土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

原爆投下の日を、新たな誓いの日としよう。

2014-08-06 16:59:27 | この国を守るために

土佐のくじら(幸福うさぎ丸)です。

本日8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。
広島の原爆慰霊碑には、
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」という碑文が刻まれています。

私は、この言葉が大嫌いです。
この碑文には、 日本が過ちを犯したから、原爆を落とされた・・・
というニュアンスが込められています。

とんでもないことです。
原爆を落としたことが過ちなのです。

広島で死んだ方々は、一般市民なのです。
非戦闘員の虐殺は、国際法違反です。

広島の原爆は、アメリカによる、国際法違反の碑文でなければいけないのです。

今中国領である新疆ウィグル自治区では、中国の核実験による被害が出ています。
その数は、70万人以上と言われています。

世界最大の被爆国は日本ではありません。
中国です。
中国の新疆ウィグル自治区住民こそ、世界最大の核兵器による被害者たちです。

ウィグル人が、何か過ちを犯しましたか?
ただ単にウィグルという地が、中国政府による核実験場にされただけですよね。(怒)

ということは、中国政府は、
「ウィグル人は、核被害によって、死んでも構わない。」と思っているということです。

広島・長崎の原爆投下も同じ構造です。
広島・長崎に落とされた原爆は、タイプの違うものです。

広島はウラン型、長崎はプルトニウム型です。
何が言いたいかと申しますと、これらの2つの事例は実験だ・・・と言うことです。

つまり、
タイプの違う兵器の貴重なサンプリングとして、2つの都市への投下が必要だったということです。

要するに、これは戦況とか、そういうことに関わりなく、
当時のアメリカ軍の事情として、広島・長崎への原爆投下は行われているということです。

日本の降伏を促すためであったら、東京の近くの外洋で落とせば良いことです。
終戦間近のアメリカ軍は、日本の制空権を完全に掌握していましたから、それは十分可能でした。

しぶとい日本を観念させる目的や、
日本が独裁主義で、日本人を開放する目的ならば、絶対にその方が良かったはずです。

つまりアメリカ側からすれば、原爆投下でどれほどの効果が出るか、つまり、
どれほどの放射能汚染があるかや、どれほどの人的被害が出るかを知る必要があったのです。

ではアメリカはなぜ、人のいない外洋で行わなかったか。
それは、アメリカ国内において、人のいないところでの原爆実験は終わっていたからです。
つまり、既にサンプルがあったのです。

人のいるところでのサンプルが欲しかったので、広島・長崎に落としたのです。
アメリカ国内で、人のいるところでのサンプル採取は不可能です。
だから、戦時中の敵国である日本に落としたのです。

広島、そして長崎の方々は、怒らなければならないです。
広島、そして長崎の原爆投下は、白人以外の民族を、原爆投下実験に使った、歴史的証明なのです。

過ちは犯しませんから・・・と、自己を卑下し、自己をないがしろにする必要はありません。

そうではなくて、 決して、過ちは起こさせませんから・・・ と、
世界平和のために、決起する市民であって欲しいと願います。

でなければ、ウィグル住民の核実験被害なども、
世界のニュースでは取り扱われることはないのです。

原爆投下、そして全国の主要都市に空襲をした航空機B29は、爆撃機です。
爆撃機というのは、軍事施設を爆撃するためのものなのですよ。
非戦闘員である、一般市民を爆撃したら、国際法違反なのです。

つまりB29は、国際法違反の航空機なのですよ。
航空機B29の歴史は、 アメリカの国際法違反の歴史であり、
人種差別の歴史であり、市民虐殺の歴史そのものなのです。

アメリカは、これら国際法における重罪を犯しています。
ここらの重罪を、覆い隠し合理化するために、
南京大虐殺をはじめ、戦前日本悪人説が、どうしてもどうしても必要だったのです。

戦後直後の日本人は、そのアメリカの罪を認識していました。
認識してはいたけれども、受け入れました。
受け入れざるを得なかった・・・というのが正確でしょう。
当時の事情は、察するに余るものがあります。

しかし日本国民の皆様、これ以上、毒水を受け入れるのはやめましょう。
歴史をしっかりと見つめましょう。

でなければ、日本人性悪説の元、
子々孫々と、その過去の歴史とやらに、振り回される日々となります。

そしてそれは、過去行われた人類への罪、そして、
今も現実に行われている、人類への罪を覆い隠すことにもなるのです。

そしてそれは同時にその罪は、未来永劫、人類に行われ続けることになるでしょう。

日本人が腹をくくれば、世界は変わります。
つまり、 日本に、自虐史観をやめれば、戦争につながる・・・という怖れがある限り、
世界から、人類への罪が消えることはありません。

日本が、小さな怖れを克服する勇気があれば、世界は変わるのです。
今を生きる日本人が、真実の歴史を、本当の意味で受け入れることです。

日々の生きやすさや、小さな国内の事情や、国内の法律の問題や、
そういった、小さな小さな原理に基づく判断ではなく、

きちんと、人類にとっての正義や、大きな平和への原理に向けた判断に基づき、
日本人は歴史に目覚めるべきなのです。


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