釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

自らの手で津波を逃れた子供たちの行動

2011-04-22 17:35:34 | 文化
今週は雨と曇天が続く。昨日の余震は日本気象協会の情報では23回になっている。数回は体感できる強さだった。今朝職場の職員で仮設住宅に入れることになった人に話を聞くと仮設住宅には日赤からの寄付でエアコン、TV(36インチ)、洗濯機、炊飯器、ポットが備わっているという。2年間の限定された居住になるそうだが喜んでいた。光熱費だけは払わなければならないそうだが、職を失った人にとってはその光熱費すら払うのが大変だろうと思う。今回の震災で釜石市では鵜住居地区が平野部があるだけに被災がひどかった。その鵜住居地区では小中学生に釜石市教育委員会と連携して平成17年から群馬大学大学院工学研究科の広域首都圏防災研究センターが被災時の教育訓練を行って来ていた。「想定、とらわれるな」、「最善を尽くせ」、「率先し避難せよ」の3原則を元に普段から生徒たちが自主的に啓蒙DVDを作成したり、安否札を住民に配って歩くなど、さらには、「こども110番の家」にならって「こども津波ひなんの家」を募って、災害時に避難して来た子供に協力してもらえる家を準備していた。平成21年からはこの地区の釜石市東中学校でEASTレスキューという防災学習を実施して『自分の命は自分で守る』、『助けられる人から助ける人へ』の意識を育んで来た。3月11日14:46に大きな揺れが5分間続いた後釜石東中学校では終業後に校舎内や校庭に残っていた生徒たちが自らの判断で校庭に集まり、教師の一人が「逃げろ」と声を叫ぶと決められていた500m山側のグループホーム「ございしょの里」に向かって駆け出した。近くの鵜住居小学校では児童全員が残っていて津波を避けるため一旦3階へ避難していたが、中学生たちが駆け出して行くのを見て、すぐに中学生たちを追って避難することにした。ございしょの里で小中学生は全員いることを確認したが、建物のそばの山が崩れていることを生徒たちが見つけたため、生徒たちはさらに高いところへ避難することを教師に進言した。教師はさらに500m離れた高台にある介護施設を確認した後、そこへの避難を指示した。中学生は小学生を助けながら高台に向かい、さらに途中で鵜住居保育園の避難する園児たちをも手助けして避難した。その高台に着いて点呼をとっている時に津波は防波堤を越えて来た。次々に家や校舎が津波にのまれて行く姿を見ながら、さらに高いところにある石材店へ避難した。結局津波は介護福祉施設の100m手前で止まり、最初に避難したグループホーム「ございしょの里」は津波にのまれてしまった。一晩を歩いて移動した旧釜石第一中学校体育館で過ごして翌日手配された車で釜石の甲子小学校・中学校へそれぞれ移った。生徒たちのすばらしいところはその避難所となった場所でも自ら率先して毎朝の清掃をし、それを見た大人たちが見習って参加しはじめたことだ。鵜住居小学校361人、釜石東中学校222人は自らの手で津波を逃れることが出来た。
鵜住居地区の地図(群馬大学大学院工学研究科広域首都圏防災研究センター作成)