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時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

お空を見ても

2013年09月11日 | かぞく
9月に入り幼稚園が再開。ところが娘は毎朝「おなか痛い」と主張。プール、水族館、花火と遊びたおした夏休みがあまりに楽しくて、まだ続いてほしいとでも思ってるんだろうと。幼稚園に行けば楽しそうなので、励ましつつ送り出していたら、三日目の夕方ついに発熱。仮病じゃなかった(反省)。

病院にいくと脱水気味との診断で点滴(当然泣く)、苦い薬を飲まされ、夜は39℃の熱が出て、と中々かわいそうな目に遭ったけれど、おかげで二日で完全復帰。かかり付けの医者によると、夏休み後半から胃腸カゼが流行り出したそうで、いま「きりん組」では4人くらいが交替で欠席中。

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今、私の母は、弟夫婦に生まれた孫、娘の従姉妹になるわけですが、この子の面倒を見る(&母親の援助)ため、ここ岐阜を離れて暮らしています。家が片付いて大変よいのですが(事情はここ)、整理をするたび、母が溜め込んだものが続々と出てくる。廃油洗剤が何本あるか分からないほどあるのを嫁さんが見つけた話を聞いた私が、「(母が)自分が死ぬまで使いきれないだろう」と言ったのに対して、嫁さんは「それどころか私たちが死ぬまであるかも」(たぶん誇張じゃない)。

ここで、熱でちょっとぐったり、嫁さんの腕に抱かれていた娘、両親が「死ぬ」を連発するのに反応したか、

「死んじゃったおじいちゃんやおばあちゃん、どこにいるのかな~。お空を見てもぜんぜん見えない」

と発言。嫁さんの祖父が亡くなったとき、火葬の際「おじいちゃんは煙になってお空に行ったから、ときどき思い出してあげてね」と言われたのをよく覚えているようで、しばしば口にしてはいましたが、実際に空にいる亡くなった人を見つけようとしているかのような発言には、返す言葉が見つかりませんでした。祖父にかわいがられて育った嫁さんはぐっと来たかも。ちょっとずつ、彼女なりに「死」に関して具体的なイメージが形成されつつあるのかも、と思わされた一幕でした。