釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

少子化にもかかわらず顧みられない子供たち

2015-09-01 19:18:47 | 社会
現在の日本は国の行く末を左右する多くの重要な問題を抱えている。平和や民主主義と言った政治的な問題、新しい産業構造の創出や格差、赤字財政と言った経済的な問題、少子高齢化と言う人口構造の激変などどれをとっても早急に手をつけなければならない問題が山積みされている。中でも将来国を支えて行く子供の問題はすぐにも手を付けなければならない。しかし、現政権は他の問題同様にむしろ問題を深刻にさせるばかりである。メディアも子供のいじめやそこから生まれた子供の自殺や殺人には飛びつくが、現在の日本で一層深刻な母子家庭の貧しさはほとんど報道しない。昨年6月19日、 文部科学省は、2011年年以降に自殺した国公私立の小中高校、特別支援学校の児童生徒約500人について実態調査をした結果を公表した。いじめが原因の子供の自殺は2%だが、経済的困難を悲観した自殺は5%になる。しかもその他の学校関係が原因とされるものや、家庭環境が原因とされる自殺の背景にも実際は家庭の経済的困窮が存在しているケースが多い。一般に貧困にはアジアの一部や、アフリカで見られるような最低限の衣食住も満たせず、生きていくこと自体が厳しい「絶対的貧困」と、日本を含む先進国などで見られる、その社会の平均的な人々が享受している習慣や行為ができない「相対的貧困」がある。所得の多い人から順番に並べて、人数的に真ん中に位置する値を中央値と言い、経済協力開発機構(OECD)は1人あたり所得の中央値の半分に満たない場合を「相対的貧困」としている。1人あたり所得は税金や社会保険料を除いた世帯の手取り収入を用いる。1985年には日本は相対的貧困率が12.0%で17才未満の子供の貧困率は10.9%、消費者物価を加味した実質貧困線は108万円であった。以後相対的貧困率も子供の貧困率も年々上昇して行き、2000年にはそれぞれ、15.3%、14.5%となり、2012年には相対的貧困率16.1%に対して子供の貧困率16.3%と初めて子供の貧困率が相対的貧困率を上回った。実質貧困線も1997年の130万円をピークに以後毎年下がり続けて、2012年には111万円となった。この時の名目貧困線は122万円であるから、手取りが月ほぼ10万円の生活になる。「平成25年国民生活基礎調査の概況」では2012年時点で6人に1人が相対的貧困となる。17才未満の子供のいる世帯の貧困率は15.1%で、一人親世帯では54.6%と一気に上昇し、その9割までが母子家庭、シングルマザーである。貧困が貧困の連鎖を生み出す。バブル崩壊後、日本では賃金が上昇することなく、非正規雇用が拡大し、家庭は不安定な収入におかれるところが増加し、それも一因となり離婚も増えた。しかし、母子家庭を支える制度は十分に機能せず、現政権になってからは生活保護すら受給を受けるのに厳しくなった。貧困は母親も子供も悲惨な事件に遭遇させる。2013年には群馬県で3才の子供が餓死し、大阪市でも28才の母親と3才の子供の遺体が一部ミイラ化して見つかり、昨年も乳幼児3人が犠牲となり、千葉県の銚子市では追い込まれた母親が13才の親子仲の良かった娘を絞殺してしまった。核化した社会ではシングルマザーは孤立し、行政も財政難もあって対応はむしろ冷たい。多くのそうしたシングルマザーは精神を病んで行く。少子化が進む日本で国の貴重な子供たちがそうした悲惨な状況に置かれて、国も真剣に対応しようとしない。何よりも貧困に置かれた子供たちを救済しなければならない。安倍首相は「国を守る」と言い、軍備を増強し、戦争の出来る国にしようとしている。昨日防衛省は来年度の予算の概算要求が過去最大の5兆911億円となると発表している。しかし、その守る国とは一体何を指すのか。その国の貧困に置かれた子供たちを放置して、首相が守ろうとするものは何だろう。
薬師公園入り口の額紫陽花