なんか久し振りの更新となってしまいました。
先週はどうやら3連休だったみたいですが、オレッちは土曜も海の日月曜も仕事でした。
でもそのかわり今週末からちょっと連休があるんです。
振替出勤して振り替え休日ってのです。
てことで続きを書きましょう!もう忘れてしまったって人はさかのぼって読んで下さい。
だいたいライブハウスてのに行くようになったのは高3ぐらいからでした。
バンドが好きというより、まわりにそういう奴がいなかったというステータスの方が断然大きいです。
それはパンクを好きになったのも同じだと思います。パンクが好きというよりまわりにそういう奴がいなかったというステータス、自分だけが知っているてのが一つのパンクだったのかも?
特に専門学校の時(97~00年)はそうだったのかもしれません。
専門学校に行くようになってからは大阪までの定期があったので、大阪にもよくライブを観に行くようになりました。
ベアーズやファンダンゴも行きましたが、当時堀江にあったパイプカフェ(後のパイプ69)てのにもよく行ってました。
アディクションやイレイザーもそこで観たような気がします。(違うかな?)
それと前回書いた京都の「ちぇるしぃ」てバンドもそこで観たような気がします。
あとスラッピングビキニの解散ライブもパイプカフェでした。それはちゃんと覚えてる。
誰と行ってたのか?専門学校の友達?いやいやほとんど一人で行ってました。
それが自分の中のステータスだったのかも?しれません。
専門学校にはそういうライブに行くような人はいませんでした。
セディショナリーズやピストルズは好きだけど、例えばヴァイブレーターズやバズコックスも好きて人はいなかったと思います。
2年生の時はボアダムズとかが好きな友達がいて、何となく自分と同じ感じがしてたんですが、オレッちがほとんどそういうの知らなかったんで、一緒にライブに行くとかはなかったんです。しかも2年で学校を辞めてしまいました。
3年生になると、時代的にミッシェルガンエレファントとかブランキージェットシティとかもちろんハイロウズとか好きなグループがいましたが、オレッちは全くそのグループと溶け込むことはなく、一人毎日革ジャンを着てました。
今となればもっと社交的に友達を作っていれば良かったのにな~と思うのですが、当時は変な殻に閉じこもっていたのでしょう!
同じ歳の人達があんなにも集まる学校て、その時は分からないけど社会に出ると貴重な場所だったんだな~と思います。
大人になってから同じ歳に出会うと妙に親近感が沸くのに、何で学生の時はあんなにも閉鎖的だったのだろう?勿体無いですね。
その頃のオレッちは、まわりからは毎日革ジャンの奴って印象だったのだろうか?
たぶんギターウルフのファンと思われていたのかも?しれません。
確かに好きだけど、その時着てた革ジャンはセイジさんじゃなくて、完全にザ・ライダーズのJ・OHNOさんを意識していたんです。
よくスリムのジーパンにライダーズのTシャツ着て革ジャン着てました。
でもそのことは専門学校の誰も知りませんでした。
毎日革ジャンのアイツが学校帰りにタイムボムやナットレコードに行ったりしてることも
毎日革ジャンのアイツがパイプカフェなどにライブを観に行ったりしてることも
毎日革ジャンのアイツがバンドを始めたりしてることも
専門学校の誰も知りませんでした。
もちろんオレッちも誰にもそんな話をしてませんでした。
というかそんな話をする人がいなかったんです。
そしてそれが誰も知らないっていうステータスだったのかも?しれません。
でもある日突然、毎日革ジャンのアイツが女の子に声をかけられるんです。
それはたぶん3年の時の秋ぐらいだったかな?
てことでもう眠いので続きます。
先週はどうやら3連休だったみたいですが、オレッちは土曜も海の日月曜も仕事でした。
でもそのかわり今週末からちょっと連休があるんです。
振替出勤して振り替え休日ってのです。
てことで続きを書きましょう!もう忘れてしまったって人はさかのぼって読んで下さい。
だいたいライブハウスてのに行くようになったのは高3ぐらいからでした。
バンドが好きというより、まわりにそういう奴がいなかったというステータスの方が断然大きいです。
それはパンクを好きになったのも同じだと思います。パンクが好きというよりまわりにそういう奴がいなかったというステータス、自分だけが知っているてのが一つのパンクだったのかも?
特に専門学校の時(97~00年)はそうだったのかもしれません。
専門学校に行くようになってからは大阪までの定期があったので、大阪にもよくライブを観に行くようになりました。
ベアーズやファンダンゴも行きましたが、当時堀江にあったパイプカフェ(後のパイプ69)てのにもよく行ってました。
アディクションやイレイザーもそこで観たような気がします。(違うかな?)
それと前回書いた京都の「ちぇるしぃ」てバンドもそこで観たような気がします。
あとスラッピングビキニの解散ライブもパイプカフェでした。それはちゃんと覚えてる。
誰と行ってたのか?専門学校の友達?いやいやほとんど一人で行ってました。
それが自分の中のステータスだったのかも?しれません。
専門学校にはそういうライブに行くような人はいませんでした。
セディショナリーズやピストルズは好きだけど、例えばヴァイブレーターズやバズコックスも好きて人はいなかったと思います。
2年生の時はボアダムズとかが好きな友達がいて、何となく自分と同じ感じがしてたんですが、オレッちがほとんどそういうの知らなかったんで、一緒にライブに行くとかはなかったんです。しかも2年で学校を辞めてしまいました。
3年生になると、時代的にミッシェルガンエレファントとかブランキージェットシティとかもちろんハイロウズとか好きなグループがいましたが、オレッちは全くそのグループと溶け込むことはなく、一人毎日革ジャンを着てました。
今となればもっと社交的に友達を作っていれば良かったのにな~と思うのですが、当時は変な殻に閉じこもっていたのでしょう!
同じ歳の人達があんなにも集まる学校て、その時は分からないけど社会に出ると貴重な場所だったんだな~と思います。
大人になってから同じ歳に出会うと妙に親近感が沸くのに、何で学生の時はあんなにも閉鎖的だったのだろう?勿体無いですね。
その頃のオレッちは、まわりからは毎日革ジャンの奴って印象だったのだろうか?
たぶんギターウルフのファンと思われていたのかも?しれません。
確かに好きだけど、その時着てた革ジャンはセイジさんじゃなくて、完全にザ・ライダーズのJ・OHNOさんを意識していたんです。
よくスリムのジーパンにライダーズのTシャツ着て革ジャン着てました。
でもそのことは専門学校の誰も知りませんでした。
毎日革ジャンのアイツが学校帰りにタイムボムやナットレコードに行ったりしてることも
毎日革ジャンのアイツがパイプカフェなどにライブを観に行ったりしてることも
毎日革ジャンのアイツがバンドを始めたりしてることも
専門学校の誰も知りませんでした。
もちろんオレッちも誰にもそんな話をしてませんでした。
というかそんな話をする人がいなかったんです。
そしてそれが誰も知らないっていうステータスだったのかも?しれません。
でもある日突然、毎日革ジャンのアイツが女の子に声をかけられるんです。
それはたぶん3年の時の秋ぐらいだったかな?
てことでもう眠いので続きます。