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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

7/23・チャンドラーの粋

2013-07-23 | 文学
7月23日は、『五重塔』『運命』を書いた文豪、幸田露伴が生まれた日(慶応3年、1867年)だが、米国の推理作家、レイモンド・チャンドラーの誕生日でもある。
チャンドラーは「私立探偵フィリップ・マーロウ」シリーズを書いた作家である。
「タフでなければ生きていない。やさしくなければ、生きている価値がない」
フィリップ・マーロウが小説中で吐いたこの有名なせりふを、自分は小学生のころから知っていた。でも、チャンドラーの小説は、やはりお酒が飲める年齢になってからでないと、なかなか味わえない性質のものだと思う。

レイモンド・ソーントン・チャンドラーは、1888年、米国イリノイ州のシカゴで生まれた。レイモンドがまだ子どものころ、両親は離婚し、レイモンドは12歳のとき、母親とともに英国へ渡った。レイモンドは高校を出ると、仏国パリ、独国ミュンヘンなどに留学した後、イギリスへ戻り、19歳のとき、英国国籍を取得した。海軍に勤務した後、新聞や雑誌に文章を発表。23歳のときにアメリカへもどった。石油会社役員などを務め、35歳のとき、18歳年上にあたる53歳の女性ピアニストと結婚した。
世界的大不況中の1932年、44歳で失業。その頃読んだガードナーやハメットなどのハードボイルド探偵小説に強く影響され、一念発起して探偵小説を書きはじめた。
51歳の年に、私立探偵フィリップ・マーロウ・ シリーズの第一作『大いなる眠り』を発表。独特の美学を持ったこのタフガイ探偵マーロウの創造と、洒落た警句や比喩のちりばめられた華麗な文章によって、一躍人気作家になった。ほかに『さらば愛しき女よ』『かわいい女』『長いお別れ』などがある。
チャンドラーが66歳のとき、年上の妻が闘病の末に没した。最愛の妻を失ったチャンドラーは酒びたりの生活を送りだし、うつ状態に沈み、自殺未遂を起こしたりした。その後、周囲の励ましもあって、70歳の年、久々にマーロウが登場する新作『プレイバック』を発表して復活したが、71歳の日を迎えることなく、1959年3月に没した。

自分がどうしてチャンドラーを知ったかというと、大好きな作家、イアン・フレミングがエッセイのなかでしきりにチャンドラーを褒めていたからである。フレミングは、
「お金のために書く」
と宣言し、レイモンド・チャンドラーをお手本にして、敢然とミステリーを書きはじめた。チャンドラーのレベルを目指すことは、けっして恥ずかしいことではない、と。そうして、フレミングは007号ジェイムズ・ボンド・シリーズを書き、大ベストセラー作家になった。成功した二人の作家、フレミングとチャンドラーが話している録音を自分は持っている。録音のなか、二人は、どこまでも徹底的に悪い人間というのはいないものだ、というようなことを語り合っていた。

拙著『名作英語の名文句』の第1集と第2集の両方で、自分はチャンドラーの作品を取り上げたが、チャンドラーの魅力は、なによりまず第一に、主人公マーロウの粋なせりふである。自分はチャンドラーの英書を持っていて、ときどき開いてみる。

「作家を救済する唯一の方法は、書くことだ。作家のなかに光るものがあれば、それはいずれ現れるだろう」(But the only salvation for a writer is to write. If there is anything good in him, it will come out.: Raymond Chandler, The Long Good-bye, Three Novels, Penguin Books)
たまにはこんな粋なせりふを吐いてみたいものだと思う。
(2013年7月23日)



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