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穂高岳登山(15) 「迷路の前穂高岳」
(画像は和田様ほかの御提供による、現地イメージ写真です)
悪天候には迷いやすい、紀美子平より前穂の登りルート(左の○印):dh33-2
紀美子平付近からの前穂と明神:dh33
吊尾根から前穂:dh35
さて、小生は前穂のピークに立とうか、それとも吊尾根から奥穂を目指そうか、思案しながら自分の体調に聞いてみた。
体調、コンデションはまずまずようであり、時間的にも充分余裕が有りそうなので前穂へのアタック・決行をすることにした。
それに以前、槍から奥穂への縦走、更に、吊尾根から岳沢へ下った折は、「前穂」は遠慮した経緯もあったので・・!。
ただ、現実は前穂の頂は無論、ガスに閉ざされて全く見えていない。 叉、地図を見てもここより(紀美子平)の所要時間が一体どのくらいかかるか記されてもいない。
隣の人に尋ねてみた・・、
「前穂はいかれましたか・・?」
「はい、ここへ荷物を置いて身軽にして往復1時間といったところでしょう」
丁重な返事にお礼陳べて、更に意を決した。
それに、もしかしたら前穂の頂上へは二度と踏む機会が無いかもしれないのだ。
穂高連峰の一角を占める前穂高岳(3090m)へアタックを開始した。
ゴツゴツした岩だらけの登行は相変わらずで、真っ黒い岩塊が圧倒するようだ。
踏み跡や○、⇒を頼りに進むのであるが、時折、そこから外れてしまうときもある。
そして悪いところ出てしまったようだ。
完全に行き止まりで、ここから先は断崖になっている。
困った・・!!。
上の方で人の声がしたので・・、
「すいません、チョッと悪場に来ちゃったみたいで、この先ルートは有りますか・・?」
「そうですね、戻ったほうがよろしいでしょう」
仕方なく、今来た道筋を確かめながら戻ることにした。
惜しい気もするが安全のためであり納得する。
慎重に数10m戻ると、確かに踏み跡らしいのが現われて薄いペンキ印も見つかった。
確かめると、身体一つ分の岩の狭い割れ目がルートようで、足場も何とか確保できそうであった。
ホールドとスタンスを慎重にとりながら、ホンの7~8mの登攀で、しかも身軽な出で立ちであるが妙に疲れ、苦痛な程だ。
更に、上部は壁のような岩が立ちはだかって、かなり難儀しそうである。
小さな割れ目に指を突っ込み、叉、岩の凹みや裂け目を探して何とかスタンスを確保する。
危険極まりない、おまけに見通しがうえに小雨と急風が身体を打つ。
それにしても前穂のルートは此れほど難所なのであろうか・・?、
それに人気のある前穂にしては人の姿が見当たらない・・?。
妙な疑問を抱きながら、ヒョッとしたらこのルートも間違って・・?。
“無理するんじゃなかった”自問しながら、引き返すにも最早不可能の状態に陥っている。
とにかく上へ向うしかなかった。
前穂の頂上は直ぐそこに有ることは確かなのである。
更に、手元と足場を充分に確かめながら前進する。
最後の指力、腕力を使ってどうやら急峻な岩場を抜けたようである。
続く・・、
尚、今後の写真掲載の大部は和田様、ほかの御提供によるものです。
和田氏ホームページへ
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html
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悪天候には迷いやすい、紀美子平より前穂の登りルート(左の○印):dh33-2
紀美子平付近からの前穂と明神:dh33
吊尾根から前穂:dh35
さて、小生は前穂のピークに立とうか、それとも吊尾根から奥穂を目指そうか、思案しながら自分の体調に聞いてみた。
体調、コンデションはまずまずようであり、時間的にも充分余裕が有りそうなので前穂へのアタック・決行をすることにした。
それに以前、槍から奥穂への縦走、更に、吊尾根から岳沢へ下った折は、「前穂」は遠慮した経緯もあったので・・!。
ただ、現実は前穂の頂は無論、ガスに閉ざされて全く見えていない。 叉、地図を見てもここより(紀美子平)の所要時間が一体どのくらいかかるか記されてもいない。
隣の人に尋ねてみた・・、
「前穂はいかれましたか・・?」
「はい、ここへ荷物を置いて身軽にして往復1時間といったところでしょう」
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穂高連峰の一角を占める前穂高岳(3090m)へアタックを開始した。
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困った・・!!。
上の方で人の声がしたので・・、
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確かめると、身体一つ分の岩の狭い割れ目がルートようで、足場も何とか確保できそうであった。
ホールドとスタンスを慎重にとりながら、ホンの7~8mの登攀で、しかも身軽な出で立ちであるが妙に疲れ、苦痛な程だ。
更に、上部は壁のような岩が立ちはだかって、かなり難儀しそうである。
小さな割れ目に指を突っ込み、叉、岩の凹みや裂け目を探して何とかスタンスを確保する。
危険極まりない、おまけに見通しがうえに小雨と急風が身体を打つ。
それにしても前穂のルートは此れほど難所なのであろうか・・?、
それに人気のある前穂にしては人の姿が見当たらない・・?。
妙な疑問を抱きながら、ヒョッとしたらこのルートも間違って・・?。
“無理するんじゃなかった”自問しながら、引き返すにも最早不可能の状態に陥っている。
とにかく上へ向うしかなかった。
前穂の頂上は直ぐそこに有ることは確かなのである。
更に、手元と足場を充分に確かめながら前進する。
最後の指力、腕力を使ってどうやら急峻な岩場を抜けたようである。
続く・・、
尚、今後の写真掲載の大部は和田様、ほかの御提供によるものです。
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