釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

雨が降り続く

2014-07-20 20:02:54 | 自然
ここ二日続けて、雨の日が続き、少し鬱陶しい。気温は続けて20度ほどまでしか上がらず、とても7月とは思えない。昨日は息子が大阪へ帰るので、花巻空港まで送って行った。息子は前の日に片付けや荷造りで徹夜をしたようで、空港までの車中は眠り通した。空港からの帰りに釜石自動車道の沿道を見ていると、山間部を走るせいか、月見草や山百合がたくさん咲いていた。内陸はわずかに小雨がちであったが、釜石の方がずっと雨の勢いが強く、周辺の山々は霧に覆われていた。その霧は今日の方がさらに強まっている。遠野の西の宮守インターを降りて、遠野の市街地に向かって間もなく、ふと田園を眺めると蓮の花が咲いているのが目に入った。農家が蓮根を作っているのだろう。こんなところに蓮が植えられていたことをこれまで気付かなかった。遠野の風の丘で小休憩をしたが、もう花数は少なく、珍しい花も見当たらなかった。遠野のホームセンターに立寄って、犬の餌や日用品を買い込んで、釜石へ向かった。上郷の夢産直へも寄ってみたが、ここでは八重の桔梗と白花の月見草が置いてあったので、珍しさもあって買ってしまった。市価の3分の1の値段だ。夜遅く娘から電話があり、大阪に着いた息子はとても釜石で癒されたとしきりに言っていたそうだ。リフレッシュした気分で元気そうだったと言うことだった。息子がいる期間中天候は良くなかったが、庭木にも触れ、甲子川付近から聞こえて来るヒグラシやカジカガエルの声にも触れて、大阪では味合わえない自然の空気に浸され、息子なりに充足した毎日が過ごせたのだろう。雨の中で今日庭を眺めると、2000年前の大賀ハスの周りで雑草が伸びて来ていたが、ハスもずいぶん伸びて来ていた。ウグイスの声は聞かれなかったが、カワラヒワたちが群れでやって来て可愛い声を聞かせてくれた。玄関先の杏の実も熟して雨のためにみんな落ちてしまった。
庭の車百合 岩手の山野でも咲く

生物の大量絶滅

2014-07-18 19:17:12 | 自然
地球が誕生して6億年経った、今から40億年前に、海で生命が生まれた。当時の地表は強い紫外線や荷電粒子に満ちて、とても生命が維持出来る環境ではなかった。地表とは異なり原始の海では生命の素材であるアミノ酸などの有機分子が存在していた。一度誕生した生命は以後、様々の種を進化とともに生み出して来た。しかし、地球上ではこれまでに5回も生物の大量絶滅の歴史があった。5億4500万年前の超大陸ゴンドワナが形成・分裂した時期に大規模な火山活動が起こり、それまでの軟組織で構成された生物体が大量絶滅した。これにより三葉虫のような硬骨格の生物が以後地球上に現れる。4億4400万年前になり、まだ陸上生物のいない、海洋の楽園に生きていた三葉虫、腕足類、ウミリンゴ、サンゴ類などの85%の生物種が絶滅した。氷河の発達と消失が海水準の上下動をもたらし、超新星爆発によるガンマ線の放射などの環境変化が絶滅を招いたのだ。次に、3億7400万年前にも海生生物を中心に82%の生物種が絶滅した。2億5100万年前には地球のこれまでの歴史で最大の生物種の絶滅が起きている。96%もの海生生物、全生物種の90~95%もが絶滅した。超大陸パンゲアの形成で巨大なマントルの上昇流である「スーパープルーム」を生じ、大規模な火山活動が生じたことが原因とも考えられている。1億9960万年前の絶滅ではアンモナイトをはじめ、爬虫類などの大型動物を含め、生物種の76%が絶滅した。火山活動や2億1500万年前のカナダのマニクアガン・クレーターを形成した隕石の衝突などが原因と考えられている。この時、生き残った恐竜の祖先が以後、大型恐竜へと進化して行った。そして、6550万年前になり、ユカタン半島で形成さされたチクシュルーブ・クレーターの原因となった隕石の落下により、恐竜をはじめ、翼竜、首長竜など生物種の70%が絶滅し、残っていたアンモナイトも完全に絶滅してしまった。これまでこの時の陸生生物の絶滅は隕石の落下で説明出来たが、海生生物の絶滅については隕石との関係で十分説明し切れていなかったが、本年3月10日、千葉工業大学惑星探査研究センターはその謎を解明した。巨大隕石が衝突したユカタン半島は硫黄を含む岩石が大量に存在し、隕石衝突時のエネルギーで蒸発し、酸性雨の原因となる三酸化硫黄(発煙硫酸)が生成されることを大阪大学レーザーエネルギー学研究センターの高出力レーザー激光XII号を使った宇宙速度(秒速11.2km)での衝突実験で明らかにした。酸性化した海で食物連鎖の基底となるプランクトンが絶滅して行ったと考えられる。この時の大量絶滅で哺乳類が急速な多様化と進化を遂げる環境が整えられた。これまでの地球の歴史で、極めて多くの生物が生まれて来たが、その90%はこれまでに絶滅している。生物は環境の変化で絶滅し、そこで生き残ったものが進化して行き、また絶滅すると言う歴史を繰り返して来た。米国自然史博物館の1998年の調査によれば、70%の生物学者が、現在、7度目の大量絶滅が起きていると考えていると言う。ハーバード大学比較動物学博物館エドワード・オズボーン・ウィルソン(Edward Osborne Wilson)名誉教授は人類による生物圏の破壊、大気汚染や土地の開発、魚の乱獲などがこのまま進めば、現在生息しているあらゆる生物種の半分以上が2100年までに絶滅する恐れがあると警告している。
12輪の山百合

