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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6/21・「巨大な知性」ライプニッツ

2013-06-21 | 科学
6月21日には、仏国の実存主義哲学者サルトルが生まれた日(1905年)だが、独国の天才、ライプニッツが誕生した日でもある(ユリウス暦による)。
人類史上、誰がいちばん頭がよかったか、と考えるとき、アリストテレスとか、ダ・ヴィンチとか、ゲーテ、ニュートン、アインシュタインなど、いろいろな候補が頭に浮かぶけれど、自分など「やっぱりこの人かな」と思うのが、ライプニッツである。ほかの偉人たちの頭脳の大きさが、おおよそこれくらいかなと推し量られるのに対して、ライプニッツの頭脳は、いまだ誰にも見当がつけられない、それほどスケールの大きな人である。

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツは、1646年、独国のライプツィヒで生まれた。倫理哲学の大学教授だった父親は、ゴットフリートが6歳のときに没し、息子は母親に教育を受けて育った。彼は父親が残した膨大な蔵書を、7歳から読みはじめた。多岐の分野にわたる蔵書の多くはラテン語で書かれていたが、12歳のころにはなんの苦もなく読めるようになっていたという。
神童として知られたライプニッツは、15歳の年に、ライプツィヒ大学に入学し、哲学を専攻した。後に法学も修めたが、学者にはならず、官吏、外交官の道を選んだ。哲学や数学、論理学、形而上学など、幅広い分野で著作をしつつ、マインツ、ハノーヴァーなどの宮廷に使えた。ヨーロッパを広く行き来し、ニュートンやスピノザとも親交があり、微積分法の発見については、ニュートンと、その第一発見者の名誉を争った。
晩年には貴族に列せられたが、政治的な後ろ楯を失い、冷遇され、1716年11月、70歳のとき、ハノーファーで没した。葬儀は近しいものだけでひっそりとおこなわれ、没後50年以上、彼の墓には墓碑銘がなかったという。

自分は学生時代、哲学概論の講義が好きだったけれど、なかでもライプニッツの考え方について、興味深く聞いた。たとえば、ライプニッツは「単子論」で有名である。宇宙のすべては、モナド(単子)という最小単位のものが集まってできている。モナドは、物質の最小単位であるアトム(原子)とはちがう。モナドは、生命や精神の原理をも含む概念である。そういうところから話を進めて、ライプニッツは、宇宙や神といった大きな存在まで、この世にあるものすべてを定義づけ、体系づけていく。そんなことを勉強しながら、自分は思った。
「ライプニッツという人は、おもしろい考え方をする人だなあ」

ライプニッツは、数学、哲学など、自分の多岐にわたる研究を、ひとつの大きな学問体系にまとめようとする考えを持っていたようだ。この辺、ドイツ人気質を感じる。しかし、ライプニッツは多忙のため、その体系をまとめきれなかった。ライプニッツには未完の著作が多く、また、18世紀からずっと刊行が続けられている彼の全集は、21世紀に入った現在も刊行中で、まだ日の目を見ていない彼の著作は山のようにあるらしい。だから、彼がなにを目指していたのか、誰にもわからない。
ライプニッツが生きた時代、とくに哲学や科学の分野では、英仏が先行していて、独国は後進国扱いされていた。それで余計に、周囲に理解者がなく、苦しんだ面もあったようだ。彼を率先して評価したのは、むしろフランスの学者たちだった。
恵まれない環境のなかでも、優秀な人はかならず頭角を現してくるし、そういう人は、周囲の理解を得られなくても、遠くに知己を求めたり、ひとり勉学を深めたりして、かならずみずからを成長させていくものだ。ライプニッツの生涯は、そういうことを教えてくれていると思う。
(2013年6月21日)


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