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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月31日・ジョン・ライドンの光

2021-01-31 | 音楽
1月31日は、作家、大江健三郎が生まれた日(1935年)だが、ロックミュージシャンのジョン・ライドン(またはジョニー・ロットン)の誕生日でもある。伝説のパンク・ロック・バンド「セックス・ピストルズ」を率いたヴォーカリストである。

ジョン・ライドンは、1956年1月31日、英国ロンドンで、貧しいアイルランド移民の息子として生まれた。アイルランド系、ジャマイカ系の貧困層が暮らす、犯罪の多い地区で育った。7歳のころ、ジョンは髄膜炎をわずらい1年ほど入院した。その期間、幻覚や吐き気、頭痛に悩まされつづけた。
学校へ通うようになったジョンは、ひじょうに恥ずかしがりで内気な少年で、体罰がこわくて、授業中「トイレに行きたい」と言いだせず、ズボンのなかに便をもらして、そのまま一日中がまんしていたこともあったという。
19歳のとき、ジョンは、ピンク・フロイドのTシャツに、自分で「おれは嫌いだ」と書き足したものを着て街を歩いていてスカウトされた。
ピストルズは、企画され、作られたバンドである。ジョンはボイス・トレーニングのレッスンに通い、スタジオで練習を重ねた後、20歳のとき、ロック・バンド「セックス・ピストルズ」としてデビュー。その荒々しい音楽と反体制的な歌詞で、圧倒的な注目を集めた。
21歳のとき、ピストルズのデビューアルバム「勝手にしやがれ(原題は『安心しろ、キンタマ』といった意味)」を発表。収録された楽曲は煽情的、反抗的な歌詞のオンパレードで、作詞はすべてジョニー・ロットンによる。ジョンは巻き舌で歌った。
「おれは反キリストだ。おれは無政府主義者だ」(アナーキー・イン・ザ・UK)
「英国の夢に未来ない。おまえたちに未来はない」(ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン)
彼らの楽曲は物議をかもした。ゲリラライブを敢行し、逮捕されたこともある。
ジョンたちの反体制的なスタイルは商業上の営業戦略だったが、保守的な人々の怒りを買った。ジョンはロンドン街を歩いていてナイフで切りつけられ、ナタでひざを割られた。
ピストルズは一世を風靡したが、短命だった。バンドが米国ツアー中の1978年、ジョンが、22歳になる直前、バンドからの脱退を宣言。バンドは空中分解となった。
セックス・ピストルズのボーカリストだったころは、ジョニー・ロットン(「腐ったジョニー」の意味)と呼ばれていたジョンは、ピストルズを脱退して、ジョン・ライドンになった。彼はパブリック・イメージ・リミテッド(PiL)を結成。パンクとは異なる、知的に構成された新しい音楽を追求しだし「メタル・ボックス」「ライブ・イン・東京」などを発表。そのスマートな知性と、時代の何年も先をゆくセンスを示した。

セックス・ピストルズをはじめてテレビで観たときの衝撃は忘れられない。騒音的なサウンド。両手を重ねてマイクをにぎり、マイクスタンドにすがりつくように、足をふらつかせ、目と歯をむき出して憎々しげに歌うジョニーのヴォーカルスタイルは斬新だった。一語一語の音を誇張し、ドイツ人のような巻き舌で歌う英語も特徴的だった。
すぐに「勝手にしやがれ」を買い、夢中になって聴いた。不良で、頭がよくて、獣のようにしなやかで。ジョニー・ロットンは青春の光だった。
(2021年1月31日)



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