オレッちブログ

オレッちのブログです。

久し振りに続きです。ちぇちぇちぇちぇるしぃ

2013-07-26 03:12:00 | オレッちの日々
座ってしまうと30分以内に誰もが寝てしまう究極に座り心地の良い座イスがオレッち宅にあるのですが、先日その座イスの肘かけの部分が折れてしまってお釈迦になりました。
原因は毎日ご飯食べた後その座イスで寝ていたからでしょう。
なのでこの際部屋をちょっとリニューアルしようと思って、座イスと長年使ってる座布団も買い替えることに。
て訳で先日ホームセンターニトリに行きました。いちいちイケアに行くほどでもないので・・・
オレッちはニトリで何を選んだのでしょうか?それはまた後日西濃運輸さんが運んで来てくれます。

てことで久し振りに続きを書こうと思います。
誰も気になってないかも?ですが、途中で終わらせるのもアレなんで・・・
えぇ~っと読み返してみると、ちょうど専門学校の話の途中で終わってますね。

毎日革ジャン着て身も心も閉じていた専門学校生活を送っていたオレッちに、女の子二人が話しかけて来たのは3年生の時でした。
その経緯はこういうことでした。
どうやら当時活躍していた「ちぇるしぃ」という京都のバンドのボーカルの馬場さんが衣装を作りたかったらしいのですが、そんなメジャーなバンドでもないのし、お金もないので知り合い経由で、衣装を作ってくれる人を探してたみたいなんです。
ちょうどその頃に「ちぇるしぃ」の写真を撮っていた女の子が(いずれ知りあうのですが)、大阪の写真の専門学校に行ってたらしく、その専門学校にモード学園を辞めてから行った子がいて、という繋がりでモード学園のオレッちのいるクラスに、衣装の話が入って来るんです。

その話を受けた子はクラスで衣装作りの仲間を探す訳なんですが、バンドの衣装を作るのでそういうのが好きな子がイイと思っても、その時クラスには誰もちぇるしぃなんてバンドを知っている人がいなかったんです。
で、そこで浮上したのが毎日革ジャンのアイツだったんです。
もしかしたらアイツなら「ちぇるしぃ」てバンド知ってるかも?
たぶんそんな感じで思われたんでしょう。
そして休み時間に「ねぇ神保君てちぇるしぃてバンド知ってる?」て話しかけられたんです。

なとことろで寝ます。続きはまた今度。

ちなみにその頃の「ちぇるしぃ」について書かれているページがありました。
http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Drum/2383/chelcea.html

今日は選挙の投票日です。

2013-07-21 04:49:00 | オレッちの日々
今日仕事の人も休みの人も
クーラー付けてる人も付けてない人も
子育てで大変な人もそうじゃない人も
お風呂入った人も入ってない人も
今日は選挙の投票日です。

昨日誕生日やった人もそうじゃなかった人も
THE C-3'Sの7インチ買った人も買えなかった人も
オールナイトロンガーズのデモ買った人も買ってない人も
ナカノ君に写真もらった人ももらってない人も
冬樹にコーラ奢ってもらった人も奢ってもらってない人も
今日は選挙の投票日です。

チヒロ君も
カズトシ君も
オレッちも
ローズ先輩も
今日は選挙の投票日です。


職場の同僚が結婚するからお祝いに5千円包んだ人もそうじゃない人も
35になっても親と焼き肉食べに行く人もそうじゃない人も
住宅ローンある人もない人も
今日は選挙の投票日です。

戦争したい人もしたくない人も
世界征服を企んでる人も世界平和を望んでる人も
農家の人も工場勤務の人も自営業の人もニートの人も
原発で儲けてる人もそうじゃない人も
今日は選挙の投票日です。


今日JR兵庫駅に行ったらJRが1時間ぐらい遅れていたので、チャリで新開地から阪神電車で難波に行って、帰りは新開地にチャリ置いてるから、新開地からチャリ乗って帰ろうと思ってJR神戸駅で降りたけど、新開地の中華屋でご飯食べたらチャリのこと忘れてしまいそのまま歩いて家まで帰ってから、あっチャリ忘れた~て気付いて、JRの兵庫駅までチャリ取りに行ったらチャリがない~てなったけど、すぐにあっそうや新開地に置いてるんや~気付いて家に帰りました。

てことで新開地にチャリ取りに行ってから選挙の投票に行きます。

いろんなプレゼントありがとうございました!


