チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「アルルの女とマグダラのマリア」

2005年07月29日 17時06分13秒 | 内緒鏡で覗くイ長科クリニック
ひきつづき、「ベト7捕物帖」へのyasunobuさんのコメントへのレスです。

<話題にした音形が、3度で重ねられていたとしても、なにかある種の
 《白紙の状態》というものをイメージするということが言いたかったわけです>
▲yasunobuさんのおっしゃる♪ド<ミ<ソ>ファ>ミ♪あるいは
私が言う♪ソ<シ<レ>ド>シ♪からは、♪【ソ<シ>ラ>ソ】♪が「類似してる」
という連想はまったく思いつきませんでした。むしろ、
ヴィヴァールディの「春」(「ホ長」)の3章、
♪ソーーーーー・ーーーーーー|ーーーーーー・>♯ファーーーーー・
<【ソー<シ>ラ>ソー】・>レー<ソー>レー♪
という「羊飼いのダンス」から「羊飼いの爺さん」を想起してしまいます。
冗談はさておき、1番オボ*1番クラのオクタ・ユニが(ホ長ならば)、
♪ソーーー<シーー>ラ|>ソー♪
ということなのですね。ただ、おっしゃるように、ここは「3度重ね」の下を支える、
♪シーーー<レーー>ド|>シー♪
なので、それを「際立たせ」てしまう演奏があるとしたら、ヘボ指揮ですね。

<「アルルの女」では10回♪ソーシーラソーが演奏されます
 (パッシオンさんならこの回数になにかネタをおもちでは?)>
▲いかなオヤジギャグ野郎の私でも、「10回」から
「ネタをモーセ」とおっしゃられても、気の利いたものは出てきません。
なつかしのドリフ荒井注ふうに、
「hey、jude(10度)ぉぅ……一直線!」
「なぁんだ(弟は重度の)バカやろう? 文句あっか!?」
「dix(ディス)・イズァ・ten!」
こんな程度です。恥ッカイてしまうじゃありませんか。

<毎回チェロが違った風に和声付けしますが(これ分析すると非常に面白いです)、
 それに全く動じません。これが《馬鹿》を意味づけているわけですよね。そして、
  最後にクラリネットからフルートに変わったとき《馬鹿の弟》が正気に戻る
   ということを暗示しているのです……>
▲私の考えは違ってます。弟の主題は
♪ソ<ラ<シ<ド<レ|<ミー>ソー>♯ファー<♯レー|<ミーー♪
です。弟は「イノサン(英語のinnocent)」と呼ばれてるわけで、
日本語でいう「猪野さん」ですから「猪突猛進」的とも考えられますが、
「馬鹿」というよりは「邪念(ジャネん)」がないピュアな子、という感じでしょうか。
いずれにしても、♪ソーーー<シーー>ラ|>ソーーーー♪は、むしろ、
兄のフレデリを表すのではないでしょうか。母のローズがどんなに諭しても、
熱をあげつづけて「アルルの女」を諦めないフレデリの「頑なさ」を表現してる、と。

<ご存知でしょうが、この話題は、一家に知恵遅れの子がいると、
 彼が一家の守り神になるという当時の南フランスでの言い伝えを基にしたもので、
  守り神が正気になってしまっていなくなったことで、
   この一家に不幸が訪れることを暗示しているというわけですよね>
▲ボエームの女がママイ家の倅についてそのような予言をしたのですね。

<前奏曲最後の2回の爆発は、フリートリッヒの墜死とその母親の後追いを意味します>
▲弟イノサンが兄フレデリの苦悩を目の当たりにしてジャネというまともな男に「脱皮」して、
その代わり、ボエームの予言どおり兄は「消える」というのがこのお噺の骨子ですね。
この戯曲にビゼーが♪ラー>ミー|<ラーー<シ・<ドン>シ<ドン>ラ|<ミーーー♪
という「プロヴァンス民謡」を「引用」した意図は、プロヴァンスという土地が、
あの胡散臭い「ダ・ヴィンチ・コウド」にも書かれてるらしいマグダラのマリア伝説の地、
だからでしょう。つまり、プロヴァンスは、キリストの死後、ユダヤの地を追われた
キリストの息子を孕んだ神殿娼婦マグダラのマリア、
聖母マリアの妹(キリストの叔母)マリア・ヤコベ、聖ヨハネの母マリア、
という「3人のマリア」が辿り着いた地だという伝説です。私としては
「高樹マリア、日高マリア、まりあまい」の「AV嬢3マリア」のほうがありがたいのですが、
サント・マリー・ドゥ・ラ・メール (海の聖マリアさまたち)という名勝があるそうです。
対して、ビゼーが引用した「民謡」は、「3magi(magusの複数形)の行進」です。
「東方3マギ」という伝説ですね。東方3博士とか3王とかいう誤訳がまかり通ってますが、
マギー司郎、マギー神事、マギー・ミネンコというマギー一門でも、
高嶋忠夫・政宏・政伸の「東宝3親子」でもありません。ともあれ、3マギは、
主イエスの誕生の祝いに、ちょぉっと通してくだしゃんせ、と言って行進するそうです。
「カリヨン(ホ長)」の「ミ」「ド」「レ」という
「3つの鐘ボウ」・フォー・ビューティフル・粉飾・ライフの「3」も、三位一体ですね。
宗教などまったく信じない私にはキリスト教のこともよく知りませんが、「公現の日」として
とくに東方の耶蘇教が新暦に変える前の旧暦の12月25日にあたる1月6日、
をイエスのお誕生会にしてるそうですね(「12」日差、というのがミソかも)。
いっぽう、12月1日にプロヴァンス地方で行われるのが、
サン・テルワ祭という行事だそうで、戯曲「アルルの女」でアルル近郊の
カストゥレ村の村人らによって踊られる熱狂的なダンスがファランドルだそうです。
邪気や悪霊を「追っ払う(eloi-gner)」踊りなのでしょうか。
その「騒がしい舞踏の中に」フレデリは「アルルの女」を見いだして、また、
熱をあげ、そして、やがて破滅に向かう、ということです。
「民衆の歓喜」の中に「孤独」、そして「不吉」という要素をハランドルのです。
いずれにしても、「アルルの女」はドーデによってフランス語で書かれてるはずで、
プロヴァンスという南仏のお噺ですから、プロヴァンス語名ならまだしも、
長男はフリートリヒというような独名ではないと思うのですが、それはともかくも、
母のローズ・ママイは長男の身投げによって気が触レデリしてしまったかもしれませんが、
あとは追ってないと思います。
正気の一人前の男になった次男が、泣き叫ぶ母にすがり寄ると、この一家と同居してる
使用人で「羊飼い」の爺さんが、こう捨て台詞を吐いて幕が閉じるそうです。
「ごらんなせぇ。恋で死ぬ男もいるだ」
この爺さんこそ、カスパール、メルショルとともに「『主』の誕生を祝う」3マギのひとり、
「バルタザル」という役名を与えられた重要人物なのです。
「アルルの女」によって「正統でない兄は消え」、イノサン→ジャネ、となった弟が
「真のアルジ(アルジの男)」であり、バルタザルはその「誕生」を見守り、祝うために、
昔っからママイ家に潜伏してた、ということなのではないでしょうか。
バルタザル爺さんのむかしの恋人ルノー婆さんの「ルノー」という名も、
ひょっとすると「新生」を表してたのではないでしょうか。
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