オレッちブログ

オレッちのブログです。

3月30日

2021-03-30 01:52:00 | オレッちの日々
日曜日は

【四日市】
VORTEX
(パンクショップ)
【水戸】
record KNOX
【広島】
DISC SHOP MISERY
【名古屋】
VACANt
(パンクギアショップ)
【東京】
ぷあかう
(ロックやパンクのBAR)
下北沢キラーズ
(パンクショップ)
BASE
(レコード屋)

に郵送しました。
読者さんから頂いた切手がホンマにありがたいです。
ありがとうございました。

レコード屋さんが、無料のBCTでもSNSやブログで入荷したと告知してくれるのは、毎回ホンマに嬉しいです。
リベンジレコードは前回初めて持って行って、店主のジャッキーさんのことは一方的に知ってるだけで面識はなかったのと、全くパンクでも何でもない服着てBCTを渡したので、どういうファンジンですか?ウチのカラーに合いますかねぇ?と気にしてくれたけど、今回はもう覚えてくれていて、前回も好評でしたよ。と言ってくれました。
その好評さは僕の耳にまでは届いてないけど、crust war zine (僕はそのシーンに疎いけど)という、そのパンク界隈では今でも影響のあるファンジンを作ってた方に、そう言ってもらえたことは嬉しかったです。
Twitterで投稿ありがとうございました。
もちろん毎回ブログに書いてくれるパンクアンドデストロイや、いつもお世話になっているトゥトゥトゥレコードもSNSにアップしてくれました。
ありがとうございます。

でもレコード屋さんはどっちかと言えば僕の校区内だけど、今回から新規開拓として校区街に出て、同人誌やZINEを取扱うお店にも、少しですが持って行ってるんで、いずれはそういうお店にも認識されて、何かで紹介してくれることを今後の目標の一つにします。

写真はパンクアンドデストロイのブログより


BCT物語の続きは今度書きます。
では股。

3月28日

2021-03-28 04:12:00 | オレッちの日々
今日はBCTを鞄に詰めて神戸大阪を回って来ました。
フライヤーなども同じだと思うけど、そうやってお店を回ることも楽しかったりします。
今はSNSがあるので紙媒体の意味は薄れてるけど、あるかないか?ではやっぱあったほうがイイですね。
僕がレコード屋さんに行ったら、ちょっと前にフライヤーを配りに友達が来てたよ。
とレコード屋の店主が言ってました。
昔はフライヤー配りでレコ屋でバッタリみたいなこともよくあったけど、今でもそういうすれ違いがあるのは嬉しいことです。

最高のパンクロック楽しみにしています!

毎回置かせてもらってるお店の方から、前号の反応として、BCTの取置きの連絡があったとか、発行して直ぐにBCTだけ取りに来た人とかいたよ。と嬉しいお話を聞けました。
その話はお世辞とか色をつけてるとかではなく、実際にそういう人がどこかにいるけど、僕は会ったこともないし、僕の耳に直接そんな話は入って来ません。
それは今に始まったことではなく、10年以上前からずっとそうでした。

バンドやDJは目の前で反応があるけど、BCTみたいな所謂ファンジンて見えない所で反応があって、なかなか自分のところまで届かないんですが、それが苦痛でもあるけど、やり甲斐でもあるんです。
紙媒体で何かを表現しようとする人は多いけど、長続きしないのは苦痛の面ばかり見てしまってやる気がなくなるんやと思います。
BCTも今までずっと作るペースに波があるのはソレが原因で、カッコ良く言うと自分に打ち負けてるんです。
でももっと皆んなにウケるモノを作れば、自然と自分のとこにも反応が返って来て、そんな苦痛を感じることはないのかも?
BCTはまだまだ全然アカンてことです。

