江東区白河1丁目にある霊巌寺は、もと、
現在の中央区新川となってる霊巌島(霊岸島)という埋め立て島にあった。
明暦の大火を機に深川に移転したものである。この寺には、
徳川政権中後期の老中松平定信の墓がある。
寛政の改革は一般的には「締めつけ」だったが、
それとは正反対の経済政策だったレーガノミクスも、その成果が
ただちには健康に影響が出るものでなかったという点では、
同じである。ときに、
リズ・テイラー女史が死んだ。私でさえも、
もうとっくの昔の人という印象がある。が、
ジューン・アリスンと共演した
"Little Women(リトル・ウィミン、邦題=若草物語、1949)"、
スペンサー・トレイスィの娘を演じた
"Father of the Bride(ファーダー・オヴ・ダ・ブライド、邦題=花嫁の父、1950)"
モンゴメリ・クリフトと共演した
"A Place in the Sun(ア・プレイス・イン・打算、邦題=陽のあたる場所、1951)"
の頃の同女史は、子役やのちの貫禄時代も含めて、もっとも
輝きを放ってたといえる。
テイラー女史と同様に、フェイス・リフトで若返りをしてた、
米国史上最年長就任および最年長退任記録保持者、
第40代(39人め)米国大統領
Ronald Reagan(ロナルド・レイガン、1911-2004)の、
今年は生誕100年の年である。ロナル奴・隷ガン、ではない。
大リーグ・シカゴ・カブズのラジオ・アナウンサー→映画俳優→TV司会者→政治家
という経歴の持ち主である。
今般の東日本大震災にあたり、米国は"救援"のため、
空母ロナルド・レイガン号をさっそくに送り込んできた。
阪神神戸淡路大震災のときに反日社会党村山に
米国は空母派遣を断られたからだろうか。
秀吉の中国大返しよりも速くやってきた。ちなみに、
数年前に佐世保に同艦が入港したとき、
現在のなりすまし日本人左翼政権の同類、労組が漁船を出して、
<原子力空母、反対!>などと抗議デモした浅はかさが思い出される。
今回、米軍が早期に消化剤投下を申し出たのを、断ったという。
米国は「日米軍事同盟」を"律儀に"発揮してくれようとしたというのに。
ともあれ、
私がガキの頃の米国の歴代で米国人による人気大統領といえば、
リンカンかケネディがF・ルーズヴェルトが人気を分けてた。が、現在では、
断然にレイガンだという。私が初めてレイガンを知ったのは、
現在のテレ東(東京12チャンネル)が放送してた
「ハリウッド・スターこきおろし大会(原題:The Dean Martin Celebrity Roast)」
だった。この番組は、その原題で判るように、
ディーン・マーティンが司会で、毎回、おもに著名俳優を仲間たちが
roast(ロウスト=火あぶりにする→こきおろす)という趣旨の番組である。
マーティンが司会だから当然に、その親分フランク・スィナトラは準レギュラーだった。が、
1973年9月13日に始まったこの番組の記念すべき第1回の"餌食"が、
当時カリフォーニア州知事で"元ハリウッド俳優"の"ロナルド・リーガン"だった。ときに、
当時はまだレイガンをリーガンと呼んでた。が、実際、
レイガン自身もその頃は自分の名をリーガンと発音してたらしい。ともあれ、
何人もが"リーガン"をこきおろしたあとに、
ナンスィ夫人が呼ばれて出てきた。が、短い話の最後に、
夫リーガンのほうに向かったかと思うと、その向こう隣の
ジャック・ベニーに抱擁してその額にキスしたのである。
"Her lips sweet surprise,
Her hands are never cold,
She's got NANCY Davis eyes"
というジョウクである。ちなみに、
夫人がキスした相手、Jack Bennyとは、
当時の著名なヴォードヴィリアンで、ヴァイオリンも巧かったらしい。
この番組の翌年暮れに90歳で膵臓癌死した。ともあれ、
若い頃のレイガンはヒュー・グラントをちょっと一般人にした感じな、
背も高いややイケメン男だった。そして、
米国大統領中唯一離婚経験がある大統領である。
女優のジェイン・ワイマン女史である。後妻のナンスィ夫人も映画女優だった。
そのナンスィ夫人と唯一共演した映画が、
"Hellcats of the Navy(邦題=勝利への潜航、1957)"
である。レイガンはケイスィ・アボット艦長を演じ、夫人は看護婦ヘレンに扮した。
戦後12年も経ってから、13年前の時代設定で作られた戦争映画である。
主人公は対日戦において日本の海上補給路を断つため、日本海における
機雷の配置を探る任務に就いてた。日本の物資補給船を追うことで、
その安全航路を見いだす。が、任務中に
他の船員と艦を守るため、一人の将校を見殺しにする。それを
副艦長らに詰られる。マイケル・サンデルが
「どちらの命を優先させるか」
などと悠長なことを言って口を挟んでるかと思いきや、
ニミッツ元帥が"As Himself"で出てるくらいな映画なので、
ニミッツもミニッツもないほど暇のない、切迫した状況下の艦長判断である。
などというような、映画としてまったくおもしろみもへったくれもない、
愚作である。が、ニミッツがカリフォーニア大の理事を退任した直後の映画である。
ニミッツは来日して葬儀にまで列席するくらい東郷平八郎を崇拝してたらしく、
「日本海」「ニミッツ自身潜水艦艦長だった」ことから、ひょっとすると、
荒廃した戦艦三笠の復興に寄与するための資金源だったのかもしれない。
また、
レイガン大統領は、「狙撃されて死ななかった唯一の大統領」である。
(狙撃の武器が靴だったブッシュ・ジュニアは除く)
それにしても、
いわゆる"サタデイ・ナイト・スペシャル(=バッタもの、粗悪品)"のリヴォルヴァーとはいえ、
至近距離からだと、発射した6発中4発が一発ずつ4人に被弾し、おそらくは
最初に狙った弾がレイガンの心臓をかすめて肺で止まってた、のである。
が、
このときのレイガンはその機知ぶりを発揮した。まず、
弾丸摘出をする手術スタッフに対して、
"Please tell me you're all Republicans."
