音楽のブログではありますが、折に触れ読んだ本のことを書いて来ました。音楽に関わる物語が多く存在するからです。最近あちこちで名前を目にすることも多かったミハイル・シ―シキンの「手紙」を読み終わりました。いつも通り、内容に関しては他のサイトで見てもらうか、実際に読んでもらうしかありませんが、どうしても書き残しておきたい部分がありました。
男女二人の手紙のやり取りで綴られる作品の中盤で女性が書いた手紙の中に母親の二人目の夫を紹介する文章があります。
「その人はずっと昔、ごく若い頃に、自分で作曲した交響曲を有名な作曲家に送ってみた。返事はなかった。その後、コンサートで聴いた新曲に、自分の曲が使われていた。-それ以来、何もしないことで人類に復讐していた。バレエ教室で伴奏を弾くバイトをして、凍えた手をストーブで温めながら。」
この一文を読んで、「残念な出来事」というタイトルで書いたAさんのことをまたもや思いだしました。「二人のキャプテン」に続いてまたもやロシア文学によって喚起されたのです。古今東西で私たちの身に起きたようなことが、人の心を踏みにじることを厭わない人間によって繰り返されて来たのですね。本人の無知と非常識によって私たちのプログラムとそっくりなコンサートを企画・開催したこともひどいのですが、そのことを指摘したら、「どこが悪いのか分からない」と返事を寄こした上、今になっても正式な謝罪も反省の言葉も届きません。「良識ある」、この言葉はAさんやその周囲の人がよく使っている言葉なのですが、良識がある人ならば、こちらからの指摘を受けた時点で、コンサートの曲目変更、もしくは中止をするでしょう。ところが、プログラム内に私たちの活動で知り得た情報に触れることもなく、強行開催したのです。
鈍感で厚顔無恥な人に釈明を求めても無駄でしたが、常に心の片隅にこの出来事は消えずに残っていました。そして、こうして優れた文学作品中に似たような体験が紹介されていること、また最近のスポーツ界での「隠ぺいはやめよう」の風潮もあり、ここに改めて書き記しておきます。二度と私たちが受けた悲しむべき出来事を他の誰もが体験しないように。Aさんには、「コンサートを開催してしまったことはまだなんとか許せるけれども、その後の対応の悪さ、無視を決め込んでいることは恥ずかしいことですよ」と言いたいのです。ただ、Aさんは都合が悪くなると「記憶にない」「お忘れ下さい」と繰り返すので話し合いにもなりませんでした。いつか、このブログで氏名を公表するしかないでしょうか。このブログをAさんの指導者に読んでいただいた方がいいかもしれません。
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インターネットの普及で特に日本では読書をする人が減り、書店が年々減少しています。それにもかかわらず、世界中で読みごたえのある本が出版されていて、日本語に翻訳されています。ここに紹介したシ―シキンの「手紙」もそうですが、ヤスミナ・カドラ「昼が夜に負うもの」、アミタヴ・ゴーシュ「ガラスの宮殿」、ロベルト・ボラーニョ「2666」などなど、読み応えのある作品を最近知りました。どうぞ、たくさんの本を読んでください。