特に今号からは今まで置いてなかった店にも置かせてもらうように回ったので、まだまだ全然てことを肌で感じました。
置かせてもらってる店では、またお願いしますという感じなんですが、初めての店では「フリーペーパーを置かせて頂きたいんですが」「どういうフリーペーパーですか?」というところから始まるので(当たり前やけど)自分であんな表紙にしときながら、恥ずかしそうに「こういうフリーペーパーです。」と説明して置かせてもらうので、ホンマの一からのスタートを感じました。
今日はZIINEや同人誌などを取扱う本屋さんにも少し持って行ったんです。
新規開拓てのをすると、今までの自分の視野の狭さを痛感しました。
店に置いてる本などを見て、BCTがいかに独りよがりなのか?というのを改めて思い知りました。
置かせてもらったことで芽が出る出ないに関わらず、持って行ったことだけで勉強になりました。

ここ数日パンクギア(アクセサリー)を作っている先輩とSNSでやり取りしてたら、DMでオレッちも孤独だと思う。というメッセージをくれて、その言葉が胸に刺さりました。
今までいろんな方からいろんな言葉を頂いたけど、孤独というキーワードを投げかけてくれたのは初めてで、僕とは違うことをやってるのに、その気持ちを分かってくれてる方がいて、先に心を見抜かれた悔しさと見抜いてくれた嬉しさを感じました。


1人で書いて1人で製本して1人で配布する。
好きでやってるからそれでイイんです。
確かに孤独な作業だけど、それもまた自分で選んだことなんです。
あ~だこ~だと自分がやってることの苦労アピールする奴は嫌いです。
その苦労は自分以外の人が見抜いてくれてこそ成立するんやと思います。

【神戸元町】
・ハックルベリー
・リズムボックス
(レコード屋)
・1003
・ちんき堂
(古本屋)
【大阪】
tototoRECORDS
RevengeRecords
PUNK AND DESTROY
TIMEBOMB RECORDS
(レコード屋)
シカク
(同人誌ZINEを扱う本屋)
に置かせて頂きました。

宜しくお願い致します。

では股。

3月27日

2021-03-27 04:37:00 | オレッちの日々
全くブログに手が回らず、最新号配布に合わせて書いたBCT物語も前半のままで、このまま書き続けるか?迷うところですが、とりあえず今日から最新号の配布に出かけるので、コチラにも詳細載せておきます。
また配布次第ココに書きますので、気になってる方は取りに行くなり、通販する時にお店の人に言うて下さい。

【BCT38号発行決定】
オリンピック開催には疑問の声が多いけど、BCT発行には嬉しい声が多いはず?
アナタはBCT派IOC派どっち?
ということで、会長自ら聖火ランナーとして配布致します。
パンクのこともオリンピックのこともほぼ書いてない全12ページ!
TAKE FREEなので是非手に取って下さい。
今回からはいつもお世話になっているパンクなお店だけでなく、ZINEなどを取扱っている本屋(古本屋)さんなどにも持って行く予定です。


取り急ぎ宜しくお願い致します。では股。

BCTの話7

2021-03-24 02:06:00 | オレッちの日々

神戸の奴が大阪のバンドのレコードを、高円寺のレコード屋さんで買うってのもおかしな話ですが、コレ系はやっぱBASEかなと思って買いました。
僕が感想などを書くと安っぽくなって、レコードの評価が下がってしまうので、時間ある時に聴いて個人的にSヤンにLINEします。

僕がソワソワと70sパンクのライブに行ってた頃に、この人は絶対マニアックでパンクに詳しくない奴なんて受け入れてくれなさそう。と一方的に勝手なイメージを持っていた第一位と第二位がスモッグ(↑のレコード)のSヤンとセンシティリップスのKオル君だったんです。
もちろんそれは完全なる僕の誤解であって、2人共パンクに関わらず音楽に対してはストイックで実際マニアックだけど、人に対してはすごくフラットで優しい人だったんです。
特にSヤンはよくタイムボムやライブハウスで見かけたし、フランティックの時に対バンもしたことがあった(2005年ぐらいかな?)けど、見事に一切話はしなかったんです。
その時のお互いの気持ちが実際どうだったのか?それはもう昔の話だけど、今ではこんなBCTにも毎回きっちりと感想をくれる優しい人で、ライブではキレキレでカッコイイ人で、SヤンもKオル君も僕の身近にいる尊敬できる人になってます。

多分ライブハウスのそういう関係って、70Sとかハードコアも同じで、若い時は特にむちゃくちゃ多くて、僕も逆にコイツとっつきにくいな~と誰かには思われてたかも?しれないし、ライブハウスていろんな人が意識して来る場所だから、お互いが変に意識し合ってしまうんです。

