釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

義経は北へ逃れた

2015-02-28 19:50:32 | 歴史
昨日は低気圧のため夜半まで強い風が吹いたが、内陸のような雪は降らなかった。朝も3度あり日中は10度まで上がり、やはり2月も終わりになると気温が上がって来た。今日は気持ちがいいので、日中に犬と散歩した後、庭で少しボール投げをして犬と遊んだ。白い毛の混じるようになった12才だが、とても元気で、若い頃と運動能力はほとんど変わらず、おそらくこれまで見て来たどんな犬よりも走るのが早い。羊たちを狼から守った犬だけあるようだ。蝋梅も蕾が次々に開いて来ており、山茱萸(さんしゅゆ)の蕾も膨らんで来た。 源義経は兄の頼朝の伊豆での挙兵を聞き、平泉から藤原秀衡の部下数十騎を伴って、駆けつけ、以後平氏追討までほぼ一人で戦いに勝ち進んだ。手勢はわずかで、機知に富んだ戦略で、見事な戦果を上げていった。そのことが後に頼朝に敬遠されることにもなった。通説では平泉の藤原氏最後の頭領となった藤原泰衡は父藤原秀衡が信頼していた義経を頼朝の命で衣川館を取り囲んで、ほとんど義経の抵抗を受けないまま討ち取ったとされている。しかもその義経の首級は43日もかけて鎌倉に運ばれている。この通説の経過がいかに不自然であるか。平家との戦いで少ない手勢でも見事な戦略で勝ち続けた義経が衣川館で戦う姿勢すら見せていない。さらには討ち取られた義経の首は43日もかければ顔の識別すら出来ない。何故に43日もかけられたのか。和田家資料2の「日之本史探証」に「曽我氏之事」がある。ここでは通説と異なり、義経が藤原氏の指揮をとれば、頼朝の野望が崩れるとみて、頼朝が天下分けめをかけて挙兵したとある。しかし、藤原泰衡は父藤原秀衡の「義経を主君とせよ」と言う遺言に従わず、義経には指揮権を預けなかったために自らは津軽の藤原秀直の援軍を期待し、さらには、自分の重臣である大川兼任が義経と謀って高館を動かなかったために、自分の手で平泉に火を放ち、羽後に遁走したとある。そして義経主従は津軽の藤原秀直の手引きで北海道に渡り、「後志の余市に遁行せり」と書かれている。享和壬申年 舘田加門正頼 の名で書かれている。江戸期の享和年号には壬申年はなく、壬戌年がある。1802年だ。津軽の藤原秀直は藤原秀衡の異母弟津軽(藤原)秀滎の孫にあたる。また藤原秀衡の母は奥州安部氏の安部貞任の弟安倍宗任の娘であった。したがって、奥州安部氏の血は奥州藤原氏へも受け継がれていた。東北には義経北行伝説が各地に残る。義経は平泉から現在の奥州市江刺区を経て、住田町の赤羽根峠を越えて遠野へ入り、そこから笛吹峠を越えて釜石市の橋野、栗林、鵜住居を通り、大槌町、山田町、宮古市、久慈市へと沿岸部を北上し、青森県の八戸市、青森市、弘前市へと青森県を横断し、津軽半島の最北端竜飛岬から北海道へ渡る。北海道の積丹半島の付け根に余市があり、積丹半島の先端が神威岬で、義経はここからさらに船で北へ向かったとされる伝説が残されている。この義経が通ったとされるルートには各地でたくさんの伝説や遺物が残されている。釜石だけでも中村判官堂、法冠神社、亀井大明神、大杉神社などがる。とてもこれだけのものが単なる創作とは思えない。まして、通説の不自然さを考えれば、十分に義経が北へ逃れた可能性があるものと思われる。
我が家の犬(ベルジアン・タービュレン、通称ベルギーシェパード)

動物であることを忘れた人間

2015-02-27 19:11:53 | 文化
今朝は朝から6度もあったが、日中も気温は変わらず、夕方に向かう頃には少し下がって来た。東北や北陸、北海道にかけてかなり強い低気圧が来ているようで、風が強く、JR釜石線はいつものように早々と止まってしまった。小雪も時々舞って来た。そんな中でも昼休みには甲子川へ出て、カモたちの様子を見ていた。何度も水に潜っては餌を採るものもいれば、昼寝をしているのか、身体を休めているものもいた。 愛知県の岡崎市に住んでいた時、職場が豊橋市にあったこともあって、よく豊橋近辺の川や池、港湾などに冬の渡りの水鳥たちを撮りに行った。その限りでは、岩手もカモ類では愛知県とさほど違いは見られない。白鳥を除いてだが。しかし、こうした渡り鳥以外の山野に棲む動物では圧倒的に岩手の方が豊かだ。その岩手でもここのところ動物たちの数が増えていると言う。かっては日本の各地にオオカミがいた。そのオオカミが絶滅したことで、山野の動物たちには天敵がいなくなった。岩手の山野には豊かな植物もあり、動物たちの餌になるものも豊富にある。無論、冬場に餌がなくなる山野から市街地へ近づく動物たちもいる。山野に近い農家は一年を通してよくそうした動物たちの被害を受ける。岩手には県内各地に狩猟を目的とする猟銃会もあるが、若手の後継者に不足しており、狩猟期間に狩猟を行っても、駆除できる動物の数には限りがある。それもあってか、現在は動物たちの数が増えている。歴史を振り返るまでもなく、自然界のバランスを崩して来たのは、常に人間だ。都会はとても便利だし、こうしてネットを利用出来るのも技術進歩のおかげではある。しかし、それと引き換えに人間は自分たちが動物であることを忘れてしまっている。寿命が伸びれば伸びるほど、病を抱えた人が増えて来る。その一因にはやはり動物であることを忘れたことがあるように思う。動物は動く物と書く。動く物であることを忘れて、身体を使って動くかなくなったために多くの病を抱えることになった。同じ動物でも山野の動物たちはとても健康だ。それに引き換え人間に飼われた動物はにはやはり病が発生する。そこにも動物であることを忘れられた動物の存在がある。人間は動物である以上自然を相手にして始めて動物としての人間らしさを取り戻せると思う。自然に触れて育つ環境が失われ、自然界には本来存在しない物質に囲まれて暮らすようになるとさまざまのアレルギー反応を引き起こして来た。人間も他の動物と同じく、自らの病を防ぐ機能が本来備わっている。いわゆる免疫機能だ。その免疫力は子供のこのろに形成される。その時期に自然に触れることで、自然界を受け入れられる身体が出来る。しかし、現在の環境はそれを子供達に許さない。地球と言うまさに自然そのもに人間は住みながら、その中に異世界を作り出してしまった。ひ弱な子供、ひ弱な大人が生まれ続けている。長寿そのもは決して喜べるものではない。健康が維持されて始めて喜べるものになる。ほんとうに世界で長寿を果たしている地域はほとんどが自然と触れ合って育つ環境の中にあることが分かる。病を抱えた長寿は喜べる長寿ではない。自然と触れ合い、動物たちとも共生出来る環境を取り戻さなければ、人間はますます新たな病を抱えて行くことになるように思う。
ダイビングするオオバン

昼寝なのか休んでいるヒドリガモ 

プレートの移動で形成された日本列島

2015-02-26 19:51:41 | 科学
今朝は-3度で薄い氷も張っていたが、不思議と庭の水道はお湯をかけないでも出てくれた。朝は比較的晴れていたが、昼前から曇天となった。昨夜も岩手県沖でM4.9の地震があり、今日の午前中には宮城県北部の岩手県よりの沖でやはりM4.9の地震があって、釜石は震度3であった。甲子川には今日も白鳥の姿が見られなかった。昼休みには、車で甲子川の河川敷まで出て、川で休んだり、餌を探すカモたちやオオバンを眺めていた。 地球は半径が6400Kmある。その表面は地殻と呼ばれる。陸地部分での地殻は30~40Kmの厚さで、海洋部分での厚さは5~10Kmほどしかない。それら地殻の下には深さ2900Kmまでがマントルと言われる。地球の半径の約半分に近い。そのマントルの地表に近い100Km~300Kmの間の200Kmほどの厚さの部分が流動性を持っており、熱による対流を生じている。その流動性のあるマントルの上にプレートと呼ばれる地殻と硬くなったマントルの一部が載っている。従って、そのマントルの流れに載って、プレートも動く。このプレートの大きなものが地球を14~15枚覆っている。小さなものは40枚ほどあると考えられている。現在のこの小さな日本列島が大きなプレート14~15枚のうちの4枚ものプレートの影響を受けている。日本列島そのもが形作られる過程がこのプレートの動きによるものであった。1億800年前、ユーラシアプレート上の大陸の東北にあった後の日本列島の北半分が形成された。1億3000年前になり、同じく大陸の南西端で日本列島の南半分が形成されて、それは現在は消滅しているイザナギプレートに載って、北へ移動し始めた。7000万年前に南北の日本列島はぶつかり、その境が現在九州か中央部から四国、紀伊半島を横切り、関東の房総半島付け根まで伸びている中央構造線と呼ばれる断層だ。2500万年前になるとイザナギプレートのユーラシアプレートの下への潜り込みによる圧力で、大陸の東端が割れ始め、イザナギプレートは完全にユーラシアプレートの下へ沈み込み、そこに日本海が形成され始めて来た。イザナギプレートが消失するに従い、その穴を埋めるように北からは北米プレートが南下し、太平洋プレート西へ動き始め、フィリピン海プレートは北上し始めた。1500万年前まで日本海は拡大を続け、1450万年前にはほぼ直線状に並んでいた日本列島の現在の東北部分が反時計方向に、現在の西南部分は時計方向に回転したため、日本列島は折れ曲がるような現在のような形に変わって行く。その折れ曲がったところは陥没し、フォッサマグナと呼ばれる帯状の陥没帯を残した。フォッサマグナの西端が糸魚川-静岡構造線と呼ばれている。500万年前になるとフィリピン海プレートに載った現在の伊豆半島部分がフィリピン海プレートの動きで日本列島と衝突して、現在の伊豆半島が形作られる。世界には日本と同じような島国がいくつかあるが、そんな中でも日本列島はとても複雑な成り立ちとなっている。それが列島に無数とも言える断層や地震、火山噴火の温床となっている。
スズガモの番

