チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ベト7(Siebte Sinfonie)/不滅の恋人との出会いから200年記念」

2010年03月06日 23時58分56秒 | 内緒鏡で覗くイ長科クリニック
このエントリは悲惨な哀れな、涙なしにはいれない話に言い及んでます。
そのような内容がお嫌いなかたは以下は読まないでください。





三月のことを旧暦では弥生(やよひ)といった。新暦だから
関係ないが、今年は三月に入って雨が多い。私がもしガキだったら、
中山晋平の節に乗せてアイリッシュ・ジグのステップでも踏んでみたくなる。
♪アーーメ、アーーメ、フーレ、フーレ、
 かぁーーあさぁーーんがぁーーーーーーー♪
(ドーード・ドーー<レ│<ミーー>レ・<ソーー>ミ│
<ドーー>ラ・>ソーー>ミ│<ソーーー・ーーーー)
晴耕雨読。
あの上野千鶴子女史とエコ・フェミでかつて大論争を展開したという
故青木やよひ女史が昨年の11月に82歳で亡くなって3箇月あまり、
その死と同時に発行された(昨年12月刊、つまり、発売は11月)
「ベートーヴェンの生涯」(平凡社新書)に目を通した。
同女史は薬学を専攻した人で、ベートーヴェン研究は「素人」だった。
そんな女史がベートーヴェンに興味を持ったのは、
「不滅の恋人」が誰だか当時はまだ不明つだったことだという。
アントーニア・ブレンターノ(婚前は、ビルケンシュトック伯令嬢)。50年前、
「不滅の恋人」がこのブレンターノ夫人だと世界で初めて指摘したのが
青木女史だった。が、
「シロウト」が発見・指摘したものは「クロウト」らには無視される。
とある「権威」が実証するまでの長い間、
取り合ってもらえなったらしい。さて、
1810年。この年は暮れにベートーヴェンが不惑を迎える年である。
この年の春に18歳のテレーゼ・マルファッティにプロポウズして親に断られ、
ほどなく、のちに女流作家となる当時25歳の
ベッティーネ(エリーザベト)・ブレンターノの訪問を受ける。同女史は翌年、
作家のアヒム・フォン=アルニムと結婚し、その末娘は弟グリムの倅と結婚してる。
兄のクレメンス・ブレンターノと夫が収集したドイツ民衆歌謡詩集が、のちに
マーラーが曲をつけたことでも知られる「子供の不思議な角笛」である。
ともあれ、ベートーヴェン宅を訪れる少し前、ベッティーネ女史は、
ヴィーンの義姉の家でそれまで耳にしたこともないピアノ曲を聴いて
心を奪われた。そして、こんなすごい音楽を作る人物に
何がなんでも会わないわけにはいかない、
という衝動を覚えたのである。ベッティーネはベートーヴェンが
興味を抱いてたゲーテとも知り合いだった。意気投合したのだろう。
ベッティーネをヴィーンでの居所まで送っていった。そこで、
ベッティーネの義姉アントーニアと出会うのである。
翌1811年から1812年にかけて作曲されたのが、
「交響曲第7番」、日本での"通称"「ベト7(ベー7)」である。
この交響曲がなぜ「イ長調」で書かれたか、
山手線路線周とインド料理のナンとムンクの叫びの女性の顔の形の区別が
まったくつかない拙脳なる私には解るはずもないが、
主音イに対する属音ホが開放弦であるヴァイオリンのE線をブルブル震わせるため、
などではない。
「不滅の恋人」の名のイニシャル"A"を表して"A dur(イ長調)"としたのである。
いっぽう、「第7の」を意味する序数はドイツ語では、
siebent(ズィベント)もしくはsiebt(ズィープト)であるが、後者で表記すれば、
Siebte Sinfonie(ズィープテ・ズィンフォニー)。「我が不滅の恋人」
meine Unsterbliche Geliebte(マイネ・ウンスターブリッシェ・ゲリープテ)の
恋人にあたるGeliebteと韻を踏むのである。なにしろ、
ベートーヴェンと天才はその実、大のダジャレ好きオヤジだったから。

