1月12日は、作家、村上春樹が生まれた日(1949年)だが、スイスの教育家ペスタロッチの誕生日でもある。
ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチは、1746年、スイスのチューリッヒで生まれた。イタリア系の家系で父親は医者。ヨハンは3人きょうだいのまん中で、兄と妹がいた。
子どものころ、ヨハンは、農村地帯に住む親戚の家へ行き、いなかの子どもたちが貧しいため、学校に行けず、働いている現実を見てショックを受けた。都会のチューリッヒならば、まだ学校に行っている年ごろなのに、と。
大学で神学、言語学、哲学などを学んだ後、ペスタロッチは、22歳のとき、アールガウ州のブルック村に土地を購入し、そこを「ノイホーフ(新しい農場の意)」と名付け、農場経営をはじめた。さらに28歳のころから紡績業をはじめ、貧しい子女を雇い入れ、彼らを教える学校も並行してはじめた。経営状態は火の車となった。
50人の子どもたちにパンを与え、ペスタロッチは川の水を飲んで飢えをしのいだ。
紡績業は失敗し、貧民学校は閉鎖した。
30代なかばから、ペスタロッチは執筆に取り組み、教育書『隠者の夕暮れ』、教育小説『リーンハルトとゲルトルート』を発表した。
フランス革命の影響がスイスに波及し、ペスタロッチが52歳のとき、スイスでも革命が起き、革命政府が成立した。すると、ペスタロッチは革命政府の支援をとりつけ、53歳で、シュタンツの村で80人の戦争孤児を寺院に集め、教育をはじめた。ノミやシラミでいっぱいの、気持ちのすさんだ子どもたちと起居飲食をともにしてすごした。しかし、間もなく彼の孤児院はフランス軍によって接収されることになり、わずか半年ほどで廃院。喀血して倒れたペスタロッチは、療養し『シュタンツ便り』を書いた。
その後、小学校の教師になり、みずから教科書や教材を作り、教員のための教育法の書『ゲルトルート児童教育法』を書き、女子学校や聾唖学校を作り、生涯子どもの教育に奮闘した。そして、1827年2月、ブルックで病死した。82歳だった。
「二十八歳のとき農業を通じての教育を試みたが失敗し、餓死しそうになった。このとき、友人からわずかばかりの金を借りたが、家に帰る途中、牡牛が死んで泣いている農夫に出会った。『さあ、この金で新しい牛を買いなさい』といって、全額を渡してしまった。」(多湖輝『頭の体操 第5集』光文社)
この一文を中学生のときに読んで以来、ペスタロッチの愛読者になった。
「貧困の泥土のなかにあっては人はけっして人になれない」
ペスタロッチはそう言って、下層の子どもたちを教育によって救おうと終生児童教育に身を捧げた。労働者の生活環境改善に尽力した英国の実業家ロバート・オウエンも彼の学校を見学に来たというから、生前から彼の試みは有名だったのだろうけれど、ペスタロッチの学校経営はうまくいかず挫折が多かった。それでも、彼は挑みつづけた。
いい生活を望む以前に、まともな生活さえ望まない無私の境地。文字通り、他人のために身を投げだした人生だった。恐るべき人物だった。
ペスタロッチの墓のそばに州が建てた記念碑の碑文には、こうあるそうだ。
「すべてを他人のためになし、おのれのためにはなにも求めず。彼の名に恵みあれ!」
(2020年1月12日)
●おすすめの電子書籍!
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http://www.meikyosha.jp
ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチは、1746年、スイスのチューリッヒで生まれた。イタリア系の家系で父親は医者。ヨハンは3人きょうだいのまん中で、兄と妹がいた。
子どものころ、ヨハンは、農村地帯に住む親戚の家へ行き、いなかの子どもたちが貧しいため、学校に行けず、働いている現実を見てショックを受けた。都会のチューリッヒならば、まだ学校に行っている年ごろなのに、と。
大学で神学、言語学、哲学などを学んだ後、ペスタロッチは、22歳のとき、アールガウ州のブルック村に土地を購入し、そこを「ノイホーフ(新しい農場の意)」と名付け、農場経営をはじめた。さらに28歳のころから紡績業をはじめ、貧しい子女を雇い入れ、彼らを教える学校も並行してはじめた。経営状態は火の車となった。
50人の子どもたちにパンを与え、ペスタロッチは川の水を飲んで飢えをしのいだ。
紡績業は失敗し、貧民学校は閉鎖した。
30代なかばから、ペスタロッチは執筆に取り組み、教育書『隠者の夕暮れ』、教育小説『リーンハルトとゲルトルート』を発表した。
フランス革命の影響がスイスに波及し、ペスタロッチが52歳のとき、スイスでも革命が起き、革命政府が成立した。すると、ペスタロッチは革命政府の支援をとりつけ、53歳で、シュタンツの村で80人の戦争孤児を寺院に集め、教育をはじめた。ノミやシラミでいっぱいの、気持ちのすさんだ子どもたちと起居飲食をともにしてすごした。しかし、間もなく彼の孤児院はフランス軍によって接収されることになり、わずか半年ほどで廃院。喀血して倒れたペスタロッチは、療養し『シュタンツ便り』を書いた。
その後、小学校の教師になり、みずから教科書や教材を作り、教員のための教育法の書『ゲルトルート児童教育法』を書き、女子学校や聾唖学校を作り、生涯子どもの教育に奮闘した。そして、1827年2月、ブルックで病死した。82歳だった。
「二十八歳のとき農業を通じての教育を試みたが失敗し、餓死しそうになった。このとき、友人からわずかばかりの金を借りたが、家に帰る途中、牡牛が死んで泣いている農夫に出会った。『さあ、この金で新しい牛を買いなさい』といって、全額を渡してしまった。」(多湖輝『頭の体操 第5集』光文社)
この一文を中学生のときに読んで以来、ペスタロッチの愛読者になった。
「貧困の泥土のなかにあっては人はけっして人になれない」
ペスタロッチはそう言って、下層の子どもたちを教育によって救おうと終生児童教育に身を捧げた。労働者の生活環境改善に尽力した英国の実業家ロバート・オウエンも彼の学校を見学に来たというから、生前から彼の試みは有名だったのだろうけれど、ペスタロッチの学校経営はうまくいかず挫折が多かった。それでも、彼は挑みつづけた。
いい生活を望む以前に、まともな生活さえ望まない無私の境地。文字通り、他人のために身を投げだした人生だった。恐るべき人物だった。
ペスタロッチの墓のそばに州が建てた記念碑の碑文には、こうあるそうだ。
「すべてを他人のためになし、おのれのためにはなにも求めず。彼の名に恵みあれ!」
(2020年1月12日)
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