た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

是々日々(2) ~睡魔~

2017年01月29日 | essay

  一夜明けて、休日。快晴である。いつもより余分に寝て、犬の散歩もいつもより少しだけ延長し、コーヒーを飲み、前稿の続きに取り掛かる。睡魔について書かなければいけない。別に誰にせかされているわけでも、誰が読みたがっているわけでもないにしても、自分で決めた以上、書かなければいけない。しかしなかなか気分が乗らない。

   窓から差す陽光は、春の到来を思わせるように明るい。庭の木に少し大きめの小鳥がやってきた。妻曰く春になるとやってくる小鳥らしい。目を凝らすと、枝先の蕾もずいぶん膨らんできている。

  いかんいかん、睡魔である。

  さて、この生理現象について、いよいよ人類は真剣に向き合わなければいけない時代になった。私はそこまで言い切りたい。声を大にして警告を発したい。人類の脅威は、今や、核兵器、環境問題、そして睡魔である。

  なぜに睡魔をそう重大視するのか? 睡魔に悩まされる人が急増しているからである。いいや、統計的根拠はない。あなたは日中眠くなって困ることがありますか? なんて世論調査はなされていない。どこかでなされているかも知れないが、私はあずかり知らない。ただ、私の知人で多いだけである。それも、いやあちょっと日差しが気持ちいいからつい眠くなってきたなあ、と伸びをして笑顔であくびをかみ殺す、というような平和な睡魔ではない。もっと危険な、生命の維持さえ危ぶまれる睡魔である。蟻地獄の淵に足を取られ、あっ、と叫んだ時には奈落の底にみるみる引きずり込まれていくような、圧倒的な吸引力で引き込まれる睡魔である。

  私の学生時代の先輩は、確か病名までもらっていた。「信じないだろうけどね」とその先輩は力なくつぶやいた。「ほんとに、急になるんだ。どうしようもないんだ。普通の睡魔とは違うんだよ」

  また、長い付き合いのある東京在住の友人は、一緒に食事をしたとき、しみじみと語った。「すげえんだ。何してても、眠くなるんだ。で寝ちゃうんだよ、一瞬。あ、お前、信じてないだろ」と言いながら、ふと言葉が途切れたかと思うと言った。「ほら、ほら、今眠ってたろ」

  彼の場合は少し誇張が過ぎる傾向があるが、しかしまんざら嘘でもないらしい。

  そして私。ここ数年、昼食をとってしばらくすると、まるでナルニア国の魔女のひと吹きで石に変えられたように(と言いながら、その逸話を人から聞き知っただけで、ナルニアの物語なんて全く読んでないのだが)、不可抗力的に、暴力的に、絶対服従的に、睡魔によって体を硬直させられるのである。

  サンプルはそれだけである。あ、もう一人、妻も最近「あなたのがうつった」と言っている。午後職場で必ずと言っていいほど眠くなるらしい。

  症状の深刻さの度合いには個人差があるだろうが、私の周りに私を含めて四人も患者がいたら、もう世界人類的にはWHO(世界保健機関)も黙っていられないほどの爆発的広がりを見せているに違いない。 

  と、ここまで書いたところで、家人に家の用事を言いつけられた。日曜日もおちおちパソコンに向かうことすらできない。読み返してみると、さすがに大言壮語の嫌いも伺える。続きを書くのが少し嫌になった。

  ということで、続きは次稿で。

 

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是々日々(1)

2017年01月29日 | essay

 自分の影を石畳に見つめながら歩く。背中は大寒の日差しを浴びて暖かい。

 近所の古道具屋は閉めている。張り紙を読むと、店主体調不良につき、とある。巷ではインフルエンザが流行っているから、それかも知れない。だとしたら気の毒なことである。歩を転じて路地裏に入れば、日陰の片隅には干からびた様な雪がまだ残っている。太った猫が体を揺すりながら軒から軒へ移動する。猫にインフルエンザはないのかしらん。そんなので苦しんでいる猫をあまり知らない。食べて寝て、軒から軒へ移動して、また食べて寝て、軒から軒へ移動して、を繰り返すような暮らしぶりだったら、流行りのウィルスなどで体調を崩すこともないのかもしれない。その辺のことはよくわからない。

 橋を渡って、川沿いを数分上り、一軒の喫茶店に入る。

 店内は灯油ストーブで暖かい。メニューを見ながら相談し合っている若いカップルがいる。四方山談義に花を咲かせる中年の二人連れがいる。一際大きいテーブルを陣取り、洒落たマフラーを全員がきっちり巻いた老人の集まりがいる。一人客は私くらいである。

 壁際に席を取って珈琲を注文する。所在ないので、全国紙の新聞を棚から取って広げてみたが、すべてのページを捲っただけでまた閉じてしまった。最近はインターネットでも情報を見ているので、知らないニュースがない。新聞を読むのもつまらなくなった。新聞屋のせいではないから、これもまた気の毒な話である。

 運ばれた珈琲を口に含む。カップを受け皿に戻し、それから腕組みをして目を閉じる。

 最近多忙である。何かよくわからないことで忙しいだけ忙しい。朝起きてから夜寝るまでほとんど丸一日あたふたしている感じなので、たまには喫茶店でも入ってゆっくりしたいと思い喫茶店に入った。ところがいざ入ってみると、これが落ち着かない。珈琲を飲んでも、腕組みをして目を閉じても落ち着かない。落ち着き方を忘れてしまったのかも知れない。そうだとすると、随分粗雑に生きてしまっていることになる。路地裏の猫が聞けばせせら笑うであろう。

 それでも目を閉じ続けていたら、錆びついたネジを回しこむような睡魔に襲われた。

 

 

 この睡魔がまた曲者なのだが、それについては次稿に譲る。

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