山百合から生まれたカサブランカ

釜石の巨匠の一人

2014-07-17 19:20:29 | 文化
今朝は雲が多く流れていたが、青空も少し見えていた。次第に青空が広がり、昼にはよく晴れた。しかし、風が熱くなく、気持ちのいい風が吹き、気温も24度くらいで止まってくれた。夕方に近づくにつれて再び雲が多くなり、曇天になってしまった。我が家の庭は山百合がたくさん咲いて、家の周りで山百合の香りが漂うようになった。園芸用の大きな百合であるカサブランカの元になった百合だけあって、花が大きい。カサブランカも綺麗だが、山百合の方が清楚な感じがあり、素朴さもあることから、こちらの方が好ましく思える。庭では車百合も咲き始めて来た。 釜石へ来ている息子は今週土曜日に大阪へ帰ることにしたようだ。大阪の知人たちに卵を買って帰りたい、と言うので、昨日、息子とともに巨匠の別宅を久しぶりに訪ねた。甲子川の支流を川に沿って山間に入ると、別宅があり、行ってみると、不在であった。1匹であった犬が2匹になっていた。出直すことにして、来た道を引き返していると、途中で巨匠の車とすれ違ったので、Uターンをして巨匠を追いかけた。ちょうど巨匠が別宅に着いた直後で、事情を話して卵を分けていただくことになった。巨匠は烏骨鶏(うこっけい)やチリの鶏であるアローカナなどをたくさん飼われていて、産直やスーパーにも卸されている。1ヶ月ほど前にはこの鶏たちが熊に襲われた。幸い、1羽だけが犠牲になった。別宅に増設されたいつもの小屋に案内された。小屋には様々な道具や山や畑で取れたものが吊るされたり、置かれたりしている。決して綺麗なところではないが、何か気持ちが落ち着くところだ。早速、巨匠は飲み物を用意してくれたのだが、何も言わずに差し出されたものはコーヒーのように見えた。息子はコーヒーが飲めないので、お断りをしたところ、それはコーヒーではないと言う。ともかくそれを飲んでみて欲しい、と言われたので、飲んでみた。まったく癖がなく、すっきりと飲めたのだが、何なのか見当がつかない。結局、それは樺孔茸(かばのあなたけ)と言われる極めて珍しい茸だと教えていただいた。北海道やロシアのような厳寒の地だけの白樺や岳樺(だけかんば)に寄生する茸で、2万本に1つと言われるほどとても希少な茸だそうで、寄生された木は10年ほどで枯れてしまうほど、生命力の強い茸だそうだ。アイヌやロシアでは長寿をもたらす物として飲まれて来たと言う。どうも免疫力を強めるようで、巨匠が2年ほど前に大腸癌の手術を受けられた後、秋田の知人から贈られた物だと言う。鶏卵の話になると、最近巨匠は2種類の鶏をさらに増やされたと言う。名古屋コーチンと比内鶏だ。日本で鶏が家畜化されたのは古墳時代より少し前のようだが、日本の純粋種は17種あり、秋田の比内鶏もその一つで、縄文時代からの日本固有の鶏で、それに他種を交配した一代雑種が比内「地」鶏が市場に出ており、比内鶏は天然記念物として県外には出されない。その比内鶏が岩手では盛岡に飼育されている人がいるだけだと言われている。しかし、こうして巨匠もその比内鶏を入手された。5羽譲り受けて、1羽は死なせてしまったそうだ。以前、巨匠は猟銃もやっていたが、今はもっぱらワナ狩猟をされており、この前の狩猟期間には77頭もの鹿を捕獲されている。熊も4頭捕獲されたそうだ。ワナ猟ではおそらく県下随一ではないかと思われる。ワナ猟の資格を取る人たちの講習もされていると言う。ともかく、巨匠は野菜作りにしても素晴らしい野菜を作出される。五月の盆栽などもこれまでに何度も賞を取られている。すべてが並外れており、採算はまったく無視して自分の納得出来るものを追及され続けている。
薬師公園の木槿(むくげ)