♪アーーメ、アーーメ、フーレ、フーレ、
 かぁーーあさぁーーんがぁーーーーーーー♪
は、ひょっとするとヒデリつづきやフィドルつづきの日に
嫌気がさしたガキが、雨乞いした歌なのかもしれないが、
この交響曲の第4楽章の主要主題、
[アッレーグロ・コン・ブリオ(二分音符=72)、2/4拍子、3♯(イ長調)]
****♪レーッレ<ミ・<ソ>ファ>ミ>レ│<ミーッミ<ファ・<ラ>ソ>ファ>ミ│
   >レーッレ<ミ・<ソ>ファ>ミ>レ│<ミーー<ド・ドーーー│ーー♪
は、歌とヴァイオリンとチェロとピアノのための
「12のアイルランドの歌(WoO 154)」の第8曲にベートーヴェンが編んだ
"Save me from the Grave and Wise"
(生真面目で堅苦しいのなんてやなこった)
***♪ドード・ドー<レ│<ミー>ド・<ソー>ミ│
  >ドード・ドー<ミ│>レー<ミ・<ソ>ファ>レ♪
から採られてる、と一般には言われてる。その元歌は、
"Nora Creina(Norah Crionna)"というアイルランドの
古い舞曲(6/8拍子のjig)である。
***♪ドー<レ・<ミ>レ>ド│<レー<ミ・<ファ>ミ>レ♪
この節の断片はこの交響曲の第1楽章主部の第1主題、
第3楽章のトリオのオーストリアの聖歌にも、
オウヴァーラップされてるのである。ともあれ、
第1楽章、第3楽章、第4楽章の各長調楽章の主題・動機は、
「セイヴ・ミー・フロム・ザ・グレイヴ・アンド・ワイズ」の歌詞とはまた別で、
ベートーヴェンの真の意味が表されてる詞だったのだろう。
フィドルの重奏が、アントーニアと自分の
二人の音を重ねる意味にもなってたのである。ちなみに、
この交響曲の第4楽章の大詰めでは、
後年のチャイコフスキーならざらにある
「fff」が記されてる。
「3番」「5番」の「3♭」の対極に位置する
イ長調のシャープ「3」つ重ねに合わせるように。

ところで、
とあるブログでまた、この「ベー7」に関する
トンデモない内容を見つけてしまった。
そのブログの主は音楽でメシを食ってる"作曲家"らしい。
「ベー7」をまず「かなり直裁な作り」と評する。
パパパっと作っちゃった、というのである。
1811年から翌年までかけてるが、第九を除けば、
他のベートーヴェンの交響曲に比べて、
とびぬけて速書きではない。が、それはまぁいいとして、
「4楽章全てが和音で開始され、かつ、みなA音が根音。
 全部Aのコードなのだ。統一感バッチリ」
とお書きあそばされてる。
? 嘘でしょう? 冗談でしょう?
まさか音楽のプロがそんな……またしても……。
この交響曲がベートーヴェンが「不滅の恋人」を想って作った曲だから、
「そして一言、この戯言が冗談だよと笑ってほしい」
ので、そんな"いつわ"りを書いたのだろうか。
第1楽章は御託どおり、イ長調の1の和音(主和音)で開始される。
第2楽章も仰せのとおり、イ短調の1の和音(主和音)が、
オーボエ2管・クラリネット2管・ファゴット2管・ホルン2管、という
8管のウィンド・アンサンブルに吹かれて始まる(転回形であるが)。が、
第4楽章は御意、とはどうあっても申し上げることができない。
イ長調の属和音[E-GIS-H]なので、
「Aが根音(=Aのコード)」ではない。ピアノを習い始めてついでに
楽典もいっしょに学び始めた児童のオツムを混乱に陥れる。
この「ベー7」第4楽章の開始の和音が、生まれてこのかたずっと
主和音に聞こえてたのだろうから……。
作曲家なのに耳が聞こえなくなっていったベートーヴェン同様、
音楽を生業にしてるというのに、あまりにも可哀想な耳である。さらに、
第2楽章は、第5音を欠いたヘ長調の1の和音(主和音)[F-A-F]で始まる。
まったく「Aが根音(=Aのコード)」ではない。
一般大衆は「権威」に弱い。プロの言葉を信じ込んでしまうのである。
無垢な若者を誤った方向に導くおそれがある「権威」ある立場にあるのに、
プロとしての耳ももたずベートーヴェンをまったく理解してもないのである。
あってはならないことである。本人も、
その言を信じてしまう人たちも、あまりにも気の毒である。といって、
誤った情報をさも正しいことのように流布させないでほしい。ちなみに、
このベートーヴェンの「交響曲第7番」は、
A dur(3♯)-a minor(調号なし)-F dur(1♭)-A dur(3♯)
という楽章構成である。1,2,4楽章はアントーニアの頭文字Aであり、
3楽章の(1♭)はフラットの文字と同じ意匠であるアルファベットBの小文字b、
つまり、BirkenstockとBeethovenの頭文字なのである。
永遠にこの文字がこの交響曲から取レーネえように、
ベートーヴェンはこれでもかこれでもかと刻印したのである。
篩にでもかけられて選別された二人が、結局は
結ばれなかったことは、涙なくしては思いを馳せれない。
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