最近ブログにずっと書いている「続き」を楽しみにしてる人もそうじゃない人も
今日は選挙の投票日です。

続きはまた今度。

緑が好きな人も赤が好きな人も
今日は選挙の投票日です。


続きです。専門学校に行くようになり

2013-07-18 03:10:00 | オレッちの日々
なんか久し振りの更新となってしまいました。
先週はどうやら3連休だったみたいですが、オレッちは土曜も海の日月曜も仕事でした。
でもそのかわり今週末からちょっと連休があるんです。
振替出勤して振り替え休日ってのです。


てことで続きを書きましょう!もう忘れてしまったって人はさかのぼって読んで下さい。
だいたいライブハウスてのに行くようになったのは高3ぐらいからでした。
バンドが好きというより、まわりにそういう奴がいなかったというステータスの方が断然大きいです。
それはパンクを好きになったのも同じだと思います。パンクが好きというよりまわりにそういう奴がいなかったというステータス、自分だけが知っているてのが一つのパンクだったのかも?
特に専門学校の時(97~00年)はそうだったのかもしれません。

専門学校に行くようになってからは大阪までの定期があったので、大阪にもよくライブを観に行くようになりました。
ベアーズやファンダンゴも行きましたが、当時堀江にあったパイプカフェ(後のパイプ69)てのにもよく行ってました。
アディクションやイレイザーもそこで観たような気がします。(違うかな?)
それと前回書いた京都の「ちぇるしぃ」てバンドもそこで観たような気がします。
あとスラッピングビキニの解散ライブもパイプカフェでした。それはちゃんと覚えてる。
誰と行ってたのか?専門学校の友達?いやいやほとんど一人で行ってました。
それが自分の中のステータスだったのかも?しれません。

専門学校にはそういうライブに行くような人はいませんでした。
セディショナリーズやピストルズは好きだけど、例えばヴァイブレーターズやバズコックスも好きて人はいなかったと思います。
2年生の時はボアダムズとかが好きな友達がいて、何となく自分と同じ感じがしてたんですが、オレッちがほとんどそういうの知らなかったんで、一緒にライブに行くとかはなかったんです。しかも2年で学校を辞めてしまいました。
3年生になると、時代的にミッシェルガンエレファントとかブランキージェットシティとかもちろんハイロウズとか好きなグループがいましたが、オレッちは全くそのグループと溶け込むことはなく、一人毎日革ジャンを着てました。

今となればもっと社交的に友達を作っていれば良かったのにな~と思うのですが、当時は変な殻に閉じこもっていたのでしょう!
同じ歳の人達があんなにも集まる学校て、その時は分からないけど社会に出ると貴重な場所だったんだな~と思います。
大人になってから同じ歳に出会うと妙に親近感が沸くのに、何で学生の時はあんなにも閉鎖的だったのだろう?勿体無いですね。

その頃のオレッちは、まわりからは毎日革ジャンの奴って印象だったのだろうか?
たぶんギターウルフのファンと思われていたのかも?しれません。
確かに好きだけど、その時着てた革ジャンはセイジさんじゃなくて、完全にザ・ライダーズのJ・OHNOさんを意識していたんです。
よくスリムのジーパンにライダーズのTシャツ着て革ジャン着てました。
でもそのことは専門学校の誰も知りませんでした。
毎日革ジャンのアイツが学校帰りにタイムボムやナットレコードに行ったりしてることも
毎日革ジャンのアイツがパイプカフェなどにライブを観に行ったりしてることも
毎日革ジャンのアイツがバンドを始めたりしてることも
専門学校の誰も知りませんでした。
もちろんオレッちも誰にもそんな話をしてませんでした。
というかそんな話をする人がいなかったんです。
そしてそれが誰も知らないっていうステータスだったのかも?しれません。

でもある日突然、毎日革ジャンのアイツが女の子に声をかけられるんです。
それはたぶん3年の時の秋ぐらいだったかな?

