織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

穂高岳登山(10) 「重太郎新道;下山者」

2010年08月25日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(10) 「重太郎新道;下山者」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)



岩の小さな尾根を右へ横切ると猫の額ほどのテラス(水平のスペース)があったので小休止しながら雨具を装着する。 
降雨は余り激しくはないが風に伴って吹き付けてくる。 
冷たい雨で、やはり高所と季節柄でもあろう。


小さなテラスをほんの少々行くとまたまた、絶壁を攀じるようになる。
この辺りは崩れた岩くずの浮石が多いところだ・・!、
ステップと落石に充分注意しなくてはならない。 

岩肌が濡れて冷たく感じるので軍手を付ける。 
四つん這いで、体調と自問自答しながら、慎重に慎重に登る、攀じる。 


今のところコンデションはまずまずであり、自分のペースで地味にではあるが一歩一歩確実に進む。 
進まなければ目的地には達しないのである。 

当たり前であるが3000m近い高峰で、時節的にも風雨が冷たく、体力も限界に達したとき、その一歩一歩がままならず、所謂、疲労困憊による行き倒れ・・!!、

何てことも起こりうるのである。 心して進まなければならない。




dh22-2  岩場に取り付く登山者>


この頃より下山の人達がチラホラ見え出した。 いずれの人々も雨具をがっちりと装着している。 
やはり、上部は荒れ模様である事が覗われる。


やや、歩きやすいコースに出たとき、女性を含む数人のパーティとクサリ・ハシゴ場のところですれ違うことになった。
全員が下り降りるのを待って・・、

「こんちは、 お疲れさん」 

「おはようございます」と朝とも昼ともつない挨拶を交わす。


仲間同士で懐かしい訛(なまり)の会話が聞こえたので、チョッと話しかけてみた。

吊尾根、稜線までは未だかなりありますか・・?」

「そうだね、我等はここまで凡そ30分程かかっておりますのでね・・!」

「ははーー、ところで、懐かしい言葉訛が聞こえたが、どちらからですか・・?」

「俺らげ・・?、茨城は日立からだ」

「ああ、やっぱし、 わだしは今は神奈川に住んでけっど、出身は“いわき”です」

「ああー、いわきと日立だったら隣町(となりまぢ)みでなもんだね」

「んだね・・、ところで今朝は穂高小屋からげ・・?」

「んだ、 出たのは7時っころがな」

吊尾根では、やっぱし吹かれたげ・・?」

「んだな、奥穂まではマアマア静かだったけど、吊尾根の途中がら降ってきたね」

「いろいろどうも、下りは危なっかしいどころがいっぱいあっがら気をつけて」

「ああどうも、登りも結構急などころが有るんで気をつけて、そいじゃ・・、」

お互いに一息入れて、出発である。



ゴツゴツした岩の登り、ザクザクとしたガラ場の歩き、いずれにしてもかなりの急斜面で胸付き八丁の登行であり、相当なアルバイトを強いられる。


ところで、この穂高名物・重太郎新道は「北アルプス三大急登」の一つとも言われる。 
他のアルプス急坂は、中房温泉から燕岳の“合戦尾根”、信濃大町から烏帽子岳の“ブナ立尾根”と言われるが、岩稜の急登、急降下はこちらの岳沢・穂高ルートの重太郎新道がダントツではなかろうか・・?、 

尤も、「三大○○」というのは、規定や規約の取り決めで決まるものではなく、“おらがのところが、日本の三大○○だべ・・”と、勝手に自称で名乗っている場合もあるようだ。
北アルプス三大急登は他にも、笠ヶ岳の笠新道なども上げられる。


因みに、小生の知る関東周辺の名だたる山岳地の急坂は、北ア・烏帽子岳へのブナ立尾根、南アルプス・赤石岳の椹島(さわらじま)コース・高度差にして1500m以上、同じく南アの甲斐駒ヶ岳への黒戸尾根、谷川岳への西黒尾根や鳳凰三山の御座石鉱泉から尾根道の鳳凰山(地蔵岳)へ至る道であろう。
身近なところでは、丹沢山塊の塔ノ岳 (1491m)へ至る大倉尾根で、ベースの大倉(290m)から1200mの高低差を延々と上り、通称「バカ尾根」でも知られる。


