チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「十字軍のコンスタンチノープル占拠/ドラクロワ没後150年」

2013年08月13日 17時42分00秒 | 絵画・カウンタ(寓意がある希ガスる
「のらくろ」は田河水泡の漫画である。
のらくろはもともと野良犬ではあるが、
折り重なる革命派同胞らの死体の山を踏みつけて
民衆を導いたりはしなかった。本日、
2013年8月13日は、フランスの画家
Eugene Delacroix(ウジェヌ・ドゥラクワ、1798-1863)、
いわゆるウジェーヌ・ドラクロワの没後150年にあたる日である。
政治家ジャック・テュルゴの秘書官だったシャルル・フランスワ・ドラクロワの子、
ということになってるが、大物政治家で大貴族の
シャルル・モリス・ドゥ・タレロン=ペリゴル(いわゆるタレーラン=ペリゴール)の
隠し子だったというのが本当のところのようである。
容姿が似てるのと、ドラクロワが
なぜか画壇やフランス政府に優遇されたことが、
その裏付けの一部となってるという。たしかに、
古今東西の名を残してる絵描きの中で、
ドラクロワのデッサンほど目も当てられないほど
ヘタクソな者はいない。

加えて、
「ダンテの小舟」
「ミソロンギの廃墟に立つグレース」
「女とオウム」
「サルダナパールの死」
「民衆を導く自由の女神」
「ヴァイオリンを弾くパガニーニ」
「アルジェの女」
「怒れるメディア」
「新世界から戻ったコロンブス」
「トラヤヌスの裁定」
「十字軍のコンスタンチノープル占拠」
など、例の"三角構造"構図の
ワンパターンが特徴である。が、題材自体のドラマティック性と、
補色対比の妙がその欠点を補った画家である。いわゆる、
「ヘタウマ」の代表格である。

男装作家George Sand(ジョルジュ・ソンド、1804-1876)、
いわゆるジョルジュ・サンドと親交があり、また、
その相方だったフレデリク・ショパンとは
相当にウマが合ったようである。ちなみに、
「モーパン嬢」(ノーパン嬢でなかったのが残念だが)で知られる
文筆家のTheophile Gautier(テオフィル・ゴチエ、1811-1872)、
いわゆるテオフィル・ゴーティエは、「ファウストの劫罰」を聴いて、

"Hector Berlioz nous parait former,
avec Hugo et Eugene Delacroix,
la trinite de l’art romantique."
(エクトル・ベルリオズ・ヌ・パレ・フォルメ、
アヴェキ・ユゴ・エ・テュジヌ・ドゥラクワ、
ラ・トリニテ・ドゥ・ラフ・ホマンチク)
「(拙大意)エクトル・ベルリオーズ(作曲家)は、
ユーゴー(作家)、ウジェーヌ・ドラクロワ(画家)と
芸術の三位一体を成してるように思われる」

と言ったらしい。晩年のサンド女史とポール・ゴーギャンの顔を
ときどき間違えてしまう拙脳なる私にはその意味が解らないが、
ドラクロワはベルリオーズやユーゴーを毛嫌いしてたのである。

ともあれ、
ドラクロワの絵の"下手さ加減"は、その代表作のひとつとされ、
"de la Croix"を"名にし負う"「十字」軍を描いた
"La prise de Constantinople par les croises(1841)"
(ラ・プリズ・ドゥ・コンストンチノブル・パフ・レ・クワゼ(1841)"
「(拙大意)十字軍によるコンスタンチノープル占拠(1841年制作)」
でも、如実に現れてる。この題材の
「第4次十字軍」はフランス軍が主力だった。そして、
占領した異教徒の都で残虐・悪行の限りを尽くしたのである。が、
ドラクロワの絵の人物たちは、
学芸会の子が演技してるような、
迫真とはほどとおい表情やしぐさをしてる。
精緻さに欠ける筆致や、中途半端な彩、
ゴチャゴチャしすぎた人物配置など、
稚拙きわまりない。が、
方法論は間違ってなかったがただ技術が伴ってなかった
ドラクロワの絵は、ふた世代のちの画家たちに
多大な影響を及ぼしたのである。

1838年の夏、ドラクロワは
「ジョルジュ・サンドが聴く前でピアノを弾くショパンの肖像」
を描いた。この絵もサンド女史の顔もショパンの顔も
じつに下手である。構図にもセンスがない。ちなみに、
絵の巧拙とは無関係に、
サンド女史もショパンもじつに辛気臭い表情をしてる。
二人が熱をあげてまもない蜜月の時期だというのに。
のちの決裂を予言するかのように、
くそおもしろくもなさげな顔である。この絵は、
未完成のままドラクロワが死ぬまで手元に所持してた。が、
その死後10年の間に、サンド女史とショパンは
"切り離され"てしまったのである。現在、
サンド女史はコペンハーゲンのOrdrupgaard(オードルップゴー)美術館に、
ショパンはパリのルヴル美術館に、それぞれ
引き裂かれたまま収められてる。

(ドラクロワが二人を描いてた頃、ショパンは
「24の前奏曲(op.28)」を作曲してました。その
第10曲(嬰ハ短調)を木管七重奏にしてみました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/chopin-prelude-op-28-10-wind )
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