http://webronza.asahi.com/global/2011070800001.html から
ドイツだけで昨年までに150万部以上売れた青少年向けの原発事故小説がある。「
Die Wolke(ディヴォルケ、邦訳は“みえない雲”(小学館文庫)」だ。
原発事故に巻き込まれた14歳の少女を主人公にした近未来小説で、チェルノブイリ原発事故の翌年に出版され大きな反響を呼んだ。
以後、日本も含む13カ国で出版、2006年には映画化もされた。
3月11日の福島原発事故の数日後、ドイツの有力新聞や週刊誌は次々と、この本と著者に再びスポットを当てた。
今また版を重ねているこの本の著者は、グドゥルン・パウゼヴァング(Gudrun Pausewang)氏(83)だ。
定年まではドイツ語教師をしながら、絵本から成人向け小説まで92冊を出版し、22年前からはこれらの著書を紹介する朗読会を毎年続けてきた。訪れた15カ国のうち、原発のないデンマークや70年代に原発建設を途中でやめたオーストリアといった脱原発先進国からは、特に頻繁に招待された。
パウゼヴァング氏はインタヴューの前に、「これが日本でいちばん読まれた私の本です」と、核戦争後の被曝者たちの生活を描いた邦訳「最後の子どもたち」を見せてくれ、フクシマの原発震災にとても心を痛めていると前置きして、語り始めた。
―小説に書かれたような原発事故が、被曝国日本で現実に起こってしまいました。
日本の防災計画については知らないが、ドイツで原発事故に備えた訓練の経験からも、事故後の対応の遅れや混乱は容易に想像がつく。
ある大都市近郊での訓練で、記者が警察の責任者に「近くの病院に被曝患者のためのベッドは何床あるか」と質問したら、「2~3床」という答えだった。
また、ある自治体の計画では、車を持たない人たちは市庁舎など公共の建物に集合し、まとまってバスで避難となっている
。だが、リポーターがバスの運転手に「原発事故直後の深刻な事態にあなたは本当に街中に入っていくか」と尋ねた時、運転手はこう答えた。
「我々も馬鹿じゃない。自分の家族のことを考えたらそんな危険なことはできない。
第一、バスで人々を迎えに行ったとしても、街じゅう大混乱で今度は出てこられなくなるだろう」。
そのほか、私の小説を読んだ生徒たちが、地元自治体の原発事故対策マニュアルを調べ校長にヨウ素剤の場所を尋ねたら、常備が必要なことすら知らなかったという。
―青少年向けの原発事故小説を書いた動機は?
1970年代、ドイツにはかなりの原発が建っており反対運動も盛んだった。
私自身もチェルノブイリ原発事故以前からIPPNW(核戦争防止国際医師会議)が発行した小冊子を読んだりしていた。
低・中・高線量の放射能被曝による症状など医学的内容が一般向けに平易に説明されており、後に「Die Wolke」の中での描写にとても参考になった。だが、その当時は反原発小説を書くことは夢にも考えてなかった。
きっかけはチェルノブイリだった。1986年ウクライナで原発事故が起きてから、毎日ニュースを聞くたびに、「もし住民の少ない1500km離れた土地ではなく、人口密度の高いドイツの真ん中で起きたら…」、と考えるようになった。
「子どもたちは砂場で遊べなくなり、野菜、キノコ、野生の動物を食べられなくなり、放射能を発する空気の中で生活しなければなくなる」と。
「そのような大惨事を想起してみてください」と、警告しなければならないと思った。
それに、原発や被曝の危険性は青少年も知る権利がある。だがそうした本は大人向けばかりだ。
そこで、若者に読みやすい小説という形で伝えようと考えた。出版社に電話したら、最後まで言い終わらないうちに「是非書いてください」という声が返ってきた。
チェルノブイリ事故の1ヵ月後に書き始め、10月に完成、翌年2月に出版したら、爆発的に売れた。
―1988年に「Die Wolke」がドイツ最高の児童文学賞(Deutscher Jugendliteraturpreis)を受賞しました
ドイツ児童文学賞を受賞してからは、本書を国語教材に採用する学校が増えただけでなく、それまで関心を示さなかった推進派の政治家や原子力業界の経営者たちにも読まれるようになった。
