薬塔が見える。
  
聖ミクラーシュ教会              ティーン教会

さて、旧市庁舎の観光を終わり、旧市街広場を歩いて回る。
広場の北西方にヤン・フスの像が立っている。
ヤン・フスは15世紀のチェコにおける宗教改革の先駆者である。カレル大学の総長とベツレヘム礼拝堂の説教師を兼ねていた。フスはローマ教会の堕落を厳しく批判したため、異端として1415年に火あぶりの刑に処せられてしまった。フスの処刑をチェコに対する侮辱と考えるチェコ貴族たち、カトリック教会とは異なる形での聖体拝領を実施する宗派が、フス派と呼ばれるようになり、15年にわたるフス派戦争が始まる。一時はプラハを中心とする国の中枢部をフス派が支配するまでになった。
その後、チェコ王となったハプスブルグ家のフェルディナント1世はプラハにイエズス会を招致した。17世紀にはチェコはカトリック支配となり、フスとフス派は異端ということになった。それが19世紀になると華々しい復活を遂げる。チェコの人々は、カトリック世界全体を相手に一歩も引かずに戦ったフスやフス派の時代こそ、チェコの歴史の頂点であったと解釈したのである。
1915年、フスの処刑後500年目の日に、フス像の除幕式が行われた。
下の写真は、聖ミクラーシュ教会の尖塔を背景としたヤン・フス像である。
 

聖ミクラーシュ教会
その聖ミクラーシュ教会は、旧市街広場の北に位置する。何度も建て直され、最終的に完成したのは18世紀初頭とのこと。現在はフス派の教会となっている。
   

聖ミクラーシュ教会の裏へ回ると、街角に“カフカの生家”というのがある。外から写真を撮るだけに留めた。そこからぐるっと回ってパリ通りへ出る。その一画にグッチの店がある。ここで自分たちと家族へのおみやげを買い求めた。
  
カフカの生家           パリ通りとグッチの店

この旅行に出発する前、過去にプラハを訪れた知人から教わったことがある。プラハでは街のいろんな場所で毎日ミニコンサートが開かれる。そのうちのどれかを聞きに行ったらいいと言うことである。確かに街を歩いていると、ひっきりなしにチラシを配る若者に出合う。その日のミニコンサートの宣伝をしているようだ。
そこでわれわれもチケットを購入して参加することにした。
たまたま旧市街広場東に位置するティーン教会に行ったとき、近くの一画にチケット販売所があった。ここでなら会場を選択して購入することができる。演目、時間などを考慮し、聖サルヴァトール教会のミニコンサートチケットを購入した。

《聖サルヴァトール教会でのミニコンサート》
  
聖サルヴァトール教会はカレル橋の旧市街側のたもとに位置する。左上写真は、カレル橋の旧市街橋塔の上から見た聖サルヴァトール教会だ。コンサート開始時間前に教会内に入ると、すでに人が集まっている(右上写真)。右側の真ん中片の席に座った。
さて、どの位置で演奏するのであろうか。教会の奥から楽団員が現れた。そして我々のすぐ右にある台の上で演奏の準備を始めたのである(左下写真)。ここで演奏するのか。演奏会が終了した後の写真を右下に示す。教会内での演奏台の位置が確認できる。
演奏は、さまざまな楽曲から1楽章を抜き出し、次々と演奏している模様である。知っている曲が何曲かあった。
会場がしんしんと冷えてくるのには閉口した。そういえば、聴衆はみなジャンバーなどを着込んで厚着してきている。
  

本日の夕食は、ホテルの西側の路地にある“ウ・クリーチュー”に行く(左下写真)。ガイドブックには、「1539年に造られたゴシック様式建物のワインセラーを利用したレストラン」とある。確かにその通りだ(右下写真)。カツレツなどのチェコ料理をオーダーした。
  

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