知る権利を葬った判決

2014-07-15 19:16:03 | 社会
今朝はよく晴れて、愛染山がよく見えた。朝は20度ほどで清々しかったが、午前中から気温が上がり、昼には29度まで上がった。おそらく内陸は30度を超えていただろう。29度まで上がっても風が気持ちよく、日射しの中に立たなければ、さほど暑くはない。日中はエゾゼミが鳴き、夕方にはヒグラシに変わる。相変わらず気温が上がって来てもウグイスも鳴いていた。職場の隣りの薬師公園入口の椿の木はすっかり葛の葉に覆われてしまった。それだけ葛が繁殖力が強いのだろう。今では葛も誰にも気付かれなくなって、ただの雑草としか見られなくなっている。 1972年5月15日、戦後の大きな節目となる沖縄返還が行なわれた。その前年の1971年にこの返還にあたるための費用などについて、米国バージニア州フェアフィールドパークで、当時の大蔵大臣福田赳夫と米財務長官デヴィッド・M・ケネディの間で密約が取り交わされた。国会の承認を経ない施設引き渡し費用や戦後の日本への経済援助への謝礼3000万ドルを米国へ支払うことなどが取り交わされた。1972年、この密約の一部の情報をつかんだ当時の毎日新聞記者が逮捕された。メディアは当初、密約を結んだ政府を批判していたが、検察がこの記者と情報を漏らしたとされる外務省女性事務官との不倫をメディアに流したため、報道は一気に変わり、密約よりも不倫を断じる方向へ流れた。国家機密を漏洩したとして記者と事務官は逮捕され、密約の追及は中断されてしまった。しかし、2000年米国立公文書館で機密解除となった密約の存在を示す文書が明らかとなった。それでも2010年まで政府は密約の存在を否定し続けて来た。2008年に密約の公開を外務省と財務省に求めたが、存在しないとして拒否されたため、提訴に踏み切った。昨日14日、最高裁は密約文書開示訴訟において、原告の開示請求を棄却する判決を下した。4人の裁判官が一致して、行政機関が存在しないと主張する文書については「開示の請求者側に存在を立証する責任がある」と言うのだ。この判決の危険さは国民の知る権利を裁判所が抹殺していることだ。国の秘密文書などの情報公開の道が現実にはまったく閉ざされてしまった。その文書が行政機関に現在も存在するすることを国ではなく国民側が立証しなければならないと言う、現実には不可能な要件を裁判所が定めたのだ。行政がそんな文書は見つからなかったと言えば、それが通ってしまうと言うことだ。米国で開示されて明らかに密約があったことが分かっていても、日本の行政機関が探したが、見つからなかったと言えば、国民が今なお、行政にその密約文書が残されていることを立証しなければならない。行政がその文書を破棄してしまえば、立証すら不可能である。これほど情報公開の流れに逆行する判決は今後の日本の流れを大きく変えて行くだろう。昨年末には特定秘密保護法が成立し、さらに今回のような判決が下った。裁判所の独立はもはや崩壊し、行政と一体化してしまった。国家は今後は大手を振って国民に対し秘密裏にことをなしうるようになる。戦前への回帰がますます加速して来ている。
庭で咲き始めた山百合