いずれにしても、疲れきった身体での岩場の上り下りには、クレグレも要注意で慎重さを要求される。

次回へ・・、


尚、今後の写真掲載の大部は、「和田様」の御提供によるものです。
和田氏ホームページへ  
http://www.tok2.com/home/pokopoko110/newpage172.html



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穂高岳登山(9) 「重太郎新道;カモシカの立場」

2010年08月24日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(9) 「重太郎新道;カモシカの立場」 




dh21 カモシカの立場


dh22 カモシカの立場展望






この時期になって、遂に頬に冷たいものが当たりはじまった。 

雨だ・・!!
無常なもので、悪い所でやってきたもんである。

ハシゴを終わって一登りしたところで、或るピークに着いた。 
今にも朽ちそうな看板が立っていて、「カモシカの止まり場」(カモシカの立場)と記してあった。 

カモシカもこれ以上は進めなかったので、その名が付いたのだろうか・・?。
もしかしたら、今田重太郎氏は、ここまでカモシカを追ってきて遂にこれを捕らえたのだろうか・・?!。


因みに、後で調べてみたことだが岳沢ヒュッテから紀美子平(前穂の山腹:吊尾根部)までの距離は約2370mとあり、カモシカの立場は距離的には重太郎新道の中間地点に当たるらしい。 
但し、高低差は重太郎新道のみだと凡そ740mあり・・!、 基点からカモシカの立場までは、まだ340mしか稼いでないので、残りの距離で高低差400mを稼がなければならない。
つまり、カモシカの立場から紀美子平までの区間が、尚、相当キツイ勾配という事になる。

従って、カモシカの立場までは体力的にも余力を充分残し、これは想像してより楽勝に行けるのではないか・・?と甘い考えを持つことは禁物であろう。
更に、恐らく勾配が更にキツイなる上に、標高が2500m以上にもなので空気がやや薄くなり、疲労度にも影響してくるのである。

いずれにしても、ここから1100mの距離を標高にして400mもあるので、実際の勝負はこれからである。 



小さな尾根の向こう側から、冷たい風雨が吹き上げてくる。

今では想像するしか仕方がないが、この辺りは奥穂高から延びている吊尾根の大岩壁が、間のあたりに眺められ筈である。 
全く残念である。

このことは、ほぼ10年前に「槍・穂高縦走」( http://orimasa.kan-suke.com/index.htm )
を試み、この岳沢・重太郎新道を下った当時の記憶でもある。


時計を見ると10時半を回っていた。 
岳沢ヒュッテから1時間少々で、ほぼ地図上の歩行時間と合っているようである。

次回へ続く・・、



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穂高岳登山(8) 「今田重太郎氏」

2010年08月23日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(8) 「今田重太郎氏」 



それにしても、よくもまあこの断崖絶壁のような岩稜地帯に登山ルートを付けたもんである。

このルートを「重太郎新道」と呼んでいる。

今は穂高岳山荘の主人・今田重太郎氏がこのルート直下でカモシカを見つけ、追っているうちに見逃してしまった。 
だが、途中でカモシカの糞を発見、この糞を探しながら登っているうちに、“もしかしたらこの場所は人間が通れるかもしれない”と気がついたという。 

何とか整備すれば山道として、もっと楽に登り、降りが可能かもしれないと思いつき、
これを実行に移して出来上がったのがこの登山ルート・“重太郎新道”であったという。 



在りし日の「今田重太郎氏」(穂高岳山荘提供):dh18


今田重太郎」氏は穂高に生涯をささげ、「穂高の名ガイド」と呼ばれた男であり、標高2,996mの奥穂高岳山頂直下に建つ「穂高岳山荘」の礎を築いた人物である。

その生涯を通して登山客の命を守り、登山客が安全に体を休めて英気を養える快適な山小屋造り、 登山に慣れない女性・子供でも安全に通れる登山道造りを目指した。
そして、穂高周辺に新に登山ルートを開拓し、そこで出来上がったのが穂高の中枢に建つ山小屋・「穂高岳山荘」であった。



