オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【ベイトフィネスはいつから?】ダイワから1995年には提唱されていた!

2019年06月01日 00時00分58秒 | オズマのバスタックル

 バス雑誌の編集者よりも歴史を知る男,オズマです。単純に,バス釣りを始めた頃の雑誌をいまだにとってあるというだけですが,それだけ当時はセンセーショナルな出来事が多かったとも言えます。

 ベイトフィネスはすっかり定着し,メトロリバーでやっていない人は居ないほどになっています。自分は昔からやっているよ,という人も多い工夫の一つではあるのですが,メーカーがアピールしたのは結構前,実に1995年にはダイワが提唱しています。


当時はあまり理解されなかったような気がします。

 この当時のダイワは,だんだんシマノに追いつかれた頃です。いや,バンタムスコーピオンメタニウムXTによる「完全無欠のジャパンスタイル」が定着してきた頃で,ダイワの「海外バスプロを連れてきてプロモーション」という戦略に陰りが見え始めた頃ではないかと思っています。

 シマノがダイワを抜くなんて,スーパースピードマスターとかブラックマグナムの頃には考えられなかった時代です。


ときどき欲しくなってしまうこのリール。

 この「チームダイワS」は中古在庫もほとんどなく,仮にあったとしても部品供給がないため「ニコイチ」覚悟で作らなければなりません。そもそも,ダイワはSVにしてから一気に市場で巻き返しているし,自分もダイワのベイトならSV以外の購入はないなあ,というのも事実です。


当時の自重は280g。赤メタが225gだったことを思い出すといくらなんでもフィネスとは言えないような。

 これでも当時は高級リールで,「2万円したら十分高級品」だった時代。

 いつの間にか,いや,たぶん「初代アンタレス」の辺りから異常な高級化が進んだようにも思います。

 この頃の自分はまだ20代。いま考えると,猛烈な体力と時間,そして金銭をバス釣りにかけていました。こういう雑誌の広告も全部読み込む気合もありましたしね。

 それにしても,「フィネスベイト」と言われたこのシステムは定着しなかったのに,いまはすっかり「ベイトフィネス」で定着しました。

 自分の記事でも2011年辺りが導入の境になっています。いまじゃ絶対投げたくない「夢屋BFSスプール」ですが,当時はスコーピオンXTでやっていたのだから,我ながら新しいものが好きだったんだなと思います。

 まあ,たまに暇なことがあるとこうして昔話をするのはオジサンの特権です,という話でした


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