大都会の喧騒を逃れて

2014-07-14 19:14:18 | 文化
今朝は雨上がりの曇天で、暑さはまったく感じなかった。沖縄はもう梅雨が明けて、今日にも九州南部が明けそうだ。釜石は例年は20日頃になる。昼前に少し日射しが出初め、午後には晴れて来た。先週の水曜日から息子が釜石へやって来ている。大都会の喧騒を逃れて、静かに一時を過ごしたいようだ。家の近辺の甲子川付近にも自然は溢れているが、もう少し、自然の中に行ってみたいと言うので、昨日は小雨がちの中、遠野の重湍渓(ちょうたんけい)へ行って見ることにした。しかし、その前に山田の産直に立寄り、いくつかの野菜を買い込んでいた。引き返した後、鵜住居川に沿って車を走らせていると、大勢の鮎釣りの人たちを見かけた。橋野のどんぐり広場で、新しい建物になった産直に初めて入ってみた。スペースは広くなっているが、品物が少ない。しかし、出された品物の生産者の名前に自分と同じ姓の人が多いのに驚いていた。道幅が狭まる笛吹峠近くで運転を代わり、福泉寺の前を抜けて、附馬牛(つくもうし)方面へ向かう。早池峰神社へ向かう道路に折れて、しばらく行くと、例年、蓮の花がたくさん見られるところを通ったが、まだ蓮の花は開いていないようだった。ハンドルを握りながら、息子と話している間に、うっかり、重湍渓への道へ右折するのを忘れてしまった。気付いた時はかなりもう走っていたので、せっかくだからと、早池峰神社へ行くことにした。境内を歩いているうちに、息子は以前一度来たことを思い出したようだ。近々、何か行事があるのか若者が何人かで、注連縄(しめなわ)のようなものを作っていた。ここの杉はそうとうに年数の経ったものがあり、神木となっているようだ。ここは1917mの山頂にある奥宮に対する里宮で、祭神は縄文の女神である瀬織津姫(せおりつひめ)である。早池峰山への登山道は四方にあり、それぞれ登山口に早池峰神社がある。遠野のこの早池峰神社は南の登山口にあたる。以前は持福院妙泉寺があったところでもあり、茅葺きの山門が今も残っており、仁王像も見られる。廃校となった小学校のそばに止めた車に引き返して、重湍渓に向かった。着いてみると、水量がかなり増しており、いつもだと川の中の平らな巨石の上まで行けるのだが、水が勢いよく流れていて、とてもそこまでは行けなかった。少し、上流でも白くなった水の流れが滝のように見えていた。息子は川淵を歩きながら山藤が小さく伸びて来ているのを見つけては、掘り起こしていた。家に持ち帰り、育てるつもりのようだ。姉は山菜に興味があり、弟は山野草に興味があるようだ。息子は川の流れの音に癒しを感じているようで、来たことに満足しているようだった。帰りにはまだ息子が行っていない、上郷の夢産直に立寄った。
重湍渓 上流に向かって

重湍渓 下流に向かって

蓮の花

2014-07-11 19:11:43 | 自然
昼過ぎまで台風と言うよりも梅雨前線の北上で雨が降っていたが、午後には雨も降り止んで、日射しが出て来て、青空も見えて来た。気温は24~25度くらいで、夕方には晴れた空が気持ちよく広がった。大型台風8号の到来が警告されたが、東北は台風が近づくにつれ、進路が変わったり、弱まったりするので、あまり本格的な台風をこれまで経験していない。北海道にいた時も同じ理由で台風らしい台風には出会うことがなかった。子供の頃過ごした四国とはまるで違う。こうした自然の威力にはあまり遭遇したくはない。 愛知県に住んでいた頃、花の写真の一つとして、蓮の花も撮っていた。家の近くのお寺に池があり、そこに蓮の花が咲いた。岩手に引っ越して、釜石の近くに蓮の花が咲くところはないか、ネットで調べてみた。すると、大船渡市の越喜来(おきらい)地区に2000年以上前の蓮の種から甦った大賀蓮が植えられていることを知った。しかし、そこへ行ってみると、蓮は上手く育っていなかった。さらに調べて行くと、そこから少し離れた小石浜地区の農家の水田に大賀蓮が咲くことを知り、早速訪ねてみた。そこでは蓮がよく育っており、花もたくさん見られた。しかし、震災後はそこでの蓮はすっかり見られなくなってしまった。遠野の北、早池峰神社へ向かう道の途中に、3面の水田に蓮の花が咲くのを知り、そこへは毎年写真を撮りに出かけた。内陸の紫波町の五郎沼の畔にも中尊寺金色堂から発見された800年前の蓮の種から甦った蓮が咲く。蓮の根、地下茎だが、これはレンコン(蓮根)として食用でよく知られる。蓮の花が散ると逆円錐状の花托と呼ばれるものが残る。この中にドングリ状の種がある。この種も中国では食用にされている。現在の千葉県千葉市花見川区にある広大な東京大学検見川総合運動場から1947年に縄文時代の1隻の丸木舟と6本の櫂が発掘された。1949年の調査でさらに2隻の丸木舟とハスの果托も発掘された。ハスの権威である大賀一郎博士は1951年に地元のボランティアの協力で、地下6mの泥炭層からハスの実3粒を発見することが出来た。自宅でそれらの発芽を試みたが、1粒だけ見事に発芽に成功した。これが後に「大賀ハス」と名付けられた。米国ライフ週刊版1952年11月3日号では「世界最古の花・生命の復活」として紹介されている。大賀ハスは現在では日本各地で栽培されており、市販も行なわれるようになった。今、我が家の庭でもこの大賀ハスが育っている。今年花を咲かせてくれるか楽しみだ。蓮はもともとインドが原産で、インドで生まれた仏教では蓮は泥の中で育つにもかかわらず、清らかな美しい花を咲かせることから、仏の智慧や慈悲の象徴とされた。「一蓮托生」と言う言葉があるが、本来は一つの蓮に極楽往生した人がみんな身を託して生まれ変わると言う仏教用語である。蓮は蓮根だけではなく、葉や種も食用が可能であり、おそらく日本の縄文時代にはこれらが食用としても採取されていたと思われる。蓮の花は大きな花だが、色合いがとても綺麗で、花を眺めていると不思議と気持ちが清らかになる。インドやスリランカ、ベトナムでは国花になっており、日本では愛知県愛西市、滋賀県守山市、埼玉県行田市で市の花となっている。
庭に咲く桔梗

戦前に回帰しつつある日本

2014-07-10 19:18:58 | 社会
台風の影響が出る前に、昨日、息子が大阪から釜石へやって来た。大型台風はすでに数人の犠牲者を出した。例年、釜石へ近づく頃には弱まって低気圧に変わることが多い。今日の釜石は朝から雨で、どうやら梅雨前線の影響のようだ。気温は24度まで上がり、湿度も高い。相変わらず、職場の隣りの薬師公園からは近くの復興工事の音に混じって、ウグイスの声が聴こえて来る。 日本の憲法9条では、すべての武力行使、そのための実力の装備、戦力は禁止している。しかし、これまでの政府は日本が直接武力攻撃を受けた場合は、憲法前文の平和的生存権や13条の生命、自由、幸福追求権を最大限の尊重を上げて、日本への直接の武力攻撃に対しては、ほかに手段がない限り、必要最小限度でこれに反撃をする、そのための実力装備を持つことは許されるとして、法律的な自衛隊の存立根拠として来た。すなわち、日本が直接攻撃された場合は自衛権があり、そのための軍隊の保有は憲法に反しないとして来た。従って、日本が直接攻撃を受けるわけではない集団的自衛権については憲法上許されない、と言うのがこれまでの政府の立場であった。具体的には、そのように解釈して来たのは「法の番人」と言われ、内閣の下で法案や法制についての審査・調査等を行う内閣法制局である。しかし、集団的自衛権行使を実現しようとする安倍首相は、その内閣法制局の長官を更迭することで、憲法解釈を変更することにした。昨年8月それまで従来通り集団的自衛権は憲法に抵触するとして来た山本庸幸内閣法制局長官を退任させ、替わりに外務省から小松一郎氏を長官に据え、憲法解釈の変更を押し切った。従来、内閣法制局長官は主に法務、財務、総務、経済産業の4省出身者が、憲法解釈を担当する第1部長から次長を経て長官に就任して来た。小松氏はその過程を経ずにいきなり長官として任官した。その意味でも極めて異例である。更迭させられ内閣法制局長官を退任した山本庸幸氏は最高裁判所裁判官に就任したが、就任時の記者会見で、「「集団的自衛権の行使は、従来の憲法解釈では容認は難しい。実現するには憲法改正が適切だろうが、それは国民と国会の判断だ」と発言している。これに対して、菅義偉内閣官房長官は「最高裁判事が公の場で憲法改正の必要性まで言及したことについて、非常に違和感がある」とあえてこれまた異例の発言を行なっている。一方で、政府の友軍であるはずの公明党の山口那津男代表は山本庸幸最高裁判事の発言を「ぎりぎり許される」と支持表明している。内閣法制局として憲法解釈を変更し、今月1日、集団的自衛権行使容認を閣議決定した安倍政権は、それに伴い安保関連法案を見直し、一括審議する意向を6日には表明している。日程的には来年の通常国会にずれ込み、4月の統一地方選後になるもと思われている。しかし、安保関連法案は15本前後もあり、これを一括審議すること自体がまた異例であり、しかも1本1本が重要な法案である。それを十分な審議も出来ない状態で改訂しようとしている。ここでも国会の本来の機能を軽視する姿勢が明らかである。昨年8月末、麻生太郎副首相は都内の会合で、「ナチス政権下のドイツでは、憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口、学んだらどうかね」と発言し、物議をかもしたが、実際にも安倍首相はまさにナチスの手口通り、憲法を骨抜きにし、国会機能を軽視している。法が無視された時に軍国の道を進んだ歴史はドイツにも日本にもある。安倍首相はまさにその時代の「日本を取り戻し」つつあるのだ。昨年12月6日に成立した特定秘密保護法も戦前の1937年の改正軍機保護法や1939年の軍用資源秘密保護法、1941年の国防保安法に繋がるもので、現在の日本は極めて危険な道を歩んでいる。そして、その危険を知らせるべきメディアがその本来の機能を失っていることが最も脅威である。
庭で咲く花たち 黒ユリと言われた深真紅のユリとキスゲ、アジサイ

