チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「アウル・クリーク橋の翻訳で生じた事/アンブローズ・ビアス失踪から100年」

2014年01月02日 22時24分51秒 | 事実は小説より日記なりや?

アンブローズ・ビアース アウルクリーク橋


新年である。
英語で「年」をこのように定義した作家がいた。
"year(noun):a period of three hundred and sixty-five disappointments"
(イア(ナウン):ア・ピリアド・オヴ・スリー・ハンドレッド・アンド・スィクスティ・ファイヴ・ディサポイントマンツ)
「(拙大意)年(名詞)=期待を裏切られる日が365回積み重ねられた期間」
この"The Devil's Dictionary(悪魔の辞典)"で知られる米国の作家、
Ambrose Bierce(アンブロウズ・ビアス、1842-?)が、
1913年12月26日以降の消息がわからなくなって100年が経った。
かつて北軍兵として関わった南北戦争の旧戦場を巡る旅に出て、
やはり内戦中のメキシコのチワワで行方がわからなくなったとされてる。
ビアスは私が中学生のときにヘミングウェイ、フィッツジェラルド、
O ヘンリー、ドライザー、ホーソーンなどと並んでよく読んだ米国作家の一人である。
ヘミングウェイやフィッツジェラルド同様、つねに「死」の影がちらつく芸風である。おそらく、
幼少期に相応のトラウマを親から負ったのだろう。

が、
この人物もまた現在の日本では振り向かれることが
ほとんどない作家である。その代表的短編、
"An Occurrence at Owl Creek Bridge"(1890年出版)
(アナカーランサッタウル・クリーク・ブリッヂ)
「(拙大意)アウル・クリーク橋で起きた事」
でさえ、その訳本がほとんど出てない。出てたとしても、
例によって誤訳ばかりである。ので、
yearとearの発音の違いをいい年して判別できる耳を持たない拙脳なる私など、
英語の原文をチンプンカンプンのまま読むしかないありさまである。

冒頭の、
"A man stood upon a railroad bridge in northern Alabama,
looking down into the swift water twenty feet below. "
の"(a )railroad bridge"からして、まともに訳せない輩ばかりである。
これは広義の「鉄橋」の「鉄道橋」であって、けっして
「鉄の橋」ではない。だから「鉄橋」と訳してしまうと、
ビアスが新聞記者だったからといって、
♪今は山中、今は浜♪
と福島浜通を突っ走ってる気になってしまう。が、
これは米国はアラバマ州のお話である。だいたい、
南北戦争時の米国の田舎の鉄道の橋が「鉄製」なはずがあるものか。
蓬莱橋ほどの長さはないとしても、
「木製」の鉄道橋以外、考えれるはずもない。第一、
鉄製の橋だったら有事のときに容易に断ち落とすことができない。第1文に続く、
"The man's hands were behind his back,
the wrists bound with a cord.
A rope closely encircled his neck.
It was attached to a stout cross-timber above his head
and the slack fell to the level of his knees."
を読んでも一目瞭然、"a stout cross-timber"は、
「堅固な木組み」である。この場合のtimberは
単数形であっても単数を表してるわけではない。
cross(十字。交差)という名詞とハイフンで結んで、
複数の木材が"組まれた状態"になってることを表してるのである。
この部分だけが木材でレイルの下の橋桁だけが鉄製であるはずがない。