てことでもう眠いので続きます。


2000年とBCT 続きです。

2013-07-11 02:30:00 | オレッちの日々
昨日は7月10日でした。
毎月10日と言えばコレです。

今回はフルーティーなミマー桃が登場してフォントデストロイな感じなので是非タワレコに行って取って下さい。

ここんとこもうすっかり夏になったな~と思ってたら、今朝出勤の時にマンションの階段降りたすぐのゴミ捨て場のところにこんなに大きなヒマワリが咲いてました。


てことでそんな夏とは全く関係のないブログの続きを更新しましょう。
えぇ~と2000年について書くところですね。
(気になる人は過去の投稿もチェックして下さい。)

2000年て聞くと今でも未来のような気がしますが、もう13年前なんですね。
オレッちは21歳でした。
そういえば書いてなかったけど、もうバンドも始めてますね~そのことはまた改めて書きましょう!
あといつの間にか年下がたくさんライブハウスに来るようになってました。
いろんな奴とライブハウスで出会ったけど、今でもライブハウスで会ってるのは数人だけ。
そんだけライブハウスが盛り上がっていたんが2000年前後でしょう!
70SパンクもUK80Sもガレージも、もっと言うたら青春パンクとかも?
てことでいろいろと書くことがありますが、まずはBCTを作るキッカケとなったファンジンのことから書きましょう。

このことも「BCT BEST OF オレッち」に載っていますが、(16ページ)BCTを作るキッカケになったファンジンというのはコレ

「ロックンロールマシンガン」というファンジンで当時千葉に住んでいた庄子君、通称ナック(THE KNACKからのナックだと思います)が作っていました。
歳はオレッちと同じで、同じようにギターウルフからティーンジェネレイトやファイヤースターターて流れを受けたんだと思います。でもスタークラブとかライダーズ好きじゃなさそうでした。たぶん。

そんなナックが年に数回千葉から関西にライブを観に来ていたんです。
なぜ千葉から関西に?てなるけど、その頃は関西のガレージシーンてのが盛り上がっていたからだと思います。
キングブラザーズはもうすでにすごい人気だったし、京都の「ちぇるしぃ」や「イグワナズ」あと「ニートビーツ」とかも人気でした。
結局未だにガレージというのはよく分かりませんが、MAD3とスーパースナッズとアクセル4とホンコンナイフとかは好きです。
オレッちが観に行くようになったのは97年ぐらいからかな?たぶんその3年ぐらい前(94年ぐらい)がガレージブームの最初なんかな?その頃は知らないけど、マッハカンフーなどがファンダンゴでガレージの企画をしてたそうです。
初めてMAD3を観たのは97年で神戸のアートハウスでした。
その時はレストードの企画だったかな?神戸のジャパコアのバンドでそういう人達からも人気があったんだと思います。
エディさんが「みんなアンダートーンズてバンド知ってる?」と言って「ティーンエイジキックス」をやったのを今でも覚えています。

なんか話がそれましたが、ナックが関西に来る度にロックンロールマシンガンを配ってて(3,40部ぐらい)それをもらって家で読んで、オレッちもこんなの作ってみようかな?と思った訳です。
その時はファンジンて言葉も、昔の修羅とかPOWとかも知らないし、唯一キングジョーさんが作っていた「ソフトヘル」てのは知ってたけど、字が小さかったのであまり読んでませんでした。
だからそういう文化すら知らなかったに等しいです。
似たようなのを読んでたと言えば、タイムボムでもらってた「黄色い冊子」とナットレコードでグチオさんが作ってた「オールスター」てファンジンで、どっちもお店の情報誌的なので、こんなレコード出ますよとか、このレコードがオススメですよ~てのが書いてました。
今で言うとレコード屋さんのHPみたいな感じでしょうか?
当時はそういうのが貴重な情報源で、ソレを見て買ったりしてました。
特にオールスターはグチオさんが個人的にやってる感があったので面白かったです。
かなり影響を受けましたねw
タイムボムの黄色い冊子についてはBCTで特集しています。(BEST OF オレッちの75ページ)レコードの解説の文が神がかってました。

