釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

腐海

2012-03-20 19:20:24 | 文化
昨日は夜の間に少し雪が積もったが、日中にすぐに融けてしまった。釜石では毎年むしろまとまった湿った雪が3月に降る。気温が上がって来たとは言え、本格的な春を迎えるにはまだ時間がかかる。甲子川に長くいた3羽の白鳥もいつの間にか気が付いてみると1羽だけになっていた。最初に見つけた2羽は番だったのだろう。春の気配を感じて番で旅立って行ったのかも知れない。岩手県の道の駅や産直には他県ではあまり見かけない産品を見ることもある。以前山田町の道の駅で天然ヒバの油が売られていた。小さな瓶につめられて、霧吹きのように油が噴出するようになっている。それを買い求めて以来、風呂に毎回一吹きして愛用している。ヒバの香りがとても気持ちいい。和んだ気分になる。東北には二つの山系があるが、沿岸部に近い北上山系は火山活動がないため温泉が出ない。内陸の奥羽山系にはたくさんの温泉地がある。古くから湯治で知られたひなびた温泉があり、震災前には人出も少なく、のんびりと過ごすことが出来た。しかし、震災後、そこは避難場所となって、沿岸部の被災者たちが大勢避難した。それ以来、その温泉へは一度も行っていない。これから春が訪れれば東北では何種類もの山菜が採れるようになる。その山菜も今ではみんな汚染されたものになってしまう。現在まで福島県下の放射性物資の除染が中心に問題となっていたが、そこで除染の基準となっているのは測定されたガンマ線だけである。実際には放射性物質にはアルファ線やベータ線を出す物質もあり、これらは測定が難しく、専用の測定器を必要とする。通常の水素と科学的に同じ性質を持ち、ベータ線を出すトリチウムという放射性物質がある。報道ではヨウ素やセシウムだけが検出されているような印象を与えているが、実際にはこのトリチウムによっても広範囲に汚染されている。これまで原発の危険性を警告し続けて来た広瀬隆氏の『第二のフクシマ、日本滅亡』という近著では「トリチウム水は、普通の水とまったく同じなので、取り除くことができない。ごく低濃度でも人間のリンパ球に染色体異常を起こすことが、放射線医学総合研究所で突き止められており、半減期も12年と長い危険物である。」と書かれている。そして、そのトリチウム水は「首都圏の水源地である栃木県と群馬県中部の山間部が高濃度に汚染されているため、利根川から取水する金町浄水場の汚染が一時問題となった。ところが実際には、奥多摩湖周辺から異常に高い放射線量が検出されていることから、秩父山系と奥多摩、群馬県南西部を水源とする多摩川水系の浄水場にも放射性物質は流入している。」という。上下水道を通じて海に流れた水はトリチウムが取り除かれないまま水蒸気となって上昇した後、雨として再び地上に降りて来る。半減期が12年にもなるトリチウムが自然消滅するまでの長い間、こうして循環し続けて行く。2011年9月23日号の週刊朝日に載った広瀬氏の記事を見ると、ヨーロッパのEUを含む43ヶ国と地域は福島県にはじまり、宮城県、栃木県、群馬県、山梨県、長野県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、静岡県までの12都県などからの農産物の輸入を禁止または規制している、という。「ドイツ放射線防護協会は、乳児、子供、青少年は1キロあたり4ベクレル以上、大人は8ベクレル以上のセシウム137を含む飲食をしないよう提言している」のだ。同じように敗戦国として出発し、大国となったドイツだが、日本よりはるかに国民が大切にされている。今回の原発事故は12都県だけでなく、実際にはさらに広範囲に放射性物質による汚染をもたらしている。報道だけを頼りにしていると、汚染はまるで福島県の一部での出来事であるかのような気持ちに次第になって行く。国土が目に見えない汚染に覆われ、まさに「腐海」が広がっている。二度とこうした汚染の危険をもたらさないように、全国の原発を止めておかなくてはならない。自然豊かな東北だけではなく、古来四季の美しいこの日本の大地をこれ以上汚してはならないのだ。
寒さが厳しかったため、咲きの悪かった山茶花がようやく開き始めた

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2 コメント

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これからの日本 (夕焼け)
2012-03-21 01:55:00
娘が高校合格して四月から通い始めますが…将来を考えたら不安。
これからの日本で何を希望に生きていくか 成長してきたからこそ悩むのでしょう。春が来たら、春の柔らかな風にしばらく包まれて悲しみを忘れたいなあ
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夕焼けさんへ (管理人)
2012-03-21 09:05:56
娘さん、よかったですね。確かにこれからの日本は大変な時代を迎えることになると思いますが、私は基本的には楽観視しています。今は先が見えないために不安が生まれて来ますが、人にはいざとなれば、互いに協力し合い、新しい秩序を作り上げようとする叡智をも備わっているからです。人はかえって平穏な日常生活の中でそうした能力を見失っているところもあるように思います。普段は家族からも孤立していたような若者が、震災では驚くような活動をした例は各所で見られました。平穏と混沌のまっただ中では「何をすればいいのか」が見えなくとも、極端な状態に陥ると意外に「何をすべきか」が見えて来るのではないかと思います。いつもほんとうにありがとうございます。
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