ネオニコチノイド系農薬

2014-07-08 19:19:26 | 自然
今日は釜石はよく晴れて、日中は27度まで上がった。しかし、夜との気温差が7度あり、日射しの中にいなければ、さほど暑さを感じない。最も同じ岩手でも内陸は30度を超えたようだ。沖縄は大型の強い台風に見舞われているが、東北では台風とは今のところ無縁だ。被害が大きく出なければいいが。気温が夏日になってもウグイスの声が聴こえて来る。ほんとうにこの感覚には慣れることがない。甲子川では解禁日を過ぎたので、朝夕に釣り人の姿をみるようになった。家のすぐそばの川で鮎や山女魚が釣れる。しかも甲子川では沿岸部の他の河川と異なり、入漁料は必要ない。この川もいつまでもこうした状況が続いて欲しいと願う。 現在、世界の人口は72億人に迫っており、1日に20万人もが増えている。その一方で十分な栄養が摂れない飢餓状態にある人は10億人に達しようとしている。7人に一人が十分な食糧が確保出来ないでいる。今のところ世界の食糧の生産量が世界の人々が十分に食べるために不足しているわけではない。世界の食糧生産量の3分の1は破棄されている。豊かな国が必要以上に食糧を輸入しているのだ。20世紀最大の物理学者で、現代物理学の父とも呼ばれるアルベルト・アインシュタインは「ハチがいなくなったら人類は4年しか生きられない」と言ったと言う。世界の食料の90%を占める100種類の作物のうち、70%はハチが受粉を媒介している。ハチは日本だけでも4000種いると言われるが、蜜を集める種類は世界でも10種しかいない。それらは大きく分けて、アフリカからヨーロッパに分布する西洋ミツバチと中央アジアから東南アジアまで分布する東洋ミツバチに分かれる。古来から日本列島にいた日本ミツバチは東洋ミツバチの亜種で、環境変化により今や激減してしまっている。日本での養蜂の多くは西洋ミツバチが使われるようになった。ハチは人が食べる植物に重要なだけでなく、山野の木々や野草の繁茂にも重要な役割を果たして来た。山野の木々や野草はまた川を豊かな栄養で満たし、やがて海にもその栄養が運ばれている。川や海の生物たちをも養っている。ハチがいなくなればアインシュタインの言葉通り人類は生存出来ないのだ。6月24日国際自然保護連合(IUCN)は15カ国、53人の科学者からなる「浸透性農薬タスクフォース」(Task Force on Systemic Pesticides)による調査結果を「Systemic pesticides pose global threat to biodiversity and ecosystem services」(浸透性農薬は生物多様性と生態系への世界的な脅威をもたらす)との表題で800を超える学術論文を包括的に分析した「世界的な総合評価書(WIA)」を公表した。そこでは浸透性農薬が無脊椎動動物種に著しい被害を与え、ミツバチをはじめとするハナバチ類減少の要因であると結論付けている。約20年前からミツバチを含めた昆虫の「劇的減少」が見られるようになり、2006年頃からは最初アメリカで、次いで世界中でミツバチの失踪が報道されるようになった。日本でも2008年頃から長崎をはじめ全国で報告が相次ぐようになった。農林水産省は当初、ミツバチに寄生するダニの発生が原因の可能性があるとしたが、ダニの発生はずっと以前からあった。EUではすでに疑わしい段階で昨年12月から、日本では広く使われているネオニコチノイド系農薬のうちの3種の使用制限が始まった。しかし、日本では逆にネオニコチノイド系農薬の残留農薬基準の大幅緩和により使用作物を拡大する動きが昨年から出ている。日本の基準はこれまででも欧米基準より甘かったにもかかわらずである。ネオニコチノイド系農薬は、少量の散布で害虫駆除が可能で、霊長類に害を及ぼさないとされたため、世界中で使用が広まり、日本でも、水田での散布、ゴルフ場の芝の消毒、シロアリ駆除の他、ゴキブリ対策やペットのノミやダニ駆除にも利用されている。今回の結果では、土壌、水、空気に拡散するネオニコチノイドの影響は、ミミズなどの陸生無脊椎生物、蜂や蝶などの受粉昆虫、水生の無脊椎生物、鳥類、魚類、両生類、微生物など、さまざまな生物に及ぶとしている。日本では前経団連会長の米倉弘昌氏が会長を務める住友化学を中心に原発村と同じく農薬村が形成されていると言う。二度と取り戻せない生態系の壊滅が今進行している。企業の利益と引き換えに。
庭に咲く花菖蒲

