いい日旅立ち

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米内光政①~最後の海軍大臣~

2019-05-28 17:00:38 | 政治

幼い頃、また、学生時代、
優秀であったり、人格者であったりした人が
のちに名を成すとは限らない。
わたしのクラスメートの中にも、
大成した人はいるが、
茫洋とした凡人であったとか、
単なるガキ大将としか思えなかった、
とかいう人も多い。

戦前、戦中、戦後に米内光政という軍人、政治家がいた。
死して後、昭和天皇が、
「惜しい人を亡くした」と述懐したことが知られている。

彼は、海軍兵学校の卒業席次が、125人中68位で、
特に優れた人とはみなされていなかった。

その伝記を、阿川弘之(阿川佐和子の父)が、
小説「米内光政」として著した。

終戦時の海軍次官井上成美は、
80人にものぼる歴代海軍大将のうち、
「1等大将は米内光政、山本権兵衛、加藤友三郎の3人だけだった」
と言っている。

太平洋戦争前、英米との闘いを避けるべし、
と、海軍三羽烏が戦った。
米内光政、
山本五十六、
井上成美である。
この3人は、日独伊三国同盟にも強く反対し、
世界戦争を避けようとした。

にもかかわらず、日米戦争が始まってしまった。
開戦に反対した米内光政海軍大臣は、
「米英と戦えば、日本は敗れる」と
明言した。

昭和天皇も開戦反対であったようだ。

戦争末期、米内光政は、海軍大臣として、
終戦に向かい、全力で戦った。

鈴木貫太郎内閣で、
ポツダム宣言を受け入れ、
日本は、全面降伏。

もし、
日本が全面降伏しなかったら、
本土が戦場となり、
日本という国は滅んでいたろう、
というのは、もう定説と言っていいだろう。

その米内光政の人柄を、
少しずつ調べようと思っている。
































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