釜石の日々

「ジャーナリストがいない国」

晴れた一日だったが、風が強く、寒い日でもあった。周辺の山々は少しずつ色付いては来ているが、まだもう少し時間がかかりそうだ。確かに、今年の紅葉は遅い。今日も釜石が晴れたので、遠野の紅葉でも見に行こうかと思ったが、遠野は曇っている。紅葉はやはり光があってはじめて際立つ。結局、遠野へ行くのはやめた。家でのんびり本を読むことにした。 先日から読んでいた『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』を読み終えた。米国ニューヨーク・タイムズ紙の東京支局長マーティン・ファクラー氏が書いた。今年7月に出版された本だ。職場の仕事を少し見ていただいている85歳の地方の識者がおられる。月に2~3度お話をさせていただいている。先日話の中で、現在の日本で大きな問題がいくつかあるが、中でもメディアと少子化がとても重要な問題だ、ということを話させていただいた。高齢化は成熟社会ではどこの国にも見られ、少子化傾向も伴っている。しかし、他の国は少子化への対策をすでに積極的にとっており、日本だけが、対策をほとんどとっていない。日本の将来を危うくさせる要因だ。メディアについてはその方も常々、問題を感じておられた。ファクラー氏は日本に12年滞在され、日本語も堪能だ。昨年の震災後どこのメディアよりもいち早く被災地に入り、海外へ向けて日本の惨状を伝え続けた。原発事故後もメディアではじめて南相馬市に入り、そこで、日本のメディアが逆に事故直後に一斉に逃げ出したことを聞かされた。これまでの長い日本での報道活動でも気付いていたが、日本のメディアは外国メディアやフリーのジャーナリストを閉め出した記者クラブ制度によって情報の独占を行っており、政官業と日常的に癒着関係を維持しているため、「事実」を書くことがない。それを如実に示したのが原発事故後の報道だ。そうした中で、氏は地方紙である東京新聞と河北新報だけは評価されている。ほとんどのメディアは政府や官僚が垂れ流す情報を検証もなく、そのまま報じている。氏は書いている。「ジャーナリストとは、基本的に権力寄りであってはならない。権力の内側に仲間として加わるのではなく、権力と市民の間に立ちながら当局を監視し、不正を糾していく。」その意味で、氏は日本は「ジャーナリストがいない国」だとされる。中国でも取材して来た経験から日本は中国以上に閉鎖的だとも言われている。オリンパスの巨額損失隠しの報道を例に見ても特に日本経済新聞などは「企業広報掲示板」となっており、「事実」を伝えていないことを挙げている。この著書には書かれていないが、日本のメディアの問題はさらに広告代理店の存在がある。電通や博報堂と言った広告代理店によるメディア支配である。政治評論家の森田実氏などももう何年も前からこの問題を指摘している。東京電力など電力業界は競争相手がいない地域独占企業であるにもかかわらず、巨額の広告料をこうした代理店を通じて支払うことで、メディアに電力業界に不都合な事実は書かせないようにしている。何故こうした日本でのメディアの在り方が問題になるか。民主主義の重要な要件の一つがメディアによる権力の監視機能であるからだ。監視機能が十分働かなければ、権力を有する者はやりたい放題になる。復興予算がいい例だ。政治家は最近の日本では目まぐるしく交代し、実質的には何かをしでかす能力も持たない。しかし、官僚はすべての情報を握っており、最高学府を出て、曖昧な表現を作り出すことに長けている。復興に「日本再生」を付け加えれば、何にでも復興予算を使えてしまう。メディアが少しくい込んで調べればすぐに分かる内容であったにもかかわらず、大手メディアはどこも最初には動かなかった。官僚と記者クラブ制度を通して、普段からなれ合いになっているためだ。ニューヨーク・タイムズ東京支局が震災後海外へ伝えた記事はピュリッツァー賞国際報道部門のファイナリスト(次点)に選ばれている。
夕暮れどき
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