でもそれはそれでおもしろいしべつに悪いことでもなく、その頃があったから今の自分の関係を築くことが出来てるんだけど、ライブハウスで何かをしよう(バンドでもイベントでも何でも)と思うと、その意識し合った壁を越えなアカン時があったり、自分が好きなシーンの中心人物に覚えられるようになりたかったり、イケてるグループに俺も入ってみたいって思ったり、所謂公園デビュー的なライブハウスデビュー的なことがあるんです。

性格的にズカズカ行ける人もいれば、内気な性格でなかなか入っていけない人もいて、僕はどっちか言うと後者で、その後者の人がどういう方法でデビューしたのか?分からないけど、僕のデビュー方法はBCTだったんです。
それは意図的にではなく結果的にそうなったんだけど、レコード屋にBCTを置くことが、従業員を募集してない会社に俺はこういう者です、と勝手に履歴書送ってるようなことで、色んな人が履歴書見てるから、俺お前のこと知ってるで、と事前に意識の壁を壊してたことになったんです。
もちろんそれはライブハウスデビュー方法としてはレアなケースで、ほぼ僕しか経験したことがないんじゃないかな?と思います。
なんか前回と同じようなこと書いてるけど、前回はあんまり纏りがないので、改めて同じようなこと書きました。

そんで急にブログでBCTを振り返ってるけど、書くことがないから振り返ってるのではなく、BCTの最新号を作ったから書いているのであって、予定では前号の37号まで振り返って、次は最新号の紹介ですってことをしたかったんですが、ネチネチと書いてて遅いのと、思いの外プリントパックからの仕上がりが早かったので、もう100部ほど製本して、神戸のハックルベリーと元町のリズムボックスと古本のちんき堂には既に置いています。
そして週末には大阪などにも持って行く予定にしています。
そんな感じで詳細はまた改めて書きます。

では股。


BCTの話6

2021-03-22 10:52:00 | オレッちの日々
バンドやってる人全員ではないですが、どっちかと言うと人見知りの人が多いのか?一緒に対バンしても話さないことも多いし、ライブハウスで会っても声をかけるってこともしない人が多いんです。
特に若い時は気持ち的に尖ってる人も多いからそういうことはよくあったと思います。
僕も自分から話しかけたら負けという、完全に間違ったプライドを40歳まで持ってたので、バンドを通して友達になれたのは、神戸の周りのバンドと大阪の一部のバンドだけなんです。
だからライブハウスでも、顔もバンドも知ってるけど話したことがないって人がたくさんいました。
中でも70sパンクのライブに行くとそういう人が多かったです。
でもそれは相手側も同じことで、僕の顔は知ってるけど話はしたことなく、お互いがそういう関係で、それだけ狭い世界だったってことなんです。

神戸の友達はハードコア のライブに行く人が多くて、70sパンクのライブに行く人は僕を含め数人とたまにヨーカイがついて来るぐらいで、やってたバンドはロックンロールとかガレージとかそういうシーンで活動してて、自分のライブもするし友達のバンドも観に行くしで、70sパンクのライブはたまに行くから、自分の中では場違い感があったんです。
でも当時そう思ってた人は僕だけでなく、多くの人がソワソワしながらライブハウスに来てたんじゃないかな?と今になって思います。

当時(2000年前後)はいかに自分はパンクに詳しいか?を、アピールするようによりマニアックなバッジを付けたり、Tシャツを着たりする客が多くて、背伸びしてライブハウスに行く感じがありました。
出演してるバンドの人達はもちろんマニアックな方達で、そことパイプラインがある人はイイけど、全く繋がりがない人は、クラスの寄ってないグループ感あって、ライブでしてるカバー曲が分からない時とか、誰かにええバッジ付けてるやん、と話しかけられたらどうしよう?とか、寄ってないグループなりのドキドキ感がありました。
パンクに詳しくない奴は来るな!的なことはないけど、どことなくそんな雰囲気を感じていました。
それは勝手にコッチが感じてただけなのか?実際にそうだったのか?は今となっては分かりません。