岸壁に押し寄せた大量のイワシ

2015-02-25 19:11:31 | 自然
今朝は放射冷却で-1度になっていたが、氷は張っておらず、庭の水道もお湯をかけなくとも出てくれた。やや風は冷たいが空はすっかり晴れ上がって、釜石ブルーが広がった。所用で街の甲子川中流域を車で走っていると、少し離れたところで白鳥たちを認めた。数えてみると6羽いた。昨日の白鳥たちが移動して来ているようだ。ここのところ気温も少し上がって来ているので、そろそろ白鳥たちも北へ帰って行く準備に入っているのかも知れない。家の庭でも気温が少し上がって日射しもずっと明るくなったせいか蝋梅や万作の花が開いて来ている。この時期は花が少ないだけに嬉しくなって来る。 今朝起きてみると娘からスマートフォンにメールが入っていた。釜石の北にある山田町で過去には見られない大量のイワシが岸壁に押し寄せたニュースが流れ、心配してメールを出してくれたようだ。2011年の震災の前にも釜石の近辺の岸壁でイワシが大量に押し寄せ、娘自身もそのイワシを味の匠の方の指導を受けながらたくさん獲った記憶があるのだ。震災後釜石で娘が参加したNPOを初めとした釜石での友人たちもFACE BOOKを通じてその山田町のイワシの情報を娘に伝えてくれたようだ。娘にしてみれば、震災前のイワシの大量の記憶と実際の震災を体験させられた記憶が結びつき、とても心配になったのだろう。実際、ここのところ一時なりを潜めていた地震が再び続けて起きている。昨日だけでも小さなものを入れても5回の地震が岩手県沖で発生している。震源が三陸沖となっているものもみんな岩手県沖なのだ。先週17日火曜日に岩手県沖を震源とするM6.9の地震が発生してからも、その後も毎日岩手県沖では地震が発生しており、その日の最大規模を並べただけでも、18日にM5.7、19日にM3.3、20日M6.1、21日M5.9、22日M4.9、23日M5.0、そして昨日の24日はM5.9と続いている。2011年の震災時に太平洋プレートと東日本が乗る北米プレートの境界域付近を震源として南北500Kmにも及んで地震が発生したが、その北端から北や南端から南では今後も歪みを修正するための一定の大きさの地震が起きる可能性が研究者からも指摘されている。中でも琉球大学木村政昭名誉教授は自身のHPで今後予想される地震や火山噴火を公表されておられる。それによると根室沖で本年中にM8.5クラスの地震が予想されており、さらには青森県南部から岩手県にかけての太平洋側で2019年プラスマイナス5年の範囲でやはりM8.5クラスの地震を予想されておられる。その岩手県沖の予想震源域はここのところ続く地震の発生域でもある。三陸はこれまでたびたび地震や津波に襲われて来ており、それを体験させられた三陸の人たちは生きる知恵として、海の異変の徴しとして、魚が大量に押し寄せることを学んでいる。万が一、実際に岩手県沖でM8.5クラスの地震が発生すれば、間違いなく、津波も発生する。地震よりも三陸はその津波の影響が大きい。2011年の津波の爪痕がまだ癒えてないところで再び津波が発生すれば、同じように被害は甚大なものになるだろう。ただ人的な被害は2011年の教訓があるためかなり少なくなっているだろうが。
愛染山と甲子川

甲子川中流域の白鳥たち

庭の蝋梅

庭の万作

誰のための経済政策か?

2015-02-24 19:15:31 | 経済
今朝も曇ってはいたが7度もあり、風が気持ちいいほどだった。昼には日が射して青空が広がって来た。出勤時に久しぶりに白鳥たちの姿を認めた。早速昼休みにパンを買って、甲子川へ出かけた。3羽ずつに分かれた2つのグループのようで、川下にいた白鳥たちに近ずいて行くと、川上にグループもすぐにやって来た。カラスや他のカモ類も集まって来た。パンを投げ始めると、白鳥たちはさらに近ずき、1羽などはもう手を伸ばすと触れるほどの距離にまで寄って来た。足元にもたくさんのカラスがいる。やはり白鳥のいる甲子川は絵になる。今日は午後には職場の裏山のわずか50mの距離でニホンカモシカまで見ることが出来た。野生のニホンカモシカを実際に見るのは3度目であったが、写真に収められたのは最初だけだ。 国が行う経済政策には財政政策と金融政策がある。前者には公共事業や税の増減があり、後者では日本銀行による通貨供給量の調節が中心となる。首相官邸のHP(ホームページ)によれば、「「どれだけ真面目に働いても暮らしがよくならない」という日本経済の課題を克服するため、安倍政権は、「デフレ※からの脱却」と「富の拡大」を目指しています。これらを実現する経済政策が、アベノミクス「3本の矢」です。(※物価が持続的に下落する状態のこと)」と述べられている。第1の矢は「大胆な金融政策」として「金融緩和で流通するお金の量を増やし、デフレマインドを払拭」と書かれ、第2の矢は「機動的な財政政策」として「約10兆円規模の経済対策予算によって、政府が自ら率先して需要を創出」と書かれている。第3の矢では「民間投資を喚起する成長戦略」として、「規制緩和等によって、民間企業や個人が真の実力を発揮できる社会へ」となっている。2013年4月に異次元の金融緩和が日本銀行より発表され、公共事業も拡大されたが、一方で消費税の増税も行われ、第二次安部政権の発足した2012年12月の翌年1年は確かに期待感もあって、経済成長率はプラスに転じたが、内閣府が今月16日に発表した2014年度の第3四半期(10~12月)における実質GDP成長率は前年同期比マイナス0.5%となり、3期連続のマイナスとなっている。第二次安部政権の発足直後の2013年の1年間は円安と株高で今にも景気が回復するだろうと言う期待感が膨らんでいたが、2014年には実体経済が一向に改善されないことに人々が気付き始めたのだ。一般に日本銀行が通貨供給量を増やせば、市中にそれが流れて、金利も下がり、企業や個人が借り入れをしやすくなり、消費が増えて、経済が活性化する。しかし、実際には日本銀行が「異次元」の通貨供給量を増加させたにもかかわらず、経済の活性化は見られていない。これは何故なのだろう。日本銀行が増やした通貨は市中に十分には流れていないのだ。日本銀行が調整する通貨供給量をマネタリーベースと言うが、日本銀行調査統計局の資料によれば2013年1月のそれは132兆円ほどであった。そして今年1月には275兆円になり倍以上となっている。143兆円の増加だ。にもかかわらず市中に流れる通貨、マネーストックは2013年1月の1,138兆円から今月1月の1,211兆円となり、73兆円の増加にしかなっていない。ちょうど日本銀行が供給を増加させた量の半分しか市中では増えていない。景気が良くなると消費が増えるため、物価は上昇する。しかし、昨年4月に消費税を増税したために先月30日に総務省が発表した昨年12月の価格変動の大きい生鮮食品を除く消費者物価指数は前年同月比で実質わずか0.5%の上昇率でしかない。昨年4月からこの上昇率は月を追って低下して来ている。現政権の経済政策は謳い文句とは裏腹に個人の実質所得は低下しており、企業の本来の活動や業績も改善は見られていない。円安や株高による企業の見かけの収益が増えているだけであり、しかも企業は収益を相変わらず、賃金や投資に回さず、内部留保に励むばかりである。自社株の上昇で役員報酬だけが増加している。持てるものがさらに持つようになり、持たざるものがさらに持てなくなっている。今後も格差は続いて行くだろう。
パンを食べた直後で、パンくずを探していた

とりあえず満足したのか、伸びをするものがいた

ようやく落ち着いたようだ

映画『アメリカン・スナイパーAmerican Sniper』

2015-02-23 19:18:13 | 文化
昨夜はみぞれ混じりの雨が降った。今朝は曇天だが、そよ風のようなとても気持ちのいい風が頬をなぜた。気温は朝からもう12度にもなっていた。日中もほとんど曇天が続いたが、最高気温は13度で気温だけが早くも春の到来のようであった。昼には少し薄日もでていたので、職場から少し離れたところまで、また蝋梅を見に行った。とてもいい香りを漂わせており、しばらくはその香りに酔いしれていた。我が家の蝋梅よりも木が大きくて花もたくさん咲いている。いつもの空き家にも行ってみたが、ちょうど蜜蜂が福寿草の蜜を取りにやって来ていた。次から次へと花を移り飛んでいた。 クリント・イーストウッドと言えば、米国のかってのカーボーイスタイルの人気俳優だったが、政治的にも活発な活動をして来ており、1986年にはカリフォルニア州のカーメル市市長も務めている。共和党員であり、個人や経済の自由を訴えるが、一方では朝鮮戦争やヴェトナム戦争、テロとの戦い、イラク戦争などには反対して来ており、後年には映画監督としても精力的に映画を作っており、最近15年間で監督作は13本にもなっている。中でも2006年には『父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers』、『硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima』で太平洋戦争における日米双方の兵士たちの姿を描き、国家が引き起こす戦争に巻き込まれた兵士は米国人であろうと日本人であろうと同じ人間で何も変わるところがないことを浮き彫りにして、個人を犠牲にする戦争への強い批判を描き出した。2013年にはスティーブン・スピルバーグ監督に代わって彼が『アメリカン・スナイパーAmerican Sniper』を監督することになり、昨年、米国で公開されるやたちまち記録的な興行成績を収めた。それまで戦争映画史上最高の興行収入を収めた『プライベート・ライアン』を軽く超えてしまった。米国史上最高の実在した狙撃手であるクリス・カイルの自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』(原題: American Sniper)を原作としている。クリス・カイルはイラク戦争に4度従軍し、イラク側からは「ラマディの悪魔(シャイターン・アル・ラマディ)」と呼ばれるほどの狙撃手であった。戦争の英雄は心に傷を負い、家族関係へも影を落とした。そして、2013年2月米国の射撃場でやはり戦争で心に傷を負った25歳の元海兵隊員に突然乱射されて、若干38才で命を落としている。イラク戦争は作り上げられた「大量破壊兵器」が理由で始められた「大義なき戦争」であり、その戦争で子供を含めた160人を射殺した狙撃手。クリント・イーストウッド監督はその狙撃手の心をも蝕んだ戦争をこの映画で再び描き出そうとしているようだ。84才になる彼の精力的な活動の原動力は「スシ」なのだと言う。現在この映画は日本でも公開が始まっている。
とてもいい香りを漂わせていた蝋梅

蜜蜂がやって来た福寿草

薬師公園の山茶花

蝋梅(ろうばい)

2015-02-22 19:18:06 | 自然
今日はほぼ一日曇天で、時々日が射す程度であった。朝もプラス2度で寒くなく、日中には8度まで上がり、その時を利用して犬と散歩に出かけた。ちょうど日射しが出てて、甲子川の土手を歩くと風も強くなく、久しぶりにとても気持ちの良さを味合った。犬にはむしろ暑いくらいのようで、戻って来ると、口を開けて呼吸をしていた。庭の蝋梅の蕾を昨日今日と日射しと暖かさで、2~3だがさらに膨らんで来ている。仕事の関係で少し職場へ行って、その帰りに昨年もどこかで蝋梅を見たことを思い出し、そんな目で見ながら車を走らせていると、毎年立派な菊の花を見せてくれる元校長先生の御宅の近くの家に蝋梅が咲いているのが目に入った。蝋梅は中国が原産のとてもいい香りを漂わせてくれる花だ。冬の花がほとんど見られない時期に咲いてくれる貴重な花でもある。地方によって12月の終わりころから3月にかけて咲く。その名の由来は二つあるようで、蝋細工のような梅から来たものとする説と、陰暦の12月が臘月(ろうげつ)と呼ばれるところから、その月から咲くことからとする説があるようだ。葉はこの時期にはなく、花だけが黄色く咲く。福寿草といい、この時期の花は何故か黄色が多いのかも知れない。
素心蝋梅

晴れた日の早池峰山

2015-02-21 20:50:06 | 自然
今日は朝は曇天であったが、その後は次第に青空が広がりまた久しぶりの晴天になった。しかし、最高気温は5度でさほど高くはならなかった。いつもは内陸の方が気温が低くなるが、今日は逆で、内陸の方が釜石より気温が高くなっている。あまりにも天気がいいので、また早池峰山を見たくなり、出かけて行った。和山高原のいくつも並んだ風車も遠く見ることが出来た。やはり晴れた日の早池峰山は雪を冠っていかにも霊山らしい趣を見せてくれる。遠野はまだ薪ストーブを使っている農家があり、所々でそんな煙が立ち上っていた。農道を走ると、雪解け水が流れ出しており、そんなところにも春の兆しを感じてしまった。農道のそばの雪の上にはタヌキの足跡が残されていた。いつもの荒神神社の近くの丘の雪が日射しを浴びてとても綺麗だ。しばらくそれを見ていると、青空に飛行機が2つ白い筋を引いて飛んでいるのが見えた。遠野は空が釜石よりずっと広いので、空が晴れ渡ると日中にこうした飛行機雲がたくさん見られる。
早池峰山

