釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

相互協力が何故出来ないのだろう

2011-06-06 18:59:29 | 文化
今朝は雲一つない良く晴れたいい天気だった。周囲の緑も日一日と深くなって行く。昨夕は風が気持ち良かったので娘と二人でお気に入りの散歩コースを歩いた。道沿いに咲く花を眺めながらのんびりと川風に吹かれながら歩いた。お年寄りたちが立ち話をしたり、花の手入れをしたりしている。公園の仮設住宅にも人がもう入っている。時々鴨たちが驚いて飛び去って行く。上空ではミサゴが餌を探しながら川上に向かって飛んで行く。オオヨシキリがあちこちで甲高い声を上げる。カジカガエルのきれいな声も聞こえて来る。夕暮れの犬を連れた人たちの散歩姿もある。川の流れの音も気持ちがいい。コースの端には個人宅でやっている焼き鳥屋がある。美味しい臭いに誘われて二本づつ焼き鳥を買って歩きながら食べた。遠くに霞んだ愛染山を眺めながらの焼き鳥は格別に美味しい。郷里の子供の頃の郷愁を感じる風景だった。釜石の被災地域の瓦礫はまだ除去されていないので被災場所では蠅やカラスが群がるようになって来た。これから梅雨や初夏の暑さがやって来るとますます衛生上の問題が起きて来るだろう。隣接する大槌町や山田町の瓦礫はもうかなり除去されて来た。これらの地域は釜石以上に被災範囲が広い分、瓦礫の除去が急務だったのかも知れない。山田町では仮設住宅に入った人たちが早く元の土地に家を建てたいようで町に問い合わせたところ、町としてはまだ復興計画が出来ておらず、仮に元の土地に家を建てても電気やガス、水道などが敷設されていないし、いつ敷設されるかも定まっていない。大槌町は残された土地が少なく、仮設住宅の建設用地にも困っていて、釜石市の土地を借り受ける必要があり、釜石市に直接依頼せず、県へ依頼してしまった。釜石市は県から言われて了解はしたが、以前からの大槌町との軋轢もあってあまり快くはなかったようだ。江戸時代には大槌町に代官所があり、釜石はその代官所の支配下にあった。大槌町はそれを誇りにしているようで、そのことがかって持ち上がった釜石市との合併話を頓挫させた。釜石市は今回の大槌町の被災については従ってあまり積極的には協力しようとはしない。まして大槌町が県に直接依頼したとなるとますます反発するだけである。自治体同士のこうした軋轢は被災者とは何の関係もないはずなのだが。釜石市でも地域によっては未だにかなり不便な生活を強いられているところもある。三陸沿岸はリアス式海岸になっているためこれまでは豊富な漁場を提供して来てくれたが、リアス式海岸はそれだけ多くの半島を造り出しており、半島には少ない戸数の集落が散在する。何とか住居が確保出来ても車を流された高齢者などは買い出しが大変だ。仮設住宅に入った人たちの中にも職と家を失った人たちがいて、失業保険が出る間はいいが、それが切れると避難所と違って、食費や光熱費を負担しなければならないので、食事にも困窮する可能性も出てくる。かと言って、職は今の釜石ではそう簡単には見つけられない。そうした不安や仮設住宅の後どこに住めば良いか困っている人たちが多くいる。釜石市も普段の業務の上に支援と復興が重なり、被災者の現状に十分には対処し切れていない。県や国の助力がどうしても必要なのだが今の国にはあまり期待出来そうにない。
庭の梅花卯月(ばいかうづき)

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