た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

バリへ(第一日目)

2009年04月04日 | essay
 バリへ。なんだバリかと舌打ちする人も多かろう。私も数か月前、家人から計画を聞かされたときは心の中で舌打ちした。バリなんて、花柄模様のハイヒールを履いて、屈伸できないほどぴったりした短いジーンズ、スパンコールつきのシャツに身を包んだ女子大生がきゃあきゃあ言いながら真黒になりに行くところだと思っていた。野性味溢れる流浪の旅を性格的にも経済的にも好んできた私にとっては、あまりに豪奢で予定調和で、ずいぶん物足りない旅に違いない。しかし今回は妻子を伴う家族旅行である。致し方ない。家内安全、冷房完備、広告産業、記念写真である。よくわからないが、つまりは腹をくくったのである。

 乗合バスに四時間揺られ、飛行機に七時間揺さぶられてバリに着いたら夕刻であった。なるほど暑い。赤道はすぐ近くである。
 
 グランドハイアットバリという名のやたら大きなホテルに連れていかされた。大きいだけあってチェックインにも時間がかかる。チェックインが済めば、ロビーからさらに、小学校の校庭をぐるりと回るほど歩かなければ部屋にたどり着けない。道順は極めて複雑である。この調子では、ホテルの敷地内の地図を覚えることでこの旅は終わってしまいそうである。ポーターにチップを渡し、ベッドに腰を下ろしたころにはとっぷりと日が暮れていた。
 
 いやしかし、と私は寝ころんだばかりのベッドから立ち上がった。貴重な海外旅行第一日目を、靴下の数の点検だけで終わらせてなるものか。私は心を鬼にすると、疲労した家族を急き立てて外へ出た。

 ロビーでホテルサービスの一つである無料送迎のタクシーを呼んでもらい、下調べもないままシーフードレストランを目指す。

 ところがここに一つ困ったことが起こった。タクシーの運転手と言葉が通じない。インドネシア語が通じないのはこちらの不勉強だから致し方ないものの、通じると聞いていた英語が一向に通じない。心配になってレストランまでの所要時間を訊くと、何とか押し問答してようやく25分もかかるとわかった。みんな極度にお腹が空いている。道端には格好のレストランも数多く見える。近くで済ませようとタクシードライバーに目的地変更の旨を英語で伝えたが、通じない。「ロッキンロッキン?」など不思議な英語を返してくる。いいから止まってくれと言っても、困ったように首を振りながら止まってくれない。タクシーは言葉を失った三人の日本人旅行者を乗せ、夜のバリをひたすら疾走した。

 後々振り返るに、このときが一番緊張したかも知れない。海外旅行と言えばリゾートホテルでプールに入るくらいしかしたことのない女子供を、私はいきなりとんでもない冒険に引きずり込んだのか。のちにわかったことだが、ホテルつきの無料タクシーと思っていたのはレストランつきのタクシーの勘違いであった。それではさすがに途中で降ろすわけにいかない。ちなみに、「ロッキンロッキン」とはLooking looking.で、観光と言う程度の意味らしく、その後タクシーに乗るたびに耳にした。言語習得を抜きにした異文化交流はかくも難しい。

 連れていかれた問題の場所は、波音近い砂浜にテーブルを並べたなかなか洒落たシーフードレストランであった。桶に入った魚を自分たちの目で見て選び、焼いてもらう形式である(写真は焼いているバリ人たち。とても職人風には見えない)。日本人客も多く見える。地元のミュージシャンが怪しげな歌詞でビートルズや「なごり雪」などを演奏していた。我々三人はテーブルにつき、ようやくグラスを三つ鳴らすことができた。それは大げさに言えば、今日一日の戦火を潜り抜けた戦友たちの乾杯に似た感慨深いものがあった。

 珍道中は始まったのだ。日本は遥かかなたである。もう何が起こってもおかしくない。熱帯の島はアジアの匂いに満ちている。心地よい酔いが疲労した五体に浸透し始めるころには、私は頭の隅で、明日の計画をわくわくしながら思い描いていた。

(つづく予定)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする