土佐のくじらです。
今回は歴史探求いたします。
消費増税が決定し、日本国内の経済問題にも言及したい所ではありますが、中朝韓らの日本包囲網も着々と形成されつつある昨今、国防への定見もまとめておかなければなりません。
その点において、信長、そして義経ら、戦の天才の戦い方は、貴重なサンプルの宝庫です。
私は細かな戦術に関しては、余り詳しくはありませんし、おそらくサディスティックであったであろう、信長の人柄にも興味がありません。
彼のその、勝てる体制作りに興味があります。
勝つべくして勝つ、その仕組み作りに、どうしても目が向いてしまうのです。
信長を研究していると、ある法則というか、一筋の思想が、見えるような気がします。
それは、信長の生き方には、”合目性”を感じるのです。
どの部分かと申しますと、全ては天下布武のため・・・すなわち、戦国時代そのものを終わらせるため・・・という目的のための、判断や行動であり、彼に関しては、その目的からのブレはほとんどない・・・と思えるところです。
信長は家臣を銭で雇って傭兵軍団をつくり、一年中季節を選ばず戦える体制をつくります。
そのために必要な銭は、楽市楽座で儲けます。
ただ傭兵軍団は、忠誠心も弱く、本来侍には向いていないような人も相当入ってきますので、それでは弱いのですね。
所属する軍隊が弱ければ、このような家臣では、命惜しさに裏切ったり、逃亡したりします。
ですから、圧倒的に強い武器、そして勝つ確率の高い戦術が、何より必要なのです。
織田信長軍は、当時の上杉軍や武田軍と比べると圧倒的に弱かったと言われています。
それは兵隊個々人の技量が低かったのですね。
鍛えられていなかったのです。
織田家臣では、前田利家が「槍の又左(やりのまたざ)」と言われた程度で、この頃もてはやされた、強い武士が見当たりません。
織田軍は、組織戦で勝って行ったのです。
この信長の強さの鍵は、武器の強さであり、戦術の強さなのです。
要するに信長は、弱い組織を強くするための、強い武器・勝てる戦略戦術に、常々アンテナを張っていたのですね。
尾張は強国に囲まれた小国ですから、信長は必死で考えていたはずです。
武器の強さでは、有名なのは、鉄砲の大量使用です。
この頃の鉄砲は、実践的な武器としてはまだ未熟でした。
その鉄砲を大量に使う、改良して使う、そういう使い方の工夫を信長はしています。
戦術面では、桶狭間の戦いなどに、その片鱗がうかがえます。
今川2万の軍隊と織田5000の兵です。
通常ですと、とても勝ち目はありませんが、当時の凱旋軍の半分は、食料などを運ぶ補給部隊ですので、実戦部隊としての今川軍は、約10000人です。
信長は近くの2箇所で、おとりの戦いをして、その今川軍20000の内、10000人を引き付けています。
今川本体10000人が桶狭間にいますが、実戦部隊で数えれば5000人ですね。
それが街道筋にいますから、道沿いに縦に長い陣形で休みますね。
織田軍5000人は、全て実戦部隊です。
駆けつけ軍ですので、食料を運ぶ部隊はありません。
実質上は、今川5000vs織田5000の戦いなのですよ。
そして、縦に長い・・・ということは、当然横は手薄ですね。
そこへ、横から山を下って大将首だけを狙って織田軍が駆け下ります。
山中の戦いでは、完全に地元有利の戦いが出来ます。
攻められた方は、どこから攻められるか、全く予想できないからです。
そして、相手の弱いところを、そこよりも強い戦力でたたけば、勝つ確率は、当然上がります。
桶狭間は奇襲戦でしょうけど、決して無謀な戦いではないのです。
これを、
「勝てる相手ではないのに、信長さまは勝ったあ~!!」
と演出して見せるのが、信長の凄いところであります。(笑)
勝つために、勝てる組織にする・・・
そして・・・勝てる戦いをする・・・
このことにおいて織田信長は、日本で一番の演出家だと思います。
源義経、そして織田信長の二人の天才の戦いに共通すること。
それは、
相手の強さを無力化し、相手の弱いところを突く・・・です。
この部分が共通しております。
桶狭間では、大軍を無力化した状態で叩いています。
戦国最強と言われた、武田の騎馬隊に対しては、鉄砲の波状攻撃を行使しています。
水軍最強の瀬戸内海の村上水軍との戦いでは、相手が投げつける爆弾に対応するため、軍艦を鉄板で覆って退けています。
義経は、一の谷という絶対安全領域に平家がいる背後を突きます。
屋島では、制海権のある平家が絶対有利でしたが、嵐の日に海路四国に渡り、屋島に陣取る平家を背後から撃ちます。
嵐の日なら、制海権は無関係だからです。
また、壇ノ浦の戦いでは、海戦になれた平家有利の場所ですが、禁じ手ですけど、平家の船頭を射抜いて平家の水軍を無力化しています。
相手の強さを無力化し、相手の弱いところを突く。
これは戦の鉄則であり、日本が侵略されるならば、敵はここを突くはずです。
日本はむしろ、相手の強さを無力化させ、相手の弱いところを研究し、自身においては、弱みを克服して強い国家にすることです。
そうして相手に、攻める気をなくさせることです。
さすれば、無用な戦いによる悲劇を、避けることができるでしょう。
逆を言えば、これをしなければ、無用な戦いが起こり、占領されても致し方ないということです。
それが、歴史に学ぶ国防論の一つです。
(続く)
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