オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【2015年までの水郷釣行】ほぼ稲敷市だったのか...。

2024年05月21日 07時00分00秒 | オズマのその他釣りレポート

 ふと,へびんさんのブログで「天気予報が稲敷市になっていた」件から,自分も地図を見てみた。

 ウーム,いまなら明かせる。当時は「嘉襟之川」と称していた「新利根川」が大きく含まれている。「嘉襟之」は,20年ほど前にBBSで知った表記で,「かえりの」つまり「帰りの」と読むように,僕も水郷からの「帰りに」しばしば寄っていた。

 新利根川でのバス釣り自体は有名で,古くは1980年代から釣れていた。しかも当時は公共バス路線が生きていたので,土浦から行けたらしい。だが,2024年の時刻表を見ると不可能に近い。そもそも土浦からでは強烈に遠回りで,3時間はかかる道のりだ。メトロリバーで3時間釣りした方が明らかに釣れる確率が高いね。

 もっとも,新利根川以上に爆発的釣果を得たのは横利根川である。2012年から震災で改修されたが,それ以前は「ほぼシークレット」地域だった。霞ヶ浦も北浦も釣れていたから,わざわざ釣る必要がなかったのである。

 きっかけは,仕事関係の方が誘ってくれたこと。最初はラバージグ程度しか投げなかったが,1993年に「まじめに攻めてみよう」とやってみたら爆釣だった。まさに「水郷の穴場」だった,1995年までは。

 1995年の「キムタク」バス釣りブーム到来で,当時東村(あずまむら)で親しかったご近所の方々でさえ次々に川岸を「閉鎖」し始めた。2017年を最後に訪れていないし,もう自分は行かない場所だ。

 そして,横利根と対で開拓したのが西部与田浦である。1992年頃からポチポチやっていたが,当初は激しく釣れることがなかった。しかし,2004年秋頃からバイブレーション等で爆発し始め,2005年からさらに本格的に攻めて,十二橋の橋から「全部歩いて」開拓した。

 最終的に,この水域に多く見られる水路群でとくに春~夏によく釣れたものである。ただ,SNSでなくても雑誌の情報等ですぐに場所が拡散してしまうことが多く辟易したのも事実だし,とくに素掘りの水路は真冬に下見しておかないと春に機能するかどうかの想定がつかなかったが,そうした記憶も楽しかった。

 もっとも,新利根川では特に駐車スペースが少ないため,「ここに駐車しても大丈夫ですか」とあらかじめ訊いて駐車には気を使っていた(川沿いに停めるところは,いまでも数か所あるか・ないかだろう)。そのため「あんちゃん,今日の調子はどうだっぺ」なんて会話が普通にあった。2011年の大震災直後,比較的被害が少なかったのが新利根川であり,その意味でもずいぶん助けられたものである。

 いやまあ,それでも,とても早起きしていく距離でも場所でもなくなった。父も88歳,ようやく自営業をたたむ決意をしたようで,自家用車も不要になる。それでも不便にならないからね。

 また,市町村合併前,稲敷市になる前は,新利根村・河内村・東村・桜川村と,1990年代前半にして村が多くて何しろコンビニがない地域だった。利根川は栄橋付近に,いまでもきっとコンビニやらマツキヨがあるはずだが,当時はたしか地元の食料品店しかなく,少なくとも水戸街道経由で向かうときは必ず柏付近で食料を仕入れたものである。

 それにしても,3時起床なんて,もう出来ないネ


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