BCTをレコード屋に置いてもらうようになった(2004年)のは、そんな70sパンクブームや80sハードコア ブーム(世間では誰も知らない極一部のブーム)が過ぎ去った頃からでした。
と同時に神戸では衝撃マグニチュードXというイベントをやり始めていた頃だったので、BCTの紙面は自然とマグニチュードXや関連のバンドの記事が多くなったんです。
と言っても自分の私生活や社会への不平不満や勝手な妄想の記事プラス、ほぼ嘘を書いてるマグニチュードX関連の記事、という内容だったけど、ボムやナットで手にした人にとっては、神戸の情報を発信してるファンジン的にとらえられていたっぽいです。
元々オレッちとは、自分で自分のバンドのことを書くのが恥ずかしいから作った架空の人物だから、べつにそれで良かったんですが、表紙の殆どが僕の写真だったので、この子がアイツが、オレッちかーてことは極一部の方には段々とバレて行ったんです。

それから05年になり衝撃マグニチュードXも活発にやるようになって、僕はある日イベントを盛り上げるには、所謂青春パンクとかゼロ世代とかジャンル名的なものをつけるべきだと思って、分かりやすく衝撃パンクと名付けたんです。
本来ソレは盛り上がったシーンに後付けされるものだけど、盛り上がる前から付けてみたんです。
でも自分達だけ名前を付けても区別化されないので、勝手に他のも考えることにしたんです。
ラフィンノーズ などの有名なバンドからアンダーグラウンドな70sパンクシーンまで、適当に色々と考えて、70sパンクシーンのことは勝手に能率パンクと命名したんです。
その名前の由来は、日能研(日本能率研究会)という関西の進学塾があって、その塾にはNのマークが付いた指定の鞄があり、電車の中でその鞄を持った小学生を見かけた時に、コレだ日本能率パンク研究会だと思ったんです。

そんな感じでBCT用語集という記事を書いたんです。
だけど全く面識のないバンドのことを勝手に命名するのは悪いので、衝撃パンク以外はあえてバンド名は書かずに、何となくそういうバンドのことだろうなと匂わす文章だけにしたんです。
分かる人には分かる(そりゃ何でもそうだけど)ようにしたら、実際分かる人に分かったようで、ある日能率IDと名乗る方からメールが届いたんです。
そのメール内容を完全には覚えてはないが、他にもこんなイメージもありますよね。的に僕の文章に乗っかって来る感じのメールでした。
一体この能率IDさんは誰なんだ?僕のは全く検討がつかなかったけど、確実に僕がソワソワしながらライブを観に行ってたあの頃に同じ場所にいた人ということは明確だった。
と同時に全く交流がなかったけど観に行ってた70sパンク界隈の人に、BCTの存在がバレてるということも分かったんです。

いずれ僕の知らないところで、関西の70sパンクの大御所にも能率パンクという言葉が人伝いに知れて、俺らのことを能率パンクて言うてるファンジンを作ってる子がおるって感じで、面識はないけど認識はされるようになるんです。
それはべつに70sパンクだけでなく、タイムボムやナットに行ってBCTに反応した人達には、何かよう分からんこと書いてる奴がおるって認識されるようになったんです。
そうやって極極一部の界隈ですが、オレッちていうよう分からん文章書いてる奴がおるって認識してくれる人が増えて、ライブハウスでも、自分なんか冊子作ってる子やな~て言われたり、読んでるでって言ってくれる人がいて、誰と話すこともなくバンドでどうこうなることがなくても、僕の知らないところでオレッちを認識してくれる人が、極極少数ながらも増えることになったんです。

結果的には一方的に名刺を配ってる奴、または1人でTwitter的なことをやってる奴になるのか?分からないけど、今僕がライブハウスで喋ったりする人の8割以上が、バンドではなくBCTを通して喋れるようになった人達で、あんなしょうもないことしか書いてない冊子だけど、そのことが活発ではない性格の僕にとっては、少しばかりの自信になっているのかも?しれません。

その後能率IDさんが、SヤンのMちゃんってことが分かったのは、それから数年後のことでした。

写真はBCT22号2005年発行の記事です。

では股。