(拙大意=君たちみんな共和党員だよな、なぁ)
と言い、夫人には、レイガンが子供のときに
ヘヴィ級チャンピオンのジャック・デンプスィが相手のダウン中に
ニュートラル・コーナーにいかなかったためにその間カウントされず、逆に
ダウンを奪われて結果として判定負けになったときに言ったセリフを引用した。
"Honey, I forgot to duck"
(拙大意=心配かけてごめんよ、奴の弾丸パンチをかわし忘れちゃった)
2004年6月5日に93歳で死んだレイガンは、その6日後、
DCにおいて21発の礼砲が撃たれる国葬で送られ、
カリフォーニアに空輸され、
ロナルド・レイガン・ライブラリの敷地内で埋葬式が執り行われ、
ナンスィ夫人が棺に跪き別れを告げ、美しい日没の中で埋葬された。
栄光につつまれ、最期はアルツハイマーで死の恐怖も感じることなく。史上、
もっとも幸せな人生を送った人物のひとりだったことは確かである。
現在の中央区新川となってる霊巌島(霊岸島)という埋め立て島にあった。
明暦の大火を機に深川に移転したものである。この寺には、
徳川政権中後期の老中松平定信の墓がある。
寛政の改革は一般的には「締めつけ」だったが、
それとは正反対の経済政策だったレーガノミクスも、その成果が
ただちには健康に影響が出るものでなかったという点では、
同じである。ときに、
リズ・テイラー女史が死んだ。私でさえも、
もうとっくの昔の人という印象がある。が、
ジューン・アリスンと共演した
"Little Women(リトル・ウィミン、邦題=若草物語、1949)"、
スペンサー・トレイスィの娘を演じた
"Father of the Bride(ファーダー・オヴ・ダ・ブライド、邦題=花嫁の父、1950)"
モンゴメリ・クリフトと共演した
"A Place in the Sun(ア・プレイス・イン・打算、邦題=陽のあたる場所、1951)"
の頃の同女史は、子役やのちの貫禄時代も含めて、もっとも
輝きを放ってたといえる。
テイラー女史と同様に、フェイス・リフトで若返りをしてた、
米国史上最年長就任および最年長退任記録保持者、
第40代(39人め)米国大統領
Ronald Reagan(ロナルド・レイガン、1911-2004)の、
今年は生誕100年の年である。ロナル奴・隷ガン、ではない。
大リーグ・シカゴ・カブズのラジオ・アナウンサー→映画俳優→TV司会者→政治家
という経歴の持ち主である。
今般の東日本大震災にあたり、米国は"救援"のため、
空母ロナルド・レイガン号をさっそくに送り込んできた。
阪神神戸淡路大震災のときに反日社会党村山に
米国は空母派遣を断られたからだろうか。
秀吉の中国大返しよりも速くやってきた。ちなみに、
数年前に佐世保に同艦が入港したとき、
現在のなりすまし日本人左翼政権の同類、労組が漁船を出して、
<原子力空母、反対!>などと抗議デモした浅はかさが思い出される。
今回、米軍が早期に消化剤投下を申し出たのを、断ったという。
米国は「日米軍事同盟」を"律儀に"発揮してくれようとしたというのに。
ともあれ、
私がガキの頃の米国の歴代で米国人による人気大統領といえば、
リンカンかケネディがF・ルーズヴェルトが人気を分けてた。が、現在では、
断然にレイガンだという。私が初めてレイガンを知ったのは、
現在のテレ東(東京12チャンネル)が放送してた
「ハリウッド・スターこきおろし大会(原題:The Dean Martin Celebrity Roast)」
だった。この番組は、その原題で判るように、
ディーン・マーティンが司会で、毎回、おもに著名俳優を仲間たちが
roast(ロウスト=火あぶりにする→こきおろす)という趣旨の番組である。
マーティンが司会だから当然に、その親分フランク・スィナトラは準レギュラーだった。が、
1973年9月13日に始まったこの番組の記念すべき第1回の"餌食"が、
当時カリフォーニア州知事で"元ハリウッド俳優"の"ロナルド・リーガン"だった。ときに、
当時はまだレイガンをリーガンと呼んでた。が、実際、
