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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月24日・ボーマルシェの足

2020-01-24 | 文学
1月24日は、ドイツロマン派の作家ホフマンが生まれた日(1776年)だが、劇作家ほか多才な活躍をした才人ボーマルシェの誕生日でもある。

ボーマルシェことピエール=オーギュスタン・カロンは、1732年、フランスのパリで生まれた。10人きょうだいの7番目の子どもで、父親は時計職人だった。
13歳のとき、時計職人の修業をはじめ、やがて女性たちが放っておかない美しい若者に成長したピエールは、遊び好きの放蕩者となり、工房の高級時計を勝手に持ちだしてお金に替えて遊んだが、腕は抜群で、21歳で正確に時を刻む画期的な速度調節装置を発明した。
この発明を、王室ご用達の一流時計職人が盗み、自分の発明であると宣伝した。怒ったピエールは、設計図など資料をそろえ、科学アカデミーに「おそれながら」と訴えでて、アカデミーから「ピエールこそ発明者」とのお墨付きをもらった。これにより、一気に立場逆転、ピエールは王室ご用達の時計職人となった。
国王ルイ15世に面会し、王の愛人ポンパドゥール夫人のために精巧な指輪時計を作ったピエールは、宮廷内に交友関係を広め、23歳のとき、配膳係をする宮廷の役人となった。
そして24歳で貴族の未亡人と結婚した。この結婚相手がボーマルシェの地に土地をもっていたので、ピエールは「カロン・ド・ボーマルシェ」と貴族風に名乗るようになった。
翌年、妻が病死し、妻の資産は妻の実家へいき、彼はしがない独身の役人にもどった。

文学と音楽に通じていたボーマルシェは、ハープを改良して宮廷で演奏し喝采を浴び、やがてルイ15世の娘たちに乞われて王女らの音楽教師になった。王女たちの覚えめでたいことは、王に取り入りたい財界人たちと彼とを近しくさせ、しだいに金まわりがよくなった彼は29歳のとき「国王秘書官」の肩書をお金で買い、正式に貴族になった。
その後、王宮の密命をおびてスペインへ渡り外交工作をし、国内では森林開発事業に手を染め、35歳のとき『ユージェニー』が初演され、彼は戯曲家としてデビューした。
事業にまつわるいざこざや、遺産相続ほかの金銭問題、あるいは私怨で、幾多の法廷闘争を繰り広げ、国王の密偵として王室スキャンダルの火消しに英国ほか諸外国を飛びまわり、フランス政府の密命を受け、独立戦争を起こした新大陸の反乱軍(後の合衆国軍)へ物資を届けた。牢獄に入ったり出たりしつつボーマルシェは、43歳で『セビリアの理髪師』を、52歳で『フィガロの結婚』を書いた。

彼はまた、法廷闘争にあたって、世論を味方につけるべく、裁判で闘う相手方を風刺し滑稽に描いた『覚書』という小冊子を出版しては、たちまち売り切れる大評判をとった。

フランス革命勃発は、ボーマルシェが57歳のとき。パリに贅をつくした大邸宅を建てていた彼は、62歳で全財産を没収され無一文になり、ドイツで亡命生活を送った。2年後に国外退去状態が解け、晴れて帰国。失った名声と財産を取り戻すべく彼は運動を起こし、それが実りつつあった1799年5月、パリで没した。67歳だった。

ボーマルシェの戯曲『セビリアの理髪師』と『フィガロの結婚』を読んだ。いずれも風刺がきいた楽しい恋愛コメディで、前者をロッシーニが、後者をモーツァルトがオペラ化したのはご存じの通りである。
生涯を通じて女性に大いにもて、きらめく知恵と活力で行動した人、ボーマルシェ。ジェットコースターのように激しく上昇下降した彼の人生は、彼が書いた戯曲よりもずっとドラマティックで現実離れしている。超人的な足どりで駆けぬけた一生だった。
(2020年1月24日)



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