「真の進歩指標」

2014-07-07 19:14:48 | 社会
夕方、甲子川の土手を犬と一緒に歩いていて、途中で、ヒグラシの鳴く音に耳をすませて立ち止まり、川の流れを見ていると、気持ちが和み、ふと、人の生活の幸せとは何だろうと考える。釜石は製鉄の街としての過去を世界遺産にしようとしている。江戸時代の封建制を脱した明治政府は富国強兵、殖産興業を掲げ、「近代化」を急ぎ、日本は資本主義を確立して行く。特に、戦後は本格的に米国主導で資本主義を推進し、やがて自立的な資本主義の道を歩んだ。高度経済成長を通じて、GDP(国内総生産)の最大化をひたすら追い求めて来た。資本主義はとはお金がお金を生む経済制度だ。利子とか利潤と言う形でお金が新たなお金を生み出す。しかし、利子に限って言えば、日本の国債の利子が最大であったのは1981年であり、以後は利子は低下し続け、ゼロ金利の時代を迎えた。利子がゼロとなることは経済制度としての資本主義の行き詰まりであるとも考えられる。米国はその金利の低下を脱するために金融工学なる理屈を駆使して、行き詰まりを先延ばしした。GDPと言う指標だけを最大限に求める発想では、それも一つの対処法ではあるが、そもそもGDPの際限のない拡大が人を幸せにするのだろうか。経済大国となり、2000年代に入り、米国に倣って、新自由主義の名の下に規制改革を打ち出し、さらなるGDPの拡大を求めようとしたが、そこで生まれて来たのは格差社会の蔓延だけである。日本の総体としての幸せはどこにあるのだろう。米国のNGO Redefining Progressは1995年にGDPに替わる指標としてGenuine Progress Indicator(GPI)なる概念を提唱した。GDPは人の「幸せ」とは無関係な指標であり、家事やボランティア活動の価値、犯罪や汚染にかかわる費用などは考慮されない。GPIは所得分配、家事、ボランティア活動、高等教育、犯罪、汚染、長期的な環境破壊、余暇時間の変化、耐久消費財と公共インフラの寿命などを考慮して、「真の進歩指標」を求めようとするものだ。本年発表されたGPIでは日本は132カ国中14位となっている。日本は長寿が高く評価されている。上位10位にはニュージーランド以下、スイス、アイスランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、カナダ、フィンランド、デンマーク、オーストラリアが並ぶ。ドイツが12位、イギリス13位、米国16位、フランス20位などとなっている。若き日に米国ハーバード大学で学んだ経済学者の中谷巌一橋大学名誉教授は1993年の細川内閣での経済改革研究会委員を皮切りに、日本経済の旧弊である政官財の癒着を解消し、規制改革こそが日本経済を活性化出来るとして、政府への提言を行なっていた。しかし、その結果は格差社会を広げるだけであることに気付き、自分が学んで来た米国の自由競争を基本とした経済の在り方に疑問を持つようになる。それまでの考えを180度改め、何らかの政府介入がなければ、人々の「幸せ」は達成出来ないと考えるに至る。人の幸せにはお金と物以外もたくさん含まれており、さらには、生きるための最低限の生活の保障もされなければならいだろう。しかし、今の日本にはその最低限の生活も危ぶまれる人たちが増えて来ている。大国となった日本は果たして「進歩した国」と言えるのだろうか。
庭の山紫陽花