レイガン自身もその頃は自分の名をリーガンと発音してたらしい。ともあれ、
何人もが"リーガン"をこきおろしたあとに、
ナンスィ夫人が呼ばれて出てきた。が、短い話の最後に、
夫リーガンのほうに向かったかと思うと、その向こう隣の
ジャック・ベニーに抱擁してその額にキスしたのである。
"Her lips sweet surprise,
Her hands are never cold,
She's got NANCY Davis eyes"
というジョウクである。ちなみに、
夫人がキスした相手、Jack Bennyとは、
当時の著名なヴォードヴィリアンで、ヴァイオリンも巧かったらしい。
この番組の翌年暮れに90歳で膵臓癌死した。ともあれ、
若い頃のレイガンはヒュー・グラントをちょっと一般人にした感じな、
背も高いややイケメン男だった。そして、
米国大統領中唯一離婚経験がある大統領である。
女優のジェイン・ワイマン女史である。後妻のナンスィ夫人も映画女優だった。
そのナンスィ夫人と唯一共演した映画が、
"Hellcats of the Navy(邦題=勝利への潜航、1957)"
である。レイガンはケイスィ・アボット艦長を演じ、夫人は看護婦ヘレンに扮した。
戦後12年も経ってから、13年前の時代設定で作られた戦争映画である。
主人公は対日戦において日本の海上補給路を断つため、日本海における
機雷の配置を探る任務に就いてた。日本の物資補給船を追うことで、
その安全航路を見いだす。が、任務中に
他の船員と艦を守るため、一人の将校を見殺しにする。それを
副艦長らに詰られる。マイケル・サンデルが
「どちらの命を優先させるか」
などと悠長なことを言って口を挟んでるかと思いきや、
ニミッツ元帥が"As Himself"で出てるくらいな映画なので、
ニミッツもミニッツもないほど暇のない、切迫した状況下の艦長判断である。
などというような、映画としてまったくおもしろみもへったくれもない、
愚作である。が、ニミッツがカリフォーニア大の理事を退任した直後の映画である。
ニミッツは来日して葬儀にまで列席するくらい東郷平八郎を崇拝してたらしく、
「日本海」「ニミッツ自身潜水艦艦長だった」ことから、ひょっとすると、
荒廃した戦艦三笠の復興に寄与するための資金源だったのかもしれない。
また、
レイガン大統領は、「狙撃されて死ななかった唯一の大統領」である。
(狙撃の武器が靴だったブッシュ・ジュニアは除く)
それにしても、
いわゆる"サタデイ・ナイト・スペシャル(=バッタもの、粗悪品)"のリヴォルヴァーとはいえ、
至近距離からだと、発射した6発中4発が一発ずつ4人に被弾し、おそらくは
最初に狙った弾がレイガンの心臓をかすめて肺で止まってた、のである。
が、
このときのレイガンはその機知ぶりを発揮した。まず、
弾丸摘出をする手術スタッフに対して、
"Please tell me you're all Republicans."
(拙大意=君たちみんな共和党員だよな、なぁ)
と言い、夫人には、レイガンが子供のときに
ヘヴィ級チャンピオンのジャック・デンプスィが相手のダウン中に
ニュートラル・コーナーにいかなかったためにその間カウントされず、逆に
ダウンを奪われて結果として判定負けになったときに言ったセリフを引用した。
"Honey, I forgot to duck"
(拙大意=心配かけてごめんよ、奴の弾丸パンチをかわし忘れちゃった)
2004年6月5日に93歳で死んだレイガンは、その6日後、
DCにおいて21発の礼砲が撃たれる国葬で送られ、
カリフォーニアに空輸され、
ロナルド・レイガン・ライブラリの敷地内で埋葬式が執り行われ、
ナンスィ夫人が棺に跪き別れを告げ、美しい日没の中で埋葬された。
栄光につつまれ、最期はアルツハイマーで死の恐怖も感じることなく。史上、
もっとも幸せな人生を送った人物のひとりだったことは確かである。
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