光に輝いていた雪

タヌキの足跡

丘の雪

二つの飛行機雲

沖縄差別はいつか我が身に

2015-02-20 19:15:55 | 社会
今朝は0度でいつもよりは寒くはなかったが、日中も気温は上がらず、最高気温は2度だ。曇天が続き、午前中は小雪も舞った。昼休みに八幡神社の方へ行ったが、そこで椿や山茶花を見ている間も手が冷たくなって来た。そこから眺める甲子川には今日も白鳥の姿は見当たらない。もう今冬は白鳥はやって来ないのかも知れない。 日本では沖縄は北海道と並んで離島と気候と特有の風土で観光地として人気の地だ。しかも歴史を振り返れば、いずれも差別を受けて来た地でもある。特に沖縄はその差別の歴史は長い。15世紀に琉球王国が成立した後も17世紀には薩摩からの迫害を受けていた。太平洋戦争では日本の防衛線として地上戦に巻き込まれ、多くの犠牲者を出している。戦後も米国の統治下で日本に返還される1972年までは米国からの差別を甘受せざるを得なかった。返還後もさらに米軍基地が置かれ、財政難と極東の情勢変化、軍事技術の発展により米国自体がもはや沖縄に基地を置く意味をなくし、撤退すら考えざるを得なくなった。そんな米国側の事情があるにもかかわらず、日本政府は沖縄に米軍基地の存続を望み、強硬に市街地にある普天間基地を辺野古へ移転しようとしている。沖縄県議会は反対決議をしているにもかかわらず。さらには新たに知事となった翁長 雄志おなが たけし)氏が辺野古への基地移転に反対を表明すると、何度も上京して首相と話し合いをしようとしても、首相は面会を拒否し続けている。そればかりか沖縄振興予算まで削減すると言う圧力までかけている。政府の方針に従わない者へのなり振り構わないこうしたやり方がますます沖縄県民に怒りをもたらせている。抗議に座り込みをした住民たちを次々に逮捕し、実際には座り込みの場にいなかった7才の少女まで防衛省沖縄防衛局は「通行妨害」として訴えると言う馬鹿げたことが行われている。日本はこと政治絡みの裁判では法治国家とは言えない。三権分立は建前で司法は独自の判断をすることなく、つねにその時の政府の意向に従う。米国自身がすでに沖縄に基地を置く必要性をなくして来ているにもかかわらず、政府は執拗に沖縄に米軍基地を存続させようとしている。軍事的には米国は東アジアでの直接の役割を日本に任せようとしている。自衛隊などと言う曖昧な名称を使っているが、要は立派な軍隊だ。その立派な軍隊をすでに持っている日本に米国は肩代わりさせることで、自らの財政難に対処しようとしている。もしもの場合も極東の太平洋周辺には米国の艦船が展開されている。米国は軍事的にはそれで十分有事に対処可能だと考えている。しかし、主人に尾を振る犬の如くに政府は米軍基地の存続にこだわり、米国への隷属的な姿勢をとり続けている。「戦争のできる国」にする一方で「寄らば大樹の陰」を地で行っているのが現在の政府だ。同じ敗戦国のドイツとはまったく異なる態度だ。ドイツは米国との友好を保ちながらも独自の姿勢を貫き、自らを決して卑下しない。対する日本は米国へは一貫して隷属的であり、そんな日本の姿勢に米国も他国の米軍基地以上に沖縄を支配性の強い基地として来た。日本はいつまで沖縄を犠牲にし続けるのだろう。そこでの犠牲のあり方はいずれ全国に強いる時がやって来ると言うことを理解しておく必要があるだろう。
八幡神社

