10月7日は「トウナン」のゴロ合わせで「盗難防止の日」。この日はロシアのプーチン大統領が生まれた日(1952年)だが、理論物理学者、ニールス・ボーアの誕生日でもある。
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは、1885年、デンマークのコペンハーゲンで生まれた。父親は生理学の大学教授だった。
青年時代はサッカー選手だったボーアは、18歳のときコペンハーゲン大学に入学、26歳で英国へ渡り、ラザフォード博士など英国の物理学者たちと交流した。ラザフォードは、薄く延ばした金属にアルファ波をぶつける照射実験をして、長岡半太郎の提案した原子模型が正しいことを証明し、原子核のまわりを電子がまわっている原子のモデル「ラザフォードの原子模型」を提案した人物である。
翌年、コペンハーゲン大学にもどったボーアは、マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して「ボーアの原子模型」を確立した。これは、それまで説明できなかった原子の実験結果をみごとに説明するものだった。
ボーアは36歳のとき、コペンハーゲンに理論物理学研究所を開き、内外の物理学者を招いた。これが「コペンハーゲン学派」と呼ばれる学者集団となった。
37歳でボーアはノーベル物理学賞を受賞。
彼が62歳のとき、デンマーク王室は、同国最高の栄誉である象の勲章(Order of the Elephant)をボーアに授与することを発表した。これは通常、王族か首相経験者のみが得られる勲章だったが、ボーアの場合は特例だった。この勲章を受けた者には、自分の紋章を王家の城に飾る栄誉を与えられるが、ボーアは中国の陰陽のシンボルマーク「太極図」を取り入れたデザインの紋章を作り、提出した。ボーアが解き明かした量子の世界の真実は、波と粒子の二面性をもっていて、それが、陰のなかに陽があり、陽のなかに陰があるという東洋思想に通じるものがあったからである。
ボーアは1962年11月、心不全のため、カールスバーグの自宅で没した。77歳だった。
ボーアらが明らかにした世界は、あちらにいたものが忍者のようにパッと消えて、こちらに姿をあらわし、あるいは、この瞬間にそれがここにいるかどうかはわからず、それを確認しようとした観察者自身がその観察結果に影響を与え、結果を左右してしまうので、いるかもしれないし、いないかもしれない、ただ、そこにいる確率が数値で表せるだけだ、というへんてこりんなものだった。
こういうあいまいな部分を含む世界観を、相対性理論のアインシュタインは嫌って、
「神はさいころを振らない」
と批判したのだけれど、かといって、アインシュタインにも量子の世界を説明するほかの理論があるわけでもなかった。
物理学の門外漢ながら、ボーアの世界観のほうが、ほんとうだという気がする。量子力学の世界というのは、とりもなおさず、われわれが生きているこの現実世界のことで、考え出すと飽きない。
(2023年10月7日)
●おすすめの電子書籍!
『科学者たちの生涯 第二巻』(原鏡介)
宇宙のルール、現代の世界観を創った大科学者たちの生涯、達成をみる人物評伝。ハンセン、コッホから、ファインマン、ホーキングまで。知的感動のドラマ。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーアは、1885年、デンマークのコペンハーゲンで生まれた。父親は生理学の大学教授だった。
青年時代はサッカー選手だったボーアは、18歳のときコペンハーゲン大学に入学、26歳で英国へ渡り、ラザフォード博士など英国の物理学者たちと交流した。ラザフォードは、薄く延ばした金属にアルファ波をぶつける照射実験をして、長岡半太郎の提案した原子模型が正しいことを証明し、原子核のまわりを電子がまわっている原子のモデル「ラザフォードの原子模型」を提案した人物である。
翌年、コペンハーゲン大学にもどったボーアは、マックス・プランクの量子仮説をラザフォードの原子模型に適用して「ボーアの原子模型」を確立した。これは、それまで説明できなかった原子の実験結果をみごとに説明するものだった。
ボーアは36歳のとき、コペンハーゲンに理論物理学研究所を開き、内外の物理学者を招いた。これが「コペンハーゲン学派」と呼ばれる学者集団となった。
37歳でボーアはノーベル物理学賞を受賞。
彼が62歳のとき、デンマーク王室は、同国最高の栄誉である象の勲章(Order of the Elephant)をボーアに授与することを発表した。これは通常、王族か首相経験者のみが得られる勲章だったが、ボーアの場合は特例だった。この勲章を受けた者には、自分の紋章を王家の城に飾る栄誉を与えられるが、ボーアは中国の陰陽のシンボルマーク「太極図」を取り入れたデザインの紋章を作り、提出した。ボーアが解き明かした量子の世界の真実は、波と粒子の二面性をもっていて、それが、陰のなかに陽があり、陽のなかに陰があるという東洋思想に通じるものがあったからである。
ボーアは1962年11月、心不全のため、カールスバーグの自宅で没した。77歳だった。
ボーアらが明らかにした世界は、あちらにいたものが忍者のようにパッと消えて、こちらに姿をあらわし、あるいは、この瞬間にそれがここにいるかどうかはわからず、それを確認しようとした観察者自身がその観察結果に影響を与え、結果を左右してしまうので、いるかもしれないし、いないかもしれない、ただ、そこにいる確率が数値で表せるだけだ、というへんてこりんなものだった。
こういうあいまいな部分を含む世界観を、相対性理論のアインシュタインは嫌って、
「神はさいころを振らない」
と批判したのだけれど、かといって、アインシュタインにも量子の世界を説明するほかの理論があるわけでもなかった。
物理学の門外漢ながら、ボーアの世界観のほうが、ほんとうだという気がする。量子力学の世界というのは、とりもなおさず、われわれが生きているこの現実世界のことで、考え出すと飽きない。
(2023年10月7日)
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