そんなこんなでファンジンというのを全く知らないところから始めたのがBCT(BURST CITY TIMES)でした。
その頃のBCTについては「BEST OF オレッち」の15~17ページを見て下さい。
バーストシティタイムズと言う名前につても、その頃ちょっとブームだったんでしょうね。
ルースターズやロッカーズとか、ミッシェルガンエレファントとかの流れがあったんかも?しれません。
そういえば2000年はそういうのも流行ってたかも?兄ちゃんがバトルロッカーズのTシャツを作ったのもその頃だと思います。

そんなこともまた書きたいですが、次回はオレッちの専門学校での話を書こうかな?と思ってます。
今回京都のちぇるしぃやニートビーツなどの名前が出てきましたが、オレッち専門学校の時に衣装を作ったことがあるんですよね~
ではそれはまた続きで~

BCTにも同じことを書いているんです。続きです。

2013-07-09 02:51:00 | オレッちの日々
仕事から帰って家でテレビ見ながらカレーを食べて、チャリンコで神戸中央郵便局へタワレコの原稿を出しに行って来ました。
毎回原紙をスキャンで送るのではなくて、郵便で送っているのです。
そんな今日一日。では続きを書こう!みんなもう飽きてきたかな?

このシリーズを書き出した一番最初に、僕らは「レア」という言葉に滅法弱い世代なんです。と書いたことが何となくわかってくれたんじゃないでしょうか?
「僕ら」と言ってもオレッちを含め、そういうレア盤などに興味を持った人達だけなんですが、何かそういう貴重価値的なモノに弱いのかも?しれません。
古着も最初はゴミ同然だった訳で、レコードも同じように何百円で売ってたモノが何千円何万円てなった訳で、そうなった背景の裏には僕らよりちょっと上の世代の人達の影響があったのかもしれません。
古着だと藤原ヒロシであったりBOONなどの雑誌であったり、パンクのレコードならDOLLであったり、オレッちにとってはティーンジェネレイトだったりレジストレーターズだったり、ハードコア好きな人にとっては・・・クラスト好きな人にとっては・・・ガレージが好きな人にとっては・・・みたいなのがあるんでしょう。

結局誰でもそういうブームてのをキッカケに何かを好きになったり興味を持ったりするのですが、それから本当にそういうのが好きになる人もいれば、単にブームに乗って去ってしまう人もいるんです。
古着屋が段々と少なくなってしまったのと同じように、当時はパンクのライブにあんなに人がいたのにみんなどこに行ったんやろ?となったりするのです。
で、オレッちはそういうブームから去ることもなく、のめり込むこともなく、もう15年以上常に斜め目線で、レプリカジーンズを手の平で擦る感覚でいるんです。

そしてBCTで今書いているようなことを書いた記事が、「BEST OF オレッち」の10、11ページになります。
(持ってる人は参照して下さい)
10ページの当時の記事では具体的なバンド名は書いてないけど、このブログと同じように自分は単に流行に流されているだけじゃないのか?的なことを書いています。
(今読み返すと2002年に書いた記事ですね)
で、11ページの解説では写真でCDやレコードの写真を撮って載せています。
もちろんブログで書いているティーンジェネレイトやファーストアラートの写真も載せています。
パンク天国やキルドバイデスも載せようと思ったけど、写真撮るとあんまりだったんです。
プロテックスはちょうどその頃(本を作っている頃)買ったので載せただけです。
ホンマはもっと載せたいのあったんですが、如何せん本を書くので選んでいる時間もなく、写真を載せれる範囲も小さかったので、なるべく10代の時に買ったモノをザット選んだような思いでがあります。

そんなBCT(BURST CITY TIMES)を作り始めたのは2000年でした。
てことでこれからは2000年の頃について書こうと思います。
BCTを作るキッカケとなったファンジンの話や
レベルユース登場で神戸がライオットシティ化したり
オレッちの専門学校時代の話だったり
いつの間にかいろんな年下が現れたり
なんせオレッちが行くようなライブが一番盛り上がっていた頃だと思います。

ではもう寝ます。続きはまた今度!