8月末に、周南市探訪?で八代を巡り、呼坂の寺嶋忠三郎の生家跡に行ってみました。以前から行ってみたかったんだけど、ようやく。
この辺りは山陽道の街道で、本陣もあったりで賑わっていたところ。旧街道の面影も残ってました。
生家跡は、今は碑だけでした。大きな新しい道が脇を通っていて、生家跡の土地は売り土地になってました。
本陣だった屋敷も残っており、人が住んでおられる様子。
こんな立派なお家もあったり。
旧街道を少し徳山方面に歩いていくと、江戸に送られる松陰先生と最後の別れをしたと言われる場所に碑がありました。
まだこの時17才くらいなのに。どんな思いで見送ったのか。
この後、禁門の変で久坂さんと、鷹司邸で自刃してしまうのですね。
若い。長州は時代を変えるために多くの血を流しているんだなぁと思いました。
この辺りは山陽道の街道で、本陣もあったりで賑わっていたところ。旧街道の面影も残ってました。
生家跡は、今は碑だけでした。大きな新しい道が脇を通っていて、生家跡の土地は売り土地になってました。
本陣だった屋敷も残っており、人が住んでおられる様子。
こんな立派なお家もあったり。
旧街道を少し徳山方面に歩いていくと、江戸に送られる松陰先生と最後の別れをしたと言われる場所に碑がありました。
まだこの時17才くらいなのに。どんな思いで見送ったのか。
この後、禁門の変で久坂さんと、鷹司邸で自刃してしまうのですね。
若い。長州は時代を変えるために多くの血を流しているんだなぁと思いました。