釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

アラハバキ神

2015-02-09 19:15:18 | 歴史
今朝は-2度で水たまりは厚い氷が張っていた。風も昨夜から強く、今日の日中は-2度のまま経過し寒い一日となった。今日も川には白鳥の姿がなく、小さな水鳥たちがいただけだ。昼休みに寒い中を例年蝋梅が咲く家にまで行ってみたが、剪定されていて、花や蕾も見られなかった。今日はがっかりさせられる昼休みであった。時々小雪が舞い、釜石も今冬一番の寒さとなった。内陸はもっと気温が下がっていただろう。 和田家資料2「丑寅日本記 第三」に「荒羅覇吐之由来」がある。長保庚戌年八月十六日 日本(ひのもと)将軍 安部頻良(ただよし) の記録となっている。長保庚戌年はなく、安部頻良の時代とすれば長保庚子年の間違いだろうと思われる。西暦で言えばちょうど1000年になる。安部頻良は奥州安部氏最後の頭領である安部貞任の祖父になる。「古代紅毛人国のシュメールと曰ふ国あり。ルガル神を一統信仰せる君民は、ギルガメシュ王の叙事詩になれる神にてアラハバキ神あり。主趣はアラとは獅子神、ハバキは龍神にて地母神とも崇まれ。神の子に誕生せしはアラハバキ神と曰ふ。 此の神の流布せるはトルコ国トロヤ、エジプト国カイロ、ギリシア国オリユンポス、エスラエル国エルサレムなり。此等の国に興りしギリシアのカオス、エジプトのラアー、アメン、エスラエルのアブラハムらの神々にぞ、何れの基たる神の神格は、シュメール王ギルガメシュの叙事詩になる土版語印に遺れしアラハバキ神の神格より神格分岐せしものなり。・・・・・・・・是の神布の域は天竺にも及びアラハバキ神とてヤクシヤア神、ヤクシー女神、シブア神の神格となれり。更には支那に西母即ち、西王母、女媧、伏羲とて伝はり、蒙古にてはブルハン神とて伝はりぬ。 吾が丑寅日本国に伝はるは是の如き諸々の分岐各々渡り来たりきも、吾が国のエカシらは、大元なるアラ神、ハバキ神たる太古シュメールになる神号を神格とせり。依て、茲に銘言す。世界の諸民族に渡れる神の起源になれるは、古代ギルガメシュの叙事詩より起りぬ。世々国々になれる信仰の源には、メソポタミアに起りきものなり。是れ即ち、アラハバキ神の事如件。」アラハバキ神とはシュメールのアラ神とハバキ神を言い、世界の主要な神の元となった神だと述べている。シュメールは紀元前3500年頃に中東メソポタミアに突如として現れた世界最古の文明とされて来た文明だ。東北にはシュメール語も残されていることが後の「古言抄 一」に少し書かれている。津軽に江戸時代の時点で残された「マデにせよ」と言う言葉は「マデ」がシュメール語で「葦を刈りて、木を用いず葦のみにて造る住居の事なり。」とあり、「シュメールにては家をマデフと称し、マデとは大切なる意趣なり。」とある。即ち、「マデにせよとは大事にせよ、または全部と曰ふ意趣なり。」と書かれている。太古のシュメールの神がかって東北に伝わったなどと言うのはとんでもない話に思えるだろうが、これはかなり史実性が高いと考えている。ドイツ人医師で江戸時代の1690年に長崎出島でオランダ商館付の医師となったエンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)が最初に日本とシュメールの結びつきを指摘し、大正時代には現在もバビロン研究の第一人者とされる弁護士原田敬吾が日本人はシュメールに起源するとする説を唱えている。日本各地にバビロニア語の地名があり、1986年には下関市の彦島の彦島杉田遺跡にある磐座に刻まれた文字がシュメール文字であったことが明らかにされている。日本国内よりもむしろ米国で注目されたようだ。日本の正史とはあまりにもかけ離れているために、既存の学会ではほとんど無視されている。しかし、地方に残された言語や文化、古文書は正史以上に史実の足跡を残しているのだ。
一昨日、遠野郷から見えた早池峰山