今田英雄氏(今田重太郎氏の甥で穂高岳山荘2代目当主、紀美子氏の実兄)は重太郎氏のことを、「人の倍力があって、人の3倍仕事をする。何かやろうとしたら、ものすごい情熱を持ってやりとげる人でした」と語っている。



二本脚と4本脚を交互に繰り返しているうちにクサリ場に到った。 
一枚岩の上にダランとしたクサリで、頼りなげである。 

鎖を突っ張りながら一枚岩の上を滑らないように慎重に這いずる。
多少、疲れが出ているのだろう、なかなか軽々とはいかないようで、おまけに岩は夜露に濡れている。


気が付けば、辺りはすっかり閉ざされていて、黒い霧の中をさまようようになっていた。 
先刻まで見えてい岳沢ヒュッテや上高地は既に闇の中に消えていた。 
それどころか今は全く視界0の状態になっている。

尤も、先刻まで山麓から山頂部を眺めると黒雲が覆っていたのが、今は高度を上げていて、いつしか雲塊、濃い霧の中に突入したのかもしれない。



急峻な岩場の登りルート:dh20


垂直に近い岩場に取付けられた鎖とハシゴ:dh19


鎖場を過ぎると、今度は梯子(はしご)である。 
岩の壁を二つのはしごが繋いでいる。

鉄製の梯子はかなり頑丈に取り付けてあり、この悪険路での工作を施した今田重太郎氏、或るいはその仲間たちの労苦が偲ばれるし、心から感謝する次第である。

次回、「重太郎新道・カモシカ・・、」



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穂高岳登山(7) 「重太郎新道へ」

2010年08月22日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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穂高岳登山(7) 「重太郎新道へ」
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)


岩ヒバリであろうか、チチ・チチとさえずり音が耳に心地よい。

気が付くと頭上のどす黒い岩峰が時折、ガスの切れ間より伺うことが出来る。 
やはり天下の穂高である。 
これからあの峻険な岩稜、垂直に近いと思われる岩場をこの脚で踏むと思うと、緊張の気脈が心身を走る・・!。

大休止の後、大きく深呼吸して、靴紐を締めなおし、イザ・・!、出発である。 


これから先は山道をただ単に歩いて登るというより、岩場を両手両足をつかって岩を登る。 つまり、岩登りの範疇に入る「登攀」(よじのぼる)といっても過言ではあるまい。 

岳樺(ダケカンバ)に囲まれた岳沢ヒュッテを出た。 
時に9時45分であった。


先ほど渡った石川原を上流で渡り返して再び山道に入った。 
大きな川原であっても、殆ど水の姿が無かった「岳沢」であるが、ココに至って清霊な沢水を見た。 
先般、岳沢ルートには“水が無い”と記したが、そうではなかった・・?、 存外、一時的、或いは季節性のものかもしれない。
それに、現在のような湿性模様の様気には、水が現れるのかも知れない。




岳沢の貴重な水場(一時的なものらしい・・?):dh17



気が付くとこの辺りはキャンプ場・幕営地であるらしい。 赤青黄色の天幕がそこかしこに見受けられる。 
だがテント周辺には人の気配が殆ど感じられない。 いずれも穂高方面への頂上アタックへ向かったものと思われる。


暫し、樹林の中のジグザグの登りを繰り返す。
見受けられる岩壁上部は同様に黒い霧に閉ざされているが、下部は行く手を阻むが如く灰色の岩場が立ちはだかっているのが判る。 

30分位もたったであろうか、綴ら折の道を喘いでいるうちに往き止まった。 
いよいよ岩稜地帯の急登の始まりである。 

チョット一息入れて気持ちを新たに早速取り付いた。 
岩場に身体を寄せて、ホールドとスタンスを充分に確かめながら攀じることになる。 

小生の場合、特に両腕には自信があった。 
山歩きに来て、腕に自信があるとは聊か妙であるが、元々、山歩きの絶対条件である足腰は余り強い方ではなく、多少の不安も無いわけではない。
そこに腕の力をかりれば、より身軽に登攀出来ると思うのである。


