土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。
仏教には、八正道という反省項目があります。
正見・正思・正語・正業・正精進・正命・正念・正定です。
その最初は正見(しょうけん)です。
「正しく見る。」という項目であり、「正しく見たか。」と観点で、心を見つめるわけですね。
「正しく見たか。」ということですけれども、「正しい見解であったか。」という観点でもあります。
この正見の反対を、仏教では邪見、または悪見と申します。
見解が間違っていると、その後のすべての見解が間違ってきます。
そして次の「正しく思うこと。」つまり正思、正しい判断ができなくなるのですね。
その結果、人は不幸になっていくというのが、仏教的な人生修行の前提です。
私は、歴史にも正見というのが存在すると思うのです。
そして、その正見の逆、すなわち、歴史における邪見、歴史における悪見というのも存在すると思うのです。
その歴史における邪見・悪見こそ、戦前日本の侵略国家説であり、独裁ファシズム国家論であると思います。
なぜならば、それらは事実に基づく見解ではなく、第2次世界大戦に勝利した国家たちによる、
彼らにとって都合の良い捏造の歴史であり、一方的に押し付けられた歴史だからです。
国家の体をなしていなかった、幕末の朝鮮に対しての征韓論を、朝鮮侵略論議のように語られ、
世界から孤立化した日本の窮地を、打破するために動いた日本軍の行動を、それを日本軍の暴走と語られて、
それが、日本の世界からの孤立の要因とされ、ありもしない、また実行不可能な南京大虐殺を仕立てられて、
さも、日本軍が日本国内では信奉を集めていたが、国外では非人道的な集団であったかのように、
これでもかこれでもかと、宣伝され続けてきたのです。
日本が孤立化したのは、日本が人種差別撤廃を訴えたからです。
当時は、植民地主義が世界を覆っており、それは人種差別を前提にしていましたから、
日本の提言は、世界の植民地大国=連合国の意に沿わなかったのです。
だから孤立化したのです。
そうでなければ、戦前の日本の孤立化の動きが、大正時代から始まっているかが、説明できないのです。
征韓論は、国防論議です。
はっきり言えば、日本が朝鮮に侵攻することを論議しているだけで、欧米諸国は朝鮮を諦めたのです。
ちょっと軍事的な知識があれば、これはすぐわかることです。
つまり、英雄西郷隆盛を、日本はこの征韓論で失いましたけれども、それによって、朝鮮は欧米列強から守られたのです。
明治維新の意義を、単なる政権交代としてのみ教えられ、
また征韓論を、朝鮮への出兵論議とだけ、現代では教えられています。
しかしこれは、教えている歴史教科書著者や、教科書を選択している人に、軍事的知識が欠如しているか、
もしくは知っていて、敢えてその部分を欠落させて教えているのです。
そのような歴史の教育状態に、今の日本があることを、できるだけ多くの方に知っていただきたいです。
極めて底の浅い歴史議論が、幕末から今に至る日本の歴史教育がなされています。
また肝心なところ、つまり、軍事的な側面を含めた教育は、一切なされていないのが現実です。
平和教育の名の下に、軍事的知識の欠如した歴史観を押し付けられているのが、現代日本人の歴史観です。
それは、病気を教えない医学のようなものです。
無役です。
明治維新革命を、ただの政権交代論議で語るならば、
なぜ明治政府は、大名を華族として残し、幕臣たちを、明治政府要人として使いましたか?
ありえない判断です。
それは、旧幕府も新政府も、理念は国防だったからです。
同じ国防の観点に立ち、その方法論が違っていただけなので、革命成就した後は、お互いに協力できたのです。
また、明治政府革命の主人公は武士なのに、なぜ明治政府は武士をなくしましたか?
国防ならば、武士がいた方が良いですよね。
それは軍を、短期間で近代化する必要があったからです。
一体化した近代日本軍をつくらなければ、欧米列強に太刀打ちできないからです。
いざというとき、占領されそうなときには、旧武士階級は頼りになります。
そのために、大名を華族として温存しているのです。
世界の軍事的観点の欠如した明治維新の物語からは、英雄待望論と、政権交代論しか出ては来ないのです。
左翼的歴史観は、邪見です。
なぜならば、軍事的教養の観点が、まったく入っていないからです。
軍事的観点の欠如した日本の歴史観は、まったく意味不明の歴史観を生み出しているのです。
邪見からは、正しい判断は生まれてまいりません。
日本人は、正しく歴史を反省するべきです。
でなければ、悲しいかな。
平和を願えば願うほど、戦争へと誘われることになります。
健康を願えば願うほど病気になるならば、これほど悲しいことはありませんよね。
因果の理法はくらませないのです。
平和教育という名の、軍事的教養抜きの歴史教育は、
陰謀を見抜く知恵も、他国の動きの意味も、何も見えなくするからです。
病気のことを教えてもらっていない医者には、患者の病気はわかりません。
病気のことを教えてもらっていない医学生というのが、軍事的教養を教育されていない、現代の日本人の姿なのです。
日本人は、八正道に照らし合わせ、歴史を顧みるべきです。
それこそが、日本人が行うべき、真の歴史の反省なのです。
最新の画像[もっと見る]
アメリカは極東裁判以来、日本の無力化を続行しています。
左翼とアメリカは、日本に関する限りしっかり手をを結んでいます。
そこで貴方のご意見には、うなづかせられる沢山のものがあります。
先日のご意見と共に、私も考えてみたいと思います。
自分の国を大切にするという、この気持ちから出ているのですから、貴方のご意見には、ないがしろにできない何かがあり、
私を惹き付けます。
但し私は、何でもかんでも、日本が全て正しいとか、日本が特別素晴らしいとか、そんなふうには考えないようにしております。
それをやりますと、隣の中国や韓国みたいに、独善の思考となりますから。
これからもどうぞよろしく。
お返事が遅れて、本当に申し訳ありません。
私は、日本至上主義者ではありませんし、戦前日本復古主義にも反対です。
戦前日本には、私も指摘している、戦略的な国防への取り組みは欠如していると思われるからです。
だとすれば、戦前日本に復古しただけならば、同じ道を歩むだろうと思います。
つまり、まただまされて、つぶされる運命が待ち受けます。
それではダメです。
今はまだ、戦略的な国防観を、日本人が持ちえているとは思えませんから、極端な一方から、反対の極端に振り子が振られている状態だと思っています。
ただ、戦前の日本の本当の姿は、一度見直して見る必要はあるとは思います。
戦前日本には、すでに民主主義はあり、人種平等の理念はありました。
歴史で思い込まされている、ファシズム国家ではなかったのです。
そういった点は思い起こし、なおかつ、未来に向けて、改善すべきは改善するという態度が必要だと思います。
今はまだ、振り子が反対に振られている状態です。
これを知り、欠点を克服すれば、それはすなわち、世界が欲している、お手本が現れてくるはずなのです。