曇天のために花の開きが悪い福寿草

岩手県沖地震

2015-02-19 19:19:52 | 自然
今朝は3度もあったが、日中は5度までしか上がらず、札幌の予想最高気温と同じだ。ただ風はあまりないのでそれほど寒くはない。職場の裏山には今日もシジュウカラたちがやって来てさえずっていた。山鳩も山裾の岩の出ているところで餌を探していた。昼休みには甲子川の河川敷に出てみたが、やはり白鳥はもう見かけない。今日は渡の水鳥たちの他にダイサギとアオサギが来ていた。ウミネコもいつも通りに川辺に来ており、幼鳥が水浴びをしていた。 今月4日に岩手県沖を震源とするM3.7の地震が発生した後、しばらく地震が途絶え、17日に突然M6.7の「三陸沖」を震源とする地震が発生した。気象庁はこの地震の震源を宮古の東210Km付近と発表している。つまり「三陸沖」と発表しているが、実は岩手県沖なのだ。気象庁は「岩手県沖」とする地震も発表しているので、その違いは陸地からの距離にあるのかも知れない。いずれにしてもそのM6.7の地震の後、同じ日に岩手県沖では、M4.8、M4.6、M5.7、M3.1、M2.7の地震があり、18日午前1時33分にもM5.7の地震があった。この経過を見るだけでも地震のエネルギーの開放が分散されていたことの幸運が見て取れる。2011年の大地震の震源域の北端や南端以外はまだ十分に蓄積された地震エネルギーが開放されていない可能性があり、事実琉球大学木村政昭名誉教授は独自の「地震の目」理論で青森沖から岩手県沖にかけて2019年プラスマイナス5年にM8.5、 根室沖で2010年プラスマイナス5年にやはりM8.5の地震をそれぞれ予測されておられる。ただ前者についてはホームページでは昨年8月10日に発生した青森県東方沖のM6.1の地震が本震とされている。しかし、今回の岩手県宮古市沖の地震はM6.7であり、同名誉教授の予測地域内ではむしろ昨年よりも今回の地震の方がエネルギーは大きい。しかし、こうして昨年と今年でこの地域で分散して発生した地震で、そのエネルギーが減少して、M8.5クラスの地震とならないで済んでいるのであればいいのだが。木村名誉教授はこれまでにも1986年の伊豆大島三原山大噴火、1991年雲仙普賢岳大噴火、1995年兵庫県南部地震、2004年新潟中越地震を予測し、2007年には太平洋学術会議で東日本大地震の可能性を予測、昨年9月の御嶽山の噴火もやはり予測を的中されておられる。現代の日本を取り巻く環境は平安時代の貞観地震が発生した頃に酷似していると地震研究者たちの間で言われている。巨大地震や富士山の大噴火が発生した時代だ。日本列島は過去を振り返ると、周期的に大きな天変地異を繰り返して来ている。過去には地下の大量のマグマが一気に地上に噴出する壊滅的な噴火である破局噴火、カルデラ噴火も日本各所で起きている。現代の日本はこれまで比較的大地震や巨大噴火からは遠のいていたため、列島全体が安全なものと信じ切っていた。しかし、兵庫県南部地震や東日本大地震で列島はこれまで信じ切っていたように決して安全な地域ではないことに気付かされた。同名誉教授の予測で一番問題になるのはやはり東日本大震災後、マグマが上昇し、斜面や山麓に亀裂が入り、地熱が上昇し、火山性地震が増加している、2019年までに起きると予測されている富士山の噴火だろう。平安時代に東北を襲った869年の貞観大地震の直前の864年から866年にかけての富士山の大噴火では流れ出た溶岩流が北麓にあった広大な湖であった剗の海(せのうみ)の大半を埋没させ、西湖と精進湖だけを残した。青木ヶ原樹海はその溶岩流の上に形成されたものだ。現代はこの貞観の時代に酷似していると言われる。同じような規模の噴火があれば、首都機能の麻痺をはじめ甚大な被害となるだろう。
ウミネコの幼鳥の水浴び

背後から