桃の節句、ひな祭りの3月3日は、『暗くなるまで待てない!』の映画監督、大森一樹が生まれた日(1952年)だが、仏国のエッセイスト、アランの誕生日でもある。
アランは本名を、エミール=オーギュスト・シャルティエといい、1868年にノルマンディー地方モルターニュ=オー=ペルシュで生まれた。
アランは学校を出た後、リセ(高校)の教師になった。教師業のかたわら、地元の「ルーアン新聞」紙上に、アランのペンネームで、コラム「日曜日のプロポ(propos、仏語で談話、むだ口などの意)」の連載。プロポの中から幸福に関係のある記事を集めたのが『幸福論』である。65歳で教職を退職。1951年6月、83歳で没した。
アランの教え子に、夭逝した女流哲学者シモーヌ・ヴェイユがいる。
アランという名前を、小林秀雄の文章を読んでいて、はじめて知った。
「アランは大学の学生時代、好んで読みました。(中略)僕は当時ベルグソンを愛読してゐた。彼の思想はアランとはまるで違ふと哲学者は言ふかも知れぬが、僕には二人とも、とどのつまりはおんなじものを語つていゐる様に思はれます」(「アランの事」『小林秀雄全集 第三巻 私小説論』新潮社)
アランは幸福について、味わい深いことを言っている。
「私にとってとりわけはっきりしているのは、人は望まない限り、幸福にはなれないということである。だから、幸福を欲しなければならない。そして幸福を作り出さなければならない」(アラン著、神谷幹夫訳『幸福論』岩波文庫、以下同)
「悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す」
「じつは上機嫌などというものは存在しない。正確に言えば、機嫌というものはいつだって悪いものである。だから、幸福は意志と自制の賜物と言える。理性は、機嫌にも意志にも奴隷のように従うだけで、当てにならない」
もっとも共感を覚えたのは、決断についてのアランの意見だった。
「害悪にもいろいろあるが、最悪なのは決断できないこと、つまり優柔不断だとデカルトは言っている。なぜなのか説明はしていないが、繰り返しそう言っているのである。人間の本性をこれ以上的確に指摘した言葉があるだろうか。あらゆる情念がもたらす不毛な衝動は、この優柔不断ということで説明がつく」
「賭けでは、どれも厳密に平等な選択肢の中から、一つを選ばなければならない。このような抽象的なリスクは、言ってみれば熟考に対する侮辱である。とにかく意を決しなければならない。するとすぐに答が出る。そして、私たちの思考を蝕むあのいやな後悔は、けっして湧いて来ない。なぜなら、後悔する理由がないからだ。「もし知っていたら」ということはできない。事前に知ることはできないのが、賭け事の決まりである」
彼の『幸福論』で、いちばん有名なことばは、つぎの文句かもしれない。
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」
思い当たるところがある。
(2021年3月3日)
●おすすめの電子書籍!
『思想家たちの生と生の解釈』(金原義明)
「生」の実像に迫る哲学評論。ブッダ、カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、フーコー、スウェーデンボルグ、シュタイナー、クリシュナムルティ、ブローデル、丸山眞男など大思想家たちの人生と思想を検証。生、死、霊魂、世界、存在について考察。わたしたちはなぜ生きているのか。生きることに意味はあるのか。人生の根本問題をさぐる究極の思想書。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp
アランは本名を、エミール=オーギュスト・シャルティエといい、1868年にノルマンディー地方モルターニュ=オー=ペルシュで生まれた。
アランは学校を出た後、リセ(高校)の教師になった。教師業のかたわら、地元の「ルーアン新聞」紙上に、アランのペンネームで、コラム「日曜日のプロポ(propos、仏語で談話、むだ口などの意)」の連載。プロポの中から幸福に関係のある記事を集めたのが『幸福論』である。65歳で教職を退職。1951年6月、83歳で没した。
アランの教え子に、夭逝した女流哲学者シモーヌ・ヴェイユがいる。
アランという名前を、小林秀雄の文章を読んでいて、はじめて知った。
「アランは大学の学生時代、好んで読みました。(中略)僕は当時ベルグソンを愛読してゐた。彼の思想はアランとはまるで違ふと哲学者は言ふかも知れぬが、僕には二人とも、とどのつまりはおんなじものを語つていゐる様に思はれます」(「アランの事」『小林秀雄全集 第三巻 私小説論』新潮社)
アランは幸福について、味わい深いことを言っている。
「私にとってとりわけはっきりしているのは、人は望まない限り、幸福にはなれないということである。だから、幸福を欲しなければならない。そして幸福を作り出さなければならない」(アラン著、神谷幹夫訳『幸福論』岩波文庫、以下同)
「悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す」
「じつは上機嫌などというものは存在しない。正確に言えば、機嫌というものはいつだって悪いものである。だから、幸福は意志と自制の賜物と言える。理性は、機嫌にも意志にも奴隷のように従うだけで、当てにならない」
もっとも共感を覚えたのは、決断についてのアランの意見だった。
「害悪にもいろいろあるが、最悪なのは決断できないこと、つまり優柔不断だとデカルトは言っている。なぜなのか説明はしていないが、繰り返しそう言っているのである。人間の本性をこれ以上的確に指摘した言葉があるだろうか。あらゆる情念がもたらす不毛な衝動は、この優柔不断ということで説明がつく」
「賭けでは、どれも厳密に平等な選択肢の中から、一つを選ばなければならない。このような抽象的なリスクは、言ってみれば熟考に対する侮辱である。とにかく意を決しなければならない。するとすぐに答が出る。そして、私たちの思考を蝕むあのいやな後悔は、けっして湧いて来ない。なぜなら、後悔する理由がないからだ。「もし知っていたら」ということはできない。事前に知ることはできないのが、賭け事の決まりである」
彼の『幸福論』で、いちばん有名なことばは、つぎの文句かもしれない。
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」
思い当たるところがある。
(2021年3月3日)
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「生」の実像に迫る哲学評論。ブッダ、カント、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、フーコー、スウェーデンボルグ、シュタイナー、クリシュナムルティ、ブローデル、丸山眞男など大思想家たちの人生と思想を検証。生、死、霊魂、世界、存在について考察。わたしたちはなぜ生きているのか。生きることに意味はあるのか。人生の根本問題をさぐる究極の思想書。
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