だが当初、児童文学賞担当の青少年・家族・健康省リタ・ズュースムート(Rita S醇гsmuth、博士号と大学教授の資格も持つ)大臣は、本書を選出しようとし、当時の原発推進政権の中で大反対に遭った。
そこで彼女は、賞の授与まで通常2週間ほどしかかからないところを、4~5カ月間時間稼ぎをした。
そして、反対派が賞のことを忘れたころを見計らって、こう理由付けをして受賞を発表した。
「もし著者が受賞だけを目的にし、政権政党の意向に従う作品を書くなら、そこに民主主義はない。
社会主義的な本だけが賞をもらえたDDR(旧東ドイツ)と同じだ」と。
受賞に反対する自分の党に対し「決めるのは私、あなたたちではない」と、断固として決定を変えなかった彼女の姿勢を、私は高く評価している。
ところで、彼女の時間稼ぎの戦略は今、日本の原子力企業(東電のこと)も使っている。待たせて待たせて忘れたころに、以前から分かっていたことをやっと発表したりね。
―4月に地元でチェルノブイリ25周年の反原発デモがあったとき、1万5000人の前で演説されたと新聞が大きく報じていました。こういうことは以前からよくあるのですか。
メッセージを送ってほしいという依頼はよくある。数年前にデモで話してくれと事前に頼まれたことはあるが、今年のデモには個人的に参加しており、話すつもりで行ったのではなかった。
ところが、現地で私が来ていることを知った活動家から、少し話してほしいと頼まれたので次のような話をした。
ナチス時代が終わり、子ども世代が「ナチスに対抗して何をしたか」と尋ねた時、親世代は何も答えられなかった。
私は自分が死んだ後、子孫からそのようなことを絶対に言われたくない。「核エネルギーに反対して、自分でできる限りのことはやった」
と答えられることが、私にとっていちばん重要であると。
―69冊の絵本や青少年向け小説で子どもたちに伝えたかったことは。
子どものときに読んだ本はハッピーエンドが多く、悪者は必ず懲らしめられる筋書きばかりだった。でも、現実の世界はそうではない。
チェコスロバキアにいた17歳の時、第2次大戦が終わり、父はロシアから戻ってこなかった。
ヒトラーの所業からドイツ人がチェコに残ることは将来のためによくないと考えた母は、6人の子を連れてドイツ移住を決めた。
いちばん下の弟は4歳半だった。私たちは、ドイツ国内を800km、7週間にわたり歩き続けた。
戦争は決してあってはならない。南米で数年間ドイツ語を教えた時は、第3世界の抱える問題に直面した。
そして、広島・長崎での原爆投下やチェルノブイリ原発事故など核の問題も考えた。
この三つが私の主題だが、読者には6歳であろうと60歳であろうと、真剣に受け止めてほしい。私の本は子どもを不安にさせると非難されることがあるが、不安がない、あるいは恐れを感じることができないならば、私たちの種族はとっくに存在していないだろう。
* * * * * * *
最後に、パウゼヴァング氏から日本の皆さんへの質問をうかがった。
・日本には常に地震の危険があるのに、なぜ54基もの原発建設を容認したのか。
・「Die Wolke」が有名になってから多くの自治体から朗読会に招待されたが、原発を稼動させている企業から多額の金が流れる原発立地からだけは呼ばれなかった。日本の事情も同様だろうが、原発の近くに住み、生まれた子どもが生き続けることができなかったら、何というつもりなのか。
・今回の福島原発事故による大惨事によって、批判的に考えることを学んだか。
皆さんはこれらの質問に対してどう回答されるだろうか。
![プロフィール](http://img.chess443.net/S2003/static/images201109/tit_global_profile01.gif)
- 川崎陽子(かわさき・ようこ)
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環境ジャーナリスト。大学卒業後、日本企業の半導体有機材料研究員、外資系企業の液晶基板用ガラス応用エンジニアを経てドイツに留学。応用工学修士(環境学と労働安全)取得後、ドイツ・EUの環境政策に関する調査や記事の執筆、視察手配、通訳、翻訳に従事。欧州で二人の子育て中。