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閑話休題 「山旅の記」
今から90年も前の英国の登山家・ジョージ・マロリーは、国威発揚かけて三度のエベレストへ挑戦していた。
1924年6月、その第三次遠征において、マロリーはパートナーのアーヴィンと組んで頂上を目指したが、北東稜頂上直下で行方不明となった。
マロリーの死因や行動は、不明後から75年にわたって謎につつまれていたが、1999年5月に国際探索隊によって、その遺体が発見された。
無線が未だ発達していなかった時期であり、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは不明だとして、未だに論議を呼んでいるという。
遠征の直前に、マロリーが「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて、「そこに山があるから(Because it is there.)」と名セリフで答えたという逸話はあまりにも有名である。
だが、マロリーのあの有名なセリフは取材陣の質問攻めに答えるのが面倒くさくなって、その場しのぎに適当に答えたセリフだというが・・?。
マロリーの名セリフは兎も角として・・、
神奈川県に住む(当時は東京大田区)小生にとって、「そこに山があるから」の“そこ”は
神奈川の屋根といわれる「丹沢山塊」であった。
そして、先ず丹沢山系に取り付いたのが20代後半で、今から40数年も前のことである。
その頃は若者たちの登山ブームでもあり、週末ともなると有名な山岳は登山道は人で溢れ、宿泊の山小屋は岳人でごったがえした。
又、八ヶ岳やアルプスへ向かう新宿発の夜行列車は超満員であり、仕事帰りに遅れて出向いた場合など、始終デッキで立ちっぱなしで、翌朝、寝ずのままそのまま頂上へ向かった事なぞ4度や5度ではなかった。
当時は、このような多少無理しても平気な若年層が登山者の主流であった。
小生もその内の一人で、丹沢山塊や近郊の山々、遠距離では上野や新宿より夜行列車に揺られて、月に数回の頻度で通ったものであった。
現状は、どちらかといえば50代、60代の熟年層のハイカーが大半のようだ。
尤も、現在は「山ガール」とかいって、若い女性がグループで山を目指していることがニュースなどで伝えられているし、大いに結構な事だが果たしてどうであろうか・・?。
小生、今は熟年となった今日(こんにち)ではあるが、頻度は少なくなったが相変わらず、低山歩きを楽しんでいる。
叉、60歳の定年を迎えて登山を楽しむかたわら、現実的な夢であり、兼ねてより念願だった「日本一周旅行」も果たし、現在、その旅の紀行をつらつらと書き綴っている。
気が付くと、若年より足の向くまま、気の向くまま、登りに登った各地の山の雑記、雑文などが、机の周辺のソチこちに散らばっていた。
ところで、若輩の頃から、本や勉強、新聞やTV等々から情報を「インプット」することばかり経験してきた。 しかし、自身から「アウトプット」という経験を積む機会はほとんどなかった。 現在ではP・Cとかを使用して過去のメモ、記録を集成し、編集し、保存することも可能になったようである。
又、普通の人もNetwark・Webとかで自己を表現し、世間に発信する事ができるようになったようである。
そんな訳で、いわゆる現代の機器を利用して、小生なりに、手持ちの記録集や雑文集を「備忘録」としてまとめ上げ、そして必要に応じてこれらを公表・アウトプットしようとも考えた。
しかし、何しろ定年後に多少なりともウルウルに覚えた電子機器なので、御見苦しい点や不可思議な面所(めんどころ)は多々あると思われる。
そこは是非、ご容赦願いたい。
先ずは、次回の「山旅」を楽しみに・・!!
.【小生の主な旅のリンク集】
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《スキー履歴》
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閑話休題 「山旅の記」
今から90年も前の英国の登山家・ジョージ・マロリーは、国威発揚かけて三度のエベレストへ挑戦していた。
1924年6月、その第三次遠征において、マロリーはパートナーのアーヴィンと組んで頂上を目指したが、北東稜頂上直下で行方不明となった。
マロリーの死因や行動は、不明後から75年にわたって謎につつまれていたが、1999年5月に国際探索隊によって、その遺体が発見された。
無線が未だ発達していなかった時期であり、マロリーが世界初の登頂を果たしたか否かは不明だとして、未だに論議を呼んでいるという。
遠征の直前に、マロリーが「なぜ、あなたはエベレストを目指すのか」と問われて、「そこに山があるから(Because it is there.)」と名セリフで答えたという逸話はあまりにも有名である。
だが、マロリーのあの有名なセリフは取材陣の質問攻めに答えるのが面倒くさくなって、その場しのぎに適当に答えたセリフだというが・・?。
マロリーの名セリフは兎も角として・・、
神奈川県に住む(当時は東京大田区)小生にとって、「そこに山があるから」の“そこ”は
神奈川の屋根といわれる「丹沢山塊」であった。
そして、先ず丹沢山系に取り付いたのが20代後半で、今から40数年も前のことである。
その頃は若者たちの登山ブームでもあり、週末ともなると有名な山岳は登山道は人で溢れ、宿泊の山小屋は岳人でごったがえした。
又、八ヶ岳やアルプスへ向かう新宿発の夜行列車は超満員であり、仕事帰りに遅れて出向いた場合など、始終デッキで立ちっぱなしで、翌朝、寝ずのままそのまま頂上へ向かった事なぞ4度や5度ではなかった。
当時は、このような多少無理しても平気な若年層が登山者の主流であった。
小生もその内の一人で、丹沢山塊や近郊の山々、遠距離では上野や新宿より夜行列車に揺られて、月に数回の頻度で通ったものであった。
現状は、どちらかといえば50代、60代の熟年層のハイカーが大半のようだ。
尤も、現在は「山ガール」とかいって、若い女性がグループで山を目指していることがニュースなどで伝えられているし、大いに結構な事だが果たしてどうであろうか・・?。
小生、今は熟年となった今日(こんにち)ではあるが、頻度は少なくなったが相変わらず、低山歩きを楽しんでいる。
叉、60歳の定年を迎えて登山を楽しむかたわら、現実的な夢であり、兼ねてより念願だった「日本一周旅行」も果たし、現在、その旅の紀行をつらつらと書き綴っている。
気が付くと、若年より足の向くまま、気の向くまま、登りに登った各地の山の雑記、雑文などが、机の周辺のソチこちに散らばっていた。
ところで、若輩の頃から、本や勉強、新聞やTV等々から情報を「インプット」することばかり経験してきた。 しかし、自身から「アウトプット」という経験を積む機会はほとんどなかった。 現在ではP・Cとかを使用して過去のメモ、記録を集成し、編集し、保存することも可能になったようである。
又、普通の人もNetwark・Webとかで自己を表現し、世間に発信する事ができるようになったようである。
そんな訳で、いわゆる現代の機器を利用して、小生なりに、手持ちの記録集や雑文集を「備忘録」としてまとめ上げ、そして必要に応じてこれらを公表・アウトプットしようとも考えた。
しかし、何しろ定年後に多少なりともウルウルに覚えた電子機器なので、御見苦しい点や不可思議な面所(めんどころ)は多々あると思われる。
そこは是非、ご容赦願いたい。
先ずは、次回の「山旅」を楽しみに・・!!
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八ヶ岳(1966年) 八ヶ岳越年登山(1969年) 谷川岳(1967年) 丹沢山(1969年) 西丹沢・大室山(1969年) 西丹沢・檜洞丸(1970年) 丹沢、山迷記(1970年) 奥秩父・金峰山(1972)
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