今日は12月9日。私たちが心より敬愛するピアニスト、原智恵子さんが2001年のこの日にお亡くなりになりました。もう10年も経つのですね。 同じ2001年の2月に2台ピアノのコンサート活動を始めた私たちが原智恵子さんとカサドの写真を見ながら、「こんな素敵なピアニストが日本にいたことを広く伝えないで口を閉ざしている日本のピアノの世界は残念だね」と夜のファミリーレストランで話込んでいたのは、奇しくもその12月9日でした。
当時はその偶然にただ驚くだけでしたが、そこにとどまることなく翌2002年3月17日に「原智恵子さんを偲んで」と題したコンサートを開催しました。このコンサートは1950年(昭和25年)に原智恵子さんの恩師ラザール・レヴィが来日した時に開催された数々のコンサートの一つを再現したものです。
詳しくはこちらで
ピティナ 読み物ページ 「ピアニスト原智恵子さんと2台ピアノ」http://www.piano.or.jp/report/01cmp/pcc_duo/2009/08/07_9138.html
このコンサートを開催するにあたって、新聞やレコード会社や出版社などにも出来る限りの告知や問い合わせをしました。その結果、原智恵子さんのことを予想以上に大勢の方が覚えていらしたことが分かりました。多くの方が原智恵子さんの想い出を語ってくださり、貴重な資料が集まりました。サインのコピーを送ってくださった方もいらっしゃいました。遠く海の向こうのイタリア在住のアレクサンドル・タンスマンのご令嬢マリアンヌさんも「私は父の名代でフィレンツェでのチエコとカサドの結婚式に出席したんですよ」という貴重なお話しを聞かせてくださいました。
その後、機会がある度に原智恵子さんのことを取り上げていました。私たちが「原智恵子さんを偲んで」で演奏したシャブリエの「3つのロマンティックのワルツ」の1曲をyoutubeでご覧になった原智恵子さんの御親戚から昨年メッセージが届いたことはこのブログでもご紹介しました。今では日本国内と米国、そして英国にご在住の原智恵子さんの御親戚の方々と折々にお話しが出来るようになりました。また、神戸女学院のHPで公開されている論文にも目を通しました。
2001年12月9日の夜から10年。今でもあの夜、時間を忘れて「原智恵子」と言う類まれなるピアニストについて憧れと敬愛を込めて語ったことを昨日のことのように思い出します。その時は写真から醸し出される得(え)も言われぬ雰囲気から思い起こされるその姿や演奏を想像するだけでしたが、実際に演奏を聴き、過去の音楽雑誌の記事を調べ、ご家族のお話しを伺って、原智恵子さんが私たちの想像通りの人物で素晴らしいピアニストであったこの不思議なご縁をこれからも大切にして音楽と向き合って行きたいと思います。
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私たちのHPはこちらです。
http://www16.ocn.ne.jp/~pccpiano/
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http://www.musse.jp/scores/detail/PTNA-010228
フローラン・シュミット ユモレスク 作品43 ディオニソスの祭り 作品62【連弾】 | |
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