チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「写楽第二期作品の舞台『二本松陸奥生長』(寛政6年7月河原崎座)」

2014年08月04日 16時59分49秒 | 絵画・カウンタ(寓意がある希ガスる

写楽 二本松陸奥生長


一般に知られてるように、
写楽の作品とされてるものは、その発表時期にしたがって
全4期に分類することができる(版元はすべて蔦重)。まず、
寛政6年5月(西暦およそ1794年6月)に、すべて
歌舞伎役者の大首絵(黒雲母擂)の大判28枚で出された。
俗に第1期と呼ばれるものである。そして、
同年7、8月(西暦およそ1796年8、9月)に、
楽屋頭口上絵1枚、二人立ちの役者絵7枚、役者細絵30枚、
計38枚(すべて全身)が出された。これが一般に
第2期とされてる。
第3、4期はさておき、この第2期のものもじつは、
第1期のものとは別人が描いたという説がある。
私はその説に肯定的な立場である(理由はまた別の機会に)。
いずれにしても、
写楽が活動したとされる寛政6年春から翌年冬にかけての
10か月間は、松平定信が老中・将軍補佐を事実上罷免された
翌年からのことである。また、相撲では
雷電爲右エ門が優勝を重ねてた時期でもある。国外追放で離日後に
ライデンに住むことになるシーボルトが生まれる前々年のことである。
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