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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月13日・大宅壮一の節

2024-09-13 | 歴史と人生
9月13日は、作曲家、アルノルト・シェーンベルクが生まれた日(1874年)だが、評論家、大宅壮一(おおやそういち)の誕生日でもある。

大宅壮一は、1900年、大阪、現在の高槻で生まれた。実家は醤油屋だった。
彼は三男坊だったが、父親は酒飲みのどんぶり勘定で、兄は商売嫌いで店のお金をもって遊びに行ってしまうような放蕩者だったため、壮一はこどものころから商売を教え込まれ、中学校に通いながら醤油屋の経営をみていた。
中学のころから、中学生向けの雑誌に作文や俳句を投稿して多くの賞品を獲得していた彼は、18歳のとき、米騒動のときに、民衆蜂起をあおる演説をして退学処分となった。仕方なく検定試験を受けて、高校入学資格を得た。
その後、三高をへて東大に入学した大宅は、英語教師のアルバイトをしながら、ジャーナリストの活動をはじめ、同人誌「新思潮」(第七次)の同人にもなった。「新思潮」は、第一次には小山内薫、第二次に谷崎潤一郎、第三次に山本有三、第四次は芥川龍之介、第六次は川端康成が同人だったという東大の名門文学雑誌である。
やがて、ジャーナリズムの仕事が忙しくなった大宅は、大学を中退。
雑誌に評論を書き、単行本のシリーズを企画編集し、翻訳家を組織して翻訳シリーズを出し、出版界で活躍した。
戦中は海軍の宣伝班としてジャワに派遣され、乗っていた船が撃沈され、泳いで逃げ、一命を拾ったこともあった。
戦後も評論活動を活発におこない、67歳のときには、「大宅壮一東京マスコミ塾」を開き、後進の育成にも努めた。
1970年11月に没した。70歳だった。大宅が没した3日後に、三島由紀夫が東京の自衛隊市ケ谷駐屯所に押しかけ割腹自殺をとげた。
大宅は時代を風刺した造語を次々に世に送りだしたので有名で、テレビの悪影響を揶揄した「一億総白痴化 」のほか、「駅弁大学」「男の顔は履歴書である」「恐妻」「口コミ」「太陽族」など、数々の流行語を造った。

お金儲けの本で有名な作家、邱永漢(きゅうえいかん)が『日本天国論』という本を出したら、めったに人をほめない評論界の大御所の大宅壮一がほめた。そのとき、邱が小説に比べて評論の原稿料が安いことを言うと、大宅はこう言ったそうだ。
「それだよ。評論は会話もないし、改行も少ない。小説のように『……』とか、『あら』とか、『いや』とか、二字三字で二十字一行稼ぐわけにはいかない。だから僕なんか書きまちがえても絶対に書き直しをしないで、まちがえたと思ったら、そのあとに、『という説もあるけれど私はこう思う』とつぎ足してしまいますよ。安い原稿料でいちいち書き直していたら損だから、僕は書きなおすくらいなら節を曲げるよ」(『邱永漢『私の金儲け自伝』徳間書店)
これは大宅壮一一流のユーモアであり、大宅も絶対に書き直したり推敲したりしているにちがいないのだが、こういうことをさらりと言ってのける大宅の生臭さ、気取りのなさ、それから大家然としていないところに感心する。
(2024年9月13日)



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