紫陽花めぐり

2014-07-05 19:19:58 | 経済
今日も朝から曇天で、いつもの海沿いからの霧雲はなく、かえって、内陸方向の西の山に低く霧雲が流れていた。気温も21度までしか上がらず、7月だと言うのに暑さはない。夕方、甲子川の土手を上流に向かって歩いていると、川の瀬音とともにカジカガエルの声が聞こえて来た。その声に合わせるようにヒグラシまでが鳴いていた。そこだけは何か市街地の中にもかかわらず、別世界がこつ然と現れたようにさえ思えた。ほんとうに釜石は素晴らしい自然がある。職場の釜石出身の人たちは甲子川にカジカガエルがいることさえ関心がないようだ。そこに当たり前のものとしてずっとあり続けてきた自然にはもはや感覚をなくしてしまっているようだ。 明日は仕事の関係で出かけられないので、今日は思い立って、紫陽花巡りをすることにした。先ずは北上市の郊外口内地区にある曹洞宗の金峰山萬蔵寺へ向かった。遠野の市街地を抜けて、西のはずれの宮守ICから釜石自動車道に入り、花巻方向の次の江刺田瀬ICで降りて、107号線で北上市街地方向へ5分ほど走ると右手にあじさい寺金峰山萬蔵寺の標識が出ている。行ってみると、草刈り作業の人が2人出ていたが、他には誰も見かけなかった。紫陽花はまだ咲き初めで、花が開いていないものもあった。ここの紫陽花は普通に見ていると家の庭に咲く額紫陽花と同じように見えるが、ネットで調べると、どうも額紫陽花ではなく、よく似た蝦夷紫陽花(えぞあじさい)だと言う。その違いは今一つよく分からない。来た道を引き返し、遠野の風の丘に立寄って、一休みをしてから、釜石方向へ走り、釜石への旧道に入る。そこをしばらく走り、上郷の伊勢両宮神社へ行った。ここは岩手でこれまで見た紫陽花の中では一番株数が多い。こちらもやはりまだ咲き始めたところで、色の付いていない、蕾の花も多く見かけた。そして、ここも人は誰もいない。ゆっくり青紫のてまり紫陽花を見て歩いた。道を隔てて向かい側にある駐車場の周りには紫陽花によく似た大手毬(おおてまり)がたくさん咲いていた。近くではスカシユリも1輪だけ咲いていた。その後、釜石へ引き返し、職場の隣りの薬師公園へ行った。公園入口のてまり紫陽花はまだ咲き始めたばかりで、2輪ほどの花が見られただけだが、お地蔵さんのそばでは額紫陽花の園芸種が咲いていた。階段を登り、磯崎稲荷へ行ってみると、こちらは手まり紫陽花と額紫陽花の両方が咲いていた。ここもやはり人は見かけない。車に引き返して、甲子川沿いを家に向かうと、川沿いの紫陽花が咲いていたので、近くに車を止めて、車から降りると、賑やかな太鼓の音が聞こえて来た。よく見ると、釜石駅に入ったSL銀河の乗客を歓迎する虎舞がホームで舞われていた。川沿いの紫陽花を撮っていると近くでウグイスが鳴いていた。穏やかに流れる川の緑溢れる中州にある木々の間から聴こえて来るようだった。
あじさい寺金峰山萬蔵寺

額紫陽花に似た蝦夷紫陽花が咲く

上郷の伊勢両宮神社

ここの紫陽花がこれまで岩手で見た紫陽花の中で最も株数が多い

大手毬

薬師公園入口のお地蔵さん

磯崎稲荷

甲子川沿いのてまり紫陽花