このことはこの短編小説の最後にも響いてくる。
"Peyton Farquhar was dead; his body, with a broken neck,
swung gently from side to side beneath the timbers of the Owl Creek bridge."
(ペイトゥン・ファークワー・ウァズ・デッド;ヒズ・バディ、ウィザ・ブロウクン・ネック、
スワング・ジェントリ・フロム・サイド・トゥ・サイド・ビニース・ダ・テンバーズ・オヴ・ディ・アウル・クリーク・ブリッヂ)
「(拙大意)ペイトン・ファークワーは死んだのだった。死体は、首が折れ、
静かに左右に揺れてた、アウル・クリーク橋(梟川橋)の木組みの下で宙吊りになって」
なのだが、貶日左翼の岩波文庫の訳など、
<ペイトン・ファーカーは死んでいた。首の折れた、彼の体は、
アウル・クリーク鉄橋に流れ集まった材木の下で、右に左にゆっくりと揺れていた>
などと臆面もなく誤訳ってた。驚きである。
鉄橋には磁気でも帯びててしかも橋の下の川に
材木がて集まったみたいなことを言ってる。もしくは、
小説途中の走馬燈の幻想のように、
ロウプが切れてペイトンの体が川に落ちたまま流木の下、つまり、
水中で<右に左にゆっくりと揺れて>た、とでも言ってるのだろうか。
Creekって小川なので、水深が何mもない川なのに、である。仮に、
充分な水深があったとしよう。としたら、
ロウプが切れて川に落ちてまだその場で淀んでるということだから、
首が折れてるというのはおかしい。それに、
the swift water(急流)と真っ先に描写されてるのだから、水中で死体が
<右に左にゆっくりと揺れ>るなんてことは不可能である。ただし、
急流なのにthe swirling waterだとも言ってて、
流木が淀んでる、という箇所もあるにはある。が、
仮に緩流箇所があったとしても、
淀んでる流木が上下に浮き沈みすることはあっても、
<右に左にゆっくりと>なんては揺れはしない。しかも、
<流れ集まった材木の下で、右に左にゆっくりと揺れて>
ると言ってるので、はたして、
材木のに邪魔されて下の死体は見えるのだろうか。
観測者はダイヴァーでしかありえなくなってしまう。
奇妙奇天烈な誤訳であるばかりでなく、
銭を払って買った読者を小馬鹿にしてる。かように、
貶日左翼出版社やマスコミというのは
「朝鮮人従軍慰安婦強制連行強制労働」だけでなく
文学作品においても「ウソを伝える」ことを稼業にしてるのである。
絞首刑死体が首に巻かれたロウプで振り子のように
左右にゆらゆらとしてる哀れな光景を
抑えた感情で描いてるのに、である。

いっぽう、
誤訳の達人に訳させた"新訳"もので
無垢な若者らを煙に巻いて儲けてるらしい光文社のは、
<ペイトン・ファーカーは死んだ。
首の折れた死体がアウルクリーク橋から下がって、
右に左にゆらゆら揺れた。>
である。こちらはさすがに原作者に断りもなく
"材木を集めたり"はしてないが、
"the timbers of the Owl Creek bridge"
の箇所をただ<アウルクリーク橋>とだけにして逃げてしまってる。そして、
swungをただ1周期だけ揺れた、としてる。
swingという動詞は
「右に振れて左に振れて真ん中に戻る」という周期=揺れを
「揺れを継続的に表す」ものである。というより、
振り子のおもり(ここでは死体)は振れたら1周期だけで止まる、
ということは、何らかの外力が加わらないかぎりありえない。
たとえば、誰かが手で押さえて揺れを止めるとか。
まったくセンスのかけらもない翻訳である。
この小節の冒頭からして、
<鉄橋に立つ男がいた。橋はアラバマ州北部の川にかかり、
六メートルほど見おろす水の流れが速い。>
である。なんともぎこちない日本語である。

この短編は、
冒頭の
"It(=a rope) was attached to a stout cross-timber above his head"の
"above his head"(彼の首の上の=首と木組みは離れてる)の
"above"と、
終いの
"(his body,)beneath the timbers of the Owl Creek bridge"の
"beneath the timbers of the Owl Creek bridge"
(アウル・クリーク橋の木組みの下(の死体)=死体と木組みは離れてる)の
"beneath"が、
主体を替えて上下反対方向から描写されてる、という
ビアスの計算された修辞なのである。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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違いますよ ()
2015-03-09 19:53:34
小川じゃないですよ。動画を見たら分かるかと。だから誤訳ではありません。
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あきらかな誤認・誤訳ですよ (passionbbb)
2015-03-13 16:29:20
<小川>以下の箇所を読まれたうえでのコメントでしょうか。それから、"動画"って何ですか。ビアスは小説を書いた(文章)のであって、映画製作者でも映像クリエーターでもありません。原文をよくお読みください。
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