た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

小雨(五杯目)

2005年10月04日 | 寄席
 それなら、とママさんは新たな煙草を取り出しました。煙草を箱に軽く叩きながら四五分間もあったでしょうか、火を点けるまでずいぶん長かった気がしますねえ。
 「もう二十年も前のことになります」
 ようやくママさんが口を切りました。
 「この店の前に橋があるでしょう」
 ええ、と私は相槌を打ちました。
 「小さな橋ですが、私にとっては人生のすべてと言っていい橋なんです」
 私ゃ相槌も控えましたよ。
 「ちょうど今日みたいな小雨の落ちる晩でした。好きになった男がいて、私より四つも若い医大生だったんですけどねえ。酒場で偶然知り合ってから、三ヵ月後のその小雨の晩まで、ずいぶん・・・ごめんなさい、のろけのようですけど、ずいぶん逢瀬を重ねました。私にとって人生で一番濃い時間の流れる三ヶ月でした。
 「でも当時の私は、仕立て屋のミシン娘。生きる唯一の楽しみは月に一度きりの外で飲むお酒だってくらいですから、将来を保証された医大生と添えるわけはないんです。ふふ、あの当時冗談で思ったんですけど、同じ縫う仕事でも、針が違えば人生が違うくらいの開きになるんですよ。(つづく)
 
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