先程、岳沢ヒュッテを先行していた若者二人(この頃は小生も若いが・・、)に追いついた。
様子を伺うと相当に難渋しているようである。 
未だ山慣れしていない感じが見て取れるのである。 

小生も特別急ぐ気持ちは無いので、(尤も、急ごうと思っても急げるものではないが・・、)ほぼ一定の間隔をおいて付いていった。


断崖絶壁のような急勾配であり、気が付くとルートには“浮石”が多くなっているようでもある。 
後から来ている登山者はいないようであるが、落石には充分気をつけねばならない。

殆ど四つん這いの状態の攀じりであるが、今のところ足元はしっかりしているようである。 
落石に注意しながら、脚部は勿論、手と指の感覚に万全を期しておけば、特に危険な場所ではない。




印岩場の登り:dh15



重太郎新道より奥穂方面の壮絶な景観:dh16



岩肌の所々に、○印や⇒印が記されていて、時には×印も見受けられる。 
道程を案内してくれるのであり、実に有り難い事である。 

勿論、見誤って×印を進行してしまうと途中で行き止まってしまう。 
それだけならよいが、戻るに戻られなくなってしまう恐れもある。 

用心用心・・!!。

次回へ・・、

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穂高岳登山(6) 「岳沢の山小屋」

2010年08月21日 | 上高地から岳沢、穂高岳
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 穂高岳登山(6) 「岳沢の山小屋」 
(画像の大部分は和田氏提供による、現地イメージ写真です)


 






画像上から・・、
雪崩倒壊前の「岳沢ヒュッテ」:dh3
雪崩倒壊後、整地されたヒュッテ跡:dh4 
本年(2010年)より営業の新装成った岳沢小屋:dh5




今日の山小屋の周辺は、全く静かである。

同様に、これから穂高へ向かうのであろうか・・?、数人の登山者がのんびり休息している。
小屋の娘さん(・・?、)が、せっせと動き回っているのが対照的で面白い。

眼下には、今登ってきたばかりの白い岳沢の川原が、帯状になってなだれ落ちている。 
その先に上高地の様子がぼんやりと望める。


岳沢は、上高地の河童橋などから真正面に見える代表的な絶景ポイントであるのは、大方はご存知であろう・・!。 
穂高連峰の表側の・・?中腹にある渓谷で、上高地内のハイキングだけでは物足りない方には、お薦めの軽登山コースでもある。 

当地は叉、穂高連峰への登山基地でもあり、「岳沢ヒュッテ」がある場所として登山家たちには愛されているようである。 


岳沢ヒュッテは標高2170メートルのところ、沢筋が行きずまった尾根の傾斜地に在り、石組みで台地を造って設えた山小屋である。(涸沢は標高2309m


ところがである・・、
2005から06年の冬季、この年は雪が異常に多く大規模な表層雪崩が発生、その影響で小屋が全損壊してしまい、今のところ復旧のめどは立っていないといわれる。
2007年は売店とトイレが使用できるのみであった。
更に、2008~2009年には売店も営業されず、トイレは10月までのシーズンのみ設置されているようである。 
そして2008年12月には再建を断念し廃業する旨が報じられた。



「岳沢ヒュッテ」跡地の立て看板:dh12


このルートは「岳沢ヒュッテ」が無くなった現在、それまでは渓谷沿いのコースでありながら、この岳沢、重太郎新道、前穂、吊尾根から奥穂高岳を過ぎ穂高岳山荘まで水場がないため、登山者は水を十分に確保、持参する必要に迫られる。

だが、嬉しいことに2009年4月に槍ヶ岳山荘などを経営する会社、「槍ヶ岳観光」が小屋を再建することを発表している。 
それは、2010年のシーズンから営業を再開する予定とのことである。
2010年7月23日より「岳沢小屋」として営業を開始

次回へ・・、


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