オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

2024/04/03-04 「大阪なんば出張と京都名刹めぐり」SLの汽笛が呼び覚ました!

2024年04月04日 21時39分07秒 | オズマ放浪の旅

2024/04/03-04 大阪なんば出張と京都名刹めぐり



 4/3は懸念されていた業務の打合せのため,自分を含めて2名で大阪は「なんば」に出張した

 仕事の結論は,業務量が2倍以上になる・しかし人は増えない,だ。

 ただ,一見無茶苦茶なことでも,それをこなしてきた大阪の徹底した合理化に深謝したし,感動した。これに感動できなかった経営者がわるいのだと断言する。でも,仕事の話はいくら書いていても自分が苦しいのでここで止める。

 4/3の夜,打合せが終わってから新快速で京都へ移動。それは,僕ももうひとりも「せっかく関西に来たからには」京都の名刹(好みは違う)に行きたい,という思いがあって,4/4を休暇にしていたからである。

 APAホテルに泊まったが,とんでもなく高額になっており,一泊28000円オーバー。2023年9月に瀬田で泊まったときは1万円もしなかったのに,さすがは観光シーズンである。

 4/4は,久々に深酒をしたにも関わらず5:50に起床。雨が降ると言われていたが,朝日がさしているではないか 天気予報も曇りとてきている。運が向いてきたのかも

 8:30に三十三間堂から出発。たぶん,4回めぐらいの来訪である。2000年代初頭,両親ともまだ元気だったときに連れ回した記憶が蘇る。でも,あのとき連れ回していてよかった。わるい意味でなく「冥土の土産」になる。あちらの世界で「ところで京都や奈良には」なんて話題が来たときに,「何も知らない」ではロボットであるからだ。

 三十三間堂で,千一体(1001体)・千手千眼観音菩薩に出会うと,やはり壮観である。どのお顔も美しく,1000年近くの時を刻んだ人々の思いがあふれている。慈悲に満ちた眼差しは,やはり「生きている仏様」なのだと改めて実感した。

 10時近くまで結局観ていて,次は近いから清水寺まで歩いてみることにした。だが,それはとてつもなくきつく感じた。道を覚えていても,インバウンド効果の影響凄まじく,観光客がすでにあふれている

 清水寺がこれまた大混雑。記憶では,一体だけ撮影可能な仏様があったはずなので,それを目指して行く。そして見つけた。



 これだけで十分ご加護があろうというもの。

 清水寺といえば縁結びの地主神社,というのが有名だが改修中。まあ,要らんけどネ。

 清水寺に長居はせず,次に向かうは永観堂。見返り観音さまの御慈悲にあやかりたいのである。

 だが,バスのめぐりあわせがわるいのと,クタクタになったのでタクシーで移動。とても気さくな運転手さんで楽しいひとときだった



 永観堂は基本的に禅寺だから仏教美術も絵画などが多い。しかし,この見返り観音に初めて出会ったとき,それは衝撃を受けたもの。自分のいままでの悪行を悔いた。今回なら,これからどうなすべきか,そのヒントが得られたようにさえ思う

 11:30になって,もうお昼というところだが,これ以上奥地を回るときりがないし,そもそも一回は行っている。そうだ,東寺に行こうということで,地下鉄・蹴上駅まで歩く。

 南禅寺は変わらず人が多いが,実はまったく興味がない。そう,禅寺に興味がない。いや,仏像に興味が深いというか,単純に信仰しているだけである。

 地下鉄で烏丸御池まで移動。烏丸線で九条まで移動。もう,東寺まで1キロチョイだ。



 見覚えある交差点を超えて行く



 東寺である。京都のシンボル的象徴。日本人のココロの故郷がここにある,と思っている。

 たぶん,東寺には10回以上の来訪歴あり。ただ,このブログ以前の時代でガラケーだったりしたので,撮影記録がまったくない

 護摩木が1本200円なので,最初は自分の満年齢を書いてしまった。講堂が先だったと記憶している。次に金堂に行く。

 そのとき,ふと見ると「数え年」で年齢を書くようにとなっている。したがって,護摩木をもう1枚追加である。1枚200円だったからいいけど。

 それにしても,自分が薬師如来のポーズを真似ていたら,外国人のある方が同じような所作をした。言葉は通じなくとも,あの方とはきっとココロでつながったのだと思う。

 この時点で13時。もうこれで帰宅するかと思っていたら「SLの汽笛」が聞こえた。耳鳴りとめまいのせいなのかと疑ったが,2回めが聞こえた。

 これは,星野鉄郎が『さよなら銀河鉄道999』のときに言った,あのセリフだ。「999...,999だ!」と。

 そこで,さすがは東寺,すぐにタクシーが来て「梅小路機関区に」と運転手さんに話すと,「いまは梅小路公園になっていて,さらに鉄道博物館があって,そこですよ」と教えてくれた。

 やはり気さくな運転手さんで「いやあ,いい年齢をして,鉄道が好きで」なんて話したら,「そういう感覚は大事にしておくのがいいですよね」という話になり,日本人・日本語のルーツ・ワビサビ・芸術がわかる東洋人は,という話になった。

 御免なさい,運転手さん,そのお話なら『ゴルゴ13』で知識にしていますなんて言っても大丈夫。いや,ホント,タクシーの運転手さんも大変なお仕事だが,実に気分よく移動できた

 そして,ついに鉄道博物館だ。








 会いたかった999。自分の中ではC62は999。それにしても動輪が大きくカッコイイ。これが昭和20年代のものとは思えない。黒光りしているのだから。


ここでやっと昼食。ラスト1個だったが旨かった。1300円の価値あり。


整備中だよ。マジで感動するう。


この言葉にもこれからの道のヒントがあるように思う。


SLの正体はC56だった。汽笛と水蒸気が「生きている」と教えてくれた。

 そういえば,14時頃に館内を移動しているとき「新幹線,少し遅らせよう」とスマートEXを確認すると16時予約のはずが14:03発になっている。速攻で予約変更をしたのはいうまでもない。あと3分遅ければとんでもない無駄遣いになるところだった。これを「見返り観音」の御慈悲であろうと理解するのは,僕だけだろうか

 15時近くになり,お土産をさらにここで追加。京都駅では何も要らないね,ビール以外は。

 そして15:30ののぞみにて帰京。19時前には自宅に戻っていた。

 4/5以降は「ロードマップ」を作成し,まずは上長に口頭で理解を得る。ややこしい人間関係ももちろん仕事だからあるが,もうそうした次元を飛び越える必要性を合理的・客観的にやるしかない。感情が先に動くのが日本人だが,データには素直に向き合おう。

 結局,先週来のめまい症状はかなり軽快された。まさに仏様